彷徨える初期高齢者

苦しみもがいて、62歳からの生き方を探すことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

予感の正しさ

頭で色々考えても自分のしたいことに繋がらなければ、それで終わりだ。結局実行されずに終わる。自分がこれから死ぬまでに為すことは、今の心に小さくポっと生まれ出るような蠢きとか、憧れのような動きに左右されると思う。ここのところ、テニスをめぐって小さな変化が生まれている。テニスは三十の頃にスクールに1年間通って一通り打てるようになった。マッケンローとボルグの時代だ。今は錦織とジョコビッチなどの時代だ。当然テニススタイルが異なる。ボールにスピンをガンガンかけるスタイルだ。ぼくは最近3ヶ月ほどかかってバックハンドのスピンストロークができるようになった。(ついでに言うと、一度身についた型を変えるのはとても困難なことの一つだ。)ボールがラケットのガットに擦れる感触がバックハンドの時感じるようになったら、フォアハンドでもその感じが欲しくなる。このボールがラケットのガットに擦れる感触というものが、ぼくのこころの底の方に沈殿し続けている。この小さな感触がこれからの行動に変化をもたらすことはほぼ間違いないだろう。

ぼくは吉本隆明の罵倒を信用しない

高名な左翼文化人として一般に定着している彼のイメージとは逆に、ぼくはこの人の彼に対する言葉に真を置きたい。以下、ネットで竹内芳郎氏を師と仰ぐ方のブログから引用する。

 

 

2011-05-14 16:15:14

2.1.4 吉本隆明への公開状(全文)

テーマ:竹内芳郎の思想

 
 本公開状は、『日本』誌七月号に見られる、ぼくへの吉本の弾劾文に対するぼくの方からの応答である。もともとは『現代の眼』八月号に発表予定の論文の末尾に附する目的で執筆されたが、紙数の関係で同誌には掲載不能となったので、特に新日文編集部のご好意により本誌に発表させて頂くこととなった。ぼくがなぜこういう形で彼に応答するか、またこの応答文を背後から支えるぼくの吉本批判の理論的拠点はどういうものか、については『現代の眼』八月号掲載(予定)の論文に展開して置いたので、同論文を併読して下されば甚幸である。

