彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

中学のころ在日米軍向け短波ラジオを聴いていた

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小学校の間はよくできた子で先生の間でも噂されるほどだったのに、中学に進むと一転して親和感から少しずづ疎外されるようになっていった。学区というのか校区というのかとにかく中学になるとこれまでと生活環境の異なる生徒が集められるので、街の中心部でやんちゃに育った不良っぽい生徒が入ってきて、雰囲気は牧歌的な感じからよく言えば都会的な感じになった。多分その空気みたいなものに感染したのだろう、ぼくは何も起こらない日常がたまらなく息詰まり嫌になった。何か刺激が欲しかったがお金も勇気もなく、勉強のかたわらラジオからの海外音楽の情報が唯一の楽しみになった。ビルボード紙トップ100を在日米軍向け短波放送から毎週聴いてノートにつけていたほどの身の入れようだった。ビートルズよりはストーンズが好きで、オーテイス・レディングなどのソウルも肌に合っていた。スペンサーデイビスグループやラスカルズのような白人R&Bもかっこよかった。村上春樹の小説によくアメリカンポップスの曲が出てくるが、世代がちょっとだけ下なのでぼくが親しんだ曲は出てこない。中学の頃に聴いた音楽は確実にこころの底に沈殿して、感覚の基礎部分は日本的なものにはならず海外へのあこがれ力を作ったのに違いなかった。例えば高校に進んだとき世界文学全集にのめり込む原因になった。

64歳の今の自分が定年退職して社会とのつながりに気を遣う必要も少なくなり自由感のままに過ごせるようになって、髪を伸ばし始めたのもあの頃の蓄積が活気づき始めたものと思われる。