開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

つれづれに

確かに今は居場所がある。取り立てて居心地がいいわけではないが、伴侶と二人で暮らすには十分な場所がある。かつてはどこかに行かないと身が持たない気がしていたが、今は特に何処かへ出かける必要を感じない。本を読んでいると飢餓感が沸き起こってきて、何かを新しく取り入れて自分を更新する必要をよく感じていた。多分小説から得た何かだ。魂が震撼されるようなことが小説の中にあるとぼくの脳のどこかに刺激として傷がつけられ、疑似体験として残る。ふと同じ体験がしたくなって居たたまれなくなるのかもしれない。その禁断症状にも似た居たたまれなさが、ここ最近なくなってきているように感じる。一昨日だったと思う。村上春樹イチローと同じだという批評家の論文を読んだ。同じように村上春樹坂本龍一と同じだと思う。デビュー時はあまりにもユニークだったため既存のその道の実力者からは必要以上に貶されるが、類まれな能力でそれまでと違う決定的な新しさを生み出して、今では世界的な評価を得る存在になっているところが共通している。今の時代はそういう時代なのだと了解するとあながち悪い時代でもない気がする。何でこんなことを確認しているかというと、ぼくの意識は放っておくと悪い方へ流れてしまうから、時々微調整をする必要があるからだ。

(公論)文学は生きる指針を示すものか

以下は、村上春樹を批判した文芸評論家、黒古一夫氏の記事の一部である。これはこれまで何となくぼくの心の隅に居続けている疑問でもあった。

高度に発達した資本主義社会(都会)に生きる人間の「喪失感」や「疎外感」、「孤独感」、「絶望感」を描くことに成功し、若者を中心に世界中に多くの読者を獲得した村上春樹であるが、ではそのような「喪失感」や「孤独感」などを内に抱いて生きる若者たちに対して、村上春樹の文学はどんな「生きる指針・ビジョン」を示してきたのか、ただその文学世界に存在するのは現状を「消極的」に追認するだけのものだったのではないか。

ironna.jp

詩人の条件

この世には詩人がいて、ロシアではとても尊敬されているという。日本では訳のわからないものは排除される傾向にある。分かりやすいものが好まれる。分からないものは自分に都合が悪いから、遠ざけたくなるのだろう。自分を基準に考えるという愚かさに気づかない。ぼくもこれまで詩人がどういう人か分からなかった。何を持っているのか明かそうとしない独立不覊な、野生の知性を持つ人たち。かといって乙女の純情にも震える華を隠し持っている。そうだ、多くの詩人は性を超える、ブッダに仕える僧たちのように高みに居る。

だから静かに満足して微笑んでいられる。

心の故郷という場所を見つける

ぼくも若い頃は「心の故郷」などという古めかしいイメージとは無縁でした。職業は一応グラフィック・デザインでしたが、会社勤めだったのでただデザインだけをしていればいいというわけにはいきませんでした。地元の中小企業に飛び込んだので、入った時にはデザイン室もありませんでした。

40を過ぎて自宅を建てる頃になって、心境の変化がありました。無性に落ち着きたくなったのです。いわゆる「歳をとった」ということなのでしょうか。それまでどんどん前に進むことしか考えていなかったのが、一旦休んで見ようと考え出したら今度は休むことばかり考えるようになりました。休むことが新鮮で面白いように感じられたのです。

その頃、農業法人のクライアントが新しくぼくの担当になって、それは出会いとなりました。農家の方が自由人であることに初めて気づかされました。自分の田んぼや畑を耕していればとにかく食うに困らないというアドバンテージが新鮮でした。ぼくはカメラマンを連れてきて田んぼで自由な彼らの写真を撮りました。その時が心の故郷という場所を見つける最初になりました。

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心の故郷でつながる

ぼくの住んでる街では、小路で中学生に出会うとこんにちはをいって来ることがある。もちろんこちらも、こんにちはを返す。そんな時お互いに同じ街に住んでいることのつながり感を感じて安心する。学校でよく先生から言われているのだろう。でも、大人の方からは決してこんにちはは言わない。ぼくも自分から言ったことがない。ただ奥入瀬上高地に旅行者として歩いている時には、通りすがりにこちらからこんにちはを言っていた。そういう状況にいたからだ。むしろ無言で通り過ぎる方が不自然に感じられる。

では、このブログでこんにちはを言えないものだろうか?

これまでぼくは自分が考えたこと、気づいたこと、言いたいことを一方的に書いてきた。そういうものだとブログを捉えていた。誰かに読んで欲しくて書いたことがない。でもごく少数の方が読んだ形跡を残してくれることがある。本当はお礼を返すべきなのだが、お礼までするのは方苦しく面倒に思えて怠ってきた。

これからはもっと打ち解けてもらえるように書こうと思う。深刻にならず、くさらず、傲慢にならず、必要以上に自分にこだわらずに、今思っていることを書いてみよう。よろしく、あなたの心に出会いますように。

定年後仕事に就かない理由

「貧困と困窮は貧者を束縛し、仕事が知にかわって彼の考えを占める」とショーペンハウエルは言っている。仕事だけが価値があると思っている人は貧者から抜け出せない。仕事に束縛されているといつまでも知によって自分を高めることができない。というか貧者は知の世界を見ることができないから、存在しないと思っている。

