彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

自分にとってなぜそれが問題なのか

他者のブログを読む時いつも感じることなのだが、その記事は他人に伝えなければならないかの理由を述べないで、いきなり書かれている、というものだ。日記なのだから別に構わないのだけれど、その人の関心ごとではあるにしても、なぜそれがブログに書かれなければならないのかと思うことがある。自分にとって切実ではあっても、誰かにとっても切実だとする根拠はどこにあるかとまではその人は考えないのだろう。

ぼくの場合も例外ではない。しかしぼくは、現代の定年退職者はこれまでとは全く違う境遇に遭っていると思っていて、自分の考えていることはその直面を捉えようとしているから、自分の切実と同じような切実を多くの定年退職者が抱えているはずという直感のもとに書いている。一言で言えば、意外に人生は長く、会社を離れてからやることがなく退屈な時間をどう過ごしていいか分からない、というものだ。退屈で退屈で仕方がなく、何事もする気が起きなくて、油断しているとすぐ眠くなってしまう、、、本を読んでもそれだけでは物足りない、、、お金が出ていくだけの生活から抜け出そうとアルバイトや株で稼ごうとするが、稼いでどうするのかがあまり思い浮かばない、、、

人生の目的をあなたは持っているか?ぼくは持っているのか?それが最後には残り続ける。稼がなくても生きていけるとしたら、何を求めるのか?世の中に役に立つことをする?しかしどんなことができるというのか?世の中に役に立とうとすると大概資格がいることが多い。今さら資格を取ってまでもやろうとすることが分からない。本当は救いを必要とする人がいっぱいいるのに、自分はそれに応えられない。あまりにも荷が重すぎて、自分の方がまいってしまう。勇気と希望をぼくが与えられるというのなら、それが知りたい、、、

今日を生きたか?

今日という区切られた偶然の1日をどう生きたか、という問題を設定してみたいと思う。何も特別なことがなく、目的からの1段階としてノルマ的な実施項目というものもなく、ただあったことだけは確かな、ごく普通の1日というものを考えてみたい。もしぼくの生命が限られてあることが痛切に感じられる客観的事実があれば、その1日はかけがえのないものになるはずだ。ぼくはとりあえずいつ死ぬかは意識しないで過ごせている。しかしこの一日を特別な1日という意図を持って書くという行為をやろうと試みた小説家の作品が存在することで、限りなく意識を働かせば特別な1日が存在したかもしれないという了解がある。ただぼくはジョイスのような能力がないというだけだ。だけどその知識があることで、今日という1日の可能的存在性がぼくには何となくわかるというアドバンテイジがある。

さてその1日は、どのように描きうるか。今日は12月11日だった。一昨日は晴れてこの日を外すとタイヤ交換がしにくくなると思って妻と2台分1時間半ぐらいかけて、二人でやった。昨日は午後テニス教室に行き、夕方に井上ひさし原作の「マンザナ、我が町」という劇を鑑賞した。今日は丸谷才一の「笹まくら」を少し読み進め、自分のサラリーマン時代のあるシーンが思い出されて嫌になりやめた。今日特筆すべきはこのことかもしれない。「笹まくら」は徴兵拒否した人の逃亡的な生活を描いたもので、負い目を抱える人の抑圧的な心に感染したのかもしれなかった。こんな読書に実はかなり考え込んでしまい、もう小説読みはしばらく中止しようと思ったくらいだった。負い目があると自信を失い、マイナス志向になってどんどん落ち込むのが、ぼくのような性向をもつ人間の自然な流れだ。何でも村上春樹を持ち出すのもどうかと思うが、彼の小説を読んでも落ち込まずどちらかというと読後元気になる。否定的に書くか、肯定的に書くかの違いなのだろうか?

その後全く久しぶりにサルトルの「存在と無」を少し読む。ややこしい「ある」と意識の厳密な分析についていくと、気分が晴れていくのを感じた。小説で汚された意識が綺麗に洗い流されたような感じがした。文学か哲学か、今日はそんな他愛もない選択を考えて、哲学書をとにかく一冊読み終えるというかつての目標を実行しようと決意した日だった。

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再出発

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ブログ1年分の量を基礎として新たな出発を計る。生き方の師である先輩や同世代の歩いた道を辿ってきた1年。青春の時期に知った自由の空気を体内の記憶に呼び起こしながら、挫折の構造と意味を少しは学びとれたと思う。何はともあれ定年退職後4年にして立つことが出来た。

何を期して出発とするか?それは人間的自由の条件を新たにさぐりだすことだ。存在の革命の起点を19世紀中頃のヨーロッパに探りたいと思う。フローベール感情教育」とマルクスブリュメール18日」を読んで、普遍的ビジョンをつかむ。現代に生きる鉱脈として自由の実質をつかみ取りたい。それは今ある21世紀の国家というものを自分の中に吸収することになるかもしれない。

ぼくは改めてこのようにしか考えを進められない自分を幾分驚きの目で見ている。

読むことと書くこと(総集編)

「利口そうなおしゃべりなんて、ぜんぜん価値がない。

ぜんぜんないね。自分というものから離れてゆくばかりだ。

分を離れてしまうというのは、罪悪だよ。

ぼくたちは、自分の中へかめのこみたいに、

すっかりもぐり込むことができなけりゃだめだ。」

___________________________ ヘルマン・ヘッセデミアン』から。 

 

本を読んで過ごすことが退職後の基本的な生活になっているが、それだけでは何となく物足りなさを感じてしまう。しょっちゅう旅行に行けるわけではないし、この歳で一人旅をするのもいざとなると気が引けてしまう。読むというだけでは自分ひとりで終わってしまうので、読んだという事実が限りなく薄くなってしまうのだ。 だから何なの?そんなの別に珍しくとも何ともないし、好きにやっていればと突き放されても仕方がない。本といってもぼくは小説のことを言っているのだが、この小説が非日常に最も簡単に行ける方法であり、最も安上がりな娯楽であり、何となく自分をみがく鍛錬みたいなところもあって回を重ねれば上達する趣味の要素もある。 映画や絵画やコンサートなど他の芸術、趣味との違いを考えてみると、小説は言葉を使っているために作品との距離が格段に近いような気がする。

普通に生活しているだけでも言葉で考え、感じ行動に移すことを繰り返している。それが本を読むという自分の行為によって、作者の作った言葉の流れが非日常の時と場所を作り、登場人物と共に動くことで、感じたり考えたり経験したりするわけだ。 そこに錯覚がある。映画は眺めている。絵画も眺めている。コンサートでは音楽を聴いている。小説では言葉を眺めていても何も起こらない。読むことで言葉から仮の現実空間を自分から想像しなくてはならない。この読むという作業はスポーツと同じでスキルであって、初心者レベルから初級、中級、上級とレベルアップする審級可能な能力なのだと考えたらどうだろう?

能力だから国語教育という学科目があるのだが、ぼくはスポーツの方が、トレーニングという必須部分と試合(ゲーム)という本番部分がアナロジーできて、より読書のダイナミズムを構造化できて、例えとしてふさわしい気がする。ぼくの回りで読書する人が少なくて、スポーツでは仲間ができているのに読書ではなかなか仲間ができなくて困っている。 それは読むという行為が意外と面倒を感じさせてしまっているのではないかと思う。ちょっと長文のメールでさえ、相手に負担をかけるのでよくない行為とみなされている。

小説の場合、普通の人の普通の会話やコミュニケーションではなく、感動を与え幾分なりとも読者の心を豊かにさせる効果が、その結末において生じなければならない。 小説も商品の形態をそなえ本屋で売られているのだから、値段に見合うかそれ以上の価値を提供しなければ詐欺になってしまう。 要は本を読む前に本が与える価値が分かっていれば、多少負担を感じる読むという行為も実行に移されるわけだ。小説を読まないという人は小説を読むことで得られる価値の内実や大きさに気づいていないということになる。

ぼくにとっては読書はほとんど生きることと同じになっている。そういう人は世の中にたくさんいると思う。ただ自分の見知っているまわりにはあまりいないというだけだ。あなたは何故読書は生きることとほとんど同じと言えるのか、ちょっと大袈裟だと思うのではないだろうか?

何故の答えは、それによって「世界」ができるからというものだ。

こう答えると余計に大袈裟になってしまってピンとこないと言われるかもしれない。人間は世界の中で生きている。人間ばかりではなく、あらゆる生物は自身と世界を持っている。ゾウリムシはゾウリムシの世界があり、蝉は蝉の世界を持っていて、タンポポタンポポの世界があり、クジラもイソギンチャクも自身の世界に生きている。ただ人間には意識があり、自身の内面にも世界を作ることが可能だ。もし今生きている日常の世界が、いやでいやで仕様がないとする。読書は、その日常の世界とは別の非日常の世界をあなたにもたらすことになる。これは小説を読んだ場合だ。

では学術書、例えば歴史や哲学書や宗教や心理学の本を読んだ場合はどんな世界が作られるのだろうか?それは人類の知的遺産で言わば考古学的世界だ。無尽蔵ともいえる過去の歴史文献の中から、ある問いに対する答えが見出される。それは歴史をめぐる知的冒険となるだろう。

その場合の冒険とはちょうどタイムマシーンで過去のある事件に遭遇することになり、その「歴史的人間」の役割を自分が引き受けることになることを想定してみればいいだろう。そのようにして想像力を借りて学術書を読むことになれば、どんなに多くのことを学べるだろう。

それは上級者の読書法だ。そのようにして例えば「ロシア革命史」や「全体主義の起原」や「危機の二十年」や「弁証法的理性批判」をぼくは読んでみたいと思っている。どんな場合も一人だけ頼りになる最適のガイドがいる。それはその本の著者である。

読書三昧という状態に憧れがある。その状態というのはどうすれば訪れるのか?まず、その状態はどういうものか?本に囲まれていて次から次へと本の世界に浸り続けていて、限りなく隙間がない、、、そうだ、いちいち感想など書き出そうとしなくても、面白くて夢中になる状態を保てばいいのだ。ではぼくは何が面白いのか、それを明らかにした方が早道かもしれない。ぼくは自分に関することに興味がある。ナルシスなのかもしれないが、ナルシスと少し距離があるように思う。自分に興味があるのは、自分に関することだと分かる範囲内にあって、迷惑がかからず、何をしようと自由にできるからだ。他人はまず何を考えているか、たとえどんな質問をして必ず答えてくれるとしてもなお、無限に分からないことが出てくるだろう。自分のことなら実感があるので、よく分かっていると思っている。

しかし考えてみると、自分に質問をしても分からないことが出てくるかもしれない。例えば自分とは何かという問いがある。生きて生活して様々な人間関係を築いていくときに、主体として意識されるものだと一応言えそうである。肉体を持って家をはじめとして一定の空間を占めたり、移動したりするので実体を備えているとも言える。また感情や欲望が湧いてきて感じたことを判断して行動したり、周囲との反応や応答を繰り返して物事が進んでいくような環境にいるという感じがある。改めてそういうことを書いてみると自分が存在しているように思えるが、実際はそれぐらいのことは意識せずほとんど自動的に生起している。無意識になっていることは存在していないことと同じではないか。意識がなくなれば死んでしまうので、意識しないのは死んでいるのと変わらないのではないか。

自分のことはよく分かっていると思っていても自分とは何かと問い始めるとわからなくなるのは、自分について分からないのではなく、何かという問いかけの方が分からないのではないだろうか?それは存在の実質、定義、守備範囲のようなものだろうか?

これは明らかに哲学の問題になってきた。そうすると自分は自分と思っていたことが自分から離れていく気がする。しかしこのように考えている自分は考えている間は自分である。たとえ哲学的な問題について考えようと、哲学者になれるわけじゃなく自分のままなのだから、どんなことを哲学的に考えようと無意識な部分につきまとわれようと自分からは逃れようがない。だったらどんなことでも考えていいのではないだろうか?

例えば自分の国について考えてみよう。自分は生まれてこのかた日本の国民ということになっている。国とは何かはよくわからないところがある。知識が足りないのだ。国民というのがよくわからない。住民なら分かる。住むということが具体的にどういうことか分かるからだ。しかし国民は住んでいるが住むこと以上のことをしている。例えば18歳以上は選挙権があるから投票に行く。国が戦争状態になったら戦争に行かなくてはならなくなる。自分では戦争はしたくないと思っていても、国民だったら戦争しなくてはならないのだろうか?戦争したくない場合、国民にならなければいいのだろうか?現実には考えにくいが、もし自分が日本国籍を放棄すれば戦争もしなくていいということになるのだろうか?ここまで考えている自分は自分であるから、ある意味自分の考えについて考えているだけだから問題はないはずだ。もっと考えを進めてみよう。自分が日本国籍を離脱するとどうなるのか、これも知識が不足している。でもその際のリスクについては勉強して知識を得ておく必要がある気がする。自分が生きている間に自国に戦争が起こることはないかもしれないが、ないと言い切れないので具体的にシュミレーションしておくことは意味があると思う。

文章を書くことでぼくは何かを達成させたいと考えている。ぼくが自由に息をし、考えまたは想像し、記録し論評するような場所を書くことで確保したい。自由にというのは、今という現実の生活とか地位に関係なく遮断されてということだ。ぼくは「そこ」では何にでもなれるし、どこからでも始められる。例えば、スペイン旅行記から始めてもよいし、今気に懸かっていることをとりあえず整理して片付けるのでもいいし、ここ一ヶ月を振り返って新たに得た、本を読んでの着想でもいい。

これまでぼくはそれらを「日記」(毎日ではないので日記とはいえないが)という文章形式で気ままに書いてきた。それは書き留めることでぼくという存在が文章に対象化され、その対象化された自分に逢いにいくことをしていたのかもしれない。今書こうとしているのは、「気まま」ではなく、「達成」である。つまり将来に備えた準備やひとつの向上心を育てようとする意図がある。そうだ、ぼくは書く能力をつけ書くことを習慣にしたいのだ。例えば今読書が生活の中心になっているが、読書だけでは絶対に行き詰まるだろうし、書くことをしなければ世界が広がっていかないという確信がある。

今から書くことを習慣化してどの程度将来に備えられるか試してみたいというのが、これまでの日記での書く作業との違いである。 だがこれまでの日記でも、書いてきていることで実は既に達成されていることがある。

一つは自分の文体というものができている。文体とは一番書きやすく、書いたものを自分が読んでしっくりする文章形式のことだ。言わばテンプレートであり、いつでも書き続けられる書くことの再現性を保証するものだ。二つ目は、書くことが自由をもたらす感じを既に味わったということだ。書くことが意識に変化を与え、大げさになってしまうが周りの景色を変えてしまう実感が得られる。色がやや鮮明になり、音もしっかり聞こえるようになる。実はさっき、先の段落までの文章を書いた後、車を運転してその景色の変化を体感してきたところだ。三つ目は、当たり前のことだが自分がそれを読むことができるということである。自分が書いたものを読めることで自分ってこういう奴なんだというイメージを持つことができる。それをブログなんかに載せれば、自分だけでなく誰かが読んでくれて筆者について好悪の印象を伝えることになる。これは書き続けることで一層確かな印象を形作ることになる。

しかし一番大切なのは書く事が楽しいという感覚だろう。この感覚を自分は誰かに伝えたいと思う。同じ感覚を持つ人と出会えたり、自分もその感覚を味わいたくなって書いてみようとする人と出会いたいと思う。この思いつきが生まれたきっかけは、斉藤孝の「書く力」という本と出会ったからだ。

書くことで意識の空間ができるので書き出していくと、次第に自分が膨らんできて自分がそこで息を吸うようになる。息を吸い始めると生きている感じが生まれてきて、考えることもできるようになる。そうだ、書きながら考えるやり方が最近身についてきた気がする。書いたものの中に自分を置いて、その自分と対話するために書き始めるのだ。

ぼくが書くことに関心があるのは、書くことで自分がはじめて存在できると考えているからだ。書かないうちはただ生きているだけという状態であり、ぼくはその状態のままでいることに耐えられないと思っているからだ。他人のことは本当はわからない。書かないで当たり前に家族や友人に取り囲まれて幸せに暮らしている人たちがいるとは思うが、その人たちと自分を区別したりしたいわけではない。ただ自分を書いたものの中に存在させることの独特な感じに、得難い快楽のようなものがありそれを失いたくないと思っているのだ。

ではどうすれば書いたものの中に自分を存在させることができるだろうか、それは書くことで自動的についてくることなのか、意識的に作り出すことなのか、どんなことを書いても実現することなのかといった問題がある。書いたものの中に自分を存在させるというのは、無意識になっていることの中には存在させられないのではないか、と思うのだ。なぜならそこで生きていないから。生き生きと存在させなければ書いたものの中に自分は存在できないし、独特な感じもない。

今日目覚めのまどろみの中から思考力が立ち上がってくるとき、次第にブログの事が気になっていることに気づいてきた。昨日ぼくのブログのアクセスが2件だった。アクセスが何も投稿しなければゼロになることが予想される。別に読んでくれる人のために書くわけではないのだから、ゼロになっても書きたければ書くので構わないのだけれど、なぜか気になるのは読んでくれることを期待していることになる。やはり読まれることを前提にしているのは確かだ。

ぼくは妻にブログを書いていることは伝えている。でもそれを読もうとはしない。そもそも本はほとんど読まない人であるし、ぼくの書いたものを読むのもめんどくさいのだろうと思う。ブログを書く理由とか書いて何が得られるのかは、多分よくわからないのではないかと思う。ぼくもそれを聞き質すことまでしようとは思わない。ただパソコンに向かっているのをぼくのかけがえのない趣味ぐらいには考えてくれている。1年前あることで妻を心底怒らせた時、携帯とハードディスクは破壊されたがパソコンは破壊を免れた。こんなことまでついに書いてしまって自分が無防備になっていくような気がするが、書き続けるということはそういうことなのかもしれない、、、

このブログには一人だけ現実世界の他者が登場しているのだが、彼には友人としてこのブログのURLを教えている。でもその友人もあまりぼくの書いたものには興味がないらしい。メールのやり取りはするが、いわゆるパソコン嫌いの部類に入る年齢ではあるのだ。(ぼくはどちらかというとパソコンおたくで昔はリナックスで遊んでいたくらいだが、同年輩では珍しいみたいだ)

