彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

少しづつ昇りはじめる

       f:id:hotepoque:20180311074852j:plain

定年退職すると老いに向かって下降するばかりと一般に思われているだろうが、ぼくは違うぞと力んでいても体は正直でやはり下がり続ける流れにあるのはいたし難かった。サラリーマンでピークを過ぎた頃からそうだろうから、かれこれ15年以上は下がり続けていたと感じられる。ところがたった今、これを書き始めた時、こころの中にある上昇感のあることに気づいた。もともとぼくは、周囲から隔離された孤立感にとらわれることが多かったが、その隔たりのまま、それを利用して周りの下降圧力を感じることなく、一人で充実して勝手に上がり調子にやっていこうと思いついた。

しかしなぜ今上昇感が芽生えたのだろうか?それは本物だろうか?

希望だろうか?ぼくのような人間には現実世界のリアルな閉塞状況の外に、確かな別世界があるのとないのとでは生きる張りが全く違う。資本主義の「外」が確かにあると感じられるように最近なってきたからかもしれない。

昨日、沖縄辺野古の海の環境を15年以上にわたって守り続ける日本自然保護協会という団体を自主上映会で知った。その団体はまた国際自然保護連合(IUCN)に属していた。この団体はジュゴンの生息が確認された大浦湾の環境を守るために、その海を埋め立てて米軍の軍事基地が建設されることに反対するのだった。