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(公論)マスコミで取り上げない正論

徴用工問題は外交問題の前に人権問題である。

日本弁護士連合会会長を務めた宇都宮健児氏は韓国最高裁の判決を支持する。安倍首相の日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」という国会答弁が、元徴用工個人の賠償請求権は完全に消滅したという意味であれば、日本政府のこれまでの見解や日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた答弁であり、完全に誤っているといわねばならない。

headlines.yahoo.co.jp

3年前の今日のブログから

62歳で会社を辞めてから第二の人生をどうスタートさせるかで、試行錯誤をしてきた。定年になったら悠々自適のイメージをサラリーマンだったら誰でも持っているようにぼくも持っていた。実をいうとぼくは会社を辞めたら起業するつもりで、63歳まで会社にいるつもりだった。ところが会社は余裕がなくなって、ぼくを企画関係で雇うことができなくなって製造部異動を命じた。さすがにこれは受け入れ難く退社することを決めた。当然妻には猛反対を食らった。そして僅かな年金と妻の給料で細々と暮らす年金生活者の生活を1年ほど送ってきている。何よりも自由に時間が使える環境はサラリーマン時代には味わえない貴重な「贅沢」だった。自由な時間を使える環境はぼくを学生時代の気分に連れ戻した。ぼくの学生時代というのはもう40年以上昔に還ることになる。ぼくは好きなだけ自分の青春時代の思い出にふけった。自分だけのおそらく風変わりな高校時代を思い出していた。金沢という地方都市でもあの頃は学生運動があり、高一から世界文学全集を次々に読み漁っていた文学少年はオルグのターゲットになってしまっていた。それは大学受験の期間を隔てて大学時代にも継続することになった。その時代の経験は意外にも今になってもリアル感を失っていないことが分かった。第二の人生をもう一度高校時代に還ってやり直すというとんでもない「企画」を思いつき、退職して最初にやったことは、自分と同世代の作家の青春小説を読んで追体験してみるということだった。三田誠広村上春樹桐野夏生を選んだ。さらに高一の時に読んだ小説「ジャン・クリストフ」、「デミアン」を再読した。サルトルの哲学を勉強し直そうと買ってあったサルトル全集を紐解いた。この企画でぼくの精神は同年輩の高齢者よりは幾分精神年齢を下げるのに役立ったと思う。
この思いつきは初動段階で成功と言えるかもしれない。何故なら次の段階に移る気持ちが最近芽生えてきたからだ。学生時代から社会人の時代に進みたくなってきた。ぼくは「就職」をやり直したい欲望を心の底に感じ始めていた。それはデザイナーという職業をサラリーマンとは違う形でやり直すことを意味する。そこでもう一度デザイナーを自分なりにやってみようという「第二の企画」(これも第一に劣らずとんでもないことだが、、、)を思いついたわけなのである。

ぼくがサラリーマンで企業内デザイナーとして営業と同行してデザインを「売って」いた頃、多くの場合相手は担当者だった。今もう一度自分なりにデザインを考えてみようと思ったのは、退社してクライアントである社長という存在との関係が自由になった、ということがある。サラリーマンである自分とクライアントである社長との自由な関係は、退社して始めて作れる関係だ。(サラリーマンだったら当然のごとくぼくの雇い主である社長がいる。)
今から振り返るとサラリーマンだった頃は、本質的にデザインをやってこなかったと思える。なぜなら客である企業のことが社長との深いコミュニケーションから理解しえていなかったからだ。その理解から、自分の仮説が許容範囲を越えそうか、全く外してしまいそうかが判断できるからだ。
世に出ている広告中心のデザインに、これが当たり前だと思い込まされてきた気がずいぶんする。そうではないデザインが今だったら考えられそうな気がする。デザインは形態的にゼロベースで考えて目に見えるものにすることだ。それは広告やパッケージの領域だけに生かされるだけではない。既存の思考ゼロの状態に自由な発想領域を作り上げる。企業にとってはあらゆる場面がデザインによって革新可能になる。この需要に気づいたのは、もしかしてぼくが長い間サラリーマンだったかもしれないと逆説的に思う。

1000年に一度の思想家

世界一のお金持ち国はどこか? 世界一生産性が高い国はどこか?

答えは、日本なのだ。ぼくは、これまでお金の秘密を知るのにかなりの時間とお金を使ってきた。今、この人の話をタダで聞くことができる。初めてお金のことが分かった。ぼくにとっては、彼の言っていることはマルクスが学問的に言っていること(労働価値説、金融資本主義は必ず破綻する等)と同じに見える。

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リアルな現実とは

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とても分かりやすく、現状を説明してくれる。この現状を危険と感じる人は「内心、『本当は戦争をしたらいい』と思っているあなたへ」(角川書店)を読むといい。私は少し落ち着いた。

ぼくは「相手の顔が見えないインターネット空間で鬱憤を晴らす人」か?

結果的・現象的にはそうかもしれない。ただ、ぼくが自由でいられる環境は「相手の顔が見えないインターネット空間」が仮想空間だからだ。虚構空間よりは生きている感じがして、小説のような想像空間よりは現実的なつながり感があるということだ。

ありのままのリアル世界では自由にものが言えないのは、認めざるを得ない。だからFBではいくぶん自己欺瞞をしている。ブログに書いているようなことは、知られると説明がめんどうくさいので「心の中に」しまっている。

ただ、鬱憤を晴らしているだけではない。書くことで考えている空間と時間をブログで確保しているといったほうが正確だ。ブログを「相手の顔が見えないインターネット空間で鬱憤を晴らす」ことにも使えるが、自分を成長させることにも使える。道具をイチローのように大切に使えばいいのだと思う。