とにかくブログでは知り合いがいないという環境を持つことができていて、知らない他人だけがネットで繋がっている世界が自分には心地いいのだ。現実のぼくを知る人が誰もいないところで、日頃の自分とはちょっと違う人格を表現してみることの快感を書くことで経験しているわけだ。ところで今朝まどろみの中で感じていたのは、この素の自分を知らない他人と、自分の書いたものを中心にゆるく繋がっているブログ環境というものの存在感なのであった。静かで宇宙のような冷たさはあるが、エレルギーと運動はあって未知との遭遇という存在を賭けた冒険がある(らしく感じる。)その空間をもっと十全に感じてみよう。誰も知らない知られていないからこそ、(いつも先の方にあって)書きたくなる創造的な空間のことを。

 

自分を題材にして文章を書くことに何かがあると思っていて、それは自分が考え続ける場所というものを作ることのような気がして、そのために書き続ける習慣を持つのがブログを始める動機だった。とにかくある程度のボリュームで書き続けることが必要なのだ。昨日はそれに失敗して途中でどうにも書く力が湧いてこなくなることが起こった。書いた文章に自分の手触りのような感触がなく、書く動作に自分を乗せるというか同期させることができなかった。書くことにもノリが必要なのだ。

昨日、小松左京の「日本沈没」を読書会に採り上げる約束を友人としていてその準備に考えあぐねていた。これも小説でSF小説と言われているけれど、でもそれは文学かと問うてみるとどこに文学としての芸術性があるのかと思うと急に書く気力を失ったのだった。ぼくは結局芸術性という曖昧な、しかし強烈な想像空間がたまらなく好きで、小松左京の「日本沈没」にはそれがなかった。小説という形式にはどんなことでも入れられるので、企業小説や経済小説という分野もあり、小説イコール芸術ではないのだろう。「事実は小説より奇なり」という諺があるように、事実や事件や歴史的な出来事を人に伝え、何か意味深い物語にするというのは小説に古来から求められていたことに気づく。ただ、それは小説とは呼ばずに小話や説話や物語と呼んで区別されていると思う。そういえば近代的な小説らしい小説は、夏目漱石によって創造されたということをどこかで読んだ。

、、、ここまで書いてきてある程度のボリュームになった。この小さな達成感にいつも安心してしまってここらでブログにアップしようかとなるのだが、今日はもっと粘ってみようと思う。これまでと違って安易な妥協はしないと自分に言いつける。そうすると少しばかり成長するかもしれないと希望が湧いてきて、頑張るのだ。そうやって自分を成長させるのがこの「定年後の文学人生」なのだ。、、、と、オチがつくとまたここらでやめたくなるのだが、それも今日はやめずに書き続けよう。

さてようやく今日書くことのスタートにつけたような気になった。ぼくは現在65歳だ。石川県の金沢市の隣の野々市市というところに23年前に金沢から転入し、家を建てて住んでいる。3歳下の妻がいて子供はいない。年金生活者だ。ただ多くの年金生活者の同輩とやや違うのは仕事もボランティアも地域活動もせず、本を読むことを日課としてテニスで健康を維持し読書会で地域とつながっている。ここまでを最低限の生活として退職後4年かけて確保してきた。今、築23年の自宅の一部をリニューアルしている。浴室、洗面所、外壁と玄関ドア、屋根を新しくした。1階のリビングにもようやくエアコンを入れて、出窓を普通の窓に戻し機密性を高め、結露対策をした。近所に母が一人で住んでいて、買い物や病院通いに付き合っている。以上がぼくの外的環境だ。これと同時に文学的、というのは内的実存的、環境を記述してみる。まずサラリーマンという被支配関係からは解放されてまるで学生時代に戻ったような自由な気分を取り戻している。自由なということは孤独でもあるし、無名の存在でもあってまだ生涯を掛けるような仕事にも出合っていない、無力感とも戦わなくてはならない。退職後はまず自分と同年代の作家の小説を読むことにした。主に読んだのは村上春樹でぼくの4歳年上になる。同年代を意識した女性作家では桐野夏生(2歳上)がいて「抱く女」と「夜の谷を行く」を読んだ。村上龍の「69」も読んだ。現代史の特異点である1968年からその名残りの1972年あたりがぼくの青春の時期でもあるので、その頃の今からすると奇跡のような「雰囲気」を自分の内面に再現しようとする欲望がある。以上が内的実存的環境だ。

内外の環境はそうだけれど、書くことでこれからぼくに作り出される環境というものについても考えてみる。その環境は拡張か、転移か、交代か、漂流か、進化か、深化か、それとも退却か、縮小か、断絶か?思い描いてみると深化と漂流に気が向くようだ。気ままに暮らしたいがどこかに芯となるところへ向かいたいとも感じる。文学でいうと古典の世界だ。ゲーテの「ファウスト」、ダンテの「神曲」、紫式部の「源氏物語」、、、これらの古典をこれから読むとして書く方は何を書いていくのか?

ぼくはいつ頃からかよくつかめていないが、日本人の一人として原子爆弾による被害をどう受け止めるのかぐらいは義務として自分に課すようになっていた。そういう発想で、戦争そのものや戦争に導かれる状況についての関心や、戦争を起こす国家というものに向き合う個人的立場で何が可能であるかなどに関心がある。書くとしたら個人の可能性ということになるが、具体的に個人の可能性のどこに焦点を合わせるかは分からない。

ぼくがサラリーマンだった頃の上司の一人に、よく本を読んでいる人がいて割と話が合う方なので相談などもしていたのだが、文章を書くのは全くダメということであった。ぼくにとっては本をたくさん読んでいれば語彙が豊かになって、書くのにも困らないと思っていたから意外な感じがしていた。書くという行為には読むのとは違う何かが必要なのだろうか?そこで、書くのと読むのでは何が違うか、思いつくままに述べてみることにしよう。書く時には自分の知っていることしか書けないが、読む時は何でも読むことができる。自分のことは棚に上げて、興味の赴くままに果てしなく読むことができるように思われる。書く行為には詩や小説や戯曲のように創作という、形に磨き上げることができるが、読む行為にはそのような形式がない。読むのは表現でなく、外に現れない。誰かが机の前で本を熱心に読んでいるのをぼくが見たとしても、本の中身をどのようにして読んでいるかわからない。単なる時間つぶしとして村上春樹の小説を読んでいるのか、その小説の中に引き込まれるように感情を動かされながら読んでいるのか、側からでは分からない。読書の後で感想を書いて初めてどのように読んだかがわかる。これはどういうことを意味するのだろうか?ぼくが今気づいたことはちょっと常識外れかもしれないが、読んだだけでは存在せず書いて初めて存在する、というものだ。本を読んでいる間の意識の動きや働きはそのままでは存在できなくて、書くことで意識が働いたことがわかると考えられないだろうか?ただ意識が働くだけなら、脳波を測ればいいのだろうが、意識の内容は言葉でしか表せないのではないだろうか?

しかし、ここで書かなくても意識している内容が確かに分かる状態があることに気づいた。それは、つぶやいている状態だ。表に出さずに心の中でつぶやいている時は何をつぶやいているか自分には分かる。でもそれは他人には分からないのだ。

よく眠れない時、だんだん意識がはっきりしてきて頭の中で色々考えを巡らせていることがあるが、その時はつぶやいているのと同じだ。確かにその時考えている内容は分かっている。が、しかし目覚めると全く何をつぶやいていたのか忘れてしまっている。しばらくは記憶しているかもしれないが、数日すれば書いてない限り確実に忘れている、、、そのつぶやきは果たして存在していたのか。意識というものは忘れてしまっては、存在しなかったと同じことになるのではないだろうか?ああ、読むことの不確かさにはもっと注意を向けるべきではないだろうか?

 

先に読むことについて書いたが、読むという行為の本質を微妙に外していたように思った。読むことについては何を読んだかを経験として分析しないことには、読む行為を説明したことにならない。単に小説を読む場合だけでなく、例えば政治情勢や相手の心を読むという場合のように書かれた文章以外にも、読むという表現を使うからである。しかし、その場合も本を読む行為の比喩として使われているような気がする。本質はやはり本を読んでいる時の、読む行為を読むというのだと思われる。

ここ3ヶ月の間にぼくは連続して村上春樹の小説を読んできた。世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「ダンス・ダンス・ダンス」と「国境の南、太陽の西」と「アフターダーク」をまだ読んでなかったと思って読んだ。(それは38年間サラリーマン生活をしてきて失った自分を取り戻す作業の一つでもある。)読む行為を具体的に分析するのにこの時の読んだ感じを思い出しながらやったほうがリアル感が出そうだと思う。例えば「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ時に、これが「ノルウェイの森」の前に書かれていたことに少し驚いた記憶がある。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が小説として新しいと感じたからだ。「ノルウェイの森」のヒットによって一躍誰もが知る作家になったが、それまではマイナーなというか、村上春樹村上龍を比較するような小説好きな人々の範囲にいた。ベストセラーの「ノルウェイの森」の印象から、いわば通俗小説として受け取っていた面もあるので、その前に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のような複雑な構造を持った挑戦的な小説を書いているとは思わなかった、というのが正直な感想だった。

ノルウェイの森」のヒットについて村上春樹は、発行部数が100万を超えると1、2万の頃の読まれ方と違ってくるので、逆に読者との親密な関係が壊れて孤独になる、という意味のことを語っていたが、そのことも読むという行為に関わる問題のように思える。作家が書いて伝えたいと思うメッセージが読者が100万も出来てしまうと伝わらないと村上春樹は考えているようだ。つまり、読むべきなのはメッセージなのだ。作家が長い長い時間をかけて身を削るように書いていく文章を読むことは、作者のメッセージを読み取ることであって、感動しただけではまだ十分ではないということだと思う。ぼくにとってこの4作からメッセージを読み取るとしたら、自分の固有の物語を発見して逃げずに(死んだ人の人生も引き受けて)タフに生きろという励ましだと思われる。

 

今分析しようとしていることは、読むという行為の本質を小説を読んだ経験からリアルに検証して、何を読んだのかをみることだった。まず当たり前のことだが、読むときは対象が物理的にはっきりしている。つまり本というモノで、中身は今の場合小説であり、小説家が書いたものを読むことになる。書く場合には何を書くか明確になっていない場合もある。書いているうちにはっきりしてくるという場合もある。小説を読む場合、すでに作者と特定の小説がはっきり選ばれている。そして多くの場合、その小説は他人によってすでに読まれていて、読者という相当多くの人の層ができている。ぼくが読む場合、その読者層に参加することになるわけだ。書く場合には参加するという意識はないが、本当は何かに参加しているのかもしれない。それはともかく、読むのはすでに作者によって完成されて、考え抜かれ構築された文章を読むことになる。小説の場合自由な形式ではあるが、それでも一定の枠内にあり多くの場合読まれやすいように配慮して書かれている。最初の書き出しから、興味を持たせて最後まで読むように促されている。それは言わば親切心がなければできないことだ。もちろん小説家はプロであるからプロ意識で書いているに過ぎないが、他者に働きかけようとする意欲がなければ進まないだろうと思える。読んでいるとき意識はしていないが、作者に励まされている力を感じなくもない。そうだ、力が作られて読むことによって自分の中に再現されるのだ。多くの読者がいたり、古典となって読み継がれるのは、作者の創造した力が大きく強いのだ。

さて、読むのと書くのとの違いはあくまで小説家ではない自分の場合ではあるが、読む場合は作者の完成された構築物を吸収するのに対して、書くのは読者を特に意識せず、自分の中にある未構築の、形になる以前の意識のカオスを文章に出力することのように思われる。

したがって、個人が何を書くかがない場合は、作家の書いた小説が何を書こうとしたかを読み取り、それを参考にして書き始めるという順序になると思われる。

ぼくはどういう視点から書くかの存在論を問うてみたいと最近考えるようになっている。それは書くという行為には何か哲学的な課題がありそうだと思っているし、文芸評論や時事的な考えを情報発信する行為とは違う、もっと誰でもが本来することが求められるような行為として、多くの日本人が自分を語るようになってほしいという期待もどこかにある。文筆を職業とする人たちの書くことではなく、素人で書くことの内容が定説や通説と合っているかどうかとか、特定の世論に与するものかどうかなどの視点ではなく、自分を自立した個人として成り立たせるために書くという視点を問題にしたいのだ。

自立とはどういうことか、抽象的な世界で自分を持つということも含まれているし、歴史的、社会的に要請される判断について(例えば憲法についてとか、人権や主権にかかわる問題とか、公教育にかかわる問題とか)自分の考えを持つということも含まれる。要するに職業的利害関係から離れて個人の資格で、無名であることや無力感に抗しながら、どこに自分の存在を位置付けるかという問題なのである。これはやはり哲学上の課題であるのではないだろうか?必ずしも哲学のプロの人たちの課題ではないのかもしれないが、一人一人の個人にとって切実な課題だと思う。

さっき車の中でFMラジオを聞いていると、ユーミンがゲストとなって例のアルバムについて語っていた。長寿ならではのコンサートツアーをやると、ぼくと同い歳のユーミンならではのコメントを語っていた。最後に「あなたにとって挑戦とは」の問いに対して「毎日です」と答え、「Mですか」というと「Mですよ、でもそれは自分に対するSでもある」と応じていた。作詞もするだけあって知性を感じさせる応答だった。それはぼくたちの時代だからこそというのもある、とぼくは心の中でつぶやいた。

 

ぼくには非現実を求める病みがたい欲求があると以前のブログに書いたが、それは冒険や恋愛に似ているかもしれない。その場合現実化するにはいろいろと準備したり、ふさわしい相手が必要になる。例えばひとり旅に出るとか、異性と出会う場所を探して行動しなければならない。その行動にはリスクがともなう。かなり面倒臭いことも覚悟しなければならないだろう。一番のハードルはどんなことでも動くことはお金がともなうということだ。でも手っ取り早く冒険や恋愛を楽しめる「装置」がある。それが小説を読むことなのであるが、読みが深いほど自分自身の過去の経験の海にはまり込んでもがき、悔恨や懺悔や認識や勇気をかいくぐってくるのである。深い海から這い上がってきた時の爽快感は何物にも代えがたく、どんな現実的な快楽にも劣らないというよりはそれと別種の感動をもたらす。

これを書く前に本当は小林秀雄(「読書について」は読んでみたいと思った)や平野啓一郎(「スロー・リーディングの実践」は半分ほど読んだ)の「読書論」を読んで、読書という行為の全体をつかんで自分の論を書くべきと考えていたが、そうすると読書そのものの切実感やおもしろ味から遠ざかる気がして、まず自分の読書から得ている感じを書き留めておきたかった。

ぼくが小学生だった時に読書感想文を書くのは苦手だったように思う。いやそればかりか、作文そのものがどう書いていいか分からなかった記憶がかすかにある。夏休みの日記なら一日をどう過ごしたかを順番に書くか、一つの出来事について書けば良いのであまり悩まなかった。でも作文になると自分がどうしてそうしたかや、感じたことや、子供らしい考え方を書かねばならないというプレッシャーを感じた。

何かが必要で、それはぼくという人間が書いたものの中に登場しなければならなかった。ぼくは生来シャイだったから、その時もぼくは、、、と書き出すのがとても恥ずかしいことのように感じたのかもしれなかった。いったいこんな事を思ったのかどうかも怪しいのに、書くのはためらわれたのだ。本当は書くことによって思うことが確かになるのだ、ということには気づけるはずもなかった。

ぼくの周りにはぼくみたいにブログに何かを書き付けるような人はいない。FBに短いコメントを書いて、プライベートな写真を平気で掲載する人はいっぱいいるのに、どうしてか分からないが、ぼくはとか私は、、、というふうに書き出すことはしないのだ。世界に向かってとはいかなくても、世界の片隅でぼくはこう思う、と書かないのはいったい何が邪魔しているのだろうか?(それはひょっとして個人が確立していないことではないだろうか?)

