1953年生まれの自分史

結局自分自身についてしか確かなことは言えない。時代とその世界の中で生きて、自分を通してしか知りえないことについて現象学的記述を試みる。

文学を人生の「旅」として読む

「旅」のメタファーが自分の人生を振り返り、納得感の得られる形象なのかなとふと思えた。「旅」の最終目的地というものはなく、いろんな場所にある時しばらく過ごしてまた次の場所に「旅」することが、人生の送り方の形に近いのではないかと気付いたのだった。すぐ思いつくのが松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭の句の、「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」だが、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」やゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」などの教養小説なども人生の「旅」を感じさせる文学のように思われる。

このように人生を「旅」と考えると、経済的な成功云々や支配被支配として人生を見る功利的な世界観から解放されるように感じられる。自分の人生は自分のものだ。何も世間的な見方や価値観に囚われて過ごす必要はないはずだ。

これまで旅で訪れた都市は、ジャカルタ、バリ、シンガポール、クワラルンプール、ニューヨーク、サンフランシスコ、パリ、ウィーン、ローマ、ヴェニスフィレンツェマドリードグラナダセビリアバルセロナ、キャンベラ、シドニーゴールドコーストであり、それぞれに思い出が断片的に残っている。しかしぼくは場所の移動ではなく、時間の移動の方に「旅」のメタファーを考えてみたい。「旅」の始まり、道中、「旅」の出会いから別れまで、初体験での新鮮な驚き、名残惜しさの感覚、「旅」の思い出に浸る、次の旅への憧れ等々が考えられる。例えば、海外旅行初体験で初めてジェット機で離陸を体感した時や、ジャカルタの空港に降り立った瞬間の気だるい空気感や、バリで田んぼ風景に日本を感じた時や、夜ニューヨークに向かうバスから見た夜景の凄さや、日本に帰ってきて成田で日航機の挨拶アナウンスを聞いた時の満ち足りた気分などが旅の経験としてぼくの心に沈殿している。それらを旅行記にまとめられたら素晴らしいのだが、、、

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自分に与えられた仕事をやること

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ただ生きているだけで退屈もせず、焦燥に駆られもせず、寂しくなってもなんとかやり過ごすことができ、わずかながら仲間と趣味でひととき過ごす時間もあって、特にこれといった持病もなければそれで十分じゃないかと思われるかもしれない。ただ無名の存在であることからは逃れることはできない、そのことだけが気がかりである。「自分に与えられた仕事をやる」ことさえできたら、脱出できるはずなのだが、自分に何が与えられているのかが分からない。おそらく神を信じているものにはそれが分かるのだろう。その神は日本の神ではなく、唯一神でなければならない。神と一対一で対決するから自分に与えられたものがわかるのだ。自分に与えられたものは唯一のものでなければならない。誰かと同じではダメなのだ。

そういえばぼくの日常生活に祈りという行為や儀式がない。なぜぼくは神が信じられないのだろうか?ニーチェキリスト教批判には説得されている。ただキリスト本人は認めているらしい。ブッダについても高貴で実際的であるから肯定的であるらしい。そうだ、唯識をまた学び直してみることで、自分に与えられたものが分かるかもしれない。分からないかもしれない。

セクハラにかかわる地殻変動のような動き

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小田実の全体小説「ベトナムから遠く離れて」を玉川図書館から借りてきて1日読んできて、第2章の初めの方で読み続けるかどうかを問わねばならなかった。おかまが主人公ではぼくには追体験は無理だった。戦争や学生運動が扱われていても主体に共感できなければ読むことはできない。小田実にとって何故おかまが小説に必要なのか、歴史は女性的なるものが作るということなのか?ニーチェ以後の思想史の文脈とのつながりはあるのだろうか?

