彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

歴史の真実は口には出せないことが多い

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定年退職して一番良かったのは、もう取り残されるという心配がなくなったことだ。サラリーマンの時は周りから遅れをとることが格下げを意味するので、頭から社内のことが離れなかった。ところが今は周りがそもそもないからほとんど気にすることがない。世間的には遅れているのかもしれないが、自分では自分の方がラクラク進んでいるという気がしている。北朝鮮やトランプのことだって、マスコミにとらわれず一切の利害関係から解き離れているので、落ち着いて見ている。ただこころで思っていて口には出さない。歴史の真実は口には出せないことが多いからだ。

昨日奥崎謙三という人をある人のブログから知った。この人はニューギニアの部隊から帰還してから帝国陸軍の犯罪を追求する使命を持った。ぼくが歴史の真実は口には出せないことが多いと思ったのは、戦中の軍国日本の戦争責任には今更口にできないことが山ほど埋もれていると感じさせられたからだ。