彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

サルトルとマルクス

ぼくのさしあたっての目標は、自分を取り戻すことだ。決して公共性や社会性に行き着いてしまう外面だけを自分だとするのではなく、錯乱や過剰な愛や優美さや放浪を愛する詩人の魂をも持とうとしていた自分を失いたくない。北見秀司のいう「生き延びるためではなく、生きるために」今生きている意味を十分咀嚼しながら生きていきたい。

これまで影響を受けてきた哲学者、思想家、詩人のもとにもう一度立ち戻って対話をしたい。知り始めたばかりで深く理解することがなかった多くの偉大な賢者たちともう一度ゆっくり対決したい。

そういえばサルトルについては昔の頃と比べれば、北見秀司のおかげでずいぶん身近に感じられるようになった。そのラディカリズムに魅力は感じてはいても、どういうことを言っているかイマイチよく分からなかった。絶対的自信は感じるが見下している感じはなく、人懐こさを感じる。マルクスはまだ遠い人である。ぼくが22か23の時、「資本論」と取り組んではいる。字面を読んで追っていくだけで、深い認識を得て魂の力を感じ取ってはいなかった。その時、ぼくはどのように世界に近づいて行ったのだろうか?

 

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