現代という全体性、世界性につながるのは村上春樹の方であって、小田実ではない。

全体という概念は関係性だと思うが、弁証法的な動きというものはないのだろうか?関係性は同等質量なのだろうか?自然史的展開(発展?)が全体の基底を作っているとしたら、性もまた自然史のファクターではあるはずだ。今起こっている歴史的過程(つまり不可逆的)の一つに、セクハラにかかわる地殻変動のような動きがあるとぼくは考えている。

競争しないことを許さないサラリーマン社会

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市場において商品力が高いか値段が安いかで購入が決定するのだが、人間も労働市場に置かれる場合もあるので、能力が高いか給料が安いかで雇われるか否かが決定される場面がある。あるいは能力そのものが市場で売り買いされるコンペという仕組みがあって、ぼくの場合デザインのコンペという機会がよくあった。コンペは客が一方的に設定することができ、参加しないこともできるがその場合客との関係性が希薄化するリスクを負わなければならない。サラリーマンは会社の決定が優先するので客が遠のくリスクは絶対に取らないから、客がコンペをかけるのを避ける術がない。

能力のある強者が勝負に勝つことが会社での善であり、ぼくはその会社に38年間居た。コンペでは負けることもあり、そうするとデザインから次第に遠ざかることになり別の業務に就くことが要求される。ぼくの場合、38年間の後半10年くらいはデザインからマーケティングに移らざるをえなかった。しかしマーケティングはゼロから能力を磨かなくてはならず、成果を出すことを会社はそんなに待ってくれない。成果が出せないなら足で稼げと強要される。そこから本物の地獄が始まる。なんとか定年まで持ちこたえることができたのは運が良かっただけかもしれない。

過ぎていった昨日

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ふと思ったことがだんだんと重みを増して本当らしく思えてくる、ということが起こっている。もうブログを書く必要性がなくなったのではないかとふと思ったのだ。これまで書くことで自分という人間を存在させようとしてきたのだが、書かなくても現実にというか日常に存在できるのではないかと感じ始めたのだ。誰かに読んでもらうことで、他者の目を意識するとそこに自分がいることの幾分孤独な楽しみより、今世界に存在する充足感を少しは多めに感じ出したのだろうか?

もとより健全で自然なことだから、喜ばしいことに違いない。年金生活者としてサラリーマン時代には経験できなかったことをするという、当たり前のコースを自分もしている。ちょっと前までそのことは認めたくなかったはずなのに、認めることで何が起こるか見てみようとする自分がいる。

土台を変える必要を感じている。失われた38年を取り戻すのは変わらないとしても、38年間強制収容所生活を送ったとするのはあまりにも文学的な比喩なのではないかと、反省するゆとりができてきたのかもしれない。強制収容所という比喩はサラリーマン時代の自分を殺してしまう便利な表象だった。でもさすがに死の恐怖のもとに置かれたわけでもないし、自分可愛さに仲間を裏切るような人間関係ばかりだったわけでもない。支配の本質は変わらないとしても、上辺上は自由に生活できる装いを与えられていた。そういう過去を書くことで存在させたくなかった。ところが、かのヴィクトール・ E・フランクルは「夜と霧」を書き上げたのだ。悲惨な、これ以上の人類の悲惨はないと思われるアウシュビッツでの経験を書くことができた精神力を前にして、ぼくはそれを読むことしかできない。強制収容所という比喩を安易に使った自分を恥じながら。

2015年7月25日の日記から

ついにCDを買う決心をしてCD屋に行くとぼくと女性店員だけだった。しばらく店内を探しても見つからなかったので、その女性店員の方へ行って「アジアンカンフージェネレーションってありますか」と尋ねた。一瞬彼女は思案したがすぐにその場所に案内してくれた。8枚ほどあった中でベストアルバムを選んで彼女のところへ持って行く。幾分嬉しそうな感じが素振りに出ていた。袋にCDを入れる時にフンと笑ったような気がした。ぼくはお金を払い、年甲斐もなくと思われていることに少し動揺したかもしれない。彼女はちょっと弾んだ声でありがとうございますと言い、ぼくもありがとうと返した。
「ループ&ループ」を何度も聴いている。このPVの中学生のように自分の中学生の頃に還っていた。あの頃のぼくは在日米軍向けの短波放送にチューニングしてアメリカのポップスを毎日聴いていた。62歳の自分は方法的に退行することにした。

