彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

ぼくが本当に少年だったころ

食べていくためには身を捨てて見知らぬ世界に繋がれる必要があった

ぼくはそれを認めたがらない子供のこころを封印した

人生が黄昏に近くなってその世界から免除された

あれから何日も経って思い出した

自分にも子供の頃があったことを

 

つい今しがた、あの状態が訪れた

遠い記憶が蘇り、包まれたような感じがした

ぼくが十代の半ばの頃、都市を彷徨し居心地のよい疲れのままに

屋根裏部屋に帰って夢想していた頃

ランボーを読んでいた

 

世の中はサイケデリックな喧騒の中にあった

ぼくの身はミルク色の朝もやに包まれて、まどろみの中に浸っていた

自由だった

時間の観念がなくいつまでも閉じこもっていることができた

おそらく世界も同じように歴史がなく、不思議な共時性に溢れていた

ビートルズがアイドルを捨て、より本来の奔放な世界に入っていった時代

 

ぼくたちは闘う必要がなく、思うまま自分を表現していればよく

それぞれに軽やかに身を飾ってお互いの眼差しがやさしかった

街に出て大人には出会わなかった

いつも祭りのようであったかもしれない

歩行者天国という非日常が気だるい真夏の午後のあちこちに展開されていた

 

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ぼくが本当に少年だった頃があるとはなかなか思えなくて

少しは勉強ができる子だったのが内心嬉しかったのか

意外にも父はぼくの部屋を作ってくれた

 

ちょうど内面というものが生まれ始めていたこともあって 

ぼくは部屋に閉じこもって 、毎日夢の中にいた 

甘くて牧歌的でそれでいて都会的で、妖精に憧れるボヘミアンだった 

そのころ男性ファッション誌に載っていたライフスタイルは

ヒッピー族がモデルとなっていた時代だった 

 

ぼくはパープルカラーの花柄のシルクスカーフを 

首に巻いていたような  フラワーチルドレンの一人だった