彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

気づき

私とは何か

意識の中に「私」はいない。「私とは一人の他人である。」 そして、意識は、「内部」や「内容」をもたず、 それ自体が「絶対的内面性」である、 とサルトルは言う。 意識と「私」という自意識を区別している。意識をそれ自体として私から切り離して分析する…

竹内芳郎「サルトル哲学序説」より

もしも近代・現代の作家・思想家たちの例の終末観的な時間観念に積極的な意味があるとするならば、まさにこの点_____現在と未来との断絶の強調にある。 というのは、私たちはたいていの場合、未来を前もって決まった形として描き出し、それへの「期待」…

長い私語

今日は長いつぶやきになりそうだ。つぶやきは短いから、私語という硬い言葉にすればいくらでも長く書けそうな気がしてくる、だから言葉選びは大切なのだ。ぼくが書きたいという気分になる時は何かモヤモヤするものが発生する時が多いのだが、今日は昨夜から…

アンサンブル金沢のように

最近書くことと言ったら小説の世界のことではなくて2018年のこの今に生きている現実のことになってきているが、この前向きな意識の変化をそのまま延長していくとどうなるかに興味が湧いてきている。これからはますます老人に近づいていくので明るい未来はな…

これからの生き方

自分の行動や生活習慣や発想や好き嫌いなどには自分では気づかない制限があって、知らず識らずのうちに狭い世界に住み続けることになったりしてるかもしれない。嫌いなことが多い人は当然嫌いなことを避ける頻度が多いので、幾分狭い世界に住んでいるかもし…

想像界と現実界の存在往復感覚

「想像界と現実界の存在往復感覚」とやたら漢字の多いタイトルになってしまったが、芸術家的存在論というものを生身の人間が実行する時の現前する様子を描いてみたいと思った。どうしてそう思ったかというと最近ユーミンがぼくと同い歳だと知ったことがある…

文学は生か死かの現実の前では無力ではないか

文学の成立を人間性の中で解明しようとする時、「弱さ」が根本にあるという直感がある。「弱さ」の徹底的掘り下げにはある種の強さは認めるが、それは強さの掘り下げとはやはり違うものになるはずだ。「弱さ」には真実をそのまま受け入れるという覚悟が足り…

転換し始めた意識 2

書くことによって自由感が広がるのをちょうどみぞおちの辺りで感じている。この感じはつい最近訪れた。ずうっと過去の方に回想を続けていて、意識に蘇った量がある水準を超えて質的な変化を起こしたのかもしれない。夢の中の自在感のような、浮遊するイメー…

転換し始めた意識1

これまで書く動機を支えていた主体形成の始源への回想がしぼんでしまった。それは定年後の自分の否定から遡って原因を探るものだったが、現在を肯定してもいいのではないかと考え始めたことと軌を一にしている。またそれは学生運動から切れることはあっても…

何となく人生をやり過ごす

ブログに書いたことが自分に返ってくる。それは自分で自分を苦しめることにもなるので、自虐的であまり建設的なことではないと言えるかもしれない。そう捉える人がおそらく多いような気がする。とにかく今のこの日常を生きることが先決だとする価値観を持つ…

愛が足りない

ブログに自分のことを投稿するようになってから、正直にありのままの自分をさらけ出すことができなくなってしまった。井上光晴は100パーセントありのままに書くことはできず、15パーセントくらいは自分を擁護するウソを混入させているはずだと述べている。(…

哲学の効用?

世の中には働かなくても不労所得のある人は生きていける。ぼくは昔そういう人が会員になっているスポーツクラブに一時期通っていたことがある。入会金が30万円した。ぼくの年収からしたら破格の料金なのだが、そのころテニスが面白くのめり込んでいてこの趣…

本を書いている自分を創造する

ぼくは自分の書いた文章を読んで同じような調子が感じられるのを確認して、自分らしさがそこにあるのに満足を覚えていた。これは他人じゃなく自分の書いたものだと認めるのは個性なのだと思っていた。ところが、今日突然に同じような調子なのは成長していな…

K先生との別れ

自分がどういう風に生きてきたのか、何故そのようにしか生きられなかったのか、今原因をたどる想起に身を委ねていて、思い当たることを発見した。ああ、そうだったのかと今にして初めて合点がいくのは、過去のことではあっても前進なのではあるまいか? たし…

マイスウィートロード

昨日、西部邁の出ているYoutubeを見ていてふとビジョンが浮かんだ。気だけは若いと思っている自分が、年相応にある治り方をするような気がしたのだ。年齢を重ねて人となりが、落ち着いた自信が身につくように完成していくイメージをこれまでどうしても持てな…

遅すぎる気づき

これは認めるのが恥ずかしいのでブログに書かないでおこうと思ったが、思い直して書くことにする。ぼくという男がどういう人だったか記録のために。それは自分が女性との付き合い方がわからず、付き合ってくれた女の子に徒らに悩ませるようなことをしてきた…

想像上の自分を夢で見る

夢を見ている時、ふと自分はどこにいるのだろうと反省してみたことはないだろうか?夢の中に一人の男がいておそらく自分なのだろうと思っているが、その男を見ている意識は眠っているはずの自分ではないかと思うと、その男は意識している自分ではなく想像上…

現在、過去、未来

労働、生産による社会生活から身を引いて、自己学習による年金生活に移って3年になる。確実なことはすべて自分の過去にあって、それが学習の(探求といってもいい)素材を提供することになるから、自ずと過去に向かうことになる。例えばむかし買ってそのまま…

哲学の必要性

固有の存在を確実に存在づけること。ぼくが一番最後つまり最近学んだことは、非現前の存在が現在を支配していることだった。意識に現れてこない領域の現象学的記述(「存在と無」)を読む必要性を今感じている。自分にとってそのことの到達性には意味があっ…

サルトルは古いと言っている人が古い

「本書(存在と無)には、哲学的にはヘーゲルとフッサールとハイデガーの到達した以上のものはないと考えている。サルトルの独自な文体で、3人の哲学を晦渋に言い直しただけだ。」______このようなサルトル読解があり「今日では、彼の思想はずいぶん…

読書について

本を読んで過ごすことが退職後の基本的な生活になっているが、それだけでは何となく物足りなさを感じてしまう。しょっちゅう旅行に行けるわけではないし、この歳で一人旅をするのもいざとなると気が引けてしまう。読むというだけでは自分ひとりで終わってし…