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「閉じこもる」精神の場所

画家が創作に没頭している時間、作家が小説に従事して就筆している時間、アスリートが黙々と練習に打ち込む時間、思想家が大胆な仮定から次々に着想が浮かんでくる時間、詩人が魂の高揚に身を委ねている時間、哲学者が問いの方法と場所を確立しようと思索している時間、職人が道具の手入れを工房でしている時間、大学教授が研究論文に手を入れている時間、これらの時間は内的に閉じられて中で充実していて、主体からすれば「閉じこもり」の状態であるはずだ。

だから閉じこもることは生産的で創造的な状態に入ることを意味していて、本能的に人間はその状態を求めるものだと思う。閉じこもることに問題があるとしたら状態にあるのではなく、主体がすでに社会的に認められているか否かにあるのではないだろうか?

画家でも作家でもアスリートでも思想家でも詩人でも哲学者でも職人でも大学教授でもないとしたら、あなたは閉じこもることを許されないのではないだろうか?資本主義システムでは労働や生産に従事せず、商品にならない事や物は排除される運命にある。

会社を定年退職したぼくは排除されずに閉じこもる場所をどこかに持たなければならないと思っている。学生は大学や学校に属するように要求される。定年退職してフリーとなって一時は学生の身分に戻ったような気分でいたが、入学試験を受けて合格しない限り学生には戻れない。これは動かしがたい社会的現実である。定年退職して書くことを自らに課しこれまで書き続けてきて、書きながら考えることを覚え、今存在について考えるようになっている。存在を更新するには何をすればいいのだろう?

求めよう、求め続けよう、求道者になろう、坂口安吾のように。

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土曜の午後

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土曜の午後には何かがある。いつもと違う気分がふと訪れる。静かなワクワク感があり、子どもの頃デパートに連れて行ってもらった記憶の断片が脳のどこかを刺激するのかもしれない。街角に一瞬立ち止まり、爽やかな5月の風を感じる。晴れた住宅街の坂道を田舎道を歩くように軽やかに昇っていく。何かが起こって出会いがありそうな予感がする。実際は何もなく坂道を降りてくるけれど、心のどこかが満たされている。遠くの方でピーッ、ピーッと調子を取っている笛の音がする。旅人やよそ者や大学生が夢見るように歩いていた。時代は自分自身に躊躇して彷徨っていた。誰かが移行期だと言った。どこからどこへの移行なのか、未だにわからない。恋人と別れた原因がわからないのと同じように。

 

「風と光と二十の私と・いずこへ」を読んで

今回読書会で取り挙げた坂口安吾の「風と光と二十の私と・いずこへ」はぼくにはとても面白かった。小説ではなくて自伝だから全て本当のことだと思って読んだ。戦前、戦中、戦後を生き抜いた文士というに相応しい生のドキュメントであるが、記録という意識ではなくて自分との格闘であり、孤独で放埓的でありながら求道的な魂の放浪記とでもいうべきものだった。面白いと感じたのは何者にもとらわれない自由さがあって、自分では経験できない境涯に連れてこられて、貧乏と狂気が常態の深い底辺で坂口安吾が生きた世界を直に感じられたからだろうか。とてもこういう風に耐えられないはずなのに、それでも一緒にいられるから不思議である。ぼくは酒はほとんど飲めないから酒に溺れてせっかく借りた金を全て飲んでしまう亭主の心理は本当のところは分からないはずなのだが、奥さんが可哀想と思いながら仕様がないと思ってしまう。矢田津世子という美貌の女流作家との恋では肉体関係にならずに分かれることになる男女の間のことが、書くことでラディカルに決着がつけられる。猛烈に引き合うのに、冷たく相手を軽蔑せずにいられない目が曇ることなく働いている。女性の本能的な反応を俗っぽさとして切り捨てる男のプライドというには皮相的かもしれないが、作家としての能力を見くびられたからだろうか、本人は思い上がっていたと書いているが彼女を残酷に拒否した。この辺りの正確な心理は多分とらえきれていないと思うが、ぼくにも幾分似たような経験があってこれまでどう解釈していいか分からないでいた部分だった。カフカにも不思議な女性観が感じられるのだが、まだ坂口安吾の方が近い感じがする。ぼくは自分のために読んでいるのだから、坂口安吾も自分の解明のためのモデルにしているわけで、もとよりあるまじき読者の作法なのだが、、、