 

書くことによって自由感が広がるのをちょうどみぞおちの辺りで感じている。この感じはつい最近訪れた。ずうっと過去の方に回想を続けていて、意識に蘇った量がある水準を超えて質的な変化を起こしたのかもしれない。夢の中の自在感のような、浮遊するイメージとともにある種の感情が同期している。サルトルは存在がむき出しに自在するイメージを「嘔吐」という生理的な反応に対応させたが、ぼくはすべてを内在する想像的存在に取り込む(対応させる)ことによって、存在が明け始める感じをつかんだ気がした。その力が自分に備わってくるのが分かって自由感を感じたのだと思う。

現在と過去の二元世界のうち、これまでずっと現在の現実世界が他者に支配されていて閉塞感を味わっていた。だから現実否定が常態であり、過去の方に向かっていく方がむしろ充実感を味わえた。

ところがこれが今逆転しつつある。過去が断絶されることで現在が元に戻って生き始めた感じを書き留めようと思った。青春に帰るのは若々しさを取り戻すことだと思っていたが、実はそうではなく現実を狭めることだと気付いた。現在が軽く扱われることで今開いている現実に気付かなくなってしまうことで、むしろ老いを深めているのだ。若さとはあくまでチャレンジする姿勢を保ち育てることにあるはずだ。もし過去が意味を持つとしたら、チャレンジしていた頃を再現することにあるはずだ。

瑞々しい知識欲を実在する地点に向ける必要がある。実在する場所でぼくの感性が振動して、古い殻を落とせるかもしれない。そういう実験が意味あることだ。

 

ぼくは自分の書いた文章を読んで同じような調子が感じられるのを確認して、自分らしさがそこにあるのに満足を覚えていた。これは他人じゃなく自分の書いたものだと認めるのは個性なのだと思っていた。ところが、今日突然に同じような調子なのは成長していないからで、限界に立ち止まっていることじゃないかと疑問が湧いてきた。心の感じるままにとか、ある発見に至る出来事を振り返って再現することを書く技術だと思ってとにかく書いてきたが、書いている自分は全く変わっていないかもしれないと思うと、急に気が抜けてしまった。小説家の書いたものは変化があり、作品にはある到達点が必ずある。創造することで書く主体が生まれ変わっているのだ。

追体験ではなく、体験しなければならないのだ。自分が体験する世界を書く必要があるのだ。本を読んでいる自分ではなく、本を書いている自分が創造されなければならないと気づいた。そうだ、創造すればいいのだ。

読書記録(総集編)

どんな名作と言われている小説であっても、自分が読むことで感じたり考えたりしたことのほうが意味があり、その小説で受けた影響に正直になることをぼくは読書の第一義に置いている。その影響を語り合うのが読書会の実質であり、自ら語ることで自分の考えを定着できる場とすることも可能だ。

 

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今日は午後から泉野図書館へ行っていつもの本の続きを読んだ。辻邦生の「言葉の箱」は今日で読み終わった。5回ぐらいで読了になったが、なかなか勉強になった。小説でも自分が何を書きたいかの核が大事で、それを見出す必要がある。小説はF+f である。Fはファクト、fはフィーリングでこれが漱石の定義だということだった。「日本精神史」は仏教の伝来の歴史で、最澄空海まで進んだ。仏教はまず仏像という形から入って、写経の時代を経て、中身は最澄に至るまでにかなりの時間を要したという長谷川宏の説が興味深かった。 日本に民主主義が「伝来」し定着するまで、やはりかなり時間がかかり歴史的段階が必要なのかと慨嘆したのだった。

今日借りていた本を返しに泉野図書館に行った。雪が降って外出が面倒になっていたが、午後どうしても部屋にいることが苦痛になって出かけることにした。公開ホールにはちょうどいいくらいの利用客がいた。 本を返して何となく次の本と出会えないかぶらぶらして、ふと見上げると2階がギャラリーになっていて10数点の油絵がかかっていた。2階に初めて上がって間近に順番に見ていくと、ユトリロ風の絵に目が止まった。 ああ、この人もユトリロのパリに心を奪われたのだなと思い、ぼくは自分の過去をも思い出した。美大受験の高校3年の冬に部屋にこもって、(冬になると少年のぼくは冬眠していた)図書館から借りてきたユトリロ画集から気に入った絵を模写していた、、、、。あの頃の雰囲気が心に湧いてきた。それは現実の空虚をあこがれの風景と物だけで埋めてしまうという「部屋の中の熱情」だった。思いっきり世間知らずにいられて、内面に閉じこもることが受験生ゆえに許されていた。ぼくにとって幸福な時期のひとつだった。

 

 

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定年延長の契約を解除し無職となって、一人で自宅に引きこもるようになって半年になる。妻はまだ会社勤めなのでウィークデーは実際一人きりになる。この環境は自ら選んだとはいえ、最初の頃は帯状疱疹になるくらい、思ったより精神的につらいものだった。まるっきり何をしてもいいとなると、本当は何をしたいのか分からないので「理由」を見つけたくなる。意味のあることをしなければムダに過ごしてしまうというプレッシャーがあった。だから前半の三四ヶ月はプログラミングと英語の勉強を毎日続けていた。パソコンと毎日対面していてコンピュータの世界を探求して見ようかと思ったのと、英語が読めたり話したりすることはずっと前から憧れていたことだから。しかしそれは心の底からやりたいことではなかった。どちらも得意ではなかったし、自分がこれから生きて行く支えにはなりそうもなかった。認めたくはなかったが、遅まきながら60を過ぎて自分探しを始めていた。

自分を職業ではなく名前のある人間として、どこかに存在させたかった。私は就職前の学生の頃までもどって、職業以外に自分を定義する何かを見つけようと思い、小説を読み始めた。二三冊読み始めてから何となく「1Q84」を読まなければならないと思った。数年前仕事でお世話になったデザイナーのU女史が、友人から「1Q84」を読むように勧められていると聞いていたことが頭のすみに残っていたらしい。2010年に「1Q84」のBook3が発売され100万部を越える売れ行きを示していたので、デザイン業界でも話題になっていたのだろう。

1Q84」は現実の1984年とは異次元の1Q84年の物語である。読んでみると、現実に日本で起こったことが小説中に取り上げられている。メインはオウム真理教らしき団体だが、NHKは実名で登場する。読者はその物語に様々な切り口で謎を解こうとし、「入り込む」ことになる。(村上春樹の文学は読者を参加させることに本質があると私は思っている。)私は自分独自の方法で入り込もうとして自分と「1Q84」の接点を探していた。ふと思いついて自分の1984年に何があったかと思い返していた。それは自分と村上春樹を結びつけるのに十分な理由となるものだった。
私は1984年に妻と結婚していた。青豆と天吾が1984年に結ばれたように。しばらく村上春樹の小説の中で「生きて」みようと思う。

 

 

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ぼくは石川県の野々市市というところに住んでいる。金沢市の隣で2、3年前に市に昇格した「伸び盛りの」街には最近できた立派な図書館がある。広い芝生を前にした道路側がほとんど全面ガラス張りの窓になって明るい室内になっている。どちらかというと子供連れの若いお母さん向けにできている。金沢市の図書館は3箇所あるが、どこも大人と子供は分けて作られているのに対して、ここは同じ空間内にあり、そのせいもあって明るいのかもしれない。入ってすぐに高齢者に占拠されているような印象にはならない。そこの一室で我が野々市市住民10名で読書会が行われた。50代女性一人を除いてぼくよりご高齢の方々がメンバーであり、なんと30年以上続いているとのことで、ぼくは参加して一年と三ヶ月になる。課題本はメンバーが順番に選ぶことになっていて、前回はぼくの番で「ハムレット」を選んだ。今回は山本一力の「グリーンアップル」という短編だった。どちらかというと後者の方が課題本の平均的な水準を示している。時代小説家で直木賞作家の山本一力の、珍しいアメリカの現代を描いた短編である。小説中の今は2015年になっている。ぼくはあらすじをまとめて言うのが面倒くさくて、この短編もうまくまとめられない。

主人公はトムという男でイラク戦争に志願して参加している。身長が168センチしかなく仲間はビックマックと呼んでからかっていた。実家はアリゾナ州セリナというところで客室10室のインを経営していた。9.11があると客が減り、経営感覚ある弟に引き継がせて自分はニューヨークに出てくる。インでは料理を作っていたので小柄な彼は炊事部隊に配属となる。4ヶ月の訓練ですぐさまバクダッドに派遣される。戦車3両が先導した隊の最後尾の7台のトレーラー(弾薬、燃料が5台、食料、冷蔵庫等に2台)に彼は乗っていたが、イラク政府軍の戦闘機が来るとわかると降りて塹壕を掘りそこで待機することになる。敵はわざわざ正面から攻めない、一番手薄なトレーラーを狙う。戦車が一番安全で炊事部隊が一番危ないのは考えてみれば当然かもしれない。弾薬、燃料が入ったトレーラーが爆破され彼は塹壕の中で気絶していた。、、、このようにあらすじを書こうとすると延々と続きそうなのでやめる。とにかくごく普通に日常から戦場まで行くのであり、現代の戦争は日本の先の戦争もののような死と隣り合わせの緊迫感がない。赤紙が来るのを待つ間に死を覚悟するような精神性は感じられない。むしろ除隊後、イラク戦争は間違いとする世論から、特に若い女性から血の匂いがすると毛嫌いされて居場所がない思いをすることになる。戦争に志願するのはインの客に感化されたのと、働き口が見つからず高給な軍隊に行く方が9.11以後の報復一大キャンペーンにのっかるような自然な流れだった。その自然な流れが曲者だと日本にいるぼくは思うのである。

 

 

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野々市市(ののいちし)の公民館の読書会でぼくが当番になった時、コロンビアのノーベル賞作家ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」を課題本に取り上げた。果たしてちゃんと読んできてくれるのかそもそも心配だった。これまで海外の小説を取り上げたことがなく、題名を聞いて「なんか恐そう」と言っていたおばあちゃんもいたからだ。80代のおじいちゃんはちゃんと読んできていて、面白かったと言った。若い頃から本を読む習慣ができていると齢をとっていても、現代の世界文学にも読み取る力があることが分かった。

そのおじいちゃんは気さくで場を盛り上げることができる人だ。若い頃には「ファウスト」を読んで感銘を受けたらしい。全くインテリっぽいところがない、カラオケの持ち歌も多い楽しい爺さんだ。まだおばあちゃんというには早すぎる、文学少女のままの知的好奇心を持った女性がいて会の中心的な存在になっている。彼女は源氏物語を読み通していて日本の古典にも明るい感じをコメントからうかがえる。彼女はなんとマルケスの「大佐に手紙は来ない」も読んでいた。

ぼくが「予告された殺人の記録」に出てくる求婚者の父のペドロニオ・サン・ロマン将軍はその大佐の敵側の将軍であることを指摘すると、ああそうかと言ってくれた。そのようにマルケスの小説は同じ登場人物が出てきて繋がっている「大小説」なんですと言い、これはバルザックの「人間喜劇」の手法を踏襲していて村上春樹もその意識があるみたいです、とぼくはちょっとばかり得意になって世界文学を解説した。(バルザックは「谷間の百合」を読んだくらいなのに偉そうで反省している)
とにかく心配していたことはあまりなかった。というのは前回来てたメンバーで欠席したのが二名だったからだ。(もっと欠席者が出ると思っていた)
 
 
 

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わが町の公民館読書会があり、今回ぼくが当番で課題本を選んでその感想を話し合う司会役となる。課題本はなんと「ハムレット」だ。シェイクスピアをこの歳になるまで読んだことがなく、昨年の春に友人と二人で「テンペスト」の読書会をやって戯曲に目覚めたので、今回本丸の「ハムレット」を読もうと思ったのだった。誰もが名前だけは知っているハムレットとはどういう人物なのか?意外と知られていないかと思って課題本にしたのだが、読んでみるとぼくには巷に流れている優柔不断のキャラクターとは全く違う意志の強い、悪と戦う戦士の像が浮かび上がった。実際に舞台の最後でハムレットの遺体は抱きかかえられ、大砲の音とともに戦士として称えられる。ただしその戦いは陰謀を暴くために狂気を装い、真実を暴くためには狂気と道化という想像力の力を必要としたところが、シェイクスピアの劇の面目躍如たるところだと思った。それはまさにシェイクスピアの生きた時代が、イタリアから始まるルネサンスというヨーロッパ文芸復興(実は教会に対する革命運動)の時代だったからである。そのような落ちで読書会ができればいいかなと思っていた。

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ハムレットを読んでその感想を読書会のメンバーの前で話したら、期待していた反応が返ってこなかったので、あれ何でなのだろうと心にしこりが残ったことがこれを書く動機になっている。ハムレットってあまりにも有名で、シェイクスピアの劇としておそらく何万回と演じられてきているから、今更ぼくがどうこう言っても客観的に何かが残るということはありえないのだけれど、ぼくの「発見」が何かの刺激を産んでSNS上で誰かがハムレットを読んでみたくなるとすると、それはそれでちょっといいことじゃないかと思う(そんなわけないか、、、、。)けれどもそれはぼくがハムレットを読んで得た「発見」がうまく文章に展開されてのことだし、「発見」と思っていることの価値は全く保障されないものだ。

「発見」というのはハムレットがヨーロッパ中世を終わらせる、ルネサンス運動のシンボル的な英雄の一人ということだ。もちろんマルティン・ルターなどが中世のキリスト教会支配を改革する歴史上の功労者ということに違いないのだけれど、ギリシャ・ローマ的な人間精神に還る芸術家の創作行為の連鎖がヨーロッパの当時の人々に与えた「教育的価値」は、革命運動と称されてもいいくらいだと思っているぼくとしては、ハムレットをその一員に加えたくてしようがなくなったのだ。シェイクスピアハムレットに狂気と道化を演じさせて、自分の叔父が前王の父を毒殺して母を妃にするという権謀術策によって得た腐敗した支配体制を、「内側から」「悟られることなく」崩す戦術を取らせた。いわば不正に王となった叔父を不安に落とし入れ自らの延命策に逆襲されるように、ハムレットを行動させたのだった。

剣の先に毒を塗って試合をさせたり、ワインに毒を入れて試合中に飲ませようとしたりした「不正」が暴かれて、衆目一致するところとなり「崩壊」を迎えることになる。シェイクスピアは復讐の正当性が衆目一致するところとならなければ、単に反逆テロにしかならないことを知っていた。また顧問官のポローニアス家(オフィーリアは娘、試合の相手のレアーティーズは息子)を自分の復讐に巻き込んでしまったことの責任を引き受けて自らも死に赴かせている。

そしてデンマーク王族はみんな死ぬことによって親族関係にあるノルウェー王国に引き継がれて、一つの時代が終わる。ハムレットルネサンス的英雄としてぼくは描ききれているだろうか?もっと狂気を装った言葉による攻撃やら、劇中劇の俳優に語らせる戦術などを述べて論証したいところだが、とても力が及ばないのでこの辺でキーボードから手を置くことにする。


 

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ぼくの住んでいる野々市市(ののいちし)公民館の読書会に参加してみる。今回の課題書は星新一の「おーいでてこい」と「月の光」である。星新一の小説は初めて読む。社会風刺になっている小話とでもいうべき作品だが、こんな小説が作られていたことに新鮮な(驚きというべきか、発見というべきか)感じがしたが、ぼくには割り切れないものが残った。これは果たして小説と呼べるのか?語り手はいるのだが主人公というものがいないので、小説中に感情移入して入り込むことができない。というか、読者を安易に近づけないように謎をかけるような話の運び方をしている。

ぼくは本と一緒に暮らしているようなもので読まない日がないほど数冊手元に置いて読んでいる。ある作家が小説は19世紀で一度終わっていると言っていたが、小説中に生きている現実を描いてないと入り込めないのでぼくにとっては役に立たないのだ。小説中のリアルがぼくの現実と噛み合うと夢中になれる。最近では村上龍の「55歳からのハローライフ」が身につまされて読みがいがあった。

ぼくの高校時代は読書が「人格の陶冶になる」と信じられた良き時代の雰囲気が残っていた。だから世界文学全集から抜き出しては次々に主人公の真似をして「かぶれ」ていたものだ。それが過ぎて登校拒否を暫くするようになったりしたが、、、、それはさておき星新一という作家は果たして小説家と言えるのだろうかという疑問が残る。テーマや着眼点は面白いのだが、それを登場人物に展開させてストーリーにしているのだろうか?それはストーリーではなく、コントなのではないだろうか?

 

 

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野々市公民館の読書会の3回目だったかの時、井伏鱒二「朽助のいる谷間」という短編をみんなで読んで感想を述べあった。前回の石川淳よりは温かい気持ちになれて、この国民的作家の一人に馴染むことができてよかった。

井伏鱒二村上春樹と同じように弱者の立場で書いている。からゆきさんが海外に出て行った時代の、ハワイ移民の朽助が帰国して、同じく帰ってきた混血の美少女の孫と谷間の村に住むことになり、そこがダム工事で沈む時の薄幸の人生の一コマを描いている。主人公は20代後半のほぼ作者自身で幼少の頃に朽助に育てられている。

朽助に立ち退きを承諾させるために訪問し、同泊するうちに混血の美少女タエトに淡い恋心を抱くが見破られ、手を握ったことは手相を見るためだったように体裁を取り繕ってなんとか朽助への面目を保つ、クライマックスもあり読ませる作品になっている。最後はタエトに朽助の落胆からの面倒を託していて、若者への作者の信頼を表していて明るく終わっている。それは黒い雨を読んだ時の「明るさ」に通じると思った。

 

 

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星の王子さま」の多くの読者層(母と子と思われる)というものがあるとして、私はその人たちが感じるだろうものとはまったく異質の水脈を引き出すことになりそうだ。 それはヨーロッパの民衆的な良心のような、歴史に埋もれる死者の無言の心情のような、正義の受難のような水脈である。その水を飲むことを選びとって消えていく英雄のように星の王子さまが見える。

この本を中学の国語の授業で知ってから自分でも読んでみようと手に取るまでに、こんなにも年月を経なければならなかったのには、一般に子供向けの本という印象が邪魔していたからだろう。 サラリーマンの間も会社仲間の誰もが読んでいない純文学を自分で決めた基準で読みつないでいたぼくでさえも、この本はパイロットが文学的趣味と才能を捨てきれずに片手間に書いたものだろうという、とんでもない無知ゆえの偏見をもっていた。

第二次世界大戦中のヨーロッパからアメリカに渡り、出版されてほとんど間を置かず作者がマルセイユ沖で偵察機ごと帰らぬ人となる「文学的事件」は、いやがうえにも「星の王子さま」とサンテグジュペリを不滅のものにした。 ヒトラー占領下のパリに残された同胞のことを想いいたたまれなくなる行動派の作家が、自分の死を賭けて子供に託した小説を残したかった決意に触れることになるとは、この本を読む前には想像もつかなかった。 その決意は星の王子さまという子供の物語として描かれているだけに、せつなく、いたいけで、戦時の悲惨と絶望の中にあっても人間的で愛らしさを失わないように「こころ」で語られている。そこに現実ときびしく対峙しながらも文学を信じている高貴な精神があるとぼくには感じられた。ドイツ空軍のメッサーシュミットパイロットたちの中には、彼の部隊と戦うことをできれば避けたいという気持ちがあったそうだ。

 
 

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久しぶりに村上春樹の小説を読んでいた。あまり注目されなかった「中間的な」作品である「1973年のピンボール」である。村上春樹については毀誉褒貶相半ばすることがいわれているが、貶す人の中のリアリズムがないという意見には違和感を覚える。そういう人は文学に何を求めているのだろうか、そもそもリアルさには妄想もあるのが文学の世界なのだから、そういう人は別に小説を読む必要がないのじゃないかと思ってしまうのだ。カフカが「変身」を書いてしまったのだから文学を愛する人には非現実もありで、辻褄の合わない非現実さえなければウソの世界もありだと思う。そんなことより何が最も大事かというと、面白いことだ。このあっけない結論には苦笑してしまうが、「カラマーゾフの兄弟」を読んでとにかく話や登場人物が面白くて仕方なかった。そして「1973年のピンボール」も同じ体験をした。多くの人が村上春樹の小説の謎解きをしたりして楽しんでいるようだけれど、そんな面白さじゃなくて、自分も少し無気力になって小説の中で同じ時代や空間を生きているというリアルさにあると思う。  

 

 

