1968病

20世紀後半の最大にして奇跡の熱い年、1968年がいつまでも忘れられず、どこまでも魅力をつなぐ。そして今なお歴史を遡行しての発見がある。

文学を捨てて世界を知る

文学の成立を人間性の中で解明しようとする時、「弱さ」が根本にあるという直感がある。「弱さ」の徹底的掘り下げにはある種の強さは認めるが、それは強さの掘り下げとはやはり違うものになるはずだ。「弱さ」には真実をそのまま受け入れるという覚悟が足りない気がする。実もフタもないむき出しの真実が目の前に現れてたじろがず、大地にしっかり立ち尽くすには文学ではあまりにも懐が深すぎると感じる。生か死かしかない現実を壊して、夢とか死後の世界とか想像力を持ち出してきて新たな現実を作るのが文学だ。いかにファンタジーにリアル感があろうと砂上の楼閣であって、客観的数字によって再現性が保証される世界ではない。ある人たちには真実であって、別の人たちには真実ではないというのでは、そもそも世界が成り立たない。自分を戦わせ自分の限界を知るには、世界という厳密な、あえて言えば資本主義社会の網の目の中に自分を置く必要がある。その世界を認識できなくてはならない。想像力ではなく、学としての把握が必要とされる。65歳の誕生日をもうすぐ迎えようとする今、ある覚悟が自分に迫ってくる。それは瞬間的にして永遠なるものだ。

書く視点とはどこか

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ぼくはどういう視点から書くかの存在論を問うてみたいと最近考えるようになっている。それは書くという行為には何か哲学的な課題がありそうだと思っているし、文芸評論や時事的な考えを情報発信する行為とは違う、もっと誰でもが本来することが求められるような行為として、多くの日本人が自分を語るようになってほしいという期待もどこかにある。文筆を職業とする人たちの書くことではなく、素人で書くことの内容が定説や通説と合っているかどうかとか、特定の世論に与するものかどうかなどの視点ではなく、自分を自立した個人として成り立たせるために書くという視点を問題にしたいのだ。

自立とはどういうことか、抽象的な世界で自分を持つということも含まれているし、歴史的、社会的に要請される判断について(例えば憲法についてとか、人権や主権にかかわる問題とか、公教育にかかわる問題とか)自分の考えを持つということも含まれる。要するに職業的利害関係から離れて個人の資格で、無名であることや無力感に抗しながら、どこに自分の存在を位置付けるかという問題なのである。これはやはり哲学上の課題であるのではないだろうか?必ずしも哲学のプロの人たちの課題ではないのかもしれないが、一人一人の個人にとって切実な課題だと思う。

さっき車の中でFMラジオを聞いていると、ユーミンがゲストとなって例のアルバムについて語っていた。長寿ならではのコンサートツアーをやると、ぼくと同い歳のユーミンならではのコメントを語っていた。最後に「あなたにとって挑戦とは」の問いに対して「毎日です」と答え、「Mですか」というと「Mですよ、でもそれは自分に対するSでもある」と応じていた。作詞もするだけあって知性を感じさせる応答だった。それはぼくたちの時代だからこそというのもある、とぼくは心の中でつぶやいた。

世界の片すみでぼくは書く

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ぼくが小学生だった時に読書感想文を書くのは苦手だったように思う。いやそればかりか、作文そのものがどう書いていいか分からなかった記憶がかすかにある。夏休みの日記なら一日をどう過ごしたかを順番に書くか、一つの出来事について書けば良いのであまり悩まなかった。でも作文になると自分がどうしてそうしたかや、感じたことや、子供らしい考え方を書かねばならないというプレッシャーを感じた。

何かが必要で、それはぼくという人間が書いたものの中に登場しなければならなかった。ぼくは生来シャイだったから、その時もぼくは、、、と書き出すのがとても恥ずかしいことのように感じたのかもしれなかった。いったいこんな事を思ったのかも怪しいのに、書くのはためらわれたのだ。本当は書くことによって思うことが確かになるのだ、ということには気づけるはずもなかった。

ぼくの周りにはぼくみたいにブログに何かを書き付けるような人はいない。FBに短いコメントを書いて、プライベートな写真を平気で掲載する人はいっぱいいるのに、どうしてか分からないが、ぼくはとか私は、、、というふうに書き出すことはしないのだ。世界に向かってとはいかなくても、世界の片隅でぼくはこう思う、と書かないのはいったい何が邪魔しているのだろうか?