坂口安吾の「堕落論」をぼくはクラスの女の子にデートに誘って読み聞かせたことがある。ぼくにとってその本は、白樺派的なまっとうな人生からの転落を運命づけた本だった。ぼくは彼女と一緒に堕ちようと誘ったのだった。

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これがぼくの現実

多分坂口安吾を読んで影響されたからだと思うが、自分のこれまでの書き方を変えてもっと自由に自分の今を語ってみたくなった。真実や本当のことというのは何かに隠れていて、滅多に明かさないもののように暗黙の了解がある。ぼくも少しはそんな話がある。それを書くとまず妻が読んだらどう思うかということが気になって、書かないことがある。そんなちょっとした秘密は誰にもあるだろう。そんなことを今書きたいと思ったのではない。もとより教訓めいたことは言う資格がないのではあるが、自分の今の実感を正直に述べることで誰かが生きるサンプルとしてちょっとは興味を持たれるのではないかという気がする。それすら傲慢な考えだろうか?

ぼくはサラリーマン人生を38年間送ったのだが、よく我慢し通したものだという以外に感慨がない。よかったのは厚生年金が少なくてももらえることだ。妻の年金と合わせれば普通の生活がよっぽどの事故がない限り送れそうだという安心感は、今のぼくには精神的な財産となる。サラリーマンは社畜であり、個人の能力というものは必要がない。社畜の能力だけがある。感性が敏感だと屈辱に身悶えすることになるから、できるだけ鈍感になろうとする。給料の差や人事の不公平感に感情がとらわれたりすること自体が許せないので、鈍感になる方が手っ取り早い。会社を辞める方が賢明だったかもしれないが、器用な方ではなかったので面倒くさくなって流される方を結果的に選んでしまった。そしてますます社畜になっていくわけだが、強制収容所よりはマシだと思って耐えてきたのだ。マシというのはわずかながら給料がもらえ、社会保険や定年までいれば退職金がもらえることだ。

だからできるだけ無個性で働くのと、少々の奴隷的な過酷な環境にも耐えられる肉体と精神があればぼくのように定年まで会社に居られると思う。会社を甘く見てはいけない。毎日が戦いというほどの覚悟がいると思う。要は表面的な現象とか言葉に騙されてはいけないということだ。坂口安吾も書いていたが、一番悲惨なことは落伍者になって貧乏になることではなく、それによって自信を失うことだ。くたばらなければいいのだ。65歳になってようやく過酷な状態から解放されて息をできるようになった、というくらいに今を考えている。

非日常の冒険

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ぼくが好きなのは非日常だ。日常の惰性や安定を揺るがすちょっとだけ異常な世界だ。星野リゾートにはそれを提供しようとする姿勢があるから好きなのだ。もちろん小説が一番手頃なツールなのだがその提供者にはいろいろ好みがあったり、読者に厳しいか優しいかの違いがある。一番しんどくて時には生死につながりかねない恋愛という非日常は、人生そのものがかかっている。行動派の人だったらお金のかからない旅行を知っていて、手軽に非日常を味わっているかもしれない。ぼくは行動派ではないので、じっとしていても非日常を味わえる詐術を作り出す。