 ぼくに対する君の血迷った弾劾文を読して、正直のところ、ぼくは「憎悪」さえも感ずることができなかった。君にはお気の毒なことだが、ぼくの感じたものは、ただ君に対する限りなき「憐愍」でしかなかった。『高村光太郎』・『抒情の論理』・『文学者の戦争責任』など、かつてはあんなにも見事な文章を書いていた君が、とうとうこんなところまで堕ちて来たかと思うと、やはり不愍になるのが人情というものだろう。どうして君がこんなにまでなってしまったのかの理論的問題点は、『現代の眼』八月号掲載予定の論文中で多少とも触れるつもりだが、とにかく、こうした誰の目にも明らかな形でぼくの前稿の所論(『現代の眼』五月号所載)を自らいちはやく実証してみせてくれた君の無上の親切に対して、今ぼくは喜んでいいのか悲しんでいいのか何ともほろ苦い気持でいることを報告して置く。
 まず君は、ぼくがジャーナリズムの上でペンネームを用いていることを暴露し、まるで商業新聞の三面記事に出て来る詐欺犯罪者を扱う手口で、ペンネームの下に一々(こと竹内芳郎)と補い、それによってあわよくばまず実生活の面でぼくを苦境に陥れることができればとやっきになっているようだ。何とも卑劣で惨めたらしい努力だが、お相憎さま、なるほど初めのうちはぼくもこの陰険な現代日本社会のなかで闘って生きてゆく必要上やむなくペンネームを採用していた(自分の生活権を防衛するのは各人の権利だ)ものの、今では私的事情から殆どその必要もなくなり、むしろぼくの方から機会ある毎に、進んで読者に本名を明かすようにしてきている。残念ながら、君の卑劣な努力も少し手遅れだったようだ。それに、君は「二枚舌」という日本語の意味を本当に知っているのか? 小学生に物を教えるようで恐縮だが、同一人物が或るときにはAと言い、他のときにはBと言い、しかもAとBとが相反するか又は相矛盾するとき、これを二枚舌と言う。君がこの語をぼくの言説に冠したいのならば、ぼくが本名で書いた文章とぼくがペンネームで書いた文章との間で、(研究対象の領域上の区別を別にして)果してこういう本質的な乖離現象がおこっているかどうか、一度じっくり確かめてからかかって来給え。ぼくは今後とも、社会情勢如何によって、必要とあらば「二枚舌」どころか「三枚舌」でも「五枚舌」でも使うであろう。ただ君とは違って、どんな名で語ろうともそのつど真実しか語るまいと努めるつもりだ。ぼくが読者に伝えたいものは、ぼくの名前ではなくてぼくの文章自体であり、文章によって表現される真理そのものなのだから。君のようにデマまで飛ばして狂信者共を身の周りに集めることなぞ、ぼくは真平だと思っている。
 思えば君が五五、六年ごろまで日本知識人の転向を追求していたその文章には、その筆鋒がいかに烈しかったとはいえ、その頃の世評とは異り、ぼくは何一つ検事(および刑事)めいたものは感じなかった。むしろ君の苦しい闘いに、殆ど感動を覚えたと言っていい。ところがその後、君が花田を罵り、武井を叩き、梅本等々を追求し始めたとき(そしてその殿りがぼくへの罵倒だが)、ぼくはそこに明らかに君の検事的性格を看取して、心に何か冷たいものの走るのを感じた。しかも君の検事的性格は、単に他人の身元調査を執拗に追い続けるその下司な根性に在るだけではない。むしろ、そんなに身元調査に汲々としていたら当然君には解っている筈のことでも、自分の論告に不利と見れば平気で伏せて白を黒と言いくるめる厚顔無恥な態度(あたかも遠くは幸徳事件、近くは松川事件の際に検事のとった態度のような)――例えばぼくのことに関して言えば、ぼくの本名、勤務先、活動履歴などを調べ上げながら、それでいてぼくが全学連支持派から構改派に「転向」しただの、建学の精神に一言も触れたことがないだの、守るべき思想陣地さえもたぬホンヤク業者の分際だの、等々、一般読者でも一寸注意すればすぐバラすことのできる大嘘をつきながら恬として恥じないその態度――にこそ在るのだ。君が特高検事(刑事)に転業し、思想言語を専ら暴力の手段と化して、何一つ権力と資本の庇護をもたない、それどころか組織の支えすらもたない孤立した左翼知識人を、その生活の根から扼殺してかかろうと必死になるのは君の勝手だ、だが、それならばもう、「わたしは自分に家系のないことを誇りとしている」なぞと「しゃらくさい」口を利くことはよし給え。今こそ明白となったのだ、君の祖先が戦争中のあの無恥にして残虐な特高検事であったことが。君が小林多喜二など、特高検事によって獄中で惨殺された人々を、「恥づべき非転向者」の一語をもって戦後もう一度惨殺しようと試みたその深層の心理も、これでやっと読めた。ぼくならば何度殺されても、君のように特高検事なぞに生れ代りたくはない。それ自身どんなに大きな欠陥を蔵していたにせよ、小林多喜二野呂栄太郎など、戦前戦中の非転向者の惨死を心の底に深く秘めて、今後とも生きてゆきたい。だが、ここまで来れば、同世代に属しながらぼくが君とどんなに違う戦争体験をなし、それに基づいて戦後を生きて来たか、少しは語って置く必要があろう。君は「別の機会に中原に対する徹底的な批判を行う」と約束しているから、そのときに多少とも役立てば幸いだ。以下に記すことは、すべて証拠物件を挙げよと言われればいつでも挙げられる底のものばかりだから。尤も、君は評論家と検事(刑事)との「二枚職」(?)のようだから、論告に不利だと思えばとり挙げないかも知れない。だが、そういつもいつも読者を欺いてばかり居られないことぐらいは、心得て置いた方がいい。