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「朗読者」読書会で金沢の玉川図書館に参加してきた。意外にも男性が多い会だった。女性4、男性8で、少しマニアックなというかスノッブな感じのする人も入っていた。主催者は、ミヒャエルやハンナに追体験する読み方ではなく、外にいてひたすら読み解こうとしている人たちのようだった。やたら深読みして自分の解釈だとこうですとそれぞれが主張して議論になるから、面白い面があるが、カタルシスが得られない読み方だ。例えば、文盲と読む文化のぶつかり合いで結局平行線のままに終わるとか、社会的なものと個人的なものがどちらにも収斂しないとか。ちょっと失望。

ちなみにこの読書会に、これから3ヶ月ほどヨーロッパを主人と回るんですけどという、品のいいお婆さんが参加していた。彼女はドイツでは自分たちの過ちを忘れないために、アウシュビッツを残しているのに日本は自分の過ちを忘れないためにどうして何も残そうとしなかったのかと言っていた。ぼくは、だから韓国や中国で日本の代わりに残そうとするのではないかと言おうと思ったがやめた。

 

 

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今「日常生活の冒険」を読み終えた。60年安保や広島の原爆という政治に関わった一世代先輩の小説家の、私小説に近い物語は暗澹としたものだった。「洪水はわが魂に及び」を読み終わった時も同じ感想を持ったが、この作家はどうしてこんなにも左翼の肩を持つのだろうかというものだった。時代とともに生きるという作家的心情は、あまりにもエリート臭があり隔たりを感じた。村上春樹もこの小説を読んでいて最初の「風の歌を聴け」を書いたように感じられた。村上春樹はフランス文学のやり切れなさからアメリカ文学に移って学ぼうとしたが、ある著名な文芸評論家が言っていたように、彼も先輩と同じ道を歩いていると思った。

自分の人生をドラマのように生きられたらどんなにいいだろう。自分でドラマの脚本を書いてその通りに生きてみる。もちろん衝突とか挫折はあるだろうが自分が主人公として生きている実感のもとに、乗り越え自分の人生を進んでいく。おそらく「日常生活の冒険」というタイトルから受けるのはそういう期待感だ。
この小説を読んで作者の、あるいは主人公の冒険物語を追体験したあと、今度は自分の場合はどうなんだろうと考えるのが生産的な読書になる。ぼくはどちらかというと「ぼく」の立場、つまり作者の側の人生に近い(と言ってもスケールは全く違うが)だろう。行動する友人、斎木犀吉を近くで見て憧れたり影響は受けるが、結局はそのようには行動せず、自分のできることや考えることの中に帰っていく人生だと思う。

ぼくが影響を与えようとする時には、自分の世界を創り上げてそこに共鳴してくれる人ばかりを集めて自分が主人公になるやり方をとるだろうと思う。それがぼくの「方法」なのだ。では自分の世界はどうなのか、それはどんなドラマなのか、、、

斎木犀吉はヒーローなのだろうか?これまで読書会で取り上げた「星の王子様」や「デミアン」や「グレートギャツビー」のようなヒーローと比べるとき、何かくすんで、胡散臭いところを感じて手放しで受け入れることはできない。心からの共感はない。あくまで大江健三郎の青春だった時代のヒーローで、サルトルが描いたロカンタンのような、時代を超えたヒーロー(アンチヒーローと呼ぶべきか)にはなりえていない。

 

 

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今月の野々市町公民館による読書会で山本有三の「真実一路」を取り上げる。10人のメンバーで当番制で課題図書を選んでいくのだが、今月は古株でどちらかというとリーダー格のNさんが選んだ。先月はぼくが選んだカフカの「審判」でNさんは、実存主義の文学という知識があってそういう目から作品を見たので、ぼくは「審判」のどこにそれを感じたかと質問した。彼女はその場でうまく答えられなかったのが悔しかったらしく、解散後しばらくしてから回答をメールで送ってきた。「(主人公が)金持ちの婚約者と結婚せず家も継がなかった、つまり既存のものを捨てたところ」というものだった。ぼくは「父が主人公の欺瞞を嘘と見破って死を言い渡すところ」と自分の見解も言わないとフェアじゃないと思い、返信した。つまりそれぐらいの熱心さでこの読書会は毎月運営されている。幾分Nさんの見解が社会的な見方をするのに対して、ぼくは個人の考えに主軸を置く見方をする。そのNさんが「真実一路」を選んできた。おそらく彼女の人生観がその選択に反映していると感じられる。

ところでこのいかにも時代を感じさせる「真実一路」という小説は、この読書会で取り上げられなかったら一生読む機会のなかったような、ぼくにとって全く死角にあるものだ。さて長編にもかかわらずスラスラ読めて感想は面白かったのである。戦前の平均的な(やや上のクラスかもしれない)日本人の人生が一つの物語として全体的につかめた感じがした。ちょうど「細雪」が関西の上方文化と一体となった人生物語を見せてくれたように、「真実一路」はシリアスな知識人的でない普通の人の生き方を見せてくれた

 

 

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「ただひとつ、できないことがあった。他の連中がするように、心の中にもうろうと隠れている目標を外に引っ張り出して、どこでもいいから目前にえがくということだった。他の連中は、自分たちが教授なり裁判官なり、医者なり芸術家なりになろうとしているのを、それまでにどのくらい時間がかかるか、そしてそうなれば、どういう利益があるかということをはっきり知っていたのだ。ぼくにはそれができなかった。もしかしたらぼくだっていつかはそんなことができるかもしれない。しかしどうしてそれがぼくにわかろう。おそらくぼくも、何年もの間さがしにさがし続けねばなるまい。そしてろくな者にならず、目標には達しないだろう。あるいはまた、目標に達することもあるかもしれない。しかしそれは、悪い、危険な、恐ろしい目標である。ぼくはむろん、ただひとりでにぼくの中から出たがっているものだけを、生きようとしているにすぎない。それがなぜ、こうまでひどくむずかしいのだろう。」________『デミアン』より。

ぼくの高校から大学にかけて、全くこのようであったのでまるで自分のことが書かれてあると少し驚いた。というか100年以上昔で、しかも国が違うのに同じような精神状態であったことはほとんど奇跡に近いのではないだろうか?この時期の同一性を大切にしまっておこう。定年退職したぼくは世間的な目標などもう気にする必要がないのだから、もうひとつの目標(悪い、危険な、恐ろしい目標)の方を意識の中で追求してみたいと思う。それは今やっている、「青春時代に還って自分を作り直す本を読み解こうとする」ことだ。もう青春時代に戻れやしないのだからおそらく危険だろうと予感する。

 

今回の「デミアン」読書会では、作者のヘッセという人にナイーブな幾分厭世的なイメージをこれまで抱いていたが、自分の内面と外の戦時体制化する世界とを対決させている真摯な文学者だったことが分かって収穫だった。文学者の政治参加という、もう少し歴史を経てからの枠組みで見ると、ヘッセは反ナチの同盟には組しなかったという非難が下されるが、作家として一人で小説創作(「デミアン」以降、ナチ政権時代にスイスで書かれた「ガラス玉遊戯」がある)で、ナチ第三帝国に対置しうるユートピア(ビジョン)を描き出した偉業は高く評価されるべきと思った。(実際はこの小説でノーベル文学賞をとっているので知らないのは僕だけなのかもしれない。) もとよりドイツでは哲学によって現実世界の成り立ちに対抗しうる体系化された言語世界というものが作られている。ヘーゲル、カント、ニーチェハイデガーなどがドイツの国民意識の中に深いところで影響力を宿していると思う。(ヨーロッパでは頻繁にどこかでデモが行われており、市民レベルで哲学が語られている現状は日本では考えられないが、、、)だから「デミアン」のような哲学的な小説が第一次大戦のドイツ敗戦後間もなく出版されて、熱狂的に多くの国民に迎えられたというエピソードがぼくにはドイツらしいと思えた。
 
さて高校の同級生と二人で始めた読書会の2回目を昨日6時間かけて(後半は居酒屋に移って飲み会になるが)行ったのだが、もう一方の友人の方の感想はどうだったかを自分なりにまとめてみたい。彼は長年教師をやっていたこともあるのかもしれないが、もっと本の中身に即して、つまり現実的に感想を述べた。以下記憶のままに列挙してみる。 この小説は大河小説のように、主人公の10歳から20歳までの物語を順序良く書いたものではない。登場人物は主人公の分身のように思えた。(ほぼ、ぼくも同意したがクローマーについては明らかに他者と思える。)デミアンとは4回の出会いがあるが、後半にはリアリズムによる出会いを描いていない。両親や姉たちが属する善の世界と、カイン、グノーシス派、アプラスカスの悪を含む世界の二つの世界が平行して描かれている。デミアンがどのようにしてクローマーをやっつけたのかがなぜ書かれていないのかに疑問を持った。ジンクレールがビストリウスを「古い」と批判したことに反論されなかったくだりが今ひとつ分からなかった。デミアンの母のエヴァとジンクレールの「恋愛」関係の意味(この物語における位置)がつかめなかったこと。戦場で負傷してとなりに寝ていたのがデミアンかどうかわからなくしていてミステリー小説のようにも思えた。、、、他にも細かい感想はあったが、要するにこの小説で君はどう感じたのかと改めてぼくは質問してみたが、よく分からなかったという返事だった。 ぼくの友人は「デミアン」をつかみ損ねていると、チラッと頭に浮かんだがそれを口にはしなかった。
 
読むということは分析ではなくて、追体験なのだということを言いたかったのだが、彼にとっては何が書かれてあるかを分かる方が読んだことになるらしかった。 ついでに書いておくと、グノーシス派などの世界は現状に対する反体制であり、現実には裏の世界としていつも存在しており、覚醒者には両方見えるということ。デミアンとの出会いの神秘性はユング心理学の理論を踏まえていること。デミアンがクローマーをやっつけた場面は、物理的な暴力ではなくて、威圧して恐怖を与えたと考えられること。ビストリウスに古いという批判が効いたのは、彼が過去だけにしか生きていなかったからだと思うこと。エヴァ夫人との恋愛は思春期の女性崇拝感情を肯定することで、自我がバランスがとれて安定する(これもユング心理学の影響)経験を描いていると解釈できること。以上をぼくの方で説明することで彼は概ね納得したようだった。

デミアン」2回目を読了した。2回読むと余裕ができるので読むと同時に味わう感じがあって、やはり1回だけと2回読むのでは体験の質的違いがあった。この小説はこれまでのヘッセ作品とは別格の感じがあって、かなりヘビーな、カミユとかドストエフスキーとはまた違う思想的な作品だった。でもしっかり文学的な文体の香りもあり、世界的な名作であることには違いない。

一言でこの小説の価値を言うとしたら、自我の確立ないし再建というところだと思う。いかに真実の自分になりきれるか、読後しばらく経って漠然と思うのは、ジンクレールがデミアンに到達する物語だったのではないかということだ。デミアンはジンクレールが呼び出した自分の自我だったという解釈が浮かびあがった。読み様によっては第二次大戦の思想的準備をドイツ国民に与えたとも受け取れる部分もかなりあったと思う。

しかしそれは政治的・外面的理解であり、戦争体験が既存ヨーロッパ精神を崩壊させたことの内面化の内面こそ、「体験」とともに理解すべきだと思う。ヘッセは厭世家のイメージがあったが、全く逆で時代と格闘する作家だった。前回読書会で取り上げたサン・テグジュペリや同時代のロマンロランとは違うタイプの大作家と言えるのではないだろうか?

 

 

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今のところ、ぼくたち二人のイベントである読書会も「星の王子さま」「デミアン」に続き、「グレートギャツビー」と並べてみるとそこに何となく何かを感じさせるものがあるのではないだろうか? 今回取り上げる小説の発刊年が1925年で、前2作がそれぞれ1943年、1919年だから、二つの大戦を抱える時代に書かれたものということになる。19世紀ではなく20世紀前半の世界文学を無意識的に選んでいる。作家の国籍を見てみるとフランス、ドイツ、アメリカになりバランスよく分散された格好だ。

この流れからすると次回はロシアかイギリス、アイルランドか、スペインとしたくなる。 さて「グレートギャツビー」に戻すと、これは「僕」という主人公が「ギャツビー」という偉大な友人について回顧する設定となっており、それは前2作とも共通していることに気づいた。「星の王子さま」は主人公の僕が飛行機の不時着で出会った少年について書いているし、「デミアン」は主人公のジンクレールが過去を振り返り最も影響を受けた人物について書いている。いずれも主人公が自分のことを書こうとして、どうしても自分にとっての最大の重要人物のことを書かざるをえなかったかのようだ。それは小説を書こうとする時の動機の一つを示しているように思える。

このように見てくるとギャツビーというキャラクターを星の王子さまやデミアと比較するという視点がぼくたちの読書会を通じて可能になるわけだ。これはひょっとすると思いもかけない文芸的な楽しみ方を発見したのかもしれないと思う。

サルトルが日本を理解するのに谷崎潤一郎の「細雪」がよかったと来日時に語ったらしいが、そのように小説を読むとして、僕は「グレートギャツビー」を読んでアメリカを理解できたような気がした。アメリカはヨーロッパのような歴史がない分だけ、セレブの世界にギャツビーのような成り上がり者が入っては消えるだけのドラマが演じられる場が許されているのだろうか。

もちろんぼくにそんなことが分かろうはずがないが、全く手の届かない富裕者たちの物語と思って読み始めると意外な出自が途中で明かされていた。運と想像力によって小説にしうる圏内に登場人物がいることにやや親しみを覚えた。(小説にしうるとは読者の追体験が可能な範囲だということだ。)

作者のスコット・フィッツジェラルドでさえ、流行作家となった後あまりの散財から経済的困窮に陥ったことがあったらしい。だからこの小説は必要以上に雲の上の話としなくてもいいかもしれない。前回読書会で「デミアン」を取り上げたが、敗戦国ドイツのアイデンティティ回復の小説が発表された5年後に、戦勝国アメリカの元将校の恋愛事件を描いた「グレートギャツビー」が出版された。このほとんど同時代の二つの小説を読み比べてみると、ドイツとアメリカがあまりにもかけ離れている(格差がある)ことに驚く。とても同時代とは思えないと感想を持ち得たのは、一つの収穫かもしれないと思った。

 

 

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友人と二人で喫茶「ローレンス」で5回目の読書会をする。選んだ本はこれまで「星の王子さま」「デミアン」「日常生活の冒険」「テンペスト」と続き、今回は「悪魔と神」である。「テンペスト」で初めて戯曲を読み、観客と共有する舞台で演じられることを前提とした文学の味わいを体験して、それならドイツ農民戦争という歴史から材をとった戯曲とはどんなものになるのだろうという興味から、この作品を取り上げることにした。何よりもサルトル自身が最も愛着のある戯曲であると言っているのだから、少々の長さにも耐えて2回読むことにしたのだった。2回読むことで初めてサルトルに近づけた。登場人物に感情移入できるようになるには2回読まなければならなかった。

世界史の授業で16世紀ドイツのルターの宗教改革は習っても、ドイツ農民戦争なんて習ったのかさえほとんど記憶に残っていない。農民が武装して戦い、最終的には10万人の農民が殺されているのだから、百姓一揆しか知らない日本の歴史とは全然規模が違いすぎる。主人公のゲッツは傭兵隊長であり戦争のプロとして後世に名を残すほどの人物なのであるが、その人物がわざと賭けに負けて農民側につくのだ。他にもナスチというパン屋上がりの指導者や敢えて貧乏人と暮らす僧侶も登場して、キリスト教徒として神と対決する思想的な戦いでもあったのだった。ゲッツが占領した領土は農民に与えて一時は「太陽の国」というユートピアをもたらすのだが、無抵抗主義をとった絶対平和主義が周辺の農民蜂起を呼び寄せてしまい「善」は「悪」に汚されてしまう。再びゲッツは悪魔となって戦争のプロに戻り劇は終わる。

どれだけ史実に近いのかよく分からないが、歴史的必然というリアリズムを感じさせる重い演劇だった。NHK大河ドラマのように大衆的に脚色されていないのはもちろんなのだが、現代を生きる我々にもつながりを感じさせるものがあって昔話に終わらないのが芸術性なのかと思われた。

 

 

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かつて有名であったが今どき絶対読まれないだろうという小説をぼくは好んで読むことにしている。野間宏著「青年の環」がそうだったし、ロマンロランの「ジャンクリストフ」がそうだったし、今回のサルトル著「自由への道」もそうだろう。とにかく今どきの人はこんなに長い小説は最初から読む気力を失うはずだ。ぼくは時代にあえて逆らって現実から遠く離れたところから、いわば身を隠しながら生きるのが好きなのだ。幾分1Q84の天吾に似ているかもしれない。

さて今日サルトルの「自由への道」全4部のうちの1部を読み終わる。これはサルトルを甘く見ていたなと反省させるだけの反道徳的な悪をも引き入れている青春を描いていた。最後に青春が終わって「分別ざかり」が訪れることになるが、追体験しようとするとくたくたに疲れる。しかし読み終わると、「ぼくの」青春が体に戻ってくるような爽快感に浸ることができた。サルトルの文体は肉惑的で繊細で力強かった。ただし平気でウソがつける主人公と自分では追体験にも限界がある。勇気を試すために自分の掌にナイフを刺すこともできない。登場人物のパリに生活する人々の中に入って、あの時代の空気を吸う楽しさは十分味わえた。

年金生活者の生活を余生ととるか、本来の自分への回帰ととるかでせっかくの一回きりのクオリティライフが全く違ったものになる。働くことを免除された環境をぼくは貴族的な、少なくとも精神の貴族の環境として捉えたいと思っている。今読んでいるサルトルの「自由への道」で、主人公マチウの教え子でもある愛人イヴィッチが、マチウから渡された100フラン紙幣をマチウがいなくなってから小さくなるまで破るシーンがあるが、それは彼女がロシア貴族の血を引いているからだった。イヴィッチのようにお金に縛られないのが、年金生活者のいいところなのだからそれを生かさない手はないと思わないだろうか?