なんと単純であることかとみんな驚くと思うが、それは書くことだ。(それは、村上春樹が英語人格で「風の歌を聴け」を書き始めたことに関係している)

書くときの意識の状態は非日常であり、何を書くかさえ気を付けていれば意識を持続させることができる。意識を自在に操れる詐術というものを手に入れることができれば、ぼくはいつも好きな世界に住むことができる。子供の世界は非日常に溢れている。夢中で遊んでいる時、彼らは非日常に居る。別に詐術を使わなくてよくて、友達がいればいいし、一人でも面白いと感じさえすればいい。

 ちょっと前、ぼくは自分以外の他者を登場させようとして失敗して疲労困憊から眠ってしまっていた。小説には主人公以外に様々な登場人物が存在する。ぼくを主人公とすると結婚していれば妻がいるし、兄弟やいとこがいて父や母が必ずいる。幼稚園から小学校、中学校、高校、大学校へと進む中で接する先生や友達や友達の親がいる。就職すれば会社という場に進み、労働や生産や市場や商品や余剰価値や職場の人間関係などが様々に登場人物を主人公の周りに存在させる。これまでぼくは、かろうじて妻は登場させることができたが、親となるともうダメで、ましてはサラリーマン時代の社長や上司や部下やお客や取引関係の人となると全く登場させる気が無くなる。まだまだ修行が足りないのだろうが、とにかく書き続けることはしたいと思っている。そして何よりも良い作品を読むことが続けられる栄養を与えてくれる。今、坂口安吾の自伝集「風と光と二十の私と・いずこへ」(岩波文庫)を読んで、これまでにない自由感を味わっている。鬱も統合失調症も狂気も自殺も別に気にならなくなるほどの、凄まじい文学修行がクールに書かれてあった。

星野リゾート奥入瀬渓流に二泊する

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昨年10月に妻がぼくより2年7か月遅れて定年退職し、夫婦揃っての二泊の旅行は予てから計画していたことだった。行き先は妻の希望で奥入瀬渓流にし、ホテルはぼくの希望で星野リゾートにした。定年後の旅行というと幸せな人生コースの典型のような、ありふれたお決まりのコースのように感じていたが、いざ自分がその番になってみるとなんだか他人の幸せを消化しているような物足りなさを終わってみると感じた。これはぼくの感じたことで妻は満足していたようだった。少なくとも妻は旅行中家事からは解放されるし、奥入瀬は短大時代に友達と行くことになっていたのがお母さんの病気で急にキャンセルになった経緯もあって、ようやく果たしたやりたいことだった。

昨年一緒に上高地にドライブで行った時にはそれなりに楽しかったのだが、今回は新幹線を利用したからだろうか。ぼくは東北新幹線が初めてで、妻は北陸新幹線も初めてだった。しかし青森までドライブとなると体力的にしんどいと決めてかかっていて、七戸十和田駅からレンタカーを借りることにしたのだった。

金沢から青森まで(大宮で乗り換えて)新幹線で5時間半というのは、やはり長すぎたかもしれない。つまり退屈な時間を過ごしたようだ。新幹線では景色を楽しむような叙情性というものがないし、ローカル線車両のようにそもそも窓が大きく取られていない。今後国内旅行は基本的にマイカーでの移動にすることにしよう。

さて、奥入瀬渓流そのものは最高のリフレッシュになった。樹木やシダ類やコケ類の知識があれば渓流沿いの林は宝物のように感じられることだろうが(実際接写レンズでコケを覗いている集団に出会った)、ただ歩くだけでも癒される。冷んやりした空気を吸って体内に取り入れる感覚と肌で接して感じる感覚と、水流の音と野鳥の声を聞いて音に包まれる感覚と、足で柔らかな土を踏みしめる感覚(それは脳に振動を与える)で体全体が本来の機能を思い出しているような心地よさだった。何より新緑の時期の植物には生命力がみなぎっている。その蒼さを360度感じ続ける豊かな時間が味わえるわけだ。