再び書くこと

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ぼくが書くことに関心があるのは、書くことで自分がはじめて存在できると考えているからだ。書かないうちはただ生きているだけという状態であり、ぼくはその状態のままでいることに耐えられないと思っているからだ。他人のことは本当はわからない。書かないで当たり前に家族や友人に取り囲まれて幸せに暮らしている人たちがいるとは思うが、その人たちと自分を区別したりしたいわけではない。ただ自分を書いたものの中に存在させることの独特な感じに、得難い快楽のようなものがありそれを失いたくないと思っているのだ。

しかしどうすれば書いたものの中に自分を存在させることができるか、それは書くことで自動的についてくることなのか、意識的に作り出すことなのか、どんなことを書いても実現することなのかといった問題がある。

例えば自分とは何かという問いがある。生きて生活して様々な人間関係を築いていくときに、主体として意識されるものだと一応言えそうである。肉体を持って家をはじめとして一定の空間を占めたり、移動したりするので実体を備えているとも言える。また感情や欲望が湧いてきて感じたことを判断して行動したり、周囲との反応や応答を繰り返して物事が進んでいくような環境にいるという感じがある。改めてそういうことを書いてみると自分が存在しているように思えるが、実際はそれぐらいのことは意識せずほとんど自動的に生起している。無意識になっていることは存在していないことと同じではないか。意識がなくなれば死んでしまうので、意識しないのは死んでいるのと変わらないのではないか。

書いたものの中に自分を存在させるというのは、今書いたようなことの中には存在させられないのではないか、と思うのだ。ほとんど無意識になっている中には自分は存在しない、なぜならそこで生きていないから。生き生きと存在させなければ書いたものの中に自分は存在できないし、独特な感じもない。

書く視点を見つけるまでの意識の流れ(つづき)

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「嘔吐」を「社会学的分析」の対象にする読み方や、「嘔吐」作品が成立する様々な条件を「解剖学的読解」で読みとる読み方をこのブログ筆者は退ける。

 なぜなら、私にとって、自分の方を向いた「嘔吐」こそが問題だからである。

自分の人生、自分の経験の中に「嘔吐」を投げ込むこと・・・・・。

「嘔吐」の中に自分の人生、自分の経験を投げ込むこと・・・・・。

徹底的に主観的に「嘔吐」を読み込むこと・・・・・。

自分自身を徹底的にロカンタンの主観の中に投げ込んで、彼の精神の追体験をすること・・・・・。

意味作用の剥げ落ちかけているロカンタンの孤独な精神を追体験すること・・・・・。

誤読すら恐れるつもりはない。むしろ積極的に誤読してやるつもりだ。なぜなら、ここでは「嘔吐」を語ることは私を語ることになるからだ。

 

それほどに「嘔吐」と筆者の出会いは「運命的」だったのだ。もちろん運命を感じるには状況と自分の立ち位置を自由に反省する理性的態度が必要であるのだが、ぼくは筆者のブログを読んでそれを認める。もとよりこのブログ筆者の小説の読み方こそは、ずっとこれまでぼくが採ってきた読み方の態度だった。

出会いについては以下のようにブログには書かれている。

 

このJ・P サルトル「嘔吐」との因縁は20年前にさかのぼる。

そのころ、私は世界の中に居場所をもたなかった。ロカンタンのように。

未来も想像できない状態で、ただただ無意味で宙吊りの現在があるだけだった。

まったく、よく発狂してしまわなかったものだ。青年期の不安の中で、狂気は常に私の孤独の隣人として身近に存在したからである。

ロカンタンの独白に「人間がひとりで暮していると、語るとはどういうことであるかさえ、もうわからなくなる。ほんとうらしさは友人と同時に消えてしまう。」というくだりがあるが、これは当時の私の置かれた状態にそのままあてはまる言葉だ。

建物も、駅も、道路も、坂も、家も、飲食店も、すべてが自然な姿を剥奪され、漂白された中性的立体物の組み合わせに解消されてしまう。

その無機質な空間を漂う私もまた、脱自然化され漂白された自我であり、その冷たく白い自我の殻の中では、熱病のような自意識が真っ赤に煮えたぎり、ねずみ花火のような独白の言葉が駆け巡るという風であった。

そのころの私がなぜ、この書を手にとったのだろうか。自分を支えてくれる何かを欲していたのは確かだ。

20年前の自分が、この哲学的小説をどこまで理解できていたのかわからない。

しかし、今でも、独りで街を彷徨うとき、公園を歩くとき、図書館をぶらつくとき、

酒場で杯を傾けるとき、傍らにいつもあのロカンタンがいることに気付くのである。

孤独は自分の中に巣食い、もはや自分の精神とは切り離せなくなってしまった。

 