 思えばもう廿年以上も前のこと、ぼくも君と同じく十代後半の青春時を、あの苛烈にしてかつ陰惨な大戦争のさなかで過していた。君も知る通り、あの頃には一切の社会科学的知識が完封されていたので、この戦争が一体どんな性格のものかを正しく見抜く方途は、ぼくらから完全に奪われてしまっていた。だがぼくは、この戦争が人間精神一般に対する理不尽な凌辱にすぎず、わが民族の過去から身につけてきた汚辱の結晶体でしかないことを漠然と直観するぐらいの知的訓練は、すでに己がものとしていた。だが、そんなことを直観していたからと言って、徴兵を真近に控えた幼いぼくに一体何ができたであろう。ぼくが一度は尊敬し、確実にそこから影響を受けたと信じていた当時の日本の著名な思想家たちも、戦争が進行してゆくにつれて、殆ど悉く戦争賛美の文章を美文に托して記っていた。ぼくはついてゆけず、彼らと訣別してひたすら自己自身のなかにたて籠った。それに、ぼくをとりまくぼくと同世代の若者たちは、ちょうどあの頃の君と同じ無智でかつ兇暴な右翼ファシストの卵か、でなければひたすら要領のよい「面従腹背」の立身出世主義者、君の言う「近代主義者」の卵か、その何れかばかりだった。バカ正直に時代の暗さを暗さとしか感じられないぼくのような青年は、必然にニヒリズムに陥るより他はなく、そのニヒリズムの底からぼくが自分の唯一の支えとして見出したものは、わずかに親鸞の優しい信仰だけであった。この信仰に導かれてまずぼくがとった第一の態度は、たとえ兵隊にとられても一切の特権はこれを拒否しよう、将校になることだけはあらゆる手段を講じて逃れ、あくまで一兵卒として死んで行こう、ということだった(ぼくは中学四年修了で高校に入学し、高校は当時二年半に短縮されていたので、廿才に達するまえにすでに東大法学部に籍があり、そしてここに籍のある者は、入隊後も実に豊かな特権享受の可能性を約束されていた)。もちろん「懲兵拒否」も、しようと思えばできたのかも知れない。だが、ぼくにはこの行為は、何か卑怯で不潔なもののようにみえてならなかった。そこでぼくは、すでに敗戦の色濃い四四年の秋、『歎異抄』から書き抜かれたささやかな一文を軍服の「物入れ」の奥にそっと忍ばせて、「にこにこせずに」、「神経症的な眼つきをして」、遠い中国の戦場に赴くこととなった。君の仲間の理科生の学友たちが、その特権のゆえに徴兵を逃れて「にこにこして」いるこの内地を後ろ手に見ながら――
 ぼくが軍隊の中で、一初年兵として一般庶民と交わって生活したそのくさぐさの体験を、今逐一報告している余裕はないし、それに第一、この部分には今ではもう物的証拠の裏づけがない。だからここでは、次の二つの事項だけを記すに留めよう――第一に、ぼくがここで初めて知った日本庶民の実相は、今君がしきりに「あるがままの大衆の原像」という呪文でもってのっぺらぼうに実体化しているものとはまるきり違って、生活的にも倫理的にも、もっと遥かに立体的に構造化された、多様かつ可塑的なものだったこと。第二に、君のいわゆる「近代主義知識人の俗悪な典型である」ぼくは、君にはお気の毒な話だが、奇妙なことに、かつて東大法学部の立身出世主義的学友たちの間で孤立したようには、そして今アカデミズムやぼくの学校の同僚の「ホンヤク業者」たちの間で孤立しているようには、決して孤立しないで済み、それどころか、その後再び経験することのなかったような親密な交歓を得ることができたこと。とは言っても、こういう庶民の間での個別的交歓の思出とは別に、長年この中国の野戦で殺戮・強姦・略奪を恣にしてきた帝国陸軍の組織としての兇暴さ・陰惨さはまことに凄まじい限りであって、この凄まじさにぼくのひ弱な肉体と神経でもって堪えてゆくのにどれだけの辛苦を要したか、それを君なぞ右翼ファシストに聞かせてやっても始まるまい。幾度か自殺しようと思いつめ、時には自己自身の選択を悔むまでにも堕落したが、何れにせよもうすぐ死ねるのだ、もうすぐ「浄土」に赴けるのだとの思いに支えられて、結局初心を貫いたまま最下級の一兵卒として生還することができた(但し、生還ということだけはぼくの予定にはなく、したがって初心に反したわけだけれども)。
 戦後のぼくの歩みを、こんな調子で続ける余白はもはやない。詮じつめれば、それは旧日本知識人の全面的敗北の明確な認識から出発して、新たに真正な知識人として自己を確立するための苦闘だった、とだけ語って置こう。ぼくは戦後、幾度となく己れの戦争体験にまでたち帰り、そこからこうした路線を自分に課したわけだが、ぼくの非力・怠惰・無能から、未だに道遠しの感を抱き続けているのはお恥しい。だが、ぼくが竹内名で行っている西洋思想研究は、厳密にこの路線の枠内に収められて施行されていることは確かであり、それをしも君が単純な「近代主義」だと誤認するならば、君はよほど重症の精神盲だと言わねばなるまい。つまり、ぼくが戦後まず西欧思想研究に手をつけたのは、別稿(『現代の眼』八月号)で論ずる通り、この国で真に思想の名に価する思想を形成するためには必ず外からの思想注入を媒介とせねばならぬその限りでのことにすぎず、したがってぼくは、西欧思想を己れの裡に血肉化してゆく過程で、一度だって自己の身を置くこの日本的現実との厳しい対決を忘れたことはない。その成果をどう評価しようとそれは君の勝手だが、とにかく、この一点でぼくが単なる「ホンヤク業者」とも「近代主義者」とも撰を異にすることは明らかだ。実際、ぼくが単純な「近代主義者」=西欧思想研究者たることを自ら拒否したればこそ、ぼくはアカデミズムの中で育ちながらも忽ちそこから徹底的に追放され、(ぼくは在学中、研究室荒しを主導したのみか、自分の尨大な卒論の到るところに、旧日本哲学者共への悪罵を鏤めて置いた)、こうして卒業後十数年にもなるのに専攻学科によってはどこにも講座をもつことができず、僅かにぼくの反逆的生き方を支持してくれた一友人の尽力と、ぼくに憐愍の情をかけてくれた他学科の一教授の「お恵み」とのお蔭で、今しがない一介の語学教師として生計を営んでいるのだ。つまり、ぼくが大学に勤務しているのは、君が会社に勤務しているのと同じ意味しかもっていないわけだ。一体君は特高刑事として、ぼくが卒業後一貫してアカデミズムのボス共のあらゆる白眼視に堪えながら苦闘して来たことの調査さえつかなかったのか? ただぼくは、こうしたことを「私怨」として表現することの無意味さを知っており、彼らに復讐する道は唯一つ、アカデミズムの中でぬくぬくと生きている連中には絶対やれぬ仕事を客観的な作品として打出すだけだと心得ているのだ。君が妙なコンプレックスを捨てさえすれば、及ばずながらぼくも君と同じ目標を追うて苦闘してきた(たとえ辿った道はまるで異っているとしても)こと、またそれゆえにこそ二人ともひどく孤独な存在にしかなり得なかったことが、君にも解って来ると思う。たとえ戦争体験が正反対だったとしても、そこからこそ一切の思索(または存在仕方)を汲み出して断じてひるむまいと決意してきた点では二人は同じであり、それゆえぼくは戦後十年間ほどの君の仕事を高く評価し、「個人的には深い敬意を払っている」と書いたのである。
