彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

大江健三郎「日常生活の冒険」を読む(続き)

高校時代の同級生Tくんとの読書会の4回目は「日常生活の冒険」である。大江健三郎は1935年生まれでぼくらより18年早く生まれている。この小説の「ぼく」はほぼ大江自身であり、斎木犀吉と最初に出会う時18歳であるから、ぼくらが生まれるか生まれないかの時代設定になっている。18から27歳まで斎木とつきあったおよそ10年間の青春の記録を作家になって10年経った時期に書いた長編小説だ。

その頃「セブンティーン」とその続編「政治少年死す」を出版して右翼から脅迫を受けていた大江自身が「ぼく」として登場している。それに「あなたは、、、、空想してみたことはおありですか」と冒頭に直接読者に訊いているので、これは大江の私小説かと思わせるほど率直にというかほとんど警戒感なく書いてる小説らしくない小説のようにぼくには思われた。

60年安保の年に中国に招かれて毛沢東に会ったことまで出てくる。再読は完了せず三分の一くらいまでしか進まなかったが、最初斎木犀吉の伝記であり彼の破天荒な人生を描いていると思っていたが、再読時はまるで大江の青春時の葛藤の記録のような感想を持った。同時代を生きた一番の友人として彼の死を、無名に終わった芸術家の死を書かずに葬り去ることができなかったのだろうと思う。サルトルのように、書くことがそのまま人生であるような、人生のドラマ化がこの小説のテーマであるとして、それにしても斎木と大江の青春はいわゆる知識人っぽいと感じざるをえなかった。つまりエリートでありぼくらとは住む世界が違うのだった。

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