ブログ作成時が40歳で20年前が二十歳ということになる。(幾分ざっくり感があるが)彼はどこにも自分の居場所と感じるところがなく友人もいなくて極度の孤独の中で、生きる指針を求めて「嘔吐」を読んだ。そして小説中の世界の感じは20年経っても筆者の現実の生活基調と変わらなかったようだ。ここに小説とともに現実世界を生きるという視点がある。普通に生きてる人はもっと偶然に開かれ、お金や快楽に衝動的に反応してしまうと思うが、彼は極度の孤独状態から逃れられないかに見える。彼の40歳の生活場面である出来事と小説の場面と対比させている記事がある。

 

 先日、自分でも信じられないようなミスをして、客の前で上司に殴られた。

私を苦しめるのは肉体の痛みではない、屈辱感が問題なのだ。

40歳のいい大人が小僧のように殴られる。丁稚のような自分の立場と不甲斐なさがよくわかった。

困ったことに屈辱は反芻される。胃袋で消化したものを口の中で咀嚼するように暴力を受けた屈辱の記憶を繰り返す。

「嘔吐」に次ぎのような記述がある。図書館でコルシカ人に暴行を受けた独学者のその後をロカンタンが想像する場面だ。


同じ壁の中をではなく、この無表情な壁の間をでもなく、彼を忘れぬ凶暴な街の中を独学者は歩いている。彼のことを考えている人びとがいる、コルシカ人、肥った女、多分街中全部の人が。独学者は彼の自我をまだ失わなかったし、失うことができない。あの責めさいなまれた自我を、みんなが止めを刺そうとはしなかった血塗れた自我を。唇や鼻孔が痛む。「気分が悪い」と彼は考える。彼は歩く、歩かねばならない。もしも一瞬でも立ち止まったならば、図書館の高い壁がふいに彼の周囲にそびえ立ち、彼を閉じこめるだろう。コルシカ人が彼の脇にふいに現れ、こまかい点までさっきと寸分変わらない場面が再びくり返されるだろう、そして女が嘲るだろう。『あの厭らしい奴らは徒刑場行きにすべきだわ』。独学者は歩く。家に帰りたくない。

コルシカ人が例の女と、ふたりの男の子といっしょに彼の部屋で彼を待っている。

『否定してもはじまらない、あんたのすることを見たんだよ。』そして同じ場面が繰り返されるだろう。彼は考える。『ああ、あんなことを、もしもしなかったならば、あれをしないで済ませたら、あれがほんとうでなかったらならば』」


サルトルの記述は誠に巧みだと思う。暴行による屈辱で混乱した自我、思い浮かぶ想念をよくもここまで正確に記述できたものだと思う。


サルトルはよく知られた不条理と実存の哲学者だ。しかし、また自由の哲学者でもある。そこで気づいたことがある。

俺は勘違いしていたのではないか、ということだ。会社という「ムラ」の中で安穏と支えられていきている、自尊心を捨てて、あえて鈍感になって、好きでもない仕事して、そうやって「ムラ」の中で自己卑下して居場所を確保する。

こうした屈辱の生活を選んだのは自分だ。人ではなくて自分だ。

サルトルならこういうだろう「君は自由だ選びたまえ。」

自分は学歴や階級や身分のせいにばかりしていた。

俺は餓死する自由もある。貧困になる自由もある。しかし自分の人生を自分の思う方へ投企する自由もあるのだ。惰性による明日の安穏を夢見てはいけない。

自分の峻厳な自由を噛みしめなければならない。

繰り返しいう、俺は自由だ。そして、俺は俺の、この暗闇の中にひとり立ちすくむ自由で孤独な自我の尊厳にめまいがするのだ。

 

ここではブログ筆者は「嘔吐」中の独学者に自分を同化させ、一旦小説の世界から外に出てサルトルと対話して自らの指針を見出そうとしている。一冊の本が本当に支えになっている。そこで、「嘔吐」の「書く視点を見つけるまでの意識の流れ」というテーマに向かうわけだが、今日はここまでにしておこう。

書く視点を見つけるまでの意識の流れ

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書く視点を見つけるまでの意識の流れがテーマとなった小説は、世界文学の一つの重要なテーマらしく、あのサルトルの「嘔吐」もそうである。ぼくは退職してから読み通したが、一度20代に買って読んで途中で挫折していた。最近「嘔吐」をかなり深く読み込んでいる人の書評ブログを読んで感心したことがあった。その人にとって「嘔吐」は自分のことのように感じられ、ロカンタンや独学者の生き方にはまり込む読み方をあえてしていた。ここにその一部を引用したい。どうしてかというと、ぼくはそのブログ作成者を自分のことのように感じるからだ。彼はぼくよりあらすじを書くのがうまい。まずそれを引用してみよう。

