彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

ジンクレールとぼくと

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「ただひとつ、できないことがあった。他の連中がするように、心の中にもうろうと隠れている目標を外に引っ張り出して、どこでもいいから目前にえがくということだった。他の連中は、自分たちが教授なり裁判官なり、医者なり芸術家なりになろうとしているのを、それまでにどのくらい時間がかかるか、そしてそうなれば、どういう利益があるかということをはっきり知っていたのだ。ぼくにはそれができなかった。もしかしたらぼくだっていつかはそんなことができるかもしれない。しかしどうしてそれがぼくにわかろう。おそらくぼくも、何年もの間さがしにさがし続けねばなるまい。そしてろくな者にならず、目標には達しないだろう。あるいはまた、目標に達することもあるかもしれない。しかしそれは、悪い、危険な、恐ろしい目標である。ぼくはむろん、ただひとりでにぼくの中から出たがっているものだけを、生きようとしているにすぎない。それがなぜ、こうまでひどくむずかしいのだろう。」________『デミアン』より。

ぼくの高校から大学にかけて、全くこのようであったのでまるで自分のことが書かれてあると少し驚いた。というか100年以上昔で、しかも国が違うのに同じような精神状態であったことはほとんど奇跡に近いのではないだろうか?この時期の同一性を大切にしまっておこう。定年退職したぼくは世間的な目標などもう気にする必要がないのだから、もうひとつの目標(悪い、危険な、恐ろしい目標)の方を意識の中で追求してみたいと思う。それは今やっている、「青春時代に還って自分を作り直す本を読み解こうとする」ことだ。もう青春時代に戻れやしないのだからおそらく危険だろうと予感する。