星野リゾートのスタッフは客とコミュニケーションをとって、楽しんでもらいたいという気持ちが出ていた。特に若い女性スタッフのレストランでの給仕は心のこもったものだった。フランス料理のメニューの説明ははつらつとしたプレゼンテーションのようだった。朝食では自分で作ったリンゴののったパンケーキを席を廻って勧めるもてなしに接し、会話も楽しめた。スタッフ自身楽しんでいるようで星野リゾートにはポリシーを感じた。

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2年前の誕生日と今日の誕生日と

63歳の誕生日に」

子供のいない、妻と二人の家庭を33年間続けてきて、自分の誕生日に特別な何かお祝いするという習慣がない。今日もお祝いらしきことはないのだが、職というものから離れて気ままに生活を送るようになってからの心境の変化を、63歳の誕生日という区切りで何かを書き残したいという気になった。それは社会とのつながりや責任が軽い状況で過ごせる身分というものが、ぼくには学生時代にもどるような気がするのだが、これは同じ年齢の多くの人たちと共有できるものなのかは分からない。この前大学病院までいく市内バスに乗って、そこで降りて美大に通じる道や天徳院のあたりを散歩して、時間の変化を身に感じながら歩く「快感」を味わてきたが、それは学生気分と似たものであった。 確かに空間は地理的には同じなのに時間が40年も違うというズレの感覚が心地よいのだ。もしかしたら40年前の自分と狭い路地裏で鉢合わせしないかと想像してみるのも一興だと思う。

さてぼくという人間は62年間生きてきた。(今日が63年目ということでよかったのかな?)最近サルトルを読んでいることの影響で、自分の主観性の中の客観視された自分というものに興味が湧いてきている。できるだけ客観的に他人から見た自分というものが今の自分の主観に打撃を与えることの積極性を考えてみたいと思えてきたのだ。それも付き合いといえば付き合いで、他人ではない非社会的な自由な見方ができるような気がする。そこには「身体」や「肩書き」や「地方」のファクターがある。でもそれらは制限ではあっても限界ではないだろう。制限は仕方がないが、限界は考え方や学びでいくらでも遠ざけることができると思う。人生はクレシェンド(段々大きく)である。

 

 65歳の誕生日に」

今日の誕生日を2年前と比べると、幾分孤独な環境からは離れていることによる豊かさの感覚がある。テニス仲間が10人ほど、(仲間とは言えないがテニス教室でのメンバーも同じくらいいる)住民で作っている読書会グループ仲間が10人ほどいるので、会社関連世界から趣味で繋がる世界に移行できている。今日は読書会グループでの文学散歩というイベントに参加してきた。旧松任市にある、聖興寺(千代尼堂)、白山市博物館、中川一政記念美術館、松任ふるさと館、千代女の里俳句館をめぐってそれぞれガイダンスを受けてきたが、その施設の充実ぶりには驚かせられた。地域の文化的資産は想像以上だった。日常何気に通り過ぎているところに歴史への窓が用意されていた。

さて自分史であるが、あえて再就職せず書生のような生活を続けてきて、個人としての自立というような抽象的な課題で自己表現ができるようになってきた感じがする。同世代作家と戦後作家の小説を読んだり、サルトルを読み進めたりして、自分の過去を成長過程として表現する視点を持つことができるようになった気がする。いずれも自分の心に主観的に蓄積するばかりで、気がするとしか言えないのだけれども、、、