 

孤独な独身者ロカンタン。数々の冒険に飽いた彼は、歴史上の謀略家ド・ロルボン侯爵の研究のためにブーヴィルという海辺の町に3年も滞在している。

ある日、彼を不意に<何か>が襲う。その<何か>は彼が海辺で水切り遊びをするために小石を手にとった瞬間に訪れたものだった。

以後、彼はその<何か>についての不気味な予感につきまとわれる。

彼は彷徨う、ブーヴィルの街を。この街にあふれるブルジョワどもや、この町を支配してきた<ろくでなしども>を軽蔑しながら。

そしてこの町での唯一の話相手であった独学者に招かれたレストランでの気まずい会食の最中に強烈な<吐き気>の発作に見舞われてしまう。

逃げ延びた公園のマロニエの樹の根を見て全てを理解する。

<吐き気>、それは剥き出しにされた実存そのものの不気味な啓示であり、実存の発作であった。

元恋人アニーとの永遠の訣別、書きかけのド・ロルボン侯爵の研究の頓挫、独学者のその性癖ゆえの無惨な敗北・・・・・・。

あらゆる企ての挫折の果てに、彼はこのブーヴィルの町を去る決意をする。

そして最後に立ち寄った「鉄道員さんたちの店」で古いジャズのレコードを聴く。

彼は思う、異国の地でこの曲を作ったユダヤ人の男と黒人の女を。この曲を聴くことを通して、彼は二人のことを優しく思い、そのことによって彼らは救われたのと・・・・。

ならば、彼もまた<書く>こと、一冊の本を書きあげることので救われるのではないだろうか・・・・・。

ほのかな希望の灯りをもって、この孤独な実存の彷徨の物語は終わる。

 

どうだろうか、まだ「嘔吐」を読んだことがない人もだいたいどんな小説かはイメージできるのではないだろうか?あらすじが書けるというのは、リーディングリテラシーが高いことを示し、明らかにぼくより読む能力が高いことを示している。長くなるので今日はここまでとするが、彼の書評をこれから追ってみたいと思う。

こころの解放区をつくる

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生活上のぼくを知る人(一人の例外はあるが)と一切繋がりのない、ネット上の空間にこれまでブログ記事を105書いてきた。家族や会社勤めのときの知り合いやFBの友人たちには知らせていないので、プライベートで孤独な日記のような書きものの空間を持つことができている。この無名でほとんど無関係に近いゆるいつながりはそれでもというか、それだからこそというか、ぼくに自由の感じを与えてくれる。

サラリーマンの時デザイナーとしてある農業会社のPRとかパッケージデザインの仕事を請け負っていたことがあって、20年間小さな情報誌を作っていた。米の年間契約者向けに年一回ではあるが、編集から主なコンテンツまで企画制作に携わっていた。

農業は日本人の心のふるさととしてのイメージを持っていて、お客とは家族のように通信することが可能だった。全国からは家族のような手紙をもらう客がかなりいた。自分の娘がイギリスに留学していておたくの米が美味しいから送りたいとか、子供がアトピーがひどいので無農薬の米を食べさせたいとか、送ってもらった農家ならではの味噌や漬物を友人にお裾分けしているとかという便りを読むのが毎回楽しみだった。その時、ぼくは無名の全国の人たちとのつながりがとても温かいものに感じられた。大げさになる癖がぼくにはあるのだけれど、それは共同体のつながりだったと思っている。その感じをもう一度味わいたくて、このブログを書いているところがある。

(注)写真は記事の農業法人とは関係ありません。

追伸:「こころの解放区」とは、書くことによって自分が自由に息をし、考えまたは想像し、記録し論評するような場所のことだ。そのように思える人たちによって「こころの解放区」は作られ、支えられる。

1968年に生まれて生まれ変わるもの

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今年2018年は1968年から50年経って、半世紀という節目の年だ。1968年という年はあらゆる秩序が疑われ、世界中で学生を中心に、価値観や世界観の伝統的枠組みへの解体が同時進行で行われたピークの年だった。(価値観として)全く新しい人間による社会構築への幻想が世界規模で広まった。それはブームだったということも言えるかもしれない。(例えば現在が日本観光ブームなように)しかしブームなのは、多くの人の心に疼くような欲望の核が芽生えているからでもある。

