彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

本を書いている自分を創造する

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ぼくは自分の書いた文章を読んで同じような調子が感じられるのを確認して、自分らしさがそこにあるのに満足を覚えていた。これは他人じゃなく自分の書いたものだと認めるのは個性なのだと思っていた。ところが、今日突然に同じような調子なのは成長していないからで、限界に立ち止まっていることじゃないかと疑問が湧いてきた。心の感じるままにとか、ある発見に至る出来事を振り返って再現することを書く技術だと思ってとにかく書いてきたが、書いている自分は全く変わっていないかもしれないと思うと、急に気が抜けてしまった。小説家の書いたものは変化があり、作品にはある到達点が必ずある。創造することで書く主体が生まれ変わっているのだ。

追体験ではなく、体験しなければならないのだ。自分が体験する世界を書く必要があるのだ。本を読んでいる自分ではなく、本を書いている自分が創造されなければならないと気づいた。そうだ、創造すればいいのだ。