ただ精神の貴族はなかなかなれるものではない。まず自分の命の値打ちを知っていなければならない。現代ではなかなかその機会はないが、自分の死ぬべき時をわきまえている必要がある。自分らしい死のゴールをイメージできているということだ。このイヴィッチはナチスドイツとの戦闘下のパリで死ぬことを覚悟して、家出したのだった。ぼくはもはや老人の域に近づこうとする身であり、精神の貴族として今に生きるのはかなりハードルが高い。しかし無謀にもぼくはそれに挑戦したいと思う。

 

 

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戦前にはプロレタリア文学というのがあり、その代表的作家である小林多喜二の「蟹工船」は2008年に再脚光を浴びて、その年の流行語大賞にノミネートされていたらしい。ぼくにとって小林多喜二特高から受けた拷問の凄さのイメージが強く、小説はなかなか読む気になれなくて今日まで来ている。それにしても日本の国家権力の暴力はどうしてあれほどまでに残虐なのだろうか?隠れキリシタンに対する弾圧の凄まじさや、NHKの「龍馬伝」で見た拷問シーンのリアルさで、ぼくはそこに欧米と異質な残忍性を感じるのだが、、、

それはさておき、井上光晴はぼくにはプロレタリア文学の流れにある作家と思われ、これまでまともに読んでこなかった。長編の「心優しき反逆者たち」は途中で挫折したり、老人ホームが舞台の「パンの家」は親の介護が身近な問題となっていた頃に興味本位に読んだくらいだった。今回友人と読書会をするために読んでみて最初に感じたのは、やや実験的にも思える文体の新しさだった。多分サルトルの「自由への道」を読んで作家として学ぶところがあったのだろうと思った。物語の主展開とはほとんど無関係の端役の登場人物にもちゃんと固有名を与えたり、連想から時空を飛び越えて場面が変わり、それをあえて分離せずに混在させる手法などは、世界文学の文脈に入るように意図されていると思われた。

ところで、なぜこの本を課題本に選んだかについて書いておきたい。これまで読書会で取り上げたのはどちらかというとメジャーな名作と評価されている正統派文学ばかりだったから、飽きが来たこともある。(この作品は芥川賞候補に挙がりながら選考者の眼識の低さから選考されなかったという曰く付きのものだった)

僕の小説読みは追体験だから、どちらかというとこの作品世界には近づきたくなかった。デミアンハムレットやグレートギャツビーは何と言っても欧米人であり、主人公に感情移入してもどこかで自分ではなかった。「地の群れ」には被爆者やエタや朝鮮人部落民や炭鉱労働者や共産党員が登場する。そんな世界には本当は入りたくないのだが、いわゆる社会的底辺に住む人たちに対しても分け隔てなく接するのがぼくの信条でもあるので、そんなことは言っていられないのだった。

いろいろな住民が描かれるがそれらは主人公の宇南親雄の過去にすべて入っており、医師である主人公の診療所という場所を起点としてそこで接する人物との関係を回想することで小説が成り立っている。宇南親雄の出自と生いたち、両親との確執、妻との出会い、患者や健康診断書を作ってもらいに来た少女や肉を売りに来る老婆や仲買人など、多彩な人物はすべて「現在の」診療所という空間から過去に向かうことで、様々な想起が起点に繋ぎ止められているような構造が見て取れる。だからプロレタリア文学当時の小説空間とは違い、重層的多面的となっており、単なるリアリズムを超えて方法意識に基づく構成になっている、現代小説なのであった。

 

 

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被爆者個人にはどのような生が営まれるかを20世紀小説形式で描き切った「死の島」を2週間弱で読んだ。(図書館の貸出期限は2週間だった)小説中の現在は昭和29年であるが、それを昭和46年に福永武彦は最後の長編としてこれ以上のものは残せないと本人が述懐したほどの作品を残した。

ぼくは戦前の文学者がおしなべて大政翼賛的に戦争協力した中で、加藤周一中村真一郎福永武彦が世界文学レベルで自らの文学的矜持を失わず戦中を耐え、戦後「1946・文学的考察」をいち早く世に問うた功績を知って、幾分明るい希望を持ったのだった。日本だけが文学的にガラパゴス化したわけではなかった。日本精神なるものにすべて糾合されたわけではなかった。プルーストジョイスカフカにつながる20世紀文学の担い手が、少なくともその水準に自らを維持しえた文学者が日本にもいた事実がぼくには救いだった。「死の島」はそれを証明する作品だと思う。

独身の作家志望の編集者である相馬鼎はプルーストや、ジョイスや、カフカに登場する主人公ほど存在感があるわけではないが、(真実の愛の前にたじろぐ小心者だったり、二人の恋人に公平に接するという観念性など)文学的野心や小説の力に対する信頼には、現代思想に通じるものがあると感じられた。不完全な主人公だからこそリアリズムが保てていると解することもできる。何しろ小説の構造自体は複雑で実験的でもあるので、主人公の不完全さに読者を十分誘い込む必要があったのかもしれない。入り組んではいてもついていくことはできて面白いと感じられるのは、やはり描写が上手いからだろう。深くロマンを堪能できる現代小説は珍しく、この読書体験は人生を豊かにしてくれる。
 

 

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ぼくが好きなのは非日常だ。日常の惰性や安定を揺るがすちょっとだけ異常な世界だ。星野リゾートにはそれを提供しようとする姿勢があるから好きなのだ。もちろん小説が一番手頃なツールなのだがその提供者にはいろいろ好みがあったり、読者に厳しいか優しいかの違いがある。一番しんどくて時には生死につながりかねない恋愛という非日常は、人生そのものがかかっている。行動派の人だったらお金のかからない旅行を知っていて、手軽に非日常を味わっているかもしれない。ぼくは行動派ではないので、じっとしていても非日常を味わえる詐術を作り出す。

なんと単純であることかとみんな驚くと思うが、それは書くことだ。(それは、村上春樹が英語人格で「風の歌を聴け」を書き始めたことに関係している)

書くときの意識の状態は非日常であり、何を書くかさえ気を付けていれば意識を持続させることができる。意識を自在に操れる詐術というものを手に入れることができれば、ぼくはいつも好きな世界に住むことができる。子供の世界は非日常に溢れている。夢中で遊んでいる時、彼らは非日常に居る。別に詐術を使わなくてよくて、友達がいればいいし、一人でも面白いと感じさえすればいい。

 ちょっと前、ぼくは自分以外の他者を登場させようとして失敗して疲労困憊から眠ってしまっていた。小説には主人公以外に様々な登場人物が存在する。ぼくを主人公とすると結婚していれば妻がいるし、兄弟やいとこがいて父や母が必ずいる。幼稚園から小学校、中学校、高校、大学校へと進む中で接する先生や友達や友達の親がいる。就職すれば会社という場に進み、労働や生産や市場や商品や余剰価値や職場の人間関係などが様々に登場人物を主人公の周りに存在させる。これまでぼくは、かろうじて妻は登場させることができたが、親となるともうダメで、ましてはサラリーマン時代の社長や上司や部下やお客や取引関係の人となると全く登場させる気が無くなる。まだまだ修行が足りないのだろうが、とにかく書き続けることはしたいと思っている。そして何よりも良い作品を読むことが続けられる栄養を与えてくれる。今、坂口安吾の自伝集「風と光と二十の私と・いずこへ」(岩波文庫)を読んで、これまでにない自由感を味わっている。鬱も統合失調症も狂気も自殺も別に気にならなくなるほどの、凄まじい文学修行がクールに書かれてあった。

 

 

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少しブログへの投稿を休んでいた。自分では書かないが他人のブログはいくつか読んでいた。書くという作業はおしゃべりより面倒くささが伴うので、ブログには書くことがさほど苦痛でない人や自分の立ち位置がしっかりして自分の情報に価値を見出している人が集まることになる。ぼくはといえば書くことで自分が今何を考えているかをはっきりさせるという構え方で、ほとんど書く練習をしているようなものだ。そういえば、最近村上春樹がラジオのディスクジョッキーを始めるらしく、金沢では明後日の月曜日夜7時に聴くことができる。文学の話はほんのちょっとは出るのだろうか?

さて、このブログに書くことはラジオではないが自分で情報発信というステーションを持つと捉えることも可能で、むしろ媒体の機能を意識してマーケティング発想も取り入れるとプロ意識も生まれるのかもしれない。作家やミュージシャンといえども今では何らかのマーケティングをしていることに気づくことがある。ユーミンはもともとマーケティング志向だと思っていたが、平野啓一郎も自分のサイトから「マチネの終わりに」の感想を求めていて、そこに掲載された著名人の感想を本の帯に採用するということをやっていた。

マーケティングとは商人的態度になることだが、つながりを作る技術と思えばやりすぎない程度に取り入れることは良しとしよう。

さて、今ぼくの頭にあるのは「羊と鋼の森」という小説をめぐって、自分の幸せに忠実になることの是非みたいなことを考えてみたいと思ったのだった。「羊と鋼の森」はピアノの調律師の物語だ。こんな幸せな職業が現代にあることに驚いたのだが、まさにニッチをうまく小説の題材に取り上げている。ピアノの音を相手にしていればよく、世の中の雑音は必然的に消される。ピアノを調律する基本となるのが「ラ」の音で、400デシベルぐらいに音叉を使って共振させるのだが、それを哲学科出身のこの作家は、「世界」に漂う潜在的な音ならぬ音と「つなぐ」作業だと表現する。「世界って何だよう」と、主人公の弟に叫ばせているように、ぼくにもこの「世界」という言葉に飛躍を感じた。それにしても随所に成長するには何を学んでいけばいいのかが親切に展開されていて、特に職業選択に直面する学生には最適の小説になっていると思った。ところでぼくには、ピアノ以外の雑音の世界にやはり止まるのが自分の務めだと思ったのである。自分の幸せのためなら自分の見たいものだけを見て、見たくないものは見ないことにして自分の決めた目標に進むことが許されるのか、という問題を考えてみたのだった。そういう人生は確かに幸福かもしれないが、時代(歴史)とともに生きたことにはならないとぼくは思った。

、、、しかしそうはいっても、結局は思い通りの人生など送れるはずもないのだから、小説の中ぐらいは自分の見たいものだけで生きても許されると結論しておこう。

私語する世界(総集編)

ぼくが母親のお腹の中にいたころすべてはまどろみの中にあり、細胞も意識もすべてが未分化だった。ぼくが自意識の静かな成長の中にいたころ、自分の輪郭が周囲の環境に溶け込んでいた。何ものも新しく小さく震えるように生まれてきた。肉体の伸長に心が追いつかず、すでに世界に出てしまっているのに長いあいだ気付かなかった、、、通学は単調ではあってもどこか楽しかった。本が好きだったので途中で立ち寄る書店で、上級生の夢見がちな少女が気付かぬようにぼくの後ろにまわっていた。かがんで書棚の下にある本から目を離して起き上がると、肘に柔らかいものを感じた。雨の日は同じ帰り道だからといって傘に入れてくれて、ほとんど言葉を交わさずに長い道のりを歩いた、その時の感触というか空気が不思議なことに残っている。

食べていくためには身を捨てて見知らぬ世界に繋がれる必要があった。ぼくはそれを認めたがらない子供のこころを封印した。人生が黄昏に近くなってその世界から免除された。あれから何日も経って思い出した、自分にも子供の頃があったことを。ぼくが本当に少年だった頃があるとはなかなか思えなくて、少しは勉強ができる子だったのが内心嬉しかったのか、意外にも父はぼくの部屋を作ってくれた。ちょうど内面というものが生まれ始めていたこともあって、ぼくは部屋に閉じこもって、毎日夢の中にいた。甘くて牧歌的でそれでいて都会的で、妖精に憧れるボヘミアンだった。そのころ男性ファッション誌に載っていたライフスタイルは、ヒッピー族がモデルとなっていた時代だった。ぼくはパープルカラーの花柄のシルクスカーフを首に巻いていたような、フラワーチルドレンの一人だった。

つい今しがた、あの状態が訪れた。遠い記憶が蘇り、包まれたような感じがした。ぼくが十代の半ばの頃、都市を彷徨し居心地のよい疲れのままに、屋根裏部屋に帰って夢想していた頃、ランボーを読んでいた。世の中はサイケデリックな喧騒の中にあった。ぼくの身はミルク色の朝もやに包まれて、まどろみの中に浸っていた、自由だった。時間の観念がなくいつまでも閉じこもっていることができた。おそらく世界も同じように歴史がなく、不思議な共時性に溢れていた。ビートルズがアイドルを捨て、より本来の奔放な世界に入っていった時代。ぼくたちは闘う必要がなく、思うまま自分を表現していればよく、それぞれに軽やかに身を飾ってお互いの眼差しがやさしかった。街に出て大人には出会わなかった。いつも祭りのようであったかもしれない。歩行者天国という非日常が気だるい真夏の午後のあちこちに展開されていた。例えばユーミンの「ひこうき雲」を聴くと、少年のころの自分の孤独なこころに帰ることができる。「雨の街を」や「12月の雨」や「雨のステーション」というように雨をテーマにした曲を聴くと、みずみずしい青葉の萌えるような匂いが一瞬にして湧き上がるのを感じる。不思議なことにもう半世紀にもなろうとする時を隔てても、少女(ぼくの場合は少年だが)の天上への憧れに胸が苦しくなるような情感がよみがえる。あの頃は大人になる前の、突然に広がる自我の世界に何もかもが新しく嬉しくて仕様がなかった。ユーミンもぼくもどうしたわけか幾分悲しかったが、死さえも甘味だった。

暑い日海がうねっていた。潮風が少女の髪をなびかせて、時間が止まっていた。海岸沿いのハイウェイに、オープンカーが疾走していった。気だるさと眩しさと汗と、思わせぶりなふとした沈黙のあと、ぼくは耐え切れなくなって、キスしてくれと言った。君は待っていたように凭れかかってきた。夏の日は思い出の夏になった。高校生のころはプールによく行っていた。何か思いつめて黙っていた君を気づかないふりして、君の横に寝そべって感じていた。何も起こらず過ぎていく夏休み。プールの後のイチゴのカキ氷は、君の唇を赤くした。いつまでも続くようにお互いが自己放棄していた。滑り落ちるように夏が過ぎていった。取り返しがつかない、離れていく距離。放っておいてはいけなかった。ぼくはもっと君に譲って、自分を捨てるほど君に心を向けていればよかった。大切にされているという感じがしなかったと君は言った。その通りだ。ぼくは見返りを求め過ぎていた。どこかで諦めていた気もする、信じることができないという不幸をあまり真剣に考えなかった。小さなことが大事だったのだ。心の中の出来事を本当に起こっていることのように思えなかった。でも、それこそ自分が直面することだったのだ。

あなたと会わないことにしてから40年近くが過ぎた。長い刑期のあと辛うじて繋がっていた関係に引き寄せられるようにして会い、もう済んだこととして、つながりの糸を手繰り寄せた。最初の出会いの方ではあなたの無邪気な奔放さに惹かれて、振り回される自分の感情の元を奇妙に思えて、それが信じられなくて、感情そのものを疑い、育てることを思いつけなかった、、、。だから、社会性や責任を問われる方へいさぎよく進んでいけた過去を思い出していた。再会のあと、もう一度自分を試す冒険の方へ、歳柄もわきまえず、もう踏み出して月日を重ねている。もう出航して初めての港に到着しようとしている。何が見える?少しは女心がわかるようになって、気づけるようになって、何か気の利いた応答ができるようになっただろうか、、、自分のままでいること。少し待つこと。求めるものを与えること。悲しみを避けないこと。見つめること。伝えること。あなたに出した手を引っ込めないこと。それらにあの頃は思いつけなかったのは何故だろう、、、

年齢を重ねるごとにナイーヴな心情をかけ替えのないものとして慈しむ気持ちが成長してきているそれはあの時代に青春を過ごしたからこそであると失われた時代を慈しむことと重なることになった。今はぼくより数年下の世代にはもとより通じないが、不思議なことに40年もすると珍しがられるぼくたちにとって、どの時代にもない独特の乾いたにじみ出るような存在の心地よさがあった。

狭い日常生活の範囲内で幸福でいられる心の状態には、愛に包まれている感覚がある。ぼくがトルストイを読んでいた間はたしかにそんな感じがしていた。仏教を唯識から学んでいた時には、無限の広がりのなかで落ち着いていられたが愛の感覚はなかった。仏教では孤独でありながら心は充実していた。トルストイ白樺派の文学には、キリスト教の影響なのかは確信はないが、自分が包まれているような感覚があって一人なのに孤独ではなかった。自分が内面で充実しているというより、やはり周りが充実しているのだ。共同体の中にいる安心感に近いのかもしれないが、もっと甘味なものが漂っている。もし本当に白樺派の文学がぼくにそういうチカラを与えてくれるのなら、退ける理由はないのではないだろうか?