サイケデリック」と形容されるサウンドやイラストレーションにあの時代の感性的なものの表現がある。新しい人間が外に向かうことができなくて、インドの精神世界に向かったりLSDなどの幻覚世界へと向かった。フランスでは西洋の形而上学の伝統の破壊が行われ、脱構築のブームが起こった。

生まれようとしていたのは、解放された個人だ。文化的解放区を出現させようとする試みだった。大規模なロックやフォークのコンサートがあちこちで出現した。個人の瑞々しい表現に解放された大衆が共感し、つかの間の共同体が出現した。

現れ方には歴史的制約があって現在から見れば古びて見えるが、現れの原因となっている欲望の形を取り出してみれば、心の解放区ともいうべき固有の想像力がある。それは構造が似ていることから歴史的に遡って、例えばパリコンミューンに突き当たるような気がする。

運命を感じる感性

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自分の運命を自分で、自由を確保しながら拓いていく、ということが果たしてできるものなのか?先のブログにも書いたが、運命という状況をまず認識できなければお話にならない。その状況が何で構成され、そのうち具体的で目に見えるものがあれば、それを感じるだけの感性がなくてはならない。ぼうっとして鈍いぼくには、言われた言葉の意味の背後にある、言われないことをほのめかす表情や仕草を感じるという芸当は不可能に近い。64年間という人生でそのように自分のそばを通り過ぎていく、未明の運命というものがどれだけあったことだろう。例えば、運命というに相応しい状況が半分ぐらい訪れているのに、直接会って本当のことを話すということができなかった。会うことなくそのまま別れてから、取り残されることがどんなに辛いかを思い知った。

大学進学が入試の結果を見て確実になって、ともかく心が晴れ渡った経験を味わっていたころ、友達から電話をもらった。受験に失敗して浪人することに決め東京に行くから、と別れの電話だった。本格的に受験勉強を始めた3か月くらい前からその友達とは疎遠な関係になっていた。友達は東京に行く前にぼくの声を聞きたくなって電話してきたと思われ、予定した報告をしたあと、ぼくに今読んでいる本は何かと訊いたのだった。ぼくは真継伸彦の「光の聲」とためらいなく答えた。友達は自分も同じ本を読もうとしたのかもしれない。しかしその小説の内容は、僕たちの関係に深い溝を刻むような運命を描いていた。(もちろんそれは読んで初めて分かることだった)友達の父親は共産党員で、いわゆる専従で組合から給料をもらう身分だった。

その友達はぼくにとって運命的と思える存在だ。何か運命的要素に客観的事実が必要だろうか? 高校3年の時の同級生であるに過ぎないならそう呼ばないはずだが、ここであれこれ事実を振り返るには少し気が重い。ただ平坦なぼくの人生の中で登場する、平坦さにおいてさほど違いのない人たちとは少し異なる部分があり、それがいつまでも忘れがたくさせている。

どこか気取った喋り方をするのは村上春樹の小説中に出てくる登場人物に似ているかもしれない。プライドがあり自分の世界観の中で自信に揺るぎがない。つまりひとつの存在であり、自分の影響力を試して存在感が増すのを見るのが好きなエゴイストかもしれないと疑うこともあった。絶大な父と対等かそれ以上のキャラクターで対応するくらいの力を付き合う相手に求めるところがあった。無情であった頃のぼくが友達を冷淡に扱い、後になってかけがえのなさを友達に見出した時、逆に友達から冷淡な扱いを受けた。傷つけ合うと同時に引き合う力を感じ、ライバルのように尊重し合うような関係だった。

小説「光る聲」には友達の父親と同世代の共産党員の大学教授が登場し、戦中には特高の転向強要で瀕死の状態に遭い、1956年のハンガリー動乱時にはソ連の侵攻に反対する決議を日本共産党に出す役回りを与えている。世界史にはおびただしい死者が記録されており、20世紀には二人の人物が死者を量産する究極の悪を執行している。ヒトラースターリンだ。ハンガリー動乱を鎮圧したソ連に明確に反対する反スターリン主義を歴史に登場させるには、「光る聲」に登場する共産党員や友達の父親のような人たちの苦悩を受け止め、乗り越える必要がある。

 

書く視点の座標を求めて

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どこに位置を占めれば時代を見渡せるように書くことができるようになるかを、一応の目論見として書いてきたが、あまり成功したとは思えない。志望大学を間違えたという気づきの後、なし崩し的に美大に籍を置くことになって、どこにも自分の居場所が見つけられずに学生運動に近づいていくのだが、その時少なくとも最初のうちは自分の居場所のように感じられていた。だとすれば、その居場所とはどういう場所だったのだろうか?