 だが、ぼくの目からするとき、君はスターリン批判、ハンガリー事件以後、とりわけ安保闘争以後、決定的に誤った道に踏み込んで行った。問題の焦点は、前稿(『現代の眼』五月号)でも記した通り、日本左翼知識人の堕落への反撥の余り、君が戦後一旦は苦悩の裡に否定した戦中の己れの農本主義ファシズムイデオロギーをそのまま自己肯定するようになり、「大衆の原像」とやらの空想的理念のもとに極端な聖化を開始したところに在る。その愚劣さの理論的解明は別稿(『現代の眼』八月号)の方に譲ることとして、ここではただ、ぼくに対する君の罵倒に直接関わる点についてだけ、君の度し難い蒙を少し啓いて置いてやろう。つまり、一言で言えば、ぼくが公共の場で私怨を私怨として語ることを峻拒するのは、君がかんぐっているような、私情に対する「日本知識人」の恐怖または軽蔑、あるいは禁制(タブー)によるものでは断じてない、ということだ。私怨、大いに結構、但し私怨は私怨らしく私的な場で晴らさるべきであって、苟くも公器である活字などをそのために私用すべきではない、というだけだ。公けのものたる思想言語はやはり公的にのみ活用されるべきであって、例えば君が「現思研」でのぼくの質問を「異常に幼稚な質問」ときめつけるとき、一体それにどんな生産的意味があると言うのか。正直を言えば、あの折ぼくが君に感じた印象もまさに君と同じで、吉本ともあろうものが何て「異常に幼稚な」報告をするのだろうと、内心驚いた位だ。だから勝負は五分五分なわけで、ただ両者の相違は、何の客観性ももたぬこんな私情を活字にして公共化するふしだらな精神を己れに許容するか否か、ということだけだろう。一体君は本当に公私峻別することが日本知識人の因襲的反応で、公私混淆することが革命的なことだと信じているのか? だとすれば、上は大臣から下は下級官吏に至るまで、公私混淆を旨としてきた代々の日本官僚制、ひたすら「私情」をもって大学の公的人事を運営している日本アカデミズムの泥沼ほど革命的なものはないわけだ。君が「大衆」と「革命」の美名に隠れて擁護しているものが、実は日本社会の中の最も醜悪な恥部でしかないことが、これでもまだ解らないのか。それが解らず、いつも公私混淆し、己れの私的体験をそのまま無媒介的に公的・普遍的理論として打出して来るからこそ、君の最近の言語論・国家論・家論も、その並ならぬ努力にもかかわらず、一部の狂信者を熱狂させるだけで、真に客観的な科学的検討に堪え得ないものになってしまっているのだ。今からでも遅くはない。少しは自己規制し、己れを客体化して眺める術を習得する方が、身のためというものだろう。
 最後に一つ、君に確かに約束して置こう。現在、反動イデオローグは「夕暮れの星の数よりも少い」なぞと、君がどんなに大ボラを吹こうとも、日本独占資本はあきらかに帝国主義的復活の道を歩んで居り、それにしたがって社会の支配的イデオロギーも、あきらかに反動化し軍国主義化しつつある。いつ破局に達するか予料はできぬが、しかし、ぼくのような戦争体験をした者には、これ以上は退けぬ一線というものは既に確立されて在る。ぼくは一度は心ならずも日本帝国主義の手先となって、無意味に死すべく宿命づけられていた。偶然によって生き延びた戦後のぼくの生はいわば余生。今度こそぼくは明晰な意識をもって自らの死を自由に選ぶ権利を手にしている。今、右翼イデオローグと結托して頻りに左翼を罵倒している君や君の狂信者共が、やがてファシズム国家権力を背景に日本全左翼の扼殺のために起ち上がったとき、どんなに日本左翼が「堕落」していようと、そんなに日本共産党が「堕落」していようと、ぼくは躊躇なく彼らと共に君らファシスト対して死を賭して闘うだろう。ぼくは君と違って、どんなに私的には名も顔も知り合っていない人達とでも、それどころか個人的にはぼくを憎んでいるだろう組織(例えば日共)とだって、共通の政治・思想敵を前にしたら生死を共にするぐらいの覚悟はできている。それがどんなに辛いことであっても、これがぼくらの現に生きている現代政治世界の非情な現実なのであり、これから逃避して君のようにベタベタした心情的レヴェルでしか人間の連帯を発想できないような連中は、せいぜい右翼反動テロリストの血盟団的小集団しか組織できぬであろう。それもよかろう。とにかくそうなったらもう言葉は必要でない。武器だけが必要だ。思えば戦後、ぼくが最初に感動したものは、(不完全な情報だったが)ファシズムに対して馴れぬ手つきで銃を手にして闘ったヨーロッパ知識人の、絶望的なまでに果敢なレジスタンスのイメージであった。安保闘争の最後の幕切れの折、国会前の冷々したアスファルト上に坐り、白々と明けゆく暁の空を眺めながら頻りに思ったことは、どうして日本人民はいつまで経っても武器を手にする術を覚えないのだろうか、ということだった。ぼくの習得したものは旧式な三八式歩兵銃の操方でしかないけれども、とにかくぼくはもう一度銃を手にして、今度は意識した一兵卒として死んでゆきたいと思っている。血迷った転向ファシスト吉本隆明、こういう新たな型の戦後左翼知識人も生れつつあることを銘記して置くがよい。

