私の定年後文学人生

人は、自らの青春を救うためにのちの半生を費やすという。だがぼくは、そうして本当に救われたという人を見たことがない。____松澤正博

現在、過去、未来(つづき)

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地球温暖化が進み異常気象が頻発するだろうことはありそうだ。AI化が進み生活のすみずみにロボットが現れるだろうことも予想できる。デフレの国日本は旅行コストが割安なので、今後も海外からの観光客は増えるだろう。しかしこれらは皆、過去とつながった未来だ。そもそも未来だけを時間の流れから切り離して取り出せないのだ。

戦争が未来に起こるとしたら、過去から現在にかけてその原因となることが蓄積されてきて、未来のある時点で一挙に爆発して起こるのではないだろうか? あるいはとても静かに国境のどこかで小さく始まるかもしれない。(ぼくは別に日本の周辺で始まることを想定して言っているわけではない)戦争は暴力の最高形態ということもできる。

対立する二項がアンダーコントロールから離脱して、権力者の無責任から結果を考慮することなく「どうにも仕方なく、やるしかない」と進めてしまうかもしれない。それに合わせて頭のいい人が「それは宿命だ」と言って国民の疑問を抑え込むかもしれない。

そんな権力者の暴走の可能性を小さくするために憲法があるはずだった。その憲法をあろうことか行政のトップから義務を放棄して骨抜きにしようとしている。ぼくは帝国主義というイデオロギーが戦争を正当化するので、帝国主義が誰が見ても明らかに虚偽であることを、まず理論的に証明できなければならないと考えている。もちろん21世紀の帝国主義は19世紀や20世紀のものとは違っている。しかし、歴史は時間でずっと繋がっているのだ。

なぜぼくがこんなことまで書くのかと思われるだろう。名もない一定年退職者の書くことなんて誰も見向きもしないし、そもそもお前にそんなことを問題にする資格があるのかと言われるかもしれない。しかし主権は国民にあるはずじゃないのか。ぼくの住んでる国はそういう国ではないのか?それは、How to be a Human Being の問題でもある。