今から振り返ってそこで体験したことを具体的に書くことはとてもできそうにない。個人としてのぼくの公的部分は、生まれて初めて歴史的・政治的立場をある団体組織とともに持つことになった。そのことで例えば、ベルリンの壁の崩壊や、ソ連邦の崩壊をもたらしたゴルバチョフの「改革」やエリツィンの動きなどはとても興味深く、ニュースに接してもある意味身近に感じられた。中国の文化大革命ベトナム解放軍にもシンパシーを抱いたりしたのは、この時期に反スターリン主義の思想に相当身を入れて自分のものにしたからだと思う。現在でも資本主義は非人間的な力で人間を支配するシステムであり、別の社会システムが可能でその実現に期待する部分がぼくにはある。もちろん良い面ばかりではなく歴史には暗い面もあり、少し政治的に専門化するがレーニンが主導したボルシェビキによる独裁は前衛主義の間違いとして、今ではとらえている。マルクスの否定までは考えていないが、その可能性もあるかもしれない。

そういうことも考えないと資本主義の外の社会システムは現実味を帯びたものにならないと考えている。まだまだ世界の歴史的現実を本質においてとらえるには、勉強しなくてはならないことが山ほどあるが、フェイクニュースに溢れるマスコミに右往左往しないくらいにはなりたいと思っている。つまり日本国内の政治にしても、国際的な視野の中の日本という視点でいつも見ることが大事だということだ。

人は才能などなくても生きられる

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人は才能などなくても生きられる。別にロマンのない平坦な人生でも、何も起こらない人生でも生きるに値しないことはないはずだ。誰かに自慢する必要もないし、陰口を叩かれるようなことがあったところで気にしなければいいだけのことだ。学生運動にかかわったことがあっても別に犯罪を犯したわけではないし、幸い暴力にも遭わなかった。

少しばかり孤独ではあったかもしれない。でもそれが何かの障害になったわけでもない。埴谷雄高の「死霊」には失語症の男が登場して親しみを覚えたりするほどだが、ぼくは喋りたくなくなることはあっても書くことは好きなのだ。書くように喋ればとにかくコミュニケーションは保たれる。通じればいいので通じ方が少し変でも、そういう性格だと思ってもらえればいいのだ。

好き嫌いという感情はある程度理詰めでコントロールすることが可能だと気付いた時、コミュニケーションは苦ではなくなった。何事にも原因と結果があり、感情にも好意的な場合の原因を探すことができるし、悪意を抱かれる場合の原因も理屈で考えることができる。それはサラリーマン時代に自分に部下ができた時に役に立った。管理職などにはなりたくなかったが、周りのすべてがその方向にある時、そこから離れることは想像以上に難しいのだ。

自分には才能らしきものがあったか

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それにしてもどうしてぼくらは、あらかじめ青春を失っていたのだろうか?失われていたのは、破壊されていたからだろうか?きっと大学という場のどうしようもない自由さが、虚しさを作り出していたのかもしれない。ぼくの入った美大では、みんな絵描きやデザイナーという職業に憧れて集まってきた連中ばかりだった。彼らは恐ろしく競争意識が強かった。一人で自分の世界に閉じこもるのがうまく、できるだけ周りには冷笑する態度で臨むような、こつこつ腕を磨くタイプの大人たちだった。ぼくはどこかで仲間集団や村ではない共同体のような場を求めていたような気がする。

美大にはちょっとした知名度のある劇団があって、その集団には魅力を感じたがどこかで自分を拒否するものがあった。歌ったり踊ったり演技したりすることが、ぼくには苦手だった。何しろ幼稚園のお遊戯の時間が嫌で逃げ出したかったくらいだから、生まれながらのシャイと言ってもいいほどだ。

せっかく苦労して入ったのに、入学してしばらくすると志望大学を間違えてしまったことに気づかされた。確か5月頃にはもう受験勉強を始めようとして、少し高校の時の参考書を取り出して勉強していた気がする。しかし、もう一度受験するだけの気力が湧かなかった。再受験を決心するまでの絶望と希望の深さが足りなかった。ぼくの友人の一人は神戸大学から金沢大学への転入に成功していたが、ぼくには明確な転入のビジョンが描けなかった。今、明確なビジョンという言葉を使ったが、これにはどこか欺瞞的な匂いがある。そんなものが実際にあるのなら、迷いなどはなくなっているはずだ。要するに決断するその時に、自分が人生に訪れる数少ない運命の場面にいることが感じられなかったのだ。小説の中ではよくそういう場面が描かれていたりするが、ぼくにはそれを感じる感受性がなかった。