サルトル読解のために

存在と無」理解の一助にするために、日本サルトル学会から以下を引用する。「形而上学」の独自の使い方に興味を持った。

 

第42回研究例会
日時:2018年12月8日(土) 14 :15~
場所:立教大学 5号館5209教室

研究発表
赤阪辰太郎(大阪大学
「『存在と無』における形而上学について」

赤阪氏は『存在と無』の現象学存在論の根底でその経験を支えている次元、すなわち形而上学はどうなっているのか、という関心から、前期サルトルの著作を読み解いた。
赤阪氏はこの作業を進めるにあたって、哲学的著作のみならず、文芸批評も考察の対象に入れる。というのも、サルトルは文芸批評を執筆する際、著者の形而上学に着目するという手法をしばしば採用していたからである。赤阪氏によれば、サルトルは、〈ひとは各々の形而上学をもっており、その形而上学はその主体のありかたに相関して形成される〉と考えていた。したがって、その人の形而上学を明らかにすることは、当人の主体のあり方を明らかにすることにつながるのである。
 今回の発表では、赤阪氏は「形而上学」という語の用法を3つの点にまとめた。
第一に「所与の解釈を歪める思弁としての形而上学」である。この意味での用法は『想像力』に見られる。サルトルは心理学者たちを批判する中でこの「形而上学」という語を使っていた。サルトルはそこで、心理学者たちが自分たちの形而上学を無批判に採用し、それをもとに経験的所与の解釈を歪めている点を批判していたのである。
第二の用法は「文学的地平における形而上学」である。文芸批評を執筆する中で、サルトルは、小説作品から読み取れる形而上学は作品内の要素に統一性を与える原理として活用されるべきだ、という考えをとっている。これは小説作品においては形而上学と技法が一致すべきだ、という規範的な考えともいえよう。赤阪氏はさらに『文学とは何か』などの著作を読み解きつつ、作品の形而上学は、作家が置かれた状況への応答でもある、と述べた。
最後に赤阪氏は、『存在と無』に見られる用法として、「根源的な偶然性を語る論理」としての形而上学、という用法をとりあげた。赤阪氏はここで形而上学を、一種の「問いかけをし、答えを引き出す手続き」として解釈する。ここで赤阪氏は、サルトルの「形而上学」という言葉づかいを分析するというよりは、『存在と無』を直接読解し、サルトル自身の形而上学を明らかにしようとする作業に踏み出すのだが、今回の発表ではこの部分の作業はまだ不十分なままにとどまっていたように思われる。現在執筆中の博士論文では、『存在と無』での「形而上学」の用法をより詳細に分析し、サルトル形而上学観が明らかにされるだろう。
前期サルトルにおいて、「形而上学」という用語の使い方はたしかにいろいろと揺れが見られるものであり、その言葉づかいのぶれを分析することは、前期サルトル理解に多いに資する作業となるだろう(報告者としては、とりわけ「サルトルフッサール現象学をどう受容したのか」という観点からこの作業を進めることは、サルトル現象学観を理解する上で非常に重要な作業だろうと期待している)。また、文学批評などとつきあわせながらその形而上学観を考察しようとするチャレンジングな試みについては、当日の質疑の中でも期待が寄せられていた。赤阪氏の今後の博士論文に期待したい。(森功次)

「荒野のおおかみ」を読んだ

自分の分をわきまえて生きることが真実の生き方だと思う。昨日ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」を読了した。あまりにも自分を偉大なものとしすぎて、狂気の自由に生きようとしたと、今なら落ち着いていうことができる。作家は自分の経験と精神を使って世界を作り上げないといけないから、常識に止どまることができないのだ。壮大な妄想ということもできる。ただ紙の上のことで言葉を尽くして世界を作り、人物を動き回らせる。ただ文学としての技法は芸術的で、ほとんどの読者は魅了される。

