彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

疎外感の時代 1

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もう稼がなくてもなんとか生きていける定年退職者の身分になって、働いて生活していく人生が終わってみると人生が終わりに向かうには早すぎて、身軽になっている現在が漂っている場を作っている感じがする。定年後の生活イメージが定着しないのである。一つの人生が確実に終わったのにまだ先が見通せないほど長い気がする。本当に思い通りの生き方ができるはずなのに、始められないでいる。64年間の人生は特別の試練を幸いにももたらさなかった。

父は83歳まで生きたから、ちょっとした事故死だったけれどそれほど不幸ではなかった。戦争で悲惨な体験をしたわけでもなさそうだった。ぼくは戦争を体験せずに済んだ世代に属している。餓死寸前になったり、肉体の限界まで酷使する状況に置かれたり、大量に血を見たり肉片が散らばったりしているのを見ることはなかった。

その代わりというのも変だが、平穏すぎて空虚を感じる、締まりのない日常というものは嫌という程経験している。何事も起こらない毎日が続き、何事もやろうという気にならない時間が山ほどあった。ぼくの周りには刺激的な人物があまりいなかった。学生運動がほとんどぼくの人生で唯一といっていいほどの刺激だった。

ちょうど大学に入って最初の夏が訪れるころ、野鳥公園でスケッチしていると声をかけられて、タイミングよくガールフレンドが出来かけたのに、禁欲的に活動家と思われていた先輩に近づいていく決心をしたのだった。(ぼくは何事も同時進行するやり方は不器用で出来なかった)何となく空虚に耐えられなくて、世界との熱い関係に入っていきたい衝動に駆られていたような気がする。三島由紀夫の自決があったのが高校2年の時で、連合赤軍浅間山荘事件のあったのが高校3年で、大学一年の時に岡本公三のテルアビブ乱射事件があって、物騒な雰囲気が時代の空気を染めていた。元全共闘だった人がこの時期に運動から離れていったと述懐しているのを読んだことがあるが、ぼくの場合、今から振り返ると、訳のわからない暴力に対する幻想を掻き立てられて離れるのではなく逆に近づこうとした。少なくとも今日のISのような暴力とは異なる何かが感じられていた。(現在起こっている暴力には残忍性しか感じられない)世界には自分が全く想像もできないことが起こっている、今まで自分は何も知らずに来た、もっと今起こっていることを知り、理解できるように勉強していこう、というふうに自分の衝撃を受け止めたように思う。

ぼくは美大に進学していて、デザイナー志望が集まる、職能資格を得るための学校に入ってしまった。受験倍率7倍だったので受かった時はそれなりに嬉しかったのだが。毎日、4年分のメニューの中から課題が与えられて、ぼくのような社会派の勉強をするにはもちろん向かない環境だった。