もし、自分の運命を自分で切り拓いていくことができるのなら、その体験こそ一番望むところだ。もし、自分に明確な才能の在りかがわかるのなら、それもできただろう。

才能らしきものは何もないが、ここまでなんとか生きてきたことにそれに類するものがないのか、分析してみる価値はありそうだ。むしろ、分析する能力の方にぼくの本領とするところがあるのかもしれない。

転換し始めた意識4

そうだ、この流れ(書く視点を見つけるまでの意識の流れ)を忠実に辿り続けていけば「オリジナルの世界を作る」壁は越えられそうだ。

叫ぶのは中にあるものを吐き出す方法がそれ以外にないからだ。青春のあの頃ぼくの中には何があったのだろうか?むしろ何もなくて叫ぶことさえもなかったのではないか?あの頃未来は閉ざされていた気がする。あらかじめ失われた青春という映画があったように記憶しているが、何もない青春の後は、誰かと同じようなすでに過去化された未来しかなかった。青春か、然らずんば死か、というのがぼくらの時代の基調であり自死する若者も珍しくなかった。ちょうど村上春樹の「ノルウェイの森」や、ユーミンの「ひこうき雲」のように。サルトルの「自由への道」のイヴィッチのように、田舎に戻って結婚することが死であった時代だった。

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この前福永武彦の「死の島」を読んだが、あの小説中の萌木素子のいわば生理的ニヒリズムとは違って、ぼくらの時代はいわば観念的、形而上的ニヒリズムがあった。ぼくには心が空っぽだから、とりあえずマルクス主義だという感じだった。当時、小田実の「なんでも見てやろう」という本がよく読まれていたが、ぼくは世界を旅して回るという行動派にはなれなかった。すでに観念に満たされていて、身軽に行動には移れなかった。若い頃はなんでも吸収できる時期だからその頃の流行に飛びつくのだが、ぼくはどうしたわけか思想家とか文学者に気を惹かれた。埴谷雄高谷川雁大江健三郎ランボー萩原朔太郎、そしてマルクス。(ほぼ同世代の村上春樹村上龍三田誠広を読むようになるのはすでにサラリーマンになってからだと思う)

時代の空気を吸うしかなかった。その頃自分がカッコイイと感じたものや憧れと同調することで、今を生きる感じを持とうとしたのだ。現実否定、現実逃避、宇宙や幻想、観念のアナーキズムシュールレアリスム、詩と詩論、現代美術と現代音楽、文学と批評、存在論と革命、ニヒリズムの克服などに興味があった。

2015年7月16日のクーデター

 ぼく自身が忘れない(正確に記憶する)ためにこれをここに記載しておきたい。自分と国民のすべてがどのような法に縛られているか、現実を認識するために。石川健治氏(東京大学法学部教授) マル激トーク・オン・ディマンド 第745回(2015年7月18日)から

 

あの日、日本でクーデターが起きていた。そんなことを言われても、ほとんどの人が「何をバカな」と取り合わないかもしれない。しかし、残念ながら紛れもなくあれはクーデターだった。そして、それは現在も進行中である。  安倍政権は7月15日の衆院の委員会で安全保障関連法案の採決を強行し、翌16日には本会議を通過させた。国会の会期が9月27日まで延長されていることから、仮に参院が法案を議決しなくても、衆院通過から60日後には衆院の3分の2の賛成で法案は可決する。衆院では自民、公明を合わせると3分の2以上の議席を得ていることから、16日の衆院の通過を持って、事実上法案の成立は確実になった。  これは一見、民主主義の正当な手続きを踏んでいるように見えるが、決してそうではない。今回日本の政治に起きたことは、後世にまで禍根を残すことになるだろうと東京大学法学部教授で憲法学者石川健治氏は言う。  

その理由として石川氏は今回、安倍政権が、憲法を改正しないまま、長年にわたり憲法によって禁じていると解されてきた集団的自衛権を容認する法解釈と法整備を強行したことによって、「法秩序の連続性が切断された」と考えられるからだと説明する。  元々安倍政権は憲法9条を改正して、日本も軍隊を持ち戦争のできる「普通の国」にしたいという野望を抱き、それを公言して憚らなかった。しかし、それを実現するために必要な国民の支持がないことがわかると、今度は憲法改正を困難にしている憲法96条を改正し、現行の3分の2から国会の2分の1の賛成で憲法改正を発議できるようにしたいと言い出した。  憲法の条文を改正する手続きを定める憲法96条は、憲法の中では他のすべての条文よりも高い位置にある。それを壊す行為は憲法そのものを転覆させる行為であり、これを法学的には「革命」と呼ぶが、「革命」が成功するためには国民の支持が必要だ。しかし、日本国民は憲法96条の改正を支持しなかったため、「革命」は失敗に終わった。  

