彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

2018-01-29から1日間の記事一覧

大江健三郎「日常生活の冒険」を読む(続き)

高校時代の同級生Tくんとの読書会の4回目は「日常生活の冒険」である。大江健三郎は1935年生まれでぼくらより18年早く生まれている。この小説の「ぼく」はほぼ大江自身であり、斎木犀吉と最初に出会う時18歳であるから、ぼくらが生まれるか生まれないかの時…

小説の読み方の違い

高校の同級生と始めた読書会でお互いの読書の仕方に「齟齬」が現れてきたのは3回目の時だった。野々市の図書館近くのスローライフのトレードショップal(アル)のバルコニーで行われた。9月半ばの秋風を肌に感じながら、「今日のオススメコーヒー」を注文し…