彷徨える初期高齢者

結局自分自身についてしか確かなことは言えない。時代とその世界の中で生きて、自分を通してしか知りえないことについて現象学的記述を試みる。

哲学の必要性

固有の存在を確実に存在づけること。ぼくが一番最後つまり最近学んだことは、非現前の存在が現在を支配していることだった。意識に現れてこない領域の現象学的記述(「存在と無」)を読む必要性を今感じている。自分にとってそのことの到達性には意味があって、宮台真司によれば現代の日本に固有のアクチャルな問題(共同体の喪失)でもあるということだった。

もう少し日常性に引き寄せて言うと、あまりマスコミの言に信用を置くな、ということだ。マスコミに現れている主張は、現前する世界しか語っていないからだ。真に歴史的現在を流れる生きた現在は、何にもとらわれていない哲学の目にしか見えない。だから哲学が必要なのだ。

誰が真を語る哲学者なのか、それには哲学の専門研究者の解説を頼るのが現実的だ。自分にとって最も信頼のおける研究者は北見秀司氏である。彼のおかげで大衆から抜け出ることができるようになった。もっともそれは意識レベルではあるが、まずは意識レベルで自由になることが、存在の自由につながり行動や実践の変化をもたらす。

 

f:id:hotepoque:20180210095040j:plain