ところが安倍政権は今度は、国民を置き去りにしたまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊を図った。内閣法制局長官集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を国会を通してしまった。国民から支持を受ける「革命」に対し、国民を置き去りにした状態で法秩序の連続性を破壊する行為を、法学的には「クーデター」と呼ぶのだと、石川氏は言う。  

石川氏は今回日本が失ったものの中で、最も大きかったものは「理屈が突破されたこと」だったという。参考人として呼ばれた3人の憲法学者にことごとく違憲の烙印を押され、憲法学者はもとより世のほとんど学者も、歴代の内閣法制局長官も、こぞってこの集団的自衛権を認めるこの法案は違憲であると主張していた。こうした主張に対する政府・与党側の反論は、集団的自衛権とは何の関係もない砂川事件最高裁判決で集団的自衛権は禁止されていないという、およそ屁理屈にもならないようなお粗末なものだった。また、今回の法整備によって日本の抑止力が高まるという政府の主張も、根本的な部分に誤謬があることも明らかになった。  理屈の上では安保法制をめぐる安倍政権の主張は完全に敗北していた。しかし、にもかかわらず論理的に破綻している法案が閣議決定され、7月16日の衆院通過で事実上の成立が決まってしまった。  理が通らない政策が数の論理によって押し切られてしまったことで、日本が「法秩序」を失ったことの影響は大きい。今後、この法案がもたらすであろう個別の問題を考えただけでも目眩がしそうだが、より高次元で日本の法秩序が破砕されたことの影響は恐らく安全保障分野だけにとどまらないだろう。われわれの多くが、日本という国の政治の頂点で、「理」が「無理」によって押し切られるところを目撃してしまった。これによって戦後われわれが大切に育て、守ってきた「公共」空間が壊されてしまった。  

ここに至るまで安倍政権は、解釈改憲を実現するために内閣法制局長官をすげ替えたほか、アベノミクス実現のための日銀総裁人事にも介入した。また、メディアへの圧力を強める一方で、NHK会長人事にも介入してきた。こうした行為もまた、憲法96条改正の通底するところがある。最終的に法秩序を破壊するような行為を行う上で、まず邪魔になる障害を取り除くために首相の権限をフルに活用する。法律で委ねられた権限を行使しているだけとの見方もあろうが、そもそもそうした権限が内閣に委ねられているのは、そうした個々の機関の暴走を防ぐためであり、首相の権力を私物化するためではない。それを自身の権力や権限の拡大のために利用する行為は、権力の目的外利用であり、権力の濫用に他ならない。

転換し始めた意識3

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どうしても飽きがくる時、嫌が応にも前進させられる。あるいは別のどこかへと移らされる。そうしないと活力が失われるように人間の心は出来ている。かつて何回も聴き込んでいた歌をある時ふと耳にして、ああこれはもう自分の中では終わっていると感じられる時、それが今なのだが、前進か転移を促される。その歌にどうして飽きが来たのか、その歌に共感していたフィーリングがどのように変化しようとしているのか?

おそらく青春の頃に帰って「叫んでいる」状態に何か創造性を失わせるものがあるらしい。だが年をとった現実に戻ったのではない。ただ若い頃のように叫んでばかりいては現実は動かないことに気づいたのであり、その先に行くことが求められているのだ。そうだ、破壊であり、ディストラクションだ。若い頃に帰って自分を取り戻すという枠組み自体を脱構築しなければならない。

就職して社会に出るとき、ぼくは学生身分で培ってきた自由に属する価値観を捨て去ることにした。38年間のサラリーマン生活から離脱したとき、もう一度学生身分の価値観を取り戻そうとして、文学世界に仮想的に生きてみた。そして今、その目論見の脱構築を試みたくなったのだ。

文学の世界では人生を二度生きることができる。想像力を働かせて実際の人生とは違う歩み方を書くことで作り出すことができる。小説のように芸術の域にいかなくても、例えば自伝のようなものは書けるはずで、必ずしも事実の羅列に終わらないとすれば書く視点の創造だけはあるはずである。その視点は二度目の人生を作り出す地点になっているはずではないだろうか?