彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

64歳のいま

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 現在。ここに居て妻と二人で暮らしている。近くに母が一人で住んでいる。外から何かを指示されて動くことからは解放されている。よく若い頃を思い出して時間を過ごすことが多くなっている。若い頃の気持ちにしばらく浸っていると、無意識の語り得ぬ非存在の、圧倒的広がりがあったことに気づく。その頃あった未来というものが、今はないことに気づく。空きスペースが随分とあった。それが消えている。齢をとるというのはそういうことなのか?無限と思える未来が今は無くなっている。おお、本当にそうなのか?例えばジャンクリストフの生きた大河のような人生はもう、ぼくには望めないことなのだろうか?おお、それを取り戻したい!

二三日前にFBから離脱した。自分を変えるために。中学生の頃の自分を思い出していた。自分の海外への憧れの源が中学の時のアメリカンポップスへの沈潜にあることを思い、その頃のヒット曲をyoutubeで聴いていた。PPMの曲が今のぼくの心にも沁み渡った。あの頃は世界がとても小さかった。ほとんどどこへ行くあてもないから部屋に閉じこもっていた。特に冬の間はスキーにも行かなかったから、音楽を身いっぱい受け止めていた。自分の部屋は屋根裏のように天井が低く暗かったが、狭いということはなかった。一人で心地よく自分の世界に閉じこもっていたので、世間の動きから遠ざかっていただろうと思う。その頃、世界はベトナム戦争パリ五月革命、中国文化大革命など激動のはずだったのに、地方の田舎町には何の影響も及ぼさなかった。それらの外の動きを受信するにはぼくは幼く、情報を理解する知識が全くなかった。