たしかにモダニズムやその極致であるデカダンシュールレアリスムはないかもしれないが、自然の大地にしっかり足を踏ん張り、ミレーが描いたように感謝の祈りを捧げる農夫の幸福は手に入るかもしれない。ただ、ぼくの生きている時代は近代をくぐってきており、二つの世界大戦でのおびただしい死者を忘れることはできないと気むずかしく考えないなら、それもOKなのだが、、、

 

人は老年になって自分が積み重ねてきた人生をある完成に向けて、ちょうど画家が一人の肖像画を描くように、残りの人生を生きて行くというイメージがある。ぼくが高校生だった頃、白樺派という文学集団を現国の先生から教えられ、しばらくはトルストイ武者小路実篤の小説の世界に住んでいたことがある。とても牧歌的で夢心地で人の一生は意味にあふれていた。半年ばかり楽天的に過ごしたと思う。思い出すとひたむきながらどこか甘味な、包み込むような雰囲気が現れてきてあの頃に戻りたい衝動にかられる。しかし、今更あの世界に還ることができるのだろうか?それは人生の明るい面だけを見て自分をごまかすことではないのか、という声が聞こえる。

実際高校の時はお目出度い若年寄りみたいな自分が嫌になって、真逆の不条理な世界観に落ちることになった。この時ぼくは自覚的に「落ち」てやろうと思った記憶がある。キルケゴールの「死に至る病」を読み、小説はカミユを読んだ。それにしてもどうしてあの頃の自分はそんなに潔癖になろうとしたのか、合理的な理由は考えられない。あえて推測すると何にも世界が見えてない自分がバカみたいに思え、間違った自分を傷つけなければ済まない感情が、ちょうど手首を切ることで自分を保つ少年少女のように激しかったのだろうか?第二の人生を始めようとする(本当の年寄りに近くなっている)今、正直に言うと少しばかり身を危険にさらしてみたい気がしている。もう一度今の時点であの激しい自己嫌悪の状態に「落ちて」みたいのだ。僅か一瞬の青春のぼくの内面には一体何が起こっていたのか、今だったら言葉にできるかもしれない。それはぼくのこれまで身についた思想らしきものを一度かなぐり捨てて、果して裸の自分は何を感じ、世界をどのように掴もうとしていたのかを確かめることだ。今、白樺派の人生にぼくは何を見るだろうか。

昨日、ある文芸評論家の出ているYoutubeを見ていてふとビジョンが浮かんだ。気だけは若いと思っている自分が、年相応に、或るおさまり方をするような気がしたのだ。年齢を重ねて人となりが、落ち着いた自信が身につくように完成していくイメージをこれまでどうしても持てなかったが、そのビジョンによってうまくできそうな気がした。そのビジョンとは自分の心の中にある「神」を存在させるということだ。決してキリスト教の神やましてや神道の神ではなく、あえて言うならマイスウィートロードなのである。多分白樺派が懐かしく感じられたことの延長線上にあり、トルストイが信じた民衆とともにある神に繋がっていそうな気がする。

これまで別にサルトルに学んだわけではなく無神論を当たり前のように受け入れていて、自分の心の中には自分しかいなかった。でも自分の心の中にマイスウィートロードがいると感じたら、ぼくは絶対的な孤独から解放されるかもしれないし、永遠の相談相手を持つことになると思われた。そうだ、絶対者として神がぼくの心の中に君臨するのではなく、「感じる」神なのだ。トルストイを読んでいた頃はその感じる神と一緒に過ごしていて、ぼくはアリョーシャのようだったことを思い出した。(ドストエフスキートルストイをごっちゃにしていると言わないでほしい)宗教というものを信仰と同じと考えるのが常識と思うが、神を信じるというよりも神を感じるという方法の方がぴったりする。とにかくぼくの心の中に、ぼくとぼくの他者である神がいることになる。これは無限の安心感を与える。昨日からゲーテの「ファウスト」を読み始めた。ゲーテの心の中の神との対話が戯曲形式で展開されている。

 

10月初旬の爽やかな空気は同じ皮膚の体温が、ぼくの連続した過去の同じころの生活感を甦らせてくれる。あらゆる生物にとって温度というのは決定的な環境要素だと思われる。例えば海温が1度違えば海中の生物にとって危機的な異変と感じるはずだ。今日は秋晴れで仲間とテニスをしていてとても気持ちが良かった。秋晴れの日の夕方も夕餉を準備する街の空気がいつもより、生き生きと感じられる。そしてこの街の夕暮れ時の満たされた空気が、ぼくの一番自由だった19のころの、精神状態にしばし連れ戻したのだった。ぼくは自宅の離れに部屋を与えられていた。それは台地の端に作られているので、部屋の西側は崖になっていて、窓からはセントヴィクトワール山のような、なだらかな斜面を見ることができる。夏の夜は、支流を流れる川沿いで行われる花火大会の特等席にもなる。連れ戻されたのは、美大に幸いにも受かって最初の年だった。試しに初めてキャンバス8号に油絵を描いてみた。李麗仙の肖像画を燃えるような暗い赤の下地に浮かび上がらせたが、のめり込むほど熱中はしなかった。具象よりもその頃注目されていた、アメリカのミニマルアートに、霊感を感じて、自分でも黄色とブルーの棒グラフのような図をポスターB全に描いて、部屋に貼って眺めていたこともあった。そんな時期があったことが不思議に思える、ぼくにもアートの入り口が開いていたこともあったのだ。ただ何となく自分が心血をそそぐ世界のようには思えなかった。19のころは、人生で精神のままに居られる若さの気配を確実に作っていたのではないだろうか。

エロスに知的なエレガントが加わる風情には東から吹いてくる風がどことなくオリエントを感じさせぼくたちは無国籍な潮流で日本の伝統に新しい優しさを重ねようと、不遜にも挑戦したのだった。吉田拓郎アジテーションのように歌った泉谷しげるは情念の解放区を歌ったユーミンは無国籍の女神だった村上春樹はキザな語り口を発明していた村上龍は暴力とセックスを想像力によって解放した大江健三郎はいつもそばにいてくれたサルトルは状況を語りどちらの立場をとるか迫った埴谷雄高は文学の力を信じさせた。乾いた夏の、都市の蜃気楼のような時間のない形而上的な永遠に育てられた世代だった。

どこに行ったら君に逢えるのだろう。いつか時代が過ぎて、過ぎゆきて  どこにも君の面影を見つけられなくなった。こんなにも変わってしまうなんて  楽観的なボクには想像できなかったよ。敗北を重ねてみんな散っていったから  共通する求心力を失ってしまったから。 反撥や引き合う心が存在して  身振りや眼差しに現れて、表して、無為に歩いて永遠の交差を  愛おしむ人たちで街が溢れていた。そうだ、ボクたちは目で分かり合っていた。あの頃は敵がはっきりしていたんだ。だからみんな仲間だと見ず知らずの人にも  馴れ馴れしくしていた。セントラルパークに ダウンタウン・ストリートに 地下鉄に。ファイティングマンが、命知らずのリーダーが  たくさん立っていた。

土曜の午後には何かがある。いつもと違う気分がふと訪れる。静かなワクワク感があり、子どもの頃デパートに連れて行ってもらった記憶の断片が脳のどこかを刺激するのかもしれない。街角に一瞬立ち止まり、爽やかな5月の風を感じる。晴れた住宅街の坂道を田舎道を歩くように軽やかに昇っていく。何かが起こって出会いがありそうな予感がする。実際は何もなく坂道を降りてくるけれど、心のどこかが満たされている。遠くの方でピーッ、ピーッと調子を取っている笛の音がする。旅人やよそ者や大学生が夢見るように歩いていた。時代は自分自身に躊躇して彷徨っていた。誰かが移行期だと言った。どこからどこへの移行なのか、未だにわからない。恋人と別れた原因がわからないのと同じように。

 

古今東西あらゆる世界、歴史に繋がるようになって、人々は自分でものを考え、言うことをしなくなった。すでに自分の考えることは誰かが考え尽くしていて同意するか、否定するかしかしなくなった。悲しいかな自分をしっかり大地に立たせることに意欲がなくなって、みんな失敗することを無駄と捉えてしまった。賢くはなっているのだろうが、ロマンがない、悶えるような憧れに遭遇しない。感情も思想もゲームに絡め取られてしまった。昔の女は惚れた男に命をくれてやるぐらいの一生にも満足できたのに、自分の魂を感じられなくなってしまった。生活といえば経済と思い、決して殉教者にはならない。物語が作れないのだ、、、

だがしかしこの俺はどこへも行けずに立ち尽くすか、蹲っているだけなのだから大きな顔はできないというものだ。自死へと向かわずにハードボイルドのタフネスにも行き着かず、失意からの再生に賭けるしかないのか、、、

定年退職者の手記(総集編)

定年後をどう生きるかみたいな本がよく売れていて自分もその渦中にいるのだから、定年後の居場所がないことを認めてもおかしくはない。でもそれは敗北感がともなう。スタバは第三のプレイスがコンセプトで、自宅と会社または学校とスタバの三つの場が必要ですよと言っているが、ぼくには会社がなくなったのでそれに代わる場所がほしいと会社をやめてからずっと思っていた。ぼくはスタバには馴染めなかったので二つの場所がいることになるが、一つは図書館でこれは年金生活者には一番利用しやすい公共施設になっている。ぼくは主に泉野図書館と白山市図書館を利用するが、玉川図書館や海みらい図書館にもたまに行く。自宅と図書館ともう一つのサードプレイスがなかなか見つからない。FaceBookやブログはどうしても場所にはなりにくい。何といっても仮想空間なので。

ぼくの定年は2014年の誕生日でその年の228日で会社を辞め自ら定年延長という道を断ち、独立しようと考えていた。定年の2年前から独立するための準備をいろいろ考え、神田昌典の教材を買って勉強していた。しかしどう考えても自分にやってみようとする、ニッチな市場は見つからなかった。

ぼくはもともと器用な方ではない。のろまで若い奴らのようなすばっしこさがない、おまけに図太くなく変にプライドが高いので、負けることが分かっていることに自然とやる気がおきない。そうこうしてるうちに失業保険の給付が切れて晴れて年金生活者になった。といっても生活保護を受けるぐらいのお金しかもらえない。もし妻がいなかったら、妻の給料がなかったら文化的な生活はできないだろう。

文化的な生活とは雨風をしのげる家があり、電気ガス水道等のインフラ料金を払うことができ、税金や保険料を収めることができ、TVニュースや新聞、インターネットからの情報を読み解くリテラシーを持つこと、趣味に時間をさけることといったところだろうか。

ぼくが65年間生きてきてそれを振り返る時、一切の感情から解き離れて一個の存在現象として見ることに興味がわく。親の庇護のもとに幼年時代を送り、戦後教育の中の学校教育で育ち、友達社会に馴染み異性との付き合いに馴染み、自我という内面に生き始める。大学まで自分本位に生きて、大きな衝突を避けながら社会に送り出されることになる。労働市場に大学卒業の看板で中流以下の給料で買われる。地方の民間企業で出世することなく38年間のサラリーマン生活を送る。途中31歳で社長の仲人で結婚する。子供ができず夫婦二人の家庭を34年間継続中である。夫婦共通の趣味にテニスを35年間続けている。会社定年延長は1年で辞め、妻とともに夫婦本位の生活に復帰する。

ここまで綴ってきて現象として様々な私以外の要素が含まれていることに気づく。私は現象として大きくは、両親、兄弟、学校、友達(同性、異性)、会社、社長、同僚、顧客、妻、趣味の友達等の関係項と結びついている。市場の中での経済的存在性や商品生産性としての技術という価値に関わる現象もある。両親、兄弟、妻、友人の中でそれぞれ愛情に関わる現象もある。

経済的に極端な困難に陥ることなくただ平凡に過ごせたのは、妻の采配に負うところが大きい。妻と破綻なく家庭を維持できたのもお互いの相性がいい組み合わせを作ったと感じている。1984年に結婚しているので今年で34年目になるが、これだけ一緒にいてもお互いは表面的にしか理解し合えていない。性格なら分かる。恋愛が苦手らしい感じはする。根は優しいし正直で天然のままのところは好ましく思っている。ぼくと妻は見合い結婚なので、恋人同士の期間に深く相手を求めるということがなかった。ぼくは自分を信じて妻の善良さに適う夫になろうと決断したのだ。見合いした頃の自分というのは精神的にどん底にあった。それを救ってくれたのが妻であった。妻は今、62歳だ。ぼくのことをどう思っているだろうか?ぼく達夫婦は子供ができなかった。だから、お父さんと呼ばれたことがなく、ぼくもおかあさん、あるいはママと妻を呼んだことがない。一般的には友達夫婦というカテゴリーに入るのだろうか?

妻はどこにいるかと問うて、ぼくの横にいるらしいことに気づいた。前にはいないのだ。だから妻のことは表面的にしか分からないのだという気がする。時にはぼくのことを自分のことように話したりする、友人たちの前や近所の井戸端会議の場で。そういう時の妻のことを思い浮かべるとぼくはどういうわけか、涙ぐんでしまう。決してうちのダンナを褒めるわけではなく、むしろ貶すわけだけれど、嬉しそうだったりするとそれを後で思い浮かべると涙ぐむのである。どうしてそういう感情が自分に起こるのかがずっと謎で、それを解明してみるために書いてみようと思ったのもある。

もとよりぼくは無口なので冷淡と見られることが多い。サラリーマンの時、仲間からあまりしゃべらないので怖いと言われたこともある。だから感情が高ぶって涙ぐむということは普通起こらない。誰にも見られたくないので必ず一人の時に起こる。見合いだったけれどボーリングでデートしたことがある。彼女が良い点を取ってレーンから振り向いてこちらに来る時、体全体で嬉しがっているのを、こんなに嬉しそうにしている人がいるんだと不思議な目で見てたのを覚えている。それを思い出すといつも涙ぐんでしまうのだ。まったく嘘がないからなのか、天然だからなのだろうか、とにかくぼくにとってはそれは貴重なことだった。

現象として記述するには、まだまだ多くを抽象化する必要を感じるが、敬愛する思考モデルとしての師から学んでいきたいと思う。

これまで「私」にこだわって考えてきたが、背景にぼくの過去のどうしようもない経験がある。それは多くの一般的な社会人の人生を取らないとしている今のぼくの生き方に関係している。ぼくはこれまでの延長線上に「老後」を送るような、他者の生き方はしないと決めている。サラリーマンだった38年間は、他者の生き方をなぞって生きてきた。生きてきたとも言えないかもしれない、押し流されるように周りから外れないように圧力を感じながらずっときたのだ。経済的安定と引き換えに、自分を捨てて生きてきたのだ。自分を殺してきたから、本当の自分の感情が分からなかった、というよりすべての人間関係が希薄でよそよそしかった。父とは心から通じあうということがなかった。母とは距離をとって他人行儀だった。祖父の期待を受け止める感受性がなかった。兄弟とサラリーマンになってからまともな話をした記憶がない、、、

ここまで書き進めてきて、当初書こうとしていたことと真逆な方向に進みそうな予感にふととらわれた。ぼくは自分をサラリーマン時に失ってきたと書いてきたが、ずっと自分のことばかりを考えてきたのではないか、いやサラリーマン時ばかりでなく、ずっと以前から自分のことばかり考えてきたのではないかと自省の念が湧いてきたのだ。どうしてだろう?

立ち止まって読み直してみると、自分の感情が家族との関係でよそよそしかったのは、サラリーマン時に自分を殺してきたこととあまり関係がないのではないかとふと気づいたからだと思われる。私の家族の中での現象は、別の問題だったということに気づいた。

 

40年近く居た街のはずれの工業団地にある「収容所」から出て帰ってきてみると、街はそのままあって何が変わっているかすぐには気づかなかった。風景はそんなに違ってない気がしたが、しばらくすると確かにバージョンアップされていることが分かる。ただ街は綺麗になった分、空っぽで情念というものがない。ニューヨークがサンフランシスコになったような感じだ。身なりはそれなりにシンプルにまとめられていて、一人一人同じように収まって見える。高齢者ばかり目につくようになったのは、これまで出会うことのない時間帯にいたからだ。街に労働者風の男の姿が見えなくなった。男の学生が見当たらず、どこにも女性ばかりとなっていた。それは女のような男が増えてそんな印象を持ったのかもしれなかった。

映画館や書店が地方都市では郊外に移っているので、ファッションや雑貨の店しか残らず女の子ばかりが歩いていることになるのかと思われた。最近の金沢は街に外国人の方が多いような日もあるくらいだ。実際は目立つから多く感じるのかもしれないが。40年前には金沢にもジャズ喫茶が3軒あったが、今は一軒残っているだけだ。この前その店に友人と入って昔話をしていて、店のマスターと目があった。ぼくが学生のころ、マスターは大学紛争で緊張関係の中に置かれていたころの状況を知っているらしいと思わせた。一瞬完全にからだの動きが止まった。その店の入り口のボードには岡林信康のライブを知らせるチラシが貼ってあり、友人はその日をメモしていた。

ぼくはサラリーマン人生を38年間送ったのだが、よく我慢し通したものだという以外に感慨がない。よかったのは厚生年金が少なくてももらえることだ。妻の年金と合わせれば普通の生活がよっぽどの事故がない限り送れそうだという安心感は、今のぼくには精神的な財産となる。サラリーマンは社畜であり、個人の能力というものは必要がない。社畜の能力だけがある。感性が敏感だと屈辱に身悶えすることになるから、できるだけ鈍感になろうとする。給料の差や人事の不公平感に感情がとらわれたりすること自体が許せないので、鈍感になる方が手っ取り早い。会社を辞める方が賢明だったかもしれないが、器用な方ではなかったので面倒くさくなって流される方を結果的に選んでしまった。そしてますます社畜になっていくわけだが、強制収容所よりはマシだと思って耐えてきたのだ。マシというのはわずかながら給料がもらえ、社会保険や定年までいれば退職金がもらえることだ。

だからできるだけ無個性で働くのと、少々の奴隷的な過酷な環境にも耐えられる肉体と精神があればぼくのように定年まで会社に居られると思う。会社を甘く見てはいけない。毎日が戦いというほどの覚悟がいると思う。要は表面的な現象とか言葉に騙されてはいけないということだ。坂口安吾も書いていたが、一番悲惨なことは落伍者になって貧乏になることではなく、それによって自信を失うことだ。くたばらなければいいのだ。65歳になってようやく過酷な状態から解放されて息をできるようになった、というくらいに今を考えている。

現在。ここに居て妻と二人で暮らしている。近くに母が一人で住んでいる。外から何かを指示されて動くことからは解放されている。よく若い頃を思い出して時間を過ごすことが多くなっている。若い頃の気持ちにしばらく浸っていると、無意識の語り得ぬ非存在の、圧倒的広がりがあったことに気づく。その頃あった未来というものが、今はないことに気づく。空きスペースが随分とあった。それが消えている。齢をとるというのはそういうことなのか?無限と思える未来が今は無くなっている。おお、本当にそうなのか?例えばジャンクリストフの生きた大河のような人生はもう、ぼくには望めないことなのだろうか?おお、それを取り戻したい!