トーマス・マンはこの作品を実験的な大胆さにおいて「ユリシーズ」や「贋金づくり」に劣らないと評した。ぼくはといえば、実験的な大胆さは認めるが、あまりにも孤立していて反社会的であり(「車輪の下」しか読んだことのない読者は度肝を抜かれるかもしれない)、ラディカルではあっても虚しさに付きまとわれていて、やはり文学的な影響力は2作に及ばないと感じられた。何しろ「ユリシーズ」は伝統を踏まえているので、影響力も大きい。また同じように娼婦が登場してもドストエフスキーの娼婦のような存在感まではない。(これは時代の差かもしれないが)

デミアン」には多くの自国民が第一次大戦後の自己喪失感からの回復を読み取ることができたが、「荒野のおおかみ」の反逆を受け止めるには、ずっと時代を下ってヒッピーの出現まで待たねばならなかった。ぼくが思うに、文学には民衆の支持が必要なのだ。最後の長編小説の「ガラス玉遊戯」はノーベル文学賞によって支持された。

3年前の今日の日記から

次回読書会のための友人への手紙

返事が遅れてしまいました。読書会の課題本を何にするか、またその選定理由は何かを考えていて遅れました。課題本はほぼ「デミアン」でいいだろうと思うのですが、理由はなかなかうまく言い当てることができません。
漠然と思うのは、前回の星の王子さまは第二次大戦中のフランスという背景で書かれた子供向けの普遍的小説であったのに対して、デミアン第一次大戦後のドイツで敗戦と戦争の傷跡の残る精神状況を立て直す、青年向けの回復のための小説という「対比」がどうかということです。

その頃、シュペングラーの「西洋の没落」がベストセラーにもなったように、ドイツばかりではなくヨーロッパが相当の危機感に陥っていたはずであり、ナチズムを生む原因にもなった危機意識からの脱却は現代の我々にも十分アクチュアルな課題になると思います。

戦勝国のフランスでは没落からの回復という意識はあまり形成されなかったのではないかと考えられます。レジスタンスは自由を勝ち取り、祖国を守るというある意味健全な意識のもとにありますが、ドイツは自由ではなく、何か民族的な観念につきまとわれるところがあるような気がします。

それとドイツはヘーゲルやカントなどの哲学の国であり、自我や精神を普通の社会生活よりも上に置かれる気風があるような気がします。その辺りは日本にも通じるところがある気もします。同じ敗戦国でもあるし、天皇制や武士道の国というところにも、精神の優位の気風があると感じます。

そのような背景を思い描きながら、もう一度デミアンを読んでみるのも一考だと思います。

2年前の今日の日記から

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次回の読書会の課題本をシェイクスピアの「テンペスト」にしようと思う。世界文学でこれまでの読書会でどうして取り上げなかったのか、ぼくの中でなんとなく疎遠な感じがしていたのだと思われる。 小学校低学年で演劇の授業があって、クラスだったか全学年だったか忘れたのだけれど、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」をやることになってぼくはセリフが一回だけの陪審員の役だった。そのことのつまらなさ(端役に過ぎなかった)の思い出が、ぼくをシェイクスピアから遠ざけていたのかもしれない。 
その時のヒロインのポーシャ役がクラスで一番可愛くてしっかりしていた志授生(しじゅう、この漢字だったか?)さんだった。それは何となく甘い思い出の感じがある。今までイギリスはなかった(アイルランドはあったが)ので16世紀のイギリスを知るきっかけにもなっていいと思った。

存在から詩が生まれる

どうしたら気力がみなぎっている状態になれるかを考えて、その状態にいつでもなれるようにしたいと、これまで何度も試みているがうまくいかない。少し前、ああ今は体に気力がしっかりついているな、と感じていた。そして、今その状態を書き留めようとして書き始めてみると、もう幾分かは気力が引いてしまっているのに気づく。

満たされていて、特に何かをするわけではなく、ただいつもの部屋にいるだけなのに「包まれている」感じがする。もう一度その感じをつかもうとすると逃げていってしまう。自分の中に入っているという表現もそれに近い感じだ。しかし自分に閉じこもろうとしてもだめなのだ。

あの体の感じのまま、もしずっと過ごすことができたら、その状態で死ぬことができたらどんなにいいだろうと思うほどなのだ。死ぬことも怖くないと思わせるほど最高の状態で、充実して落ち着いていられる。心身ともに健康な状態なのは確かだろうし、体と心が完全に一致しているとも言えるかもしれない。多分書き留めてもだめなのだろう。言葉に置き換え不能なのだ。しかし、確かに存在していることは否定しようがない。

あの感じと似たような雰囲気を過去のどこかに求めようとしてみると、その一つにぼくの中学生の頃の部屋の中にその雰囲気がある気がする。思い出すのは、サイケデリックなイラストのある雑誌などを見ながらサインペンで描いたものが壁にピン留めされている部屋だ。油性ペンで輪郭を取り、黒い線で囲まれた中を水性マーカーでベタ塗りしていく。宇野亜喜良というイラストレーターがいたが、その人の絵は幾分似た雰囲気を持っているが、流石に洗練されすぎている。

何かを夢見ている状態かもしれない。意識がはっきりしてくる前の「未然の」少年の夢のような、、、芸術ほどのきびしさには馴染まない、イノセントな世界。宮沢賢治の童話の世界や星の王子さまのような透明感とは違う。人の世界よりは宇宙や鉱物の世界のような感じがする。はっきりしてくるのは、もはや小説の世界ではない、ということだ。むしろ詩の世界だ。

ふとひらめいたのだが、詩は今求めているような感じとか、雰囲気とか、体に感じる気力とかをコントロールできる言語形式なのではないだろうか?