自分を媒体にして一つの時代状況を再現するような「無謀な」挑戦にも意欲が湧いてきている。とにかく自分史は遅々として歩みは遅い。それでいいと思っている。

竹内芳郎「サルトル哲学序説」より

もしも近代・現代の作家・思想家たちの例の終末観的な時間観念に積極的な意味があるとするならば、まさにこの点_____現在と未来との断絶の強調にある。

というのは、私たちはたいていの場合、未来を前もって決まった形として描き出し、それへの「期待」のうちに生きつつ、現在をそのための手段と化しているようだから。

そうなればもう、一方では未来が既定性を帯びて未来固有の空白さが覆われ、他方では現在の瞬間それ自体のかけがえのなさも失われ、かくして時間は一本の線のようにあらゆる脱自性を欠いて、不安も自由も決意も創造もすっかり見失われてしまうだろう。

あらかじめ決められた超越的目的を未来に指定する目的論のかたちをとった理想主義、一定の価値規準を想定して各時代の発達程度をはかるいわゆる「進歩」の思想、しかじかの社会が必ず到来すると決め込んで安心している歴史的必然観_____これらはみな、空白な未来に面接する実存の不安を糊塗するための組織化された試み以外の何ものでもない。

終末観の教えるところを正しく理解するならば、それは「行動するためには希望する必要がない」ということだ。一切の「期待」をかなぐり捨てて、何の幻想もなく、空白な未来にむけ不安のうちに己れを投企するもの、これこそが自由行為であり、こういう自由行為を可能にするものこそ、真の未来の脱自性なのである。

 

ぼくは、はじめてニーチェや近代のニヒリズムにある作家たちの世界が歴史的な必然性をもって、受け入れ乗り越えられるべき理由が分かった。

 

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引きこもりについてのぼくの考え

引きこもりとは、仕事や学校に行かず自宅に引きこもり、家族以外とほとんど交流しない人や状態を指す。日本の厚生労働省は、こうした状態が6か月以上続いた場合を定義としている、とwikipediaにはある。これは現象だけを言って定義とは言えないと思う。一般的に言って、社会的不適応という状態が引きこもりだと思うが、そこでの社会というのは学校や職場のことである。家庭ではない。家族関係とは異なる関係のもとに学校や職場では置かれる。そこには友人もいるが、ライバルや敵対する他者もいるかもしれない。自分を理解してくれそうな人もいるが、全く相互理解が不能な人も中にはいるだろう。

ここで定義をもっと本質的に探ってみるのに、話を極端にしてみると分かった気になるかもしれない。ある意味引きこもったままに生きていけるのなら、理想的な生き方だと言えないだろうか?ここで言っている引きこもり状態というのは、自分の自由感に何の衝突もない状態という意味で、必ずしも部屋に閉じこもっている現象を問題にするのではない。もし友人や恋人もほしくなく、周りの人間を自分に従えるだけの権力の持ち主であれば、そんな生き方もできるかもしれない。ヒトラースターリンはある時期そうだったかもしれない。自分を変えずに社会の方を自分に従うように変えればいいからだ。

ヒトラースターリンは独裁者で権力に「引きこもって」いたのだが、芸術家は自分の作品という絶対的空間の創造者という意味で引きこもりであるとも言える。能力が人並みの凡人には引きこもりは許されないのだろう。社会の方が圧倒的に強いからだ。

現実の引きこもりの中には学校でいじめにあった生徒も相当数いると思うが、彼らは弱者として安全な避難場所を求めて自宅の部屋に引きこもっている。彼らが弱者であり続ける限り、引きこもっていなくてはならない。おそらく解決策は強くなることだと思われる。ぼくの場合も、遅ればせながら切羽詰まって受験勉強に集中し大学に合格したから引きこもりから脱出できたのだ。それは幸運だったということもできる。なぜなら多くの引きこもりは強くなろうとしないか、強くなる方法が分からないかであって、強くなれないから引きこもっているのだからである。強くなるには最低限の才能か、武器が必要だ。ぼくの場合は書くことと、英語能力だ。みんな最低限のどこか小さな部分でいいから、強くなってほしいと思う。