 

このように書いてくるとぼくと妻の生活に何の問題もなく、年金生活者の自分もある人たちからは仕事もしないで何を贅沢言っているのだと叱られるかもしれない。ところが人間は衣食住が最低限保障されても精神面があるから、精神的安定性も保障される必要がどうしてもある。要は人とのつながり感である。共同体の一員として認められているという安心感を失ってしまうと、鬱になってしまうのだ。ぼくは高校2年の時に軽度の鬱になって10日間ほど登校拒否していた経験があるので、その辺のことはよく分かる。

二三日前にFaceBookから離脱した。自分を変えるために。

中学生の頃の自分を思い出していた。自我が芽生える頃がほとんど中学の頃と重なるように思えるのは、多分中学に入って環境が変わり、小学校の時とは全く違うタイプの同級生との接触が自分に向き合うきっかけを作るからだではないだろうか。小学校の同級生は同じような仲間だったのに、中学では日常的に違いに気づかされたり、場合によっては圧倒されたりする。ぼくの時代の中学にはいわゆるガキ大将がいた。ケンカに強く大柄であったり、体格は普通でも骨っぽくガッチリしていた。ぼくは小学校では女の子と自然に溶け合って遊ぶような優しい男子だったが、どういうわけか彼らのような不良男子に親近感を覚えた。幾分虚勢も張っていて今から思うと、強いものにすり寄っていたのかもしれない。「デミアン」に出てくる、年上の不良に盗みを強要させられるようなことまでは流石になかったが、同級生には家がヤクザ関係者だったり、ケンカがあると呼ばれて出て行くような舎弟まがいの少年もいた。いわゆる施設から来た野生の少年もいて、ぼくはどうしてなのかわからないが、その施設に遊びに行ったような記憶がある。強い者に取り入ろうとするばかりではなく、ひどく変わった所をもつ者に魅かれる性格がぼくにあったものと思われる。でもそういう少し危険な同級生や同窓生に近づくことはあっても友達にはならなかった。彼らの方もぼくのような「堅気」の少年には違和感があったのだろう。ただ親が学校の先生をしている不良の一人とは仲が良くなった。ケンカに出かけてはいくが、ウケ狙いをするオチャメなところもあってそれがどことなく安心感を与えたのだろう。彼とはその後ぼくが結婚するまでは付き合いが細く続いていた。

自分の海外への憧れの源が中学の時のアメリカンポップスへの沈潜にあることを思い、その頃のヒット曲をYouTubeで聴いていた。PPMの曲が今のぼくの心にも沁み渡った。あの頃は世界がとても小さかった。ほとんどどこへ行くあてもないから部屋に閉じこもっていた。特に冬の間はスキーにも行かなかったから、音楽を身いっぱい受け止めていた。自分の部屋は屋根裏のように天井が低く暗かったが、狭いということはなかった。一人で心地よく自分の世界に閉じこもっていたので、世間の動きから遠ざかっていただろうと思う。その頃、世界はベトナム戦争パリ五月革命、中国文化大革命など激動のはずだったのに、地方の田舎町には何の影響も及ぼさなかった。それらの外の動きを受信するにはぼくは幼く、情報を理解する知識が全くなかった。

中学3年の夏休み、地方都市にいて遊ぶことを知らずに職人の家庭で育ったぼくは、不良仲間の誘いにはのらず、ストイックに勉強する習慣の中で過ごすしかなかった。親は日曜もなく働きづめだったので、結果的な放任主義に任せられた。たしか主要5教科の夏休み中の分厚い受験強化参考書を1冊買って、毎日勉強していたと思う。その甲斐あってかその後の成績はどんどん上がって、高校志望校は上方修正された。そしてクラス上位3位以内が許される志望校を受験して合格した。

合格するとストイックに勉強する習慣を自ら捨てて、世界文学全集を読みふけった。自分の定年後の生活をイメージする時にまず出てくるのが「読書」である。何故「読書」がでてきたのかというのは、定年にならないと本が思いっきり読めないという思いがあるからだ。いわゆる読書三昧が許されるのは会社を離れてでないと無理だという実感があった。逆にいうと読書三昧という環境とか、その精神的自由感を味わいたいために定年を待ち望んできたと言ってもいいくらいだ。自分の人生の中でこの「読書三昧」と「精神的自由感」を一時期満喫していたことがある。私の高校時代である。

私は受験勉強を嫌って本ばかり読んでいた。私にとってその時が乱読の時期で、よく作家が年少の頃の乱読体験を披瀝しているが、私は作家程の読書量はなく、選択した職業も書くこととは特別関係ないということからも推測できるように、ごく普通の乱読コースである。つまり、世界文学全集を片っ端から読んだのである。その全集というのは比較的長篇の小説が多く、私の読書傾向として長篇好みがあるのはその時の読書経験による。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」から始まり、ヘルマンヘッセの「車輪の下」「ナル チスとゴルトムント」、スタンダールの「赤と黒」、トルストイの「復活」、ドストエフスキーの「罪と罰」「未成年」「白痴」「悪霊」、ロマンロランの 「ジャンクリストフ」「魅せられたる魂」、ジャン・ジャック・ルソーの「孤独な散歩者の夢想」、カミユの「異邦人」「ペスト」、サマセットモームの「月と 六ペンス」と順番はこのとおりか記憶が定かではないが、約一年半程の期間はこの乱読の小説とともに私の高校生活があったのである。

今、「小説とともに私の高校生活があった」と書いたが、これは単にレトリック(修辞)として書いたのではない。実際そのような生活であった気が今この歳になって振り返ってみるとするから、事実としてそうであったと書いたのである。つまり、必要以上に現実を深刻に考えたり、恋愛至上主義になって女性崇拝的な片思いの結果、失愛に苦しんだり、逆に優柔不断でつきあってくれた女の子を苦しめてしまったり、天真爛漫の時期があるかとおもうと自責の念で極度に落ち込んだりと、決して平和な心境にはなれずに過ごした記憶が今でも断片的に思いおこされる。

私は幾分ラスコールニコフに似ていたし、ロッテのような女性に憧れ、ムルソー気取りで夏休みを過ごし、ジュリア ン・ソレルのような自信家になってラブレターを書いて赤恥をかき、ジャン・クリストフとともに長く暗い冬を情熱的に過ごし、カチューシャのようなちょっと 斜視の女性に恋して一度だけデートしてもらったり、トルストイにかぶれて白樺派のようにヒューマニズムが最大の価値だと回覧日誌に書き込んで担任の白井先生にからかわれたり、「悪霊」に出てくる政治活動家の議論のように学生運動を自分の内面に引き込んでしまって軽いノイローゼになり10日ほど不登校を経験したり、何かにずっと取り付かれていたかのように高校生時代を過ごしたのだった。

今思うと何故これ程までに読んだ小説に影響されて実生活が振り回せれてしまったのか、不思議に思える。実生活が受験勉強という現実離れした学生身分だったからというのはあるだろうが、それでもそのころの私は無知ゆえに大胆な行動がよくとれたと感心するくらいである。安定した生活というものにまだ出会っていなかったし、多分心は荒れていたと思う。その時ぼくは生まれたまま自然に成長してきた純朴な自我というものを失った。少年の殻が壊れて、生まれた街を出て、見知らぬ世界にどんどん引き込まれていった。その当時の世界文学全集の世界とは、ドイツ、イタリア、フランス、イギリス、ロシアのことだった。そこにはアジアやアメリカやアフリカはなかった。

高校2年の後期になってとうとう乱読がたたって授業についていけなくなった。その頃にはドストエフスキーの「悪霊」を読むような、小さな「政治」青年になってデモに参加することもあった。ただそれは何かに憑かれたようにやっていたように思える。決して確信があって行動してたわけではない。心は虚ろで満たされるものはなかった。

10日ほど登校拒否をしていた。最初の危機が訪れていた。その当時は危機の自覚はなく、ただ現実から逃れようとばかりしていた。とにかく何も考えずに休みたかった。担任の西能先生には同情されて心配をかけてしまった。たしかどこかの空いた教室で二人で話し合ったように思う。先生はぼくを一人の人間として扱ってくれた。どこかで先輩というか同志というかそんな感じがあり、優しい目ではあったが力のこもった眼差しだった。君が考えたくはないのならぼくからは何も言うことはない、とおっしゃった。本当はぼくと議論したかったのかもしれないと後年振り返ることがあった。

自分がどういう風に生きてきたのか、何故そのようにしか生きられなかったのか、今原因をたどる想起に身を委ねていて、思い当たることを発見した。ああ、そうだったのかと今にして初めて合点がいくのは、過去のことではあっても前進なのではあるまいか?

たしか高校の1年の時だから19694月から19703月までになるが、現代国語の教師から読書の指導を受けていた。(ぼくの方から相談に行っていた)ぼくは今までこの先生には好感をずっと抱き続けていた。何しろ今でも思い出すくらいだから、この先生からの影響をぼくの人生でプラスの方にずっと入れてきていた。ところが、時代を改めて振り返るとこの時期高校でも学生運動が起こっていて、金沢でも反戦高連と反戦高協という組織があった。この先生は学生課のような部署にいて、生徒を政治から遮断する役割を果たしていたように思えるのだった。ぼくに白樺派の文学やロマンロランを読むように勧めていた意味が、そのように受け止められることに今気づいたというわけだ。

現代国語の授業は熱がこもっており、どちらかというと熱血先生だったと思う。ぼくは先生の朴訥な語り口が好きだった。あなたは、ベトナム戦争に加担する時の政権に対するラディカルな批判から、我が高校生徒の耳目をふさぐことを親ごころから担っていたのですね、、、ぼくは約一年間は素直に従っていたが、その後真逆の方向に進むことになるのは、あまりにもぼくを時代錯誤の状態に置こうとしたからじゃないだろうか?

もう稼がなくてもなんとか生きていける定年退職者の身分になって、働いて生活していく人生が終わってみると人生が終わりに向かうには早すぎて、身軽になっている現在が漂っている場を作っている感じがする。定年後の生活イメージが定着しないのである。一つの人生が確実に終わったのにまだ先が見通せないほど長い気がする。本当に思い通りの生き方ができるはずなのに、始められないでいる。65年間の人生は特別の試練を幸いにももたらさなかった。

父は83歳まで生きたから、ちょっとした事故死だったけれどそれほど不幸ではなかった。戦争で悲惨な体験をしたわけでもなさそうだった。ぼくは戦争を体験せずに済んだ世代に属している。餓死寸前になったり、肉体の限界まで酷使する状況に置かれたり、大量に血を見たり肉片が散らばったりしているのを見ることはなかった。

その代わりというのも変だが、平穏すぎて空虚を感じる、締まりのない日常というものは嫌という程経験している。何事も起こらない毎日が続き、何事もやろうという気にならない時間が山ほどあった。ぼくの周りには刺激的な人物があまりいなかった。学生運動がほとんどぼくの人生で唯一といっていいほどの刺激だった。

ちょうど大学に入って最初の夏が訪れるころ、野鳥公園でスケッチしていると声をかけられて、タイミングよくガールフレンドが出来かけたのに、禁欲的に活動家と思われていた先輩に近づいていく決心をしたのだった。(ぼくは何事も同時進行するやり方は不器用で出来なかった)何となく空虚に耐えられなくて、世界との熱い関係に入っていきたい衝動に駆られていたような気がする。三島由紀夫の自決があったのが高校2年の時で、連合赤軍浅間山荘事件のあったのが高校3年で、大学一年の時に岡本公三のテルアビブ乱射事件があって、物騒な雰囲気が時代の空気を染めていた。元全共闘だった人がこの時期に運動から離れていったと述懐しているのを読んだことがあるが、ぼくの場合、今から振り返ると、訳のわからない暴力に対する幻想を掻き立てられて離れるのではなく逆に近づこうとした。少なくとも今日のISのような暴力とは異なる何かが感じられていた。(現在起こっている暴力には残忍性しか感じられない)世界には自分が全く想像もできないことが起こっている、今まで自分は何も知らずに来た、もっと今起こっていることを知り、理解できるように勉強していこう、というふうに自分の衝撃を受け止めたように思う。

三島由紀夫連合赤軍のことを調べようと思ったわけではない。何が主張されていたかとか、それまでの経緯のようなことには関心がなかった。ただ通常の強盗事件とか殺人事件とは違う動機があり、それは彼らが自分の命をかけても成し遂げたいとする思想につながっていた。その思想に興味があったかというとそれも違う。思想そのものではなく、日常性を打ち破るに至るエネルギーの根本となるものというか、「特異点」に興味があった。その時それが起こってしまう時代性は何なのかという、抽象性にあったと思う。ぼくが青春時代にあった時の時代の切迫感はどうして存在していたのか、というふうに表現できるかもしれない。

行き詰まっていた。

ちょうどぼくも将来の職業選択がどうしても決められない迷いの時期に当たって、行き詰まっていた。何か訳がわからないけど漠然と全てが悲しかったのを覚えている。ちょうど宇多田ヒカルのデビューアルバムの全てが悲しかったように。(宇多田ヒカルとは時代が異なるが、彼女がどうしてあの頃悲しかったのだろうとコメントしていたのを聞いて、自分も同じと感じたのだった。ついでに言うとぼくの世代ではユーミンの「ひこうき雲」の悲しみに近いかもしれない。)

どうしてあの頃悲しかったのだろう?

高校3年の同級生 Aとは東京と金沢で進路が分かれて離れ離れとなったわけだが、金沢で最後のきちんとした別れ方をしなかったこともあってしばらくして手紙をもらうことになる。その日、自宅から歩いて通える美大から夕方帰宅する時に、なんとなく手紙が来る予感がしていて、自宅玄関横の郵便受けに果たして予感通りに手紙があったのをやはり来たと感じたのだった。手紙には東京での住所と電話番号が記されていた。その他の内容については忘れてしまった。そしてぼくがどんな返事を書いたかも忘れてしまっている。ただ、それまでの彼女の自分の態度には幼稚な部分があったのを恥じて、今は成長して対等にぼくと接することができると伝えて来たというような、漠然としたかすかな感じがある。今から思うと高校の時にぼくから見くびられたように感じて、それが許せなかっただろうと思う。ぼくのせいもあって受験勉強が思うようにできなかったのを、東京の塾に通って挽回するのに張り切っていたかもしれない。あるいは高校の時は本当の自分を見せる余裕がなかったけれど、もう本来の自分に戻っているからそういう自分を見てとアピールしてきたのかもしれなかった。それに対して自分の受験に差し障るから付き合いをやめるようにして遠ざかった自分に負い目を感じていたぼくの方は、相談することなく一方的に距離を置いていたことを謝った気がする。(だんだんその当時のことが記憶に蘇ってきたかもしれない、、、)

ぼくは学生運動に関わりだした頃、東京で集会があると連絡を取って再会することになる。初めて東京で会った時は、ぼくが東京に不慣れなこともあって彼女の方が話を先に進めることが多かった。東大赤門の本郷キャンパスの学食を食べに行って、ぼくが東大生でなくても大丈夫なのかと訊いたら、全然大丈夫よと東京人になったように答えていた。

自分の運命を自分で、自由を確保しながら拓いていく、ということが果たしてできるものなのか?そのためには運命という状況をまず認識できなければお話にならない。その状況が何で構成され、そのうち具体的で目に見えるものがあれば、それを感じるだけの感性がなくてはならない。ぼうっとして鈍いぼくには、言われた言葉の意味の方ではなく、言わずにほのめかす時の表情や仕草の意味に気づくという芸当は不可能に近い。65年間という人生でそのように自分のそばを通り過ぎていく、未明の運命というものがどれだけあったことだろう。例えば、運命というに相応しい状況が半分ぐらい訪れているのに、ドラマにあるような、直接会って本当のことを打ち明けるということができなかった。会うことなくそのまま別れてから、取り残されることがどんなに辛いかを思い知った。

大学進学が入試の結果を見て確実になって、ともかく心が晴れ渡った経験を味わっていたころ、付き合っていた同級生のAから電話をもらった。受験に失敗して浪人することに決め東京に行くから、と別れの電話だった。本格的に受験勉強を始めた3か月くらい前からその彼女とは疎遠な関係になっていた。Aは東京に行く前にぼくの声を聞きたくなって電話してきたと思われ、予定した報告をしたあと、ぼくに今読んでいる本は何かと訊いたのだった。ぼくは真継伸彦の「光の聲」と、ただ事実だけをそのまま答えた。Aは自分も同じ本を読もうとしたのかもしれない。しかしその小説の内容は、僕たちの関係に深い溝を刻むような運命を描いていた。(もちろんそれは読んで初めて分かることだったが)Aの父は共産党員で、いわゆる専従で組合から給料をもらう身分だった。

Aはぼくにとって運命的と思える存在だ。何か運命的要素に客観的事実が必要だろうか? 高校3年の時の同級生であるに過ぎないならそう呼ばないはずだが、ここであれこれ事実を振り返るには少し気が重い。ただ平坦なぼくの人生の中で登場する、平坦さにおいてさほど違いのない人たちとは異なる部分があり、それがいつまでも忘れがたくさせている。

どこか気取った喋り方をするのは村上春樹の小説中に出てくる登場人物に似ているかもしれない。プライドがあり自分の世界観の中で自信に揺るぎがない。つまりひとつの存在であり、自分の影響力を試して存在感が増すのを見るのが好きなエゴイストかもしれないと疑うこともあった。絶大な父と対等かそれ以上のキャラクターで対応するくらいの力を付き合う相手に求めるところがあった。無情であった頃のぼくがAを冷淡に扱い、後になってかけがえのなさをAに見出した時、逆にAから冷淡な扱いを受けた。傷つけ合うと同時に引き合う力を感じ、ライバルのように尊重し合うような関係だった。

小説「光る聲」にはAの父と同世代の共産党員の大学教授が登場し、戦中には特高の転向強要で瀕死の状態に遭い、1956年のハンガリー動乱時にはソ連の侵攻に反対する決議を日本共産党に出すという歴史的事件を描いている。世界史にはおびただしい死者が記録されており、20世紀には二人の人物が死者を量産する究極の悪を執行している。ヒトラースターリンだ。ハンガリー動乱を鎮圧したソ連に明確に反対する反スターリン主義を普通の私たちの歴史に登場させるには、「光る聲」に登場する共産党員やAの父のような人たちの苦悩を受け止め、乗り越える必要があると思っている。

ぼくは女の子に振られて悲しかったのではない。三島由紀夫連合赤軍のメンバーの「絶望」を感じて悲しかったのではもちろんない。でも確かに時代の空気が悲しかったのであり、その感じ方はぼく一人ではなかったと確実に言えると思う。悲しみの質でいうとサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に流れる悲しみに近い感じがする。まず孤独と周囲との疎外感が悲しみを作っている。そうだ。疎外という言葉があの時代流行していた。疎外という概念があの時代多くの思想に生きようとしていた人々(われわれ)の心を支配していたのだ。