もしそうだとしたら、何かぼくの中にあるものを詩で表現できるかもしれない。ボードレールは自分の中の情動と象徴的なものを「照応させる」と言っていた。ランボーは言葉の錬金術を詩で試みた。ぼくにもできるかもしれない、、、

友人を失ったかもしれない

文学、といっても小説のことをどう捉えるかで、ぼくと彼は違っていた。その違いはこれまで何ら問題とはならなかった。それがつい最近お互いがもう受け入れがたいほどまでに距離を置くことになるとは全く想像していなかった。最初は小さなほんとに趣味の違いぐらいのことだったのに、どうして決定的な問題までに進んだのか、それが明確になるまで随分時間がかかった。といってもぼくの側だけに進行しただけかも分からず、お互いどうなのかを改めて確かめる気も起こらないのだった。

小さなことか、大きなことかは小説にかける愛というかこだわりの深さに関係している。きっかけは彼が金沢文芸館で主催している小説創作教室に通って、初めての自作小説を書き上げ、それをぼくが頼んで見せてもらったことから始まった。

 彼にとって小説は自己表現なのだが、その自己をあまり追求することなく正当化する手段として使っているようにぼくは感じた。そしてそれをその通り感想として伝えてしまったのだ。彼は高校の教師として、ぼくがサラリーマンとして過ごした期間を幾分かの葛藤を抱きながらその職業人生を全うしていた。小説はその高校という職場が設定されていた。学校と家庭とどこかの出版社とバスの中とどこかの高速道路の駐車場などが場面として出てくる。

小説は何かが過ぎ去ったか、成就したか、結果が出たところから遡って語り始めることが多いようにぼくには思われていた。少なくとも書き手にはそれが掴まれていて、それをどう語ろうが小説中の設定に沿って書き進められればよい。ところが友人の彼の場合、書き手自身に結果の何かが掴まれていないのではないかと疑問が湧いてきた。小説の中で未完に終わることに必然性があれば、それまで小説の登場人物は生きてきたことになる。でも書き手自身の中に未完の部分があるのは小説全体を生きたものにするエネルギーが不足すると思う。

書きたいことがあるのに書ききれなかったのなら分かる。しかし書きたいことが十分に自身に掴み取られていないのなら、それをまず明らかにすべきではないだろうか?小説中にその追求の過程があってもいい。しかし、そのそぶりもないのだったら自己正当化のために書いたと疑われても仕方ないのではないだろうか? しかし、そのことは友人に伝えるべきではなかったかもしれない。ぼくは彼から憎まれてしまったようだった。

Love minus zoro

ボブ・ディランの歌詞に初めて出会う。こんなにも闘う詩人だったとは、今更に気づく自分が情けなくもある。ぼくの気づきでは、最後の方のカラスは「カフカ」のような存在で、それは「海辺のカフカ」に出てくるカラスに通じている、、、

 

My love she speaks like silence,

ぼくの恋人、彼女の口調は静寂のよう

Without ideals or violence,

理想も激しさもなしに語る

She doesn't have to say she's faithful,

彼女には自分が誠実だなどと言う必要もない

Yet she's true, like ice, like fire.

それでも彼女は誠心誠意

まるで氷のように、炎のように

People carry roses,

人々は薔薇の花を届け

Make promises by the hours,

一時間ごとに誓いを立てる

My love she laughs like the flowers,

ぼくの恋人、彼女は花のように笑う

Valentines can't buy her.

どんな褒め言葉も彼女をおとせない

In the dime stores and bus stations,

雑貨屋やバス停で

People talk of situations,

人々は時代について語り合い

Read books, repeat quotations,

本を読んでは引用を繰り返し

Draw conclusions on the wall.

壁に結論を書きつける

Some speak of the future,

将来を語る者もいる

My love she speaks softly,

ぼくの恋人、彼女の語り口はものやさしい

She knows there's no success like failure

彼女にはわかっている 失敗ほどの成功はないのだと

And that failure's no success at all.

そして、失敗はまるで成功などではないことを

The cloak and dagger dangles,

外套と短剣がぶらさがり

Madams light the candles.

ご婦人方がキャンドルに火を灯す

In ceremonies of the horsemen,

騎手たちのセレモニーでは

Even the pawn must hold a grudge.

