1953年生まれの自分史

結局自分自身についてしか確かなことは言えない。時代とその世界の中で生きて、自分を通してしか知りえないことについて現象学的記述を試みる。

1982年5月18日付の日記から

f:id:hotepoque:20180310120209j:plain

どういうところからでも「小説」は始まると思う。入り口はきっとある。例えば夜友人から電話である過去が思い出され、未だに決着の付いていない問題に再び取り組み始めるというような。「小説」を実生活からどこかで隔離して育てる必要があり、「問題」を考え反芻するのは「小説」の中である。あまり気取らずにできると思える範囲でとにかく一つは作ってみようと思っている。何よりもぼくに必要なのは自信なのだから。

京都で夜友人とジャズバーで飲んだ時に、その店でバイトしている女の子とちょっと話した。気になったのは彼女が自分を悪女のタイプと決めて、ほとんどそれを信じていることだった。途方もない独りよがりにしか思えなかったが、全然悪びれるところがなく、この頃の女の子はこうなのかと納得しようとした。信じればそれが通じるという範囲内で彼女は生活しており、それをあえて幻想だなどと野暮な忠告をする人間をはじめから追い出しているのだ。しかし悪女は努力すればなれるものかもしれないと思った。(彼女はどうして自分を悪女だとぼくに言ったのだろうか?)

ちなみに僕の悪女のイメージを書いておきたい。

それは形はなく、目に見えさえしないが、しかし心に直接訴えかけてくる何かである。可愛らしく、豊かで明るく、思いっきり贅沢で、オリジナルであり、所持する何かではなく、存在であり、甘い優しさを含み、子供っぽく、皮肉屋で高慢で、挑戦的であり、いたずらっぽく、都会的で、意地っ張りで、怠け者で、純情で、悪を受けつけず、夢見るような顔つきをしている女性の持つイメージである。