ぼくは美大に進学していて、デザイナー志望が集まる、職能資格を得るための学校に入ってしまった。受験倍率7倍だったので受かった時はそれなりに嬉しかったのだが。毎日、4年分のメニューの中から課題が与えられて、ぼくのような社会派の勉強をするにはもちろん向かない環境だった。

ぼくが美大を受験する前の年は、県内でも進学校として知られる高校にもかかわらず美大に入学した先輩が14,5人いた時代だった。ほとんどがインダストリアルやコマーシャルデザインの方で、油や日本画や工芸の方には進まなかったように思う。(途中で転校した先輩もいたらしい)コマーシャルでも横尾忠則糸井重里のようなスターが活躍し始める頃で、社会の仕組みに取り込まれない暑い空気感も感じられた頃だった。ユーミン多摩美大、村上龍武蔵美出身で、必ずしも美大だから美術関係の進路に進むとは限らないのではあるが、地方の美大からでは、音楽や文学関係の進路に進むには才能が多方面に創発される刺激に乏しかったかもしれない。ぼくは受験選択を間違ったかもしれないという思いから自分を懐柔させる曖昧さに逃げ込んでからは、デザインに縛られずに、つまりはデザイナーの道を放棄して芸術一般のフリーパスポートを手にしたことにして、片っ端から興味のあるものをかじることにした。

ジョン・ケージ高橋悠治の現代音楽を聴き、マルセル・デュシャンフランク・ステラやデ・クーニングなどの現代美術に触れるようになり、シュールレアリスムやロシアフォルマリズムの文学や美術「運動」というものにも興味を持った。針生一郎美術手帖に載っている評論家の論文にも刺激を受けていた。つまりはあの時代が吐き出して発散していたエネルギーを貪欲に吸収しようとしていた。その頃のぼくは心に飢餓を抱えていたので時代のカオスで満たす必要があったのだと、今では思っている。

今の時代には抒情や情念が全く欠けていると思う。ぼくも引きこもっていた時期があるが、ほとんど誰もが引きこもりの経験があり、ないのは鈍感でどうかしていると髪の長い文学少女に馬鹿にされていたものだった。アンニュイという言葉が生きていた。今の時代、引きこもっていると病気扱いされて社会から取り残された敗者のように見られるらしい。だいたい僕らは現代社会を否定する道理を語る哲学者や評論家に取り囲まれていたようなものだった。社会の方が間違っているのだから平気でいられた。ぼくが美大受験を決めたのは、美大祭の前日に仮装した男女が乗ったオープンカーが、香林坊を夢のように通り過ぎたのを目撃したからであった。金沢の人は昔から普通じゃない人には寛容だった。そういえば金沢の開祖である前田利家も若き頃は織田信長にも勝るとも劣らない傾奇者(かぶきもの)だったらしい。そのオープンカーを目撃したのは1970年の頃だった。

ぼくは大学3年次を留年している。とても傲慢に聞こえるかもしれないが、その時これまでずっとまあまあ順調に来ていたので1年ぐらい猶予期間をもらってもいいのじゃないかと考えて、本当に自分の支えになる世界観を築こうと自主留年したのだった。作家の三田誠広は高校2年次に1年間休学して、自分の立脚点を作ろうと思想書などを読みまくったそうだが、能力の差はあるだろうがぼくも同じことを考え、資本論などを苦労しながら読んでいた。三田誠広はその頃の日々を「Mの世界」という小説にまとめているが、ぼくにはそのような力がなかった。資本論ヘーゲル弁証法の論理で古典経済学を批判的に再構成して、資本主義を内側から分析したもので、読むには厳密に学問的態度を要求される。読んだことのない人は、マルクス共産主義の黒幕のような狂信的で怖いイメージで捉えている人もいると思うが、レーニンのような革命家ではなく、学者肌の人だったとぼくは思っている。ただし影響力は絶大で歴史を塗り替える革命や国家の独立の源泉を作った世界史的超重要人物には違いない。ぼくが1年間だけ関わった学生運動では当然マルクス主義の世界観をとるわけだが、実践を重要視するのでレーニンの「国家と革命」をいきなり勧められたりした。また黒田寛一という革命家の理論書も「社会観の探求」とか「現代における平和と革命」などを基礎的なテキストとして学習会がもたれたりした。これまた学生運動をあまり知らず、ニュースで報道される「悲惨な」事件でしか知らされていない人にとっては、これらの本で洗脳させるようなイメージを持つかもしれない。確かに教養として勉強だけするわけではないので、究極的には革命家としての理論を身につけさせるものだと思うが、たえず自分がどう行動するかの判断を育てるもので革命家になるならないは自由なのだ。もちろんぼくはその気はなかったが、先輩にはその気があった。現在のぼくはその頃学んだことは教養として残っているわけだが、学生運動を離れて普通の社会人としてその教養が支えになっていなくもないと思っている。

 

会社に代わるプレイスは他人とのコミュニケーションが可能なシステムが必要である。その場所をどうやって見つけるかが意外と難しい。そこで思いついたのが読書会という場所であり、まずは身近なところからということで、高校の同級生とわが町の公民館のサークルで始めることにした。

高校の同級生で気のあった友達と読書会をやることにした。いざ街のコーヒー専門の(500円以上する)喫茶店で始めてみると、やや失望感が漂い始めた。彼の小説の読み方と私のでは当然のことながら違いが現れてくる。 客観的と主観的とでもいおうか、彼にとって主人公は他者であり私にとって主人公は私なのである。私の読書は作者と主人公の中に入って追体験しようとするものである。 しかし追体験しようと意志する自分は問われる必要はないのだろうか? 無となって追体験の中に没入してもよいのだろうか? あるいは読書を終えるまでは無であって、追体験で得た私の疑似体験は改めて自分を構築し直す必要があるのではないか? それは読書前の自分と読書後の自分の違いを取り出し、その様相を書くことで何かが生産されることになるのではないだろうか?

どんな名作と言われている小説であっても、自分が読むことで感じたり考えたりしたことのほうが意味があり、その小説で受けた影響に正直になることをぼくは読書の第一義に置いている。その影響を語り合うのが読書会の実質であり、自ら語ることで自分の考えを定着できる場とすることも可能だ。

 

自立とは

自分のブログを再読していくつかの記事が意欲的で、今の自分を鼓舞するところがあった。「1968年の観念」や「故郷化して世界内存在として自立する」などがそうである。今からすると、その頃が既に過去化されて現在とは繋がっていないことが分かる。その頃のぼくは立場を明確にして自立しようとする意志が持続していた気がする。自立であって、職業や肩書きに依存する思考法は取らないという矜持があった。

主宰しようとする立場まではないが、自分が引き受けるべき場所を作ろうとする意欲は読んでいて感じられる。一度踏み込んだ場所は形跡が残っており、そこに立ち続けて土地を耕すようにしたいと再び思う。

やはり小説は生きた経験(虚構を見抜く必要はあるが)に触れる手段であり、作者との対話をしている、あるいは学ばせてもらっていると捉えるべきだと思う。その上で自立を考えている。

サヨナラアイシテタヒト

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もう全ては終わっているのに

君が誰かに抱かれた時に、ぼくの吐いた言葉がよみがえったと

言ってくれたことが信じられない奇跡のよう

それは長いメールの中に書かれていた

すべてが終わったから、真実が知らされるのか

決してぼくを前にして話されはしなかっただろう

でも書かれたことはずっと残り続ける

それを読んだ時ちょっと自分のことか分からなかった

ぼくを捨てたはずの君が

今になって、

成長したというのか、

君が抱くぼくの存在は

ぼくにはぼくでないように感じる

悲しみが

本当の二人の呼吸を遠ざけてしまったのだろうか

愚かで目の前にいた君を

激しく奪おうとはしなかった

何かが邪魔をして、できなかった

君は傷つき、無情のぼくを許してはくれなかった

 

サヨナラアイシテタヒト

スベテヲワスレタイ、ワスレナイ

生きがいを求めて

何が一番つらいかといえば、生きる目標がないことだ。38年間サラリーマンとして生きてきて最低限文化的に生きるだけの蓄えと自宅を持つことができた。そのあとを何を目標にして生きていけばいいのか、答えは簡単に見つからない。退職して4年過ぎたが、未だに見つからない。就職して雇われの身になることはもはや耐えられそうにない。しかし仕事という生きがいには強く惹かれる。目標とはサラリーマンとは違う仕事を見つけることとイコールだと思える。何を仕事とすればいいのだろうか?無職でその日暮らしで、することがない苦しみの中に今自分はいる。まずそれを認めることからスタートだ。することといえば、本を読むことと、テニスをすることぐらいだ。それは仕事にならない。それは誰のためにもならないし、価値を生まない。これまで苦しまないために、そういう自分を居直ってきた。誰にも迷惑をかけずに、独り楽しんでいるのは38年間働いてきたから誰からも文句を言われる筋合いはない、と居直ってきた。ただ充実感はない。中がスカスカで手応えがなく、なんとなく寂しい思いがする。

さて、ではどうするのだ?今日午後のコーヒーをコンビニで買って、駐車場で時間をかけて飲んでから、どこへも行けずに自宅に帰ってきた。図書館に行こうと思って駐車場の空きをネットで調べてみていたが、ずっと満車でそのうち閉館の5時になってしまった。昨日読み終わった「さまよへる琉球人」を返して、ケルアックの「路上」を借りてくるつもりだった。好奇心はあるので読書熱が冷めないのが多少の救いではある。日本人だから日本の近現代史を学びたい欲求もある。何しろ学校ではろくに教えてくれなかった。例えば、大川周明A級戦犯だとしか知らされていないが、開戦後すぐNHKラジオで開戦理由を一般向けに分かりやすく講演していて、それが合理的で何ら軍国主義的でないことは、佐藤優の「日米開戦の真実」を読まなければ分からない。また戦争に突入していく頃から戦中戦後の一般国民の人生は加賀乙彦の「永遠の都」全7巻を読めば追体験することができる。今自分が生きていられるのも、戦争に命を奪われた先人のおかげだと思っている。

だから自分が生きているのはどういう意味を秘めているのかぐらいは、ほとんど義務として探求すべきだと思っている。その探求は生きがいにならないだろうか?

村上春樹と福永武彦

引きつけられるようにして今日、「ノルウェイの森」を手にとって再読を始めてみた。

直子は最初から自分が死から逃れられないと決意している事がなんとなく分かり、ワタナベ君との接し方は誰かと似ているとふと感じられた。ああ、誰だろう、、、ぼくの記憶の中を探っていくと、ああ、あれだなと思いつくものがあった。福永武彦の「死の島」に登場する素子だ。原爆症で、自殺することを決めている素子の雰囲気が似ていると思った。村上春樹福永武彦を持ち出して論じる人がいるとは思えないが、ぼくの読書範囲では同じような世界を描いているように感じられる。

考える方法

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昨日のブログの続きで、考える方法を50通り考えてみた。やってみて考えるのが楽しいことがわかった。

1. 自問自答する

2. 自己同一を見る

3. 自己との差異を見る

4. 相手の考えを推測する

5, 最後まで徹底する

6. リアルかどうかで他者を判断する

7. 起承転結を設計する

8. 疑問を解く

9. モヤモヤから離脱する

10. 問題形成をライブで行う

11. 反復の回避を行う

12. 単独者として生きる

12. 同伴者として生きる

13. 真理を追求する

14. 喪失の回復パターンを使う

15. 原因を探る

16. 孤立からの脱出パターンを使う

17. 危機の回避パターンを使う

18. 一人の哲学者と一体化する

19. とりあえずから始める

20. あれかこれかにもっていく

21. 5年後10年後にどうなっていたいかを問う

22. 公正であろうとする

23. 自分の存在を掘り下げる

24. 繋がるか閉ざすかを判断する

25. 仕事にする

26. 仕事を完了させる工程設計をする

27. 自分の人生を設計する

28. 自分の最大の過ちを深く掘る

29. 考えられる限界を求める

30. 他者性を乗り越える

31. 世界を編み変える

32. 認識フレームチェンジを企てる

33. 人生舞台設計と登場人物設計をする

34. 自分の人生とパートナーの人生の調和を図る

35. 等身大でブレずに生き切る

37. 全てを見せずにユーモアで武装する

38. 象徴的行動の設計をする

39. 戦略家を自称する

40. 自分の趣味判断で世界を作る

41. 密室の窓から外を見る

42. 思考三昧を経験する

43. ヴァレリー、ミショー、ランボー追体験する

44. 対極・究極・原点を仮設する

45. ゼロから1を始め無理なく進める

45. 今を充実させ、できる限り持続させる

46. 英文和訳を毎日行う

47. 一人の作家の全作品を読む

48. 自分の生きた過去の必然性を見出す

49. 自分とパートナーの掛け替えのなさを見出す

50. 現実と非現実の等価を実現する

欠けたものからではなく、在るものから出発する

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欠けたものからではなく、在るものから出発する____それは否定からではなく、肯定から始める、と言い換えることもできる。村上春樹の文学は「気持ちよくて何が悪い?」から始めている。日本の近代文学あるいは村上春樹以前の文学のほとんどが否定から始まったのに対して、彼は肯定から始めたと加藤典洋は書いていた。ぼくも埴谷雄高大江健三郎から自然に否定から始めていて、それがほとんど骨の髄まで染み込んでいる。だからまず自分の中に「欠けたもの」を見てしまうのだ。また現代の高度資本主義社会の競争環境では、他者との比較で能力が分析され、より強者だけが利益を得る仕組みが行き渡っている。だからささやかな在る自分の能力も相対的に劣る、つまり「欠けたもの」に意識がいってしまうのだ。

では、競争環境から抜け出して唯我独尊の世界を作ってそこに住んだらどうだろう。そんなことは果たして可能なのだろうか。自分が主人公の小説を書けばいいのだ、少なくとも擬似的には可能になる。村上春樹はそれで小説家になった、というのがぼくの説だがどうだろうか?それはさておいて、今は自分自身が「欠けたものからではなく、在るものから出発できるか」が問題なのだ。

ささやかながら自分の中で肯定できるものはなんだろうか。それは考える力、だと思える。小説は書けないが、考えたことは書くことができる。それを在るものにして始められないだろうか。いや、始める決定は簡単だが、いかにして始めるかが課題であるように思える。つまり方法こそが自分になければならない。

ぼくは相当遅い時期に恋愛を経験した。その時、正直に自分の心に聞いてみることを学んだ。それは頭で考えるのとは少し違っていた。やはり心の底の方で湧いてくる小さな声を聞くという感じがするのだ。でもそれは考えているとしか言いようがない。考えているのではないとしたら思い出しているといえるかもしれないが、それでもそれは考えている範疇に入ると思う。自分が感じたり嬉しかったり悲しかったりするのはなぜだろうと、意味を考えたりしている。本物か偽りか、本心か戯れか、言葉の裏に何かあるのか言葉のままなのか、それはどちらなのか静かに自分に聞いてみるのだ。自問自答という状態がある。恋愛は愛の自問自答状態と言えるかもしれない。それは考える方法の一形態だ。そのほかはまた考えよう。

定年後の路地散歩

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文章を書く動機のひとつとして、心地よく時間が流れてから普通の時間に戻った時に、もう一度その時間を文章の中に取り戻したいという気の起こることが挙げられる。今日の午後ふと思いついて、妻と二人で金沢の弥生地区の裏道を散歩(自宅のある野々市から金沢の有松まではバスに乗って)した。なだらかな坂道が多く狭い路地は途中で行き止まりになることもあり、1時間ほど歩いて疲れてファミマで休む。ホットコーヒーと肉まんを食べた20分ほどが、小さな幸福感を二人で共有したその時間だった。ごく手軽で身近でしかも非日常もなくはない、年金生活者で地元の人間ならではの時間の過ごし方。狭い迷路という空間の世界遺産はスペインのトレドが有名だが、金沢も戦災に合わずにすんだ街並みにはトレドほどではないにしても、古都の非日常を味わえる路地があちこちにあって貴重な遺産と言ってもいいのではないだろうか。この路地散歩は第二の人生の楽しみの一つになりそうだ。

何を読むのかについて

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先に読むことについて書いたが、読むという行為の本質を微妙に外していたように思った。読むことについては何を読んだかを経験として分析しないことには、読む行為を説明したことにならない。単に小説を読む場合だけでなく、例えば政治情勢や相手の心を読むという場合のように書かれた文章以外にも、読むという表現を使うからである。しかし、その場合も本を読む行為の比喩として使われているような気がする。本質はやはり本を読んでいる時の、読む行為を読むというのだと思われる。

ここ3ヶ月の間にぼくは連続して村上春樹の小説を読んできた。世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「ダンス・ダンス・ダンス」と「国境の南、太陽の西」と「アフターダーク」をまだ読んでなかった(それは38年間サラリーマン生活をしてきて失った自分を取り戻す作業の一つでもある)と思って読んだ。読む行為を具体的に分析するのにこの時の読んだ感じを思い出しながらやったほうがリアル感が出そうだと思う。例えば「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ時に、これが「ノルウェイの森」の前に書かれていたことに少し驚いた記憶がある。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が小説として新しいと感じたからだ。「ノルウェイの森」のヒットによって一躍誰もが知る作家になったが、それまではマイナーなというか、村上春樹村上龍を比較するような小説好きな人々の範囲にいた。ベストセラーの「ノルウェイの森」の印象から、いわば通俗小説として受け取っていた面もあるので、その前に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のような複雑な構造を持った挑戦的な小説を書いているとは思わなかった、というのが正直な感想だった。

ノルウェイの森」のヒットについて村上春樹は、発行部数が100万を超えると1、2万の頃の読まれ方と違ってくるので、逆に読者との親密な関係が壊れて孤独になる、という意味のことを語っていたが、そのことも読むという行為に関わる問題のように思える。作家が書いて伝えたいと思うメッセージが読者が100万も出来てしまうと伝わらないと村上春樹は考えているようだ。つまり、読むべきなのはメッセージなのだ。作家が長い長い時間をかけて身を削るように書いていく文章を読むことは、作者のメッセージを読み取ることであって、感動しただけではまだ十分ではないということだと思う。ぼくにとってこの4作からメッセージを読み取るとしたら、自分の固有の物語を発見して逃げずに(死んだ人の人生も引き受けて)タフに生きろという励ましだと思われる。