一介のチェスの駒でさえ恨みを抱いている

Statues made of match sticks,

マッチ棒でできた像が

Crumble into one another,

バラバラに崩れ落ちる

My love winks, she does not bother,

ぼくの恋人はウィンクする、彼女は気に病まない

She knows too much to argue or to judge.

彼女は、

言い合ったり、裁いたりするのには

あまりにもものがわかりすぎている

The bridge at midnight trembles,

深夜の架け橋が震えている

The country doctor rambles,

田舎医者はそぞろ歩き

Bankers' nieces seek perfection,

銀行家どもの姪たちは、完璧さを求め

Expecting all the gifts that wise men bring.

賢い男たちからの贈り物を期待する

The wind howls like a hammer,

風はハンマーのように唸りをたて

The night blows cold and rainy,

夜は寒さと雨を吹きつける

My love she's like some raven

ぼくの恋人、彼女はまるでカラスのよう

At my window with a broken wing.

ぼくの窓辺で折れた翼で

  Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞

 

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(公論)憲法を変えて、制服組幹部を国家機構の中枢に位置付ける

以下、2016年3月26日付けの「リテラ」より転記。

 

安倍首相が防衛大卒業式で自衛隊を「私兵」扱い…裏では任官拒否者の隠蔽工作自衛隊皇軍化”も進行中

そこで安倍はとんでもない計画を進行させている。それはズバリ「自衛隊皇軍化」だ。これはどういうことかというと、自衛隊の制服組トップである統合幕僚長陸上幕僚長を任官にあたって天皇の認証が必要とされる「認証官」へ格上げしようというのである。集団的自衛権の行使容認や自衛隊の「国防軍」への転換などを見越して、制服組幹部を国家機構の中枢に位置付ける狙いがあるというのだ。先の防衛省担当記者は言う。

「これは降って湧いた話ではありません。安倍さんを筆頭とする右派議員が『制服組の地位向上』として以前から目論んでいたことです。防衛省の内部文書には『国家としてその職責に見合う名誉を付与することが必要』と明記されており、集団的自衛権の行使容認とリンクしていることは間違いありません。幹部が認証官になることで自衛隊の政府内での権威・発言力が大幅に強まるばかりか、現行憲法下での天皇=象徴、自衛隊専守防衛の関係を乗り越え、天皇の権威を自衛隊に直結させる非常に危険な思想といえます」

現在、認証官は首相を除く国務大臣副大臣内閣官房副長官(政務・事務)、特命全権大使宮内庁長官最高裁判事などで、これに陸海自衛隊の最高幹部である幕僚長や陸幕長を加えようという話だ。実現すれば、防衛大臣自衛隊幹部が「天皇の認証」という意味で形式上、同格になる。

軍人と天皇が直結するとどうなるか。これは大日本帝国憲法下で「統帥権の独立」をたてに陸軍大臣海軍大臣を無視して陸軍の参謀本部、海軍の軍令部が暴走したのと同じ構図といってもいい。まさに自衛隊皇軍天皇の軍隊)にしようという動きともいえる。このままいくと軍事が政治に優先する危険すらある。

実は、自衛隊における制服組(軍人)優位の動きは安倍政権下、すでに国民に見えない形で着々と進められている。自衛隊の運用に関する意思決定についてはかつては内局官僚(背広組)が自衛官(制服組)より優位にあるとされてきたが、昨年6月の防衛省設置法改正で「文官統制」制度が全廃され、背広組と制服組が対等になっている。さらに具体的な作戦計画策定についても、制服組が背広組に大幅な権限移譲を要求しているという。安倍が望む“戦前回帰”がすでに現場レベルで進行しているというわけだ。

幕僚長、陸幕長らの認証官問題はまさにこの流れに沿ったものなのだ。

軍人の地位を高めるために安易に“天皇の権威”を利用しようとする安倍のやり口は、保育士の地位向上に叙勲を持ち出すのと同じアナクロな精神構造だ。新安保法制の施行で自衛官の戦死リスクは確実に高まるにもかかわらず、殉職自衛官の遺族に対する経済的補償を充実させるわけでもなく、天皇の政治利用でごまかそうとする。

こんなことを続けていたら、そのうち、安倍が「私の軍」と思っているその自衛隊の中から安倍批判の動きが出てくるかもしれない。
(野尻民夫)

マルクスとシュンペーター

知性や想像力が生み出すものは、たいてい時とともに空しく消え去る。宴が終わって1時間もすれば、世代が変われば、消えてなくなる。だが、中にはそうでないものもある。輝きは失うが、また蘇ってくるのだ。しかも、文化遺産の目に見えない要素としてではなく、その人の装いが見え、その人の心の傷に触れられるような形で甦ってくる。そうしたものを、偉大なものと呼んで差し使えないだろう。偉大なものを生命力と結びつけるこの定義にまったく不都合な点はない。

その意味でマルクスの預言が偉大であることは間違いない。

_________「資本主義、社会主義、民主主義」ヨーゼフ・シュンペーター