定年後の文学人生

結局自分自身についてしか確かなことは言えない。時代とその世界の中で生きて、自分を通してしか知りえないことについて現象学的記述を試みる。

転換し始めた意識 2

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書くことによって自由感が広がるのをちょうどみぞおちの辺りで感じている。この感じはつい最近訪れた。ずうっと過去の方に回想を続けていて、意識に蘇った量がある水準を超えて質的な変化を起こしたのかもしれない。夢の中の自在感のような、浮遊するイメージとともにある種の感情が同期している。サルトルは存在がむき出しに自在するイメージを「嘔吐」という生理的な反応に対応させたが、ぼくはすべてを内在する想像的存在に取り込む(対応させる)ことによって、存在が明け始める感じをつかんだ気がした。その力が自分に備わってくるのが分かって自由感を感じたのだと思う。

現在と過去の二元世界のうち、これまでずっと現在の現実世界が他者に支配されていて閉塞感を味わっていた。だから現実否定が常態であり、過去の方に向かっていく方がむしろ充実感を味わえた。

ところがこれが今逆転しつつある。過去が断絶されることで現在が元に戻って生き始めた感じを書き留めようと思った。青春に帰るのは若々しさを取り戻すことだと思っていたが、実はそうではなく現実を狭めることだと気付いた。現在が軽く扱われることで今開いている現実に気付かなくなってしまうことで、むしろ老いを深めているのだ。若さとはあくまでチャレンジする姿勢を保ち育てることにあるはずだ。もし過去が意味を持つとしたら、チャレンジしていた頃を再現することにあるはずだ。

瑞々しい知識欲を実在する地点に向ける必要がある。実在する場所でぼくの感性が振動して、古い殻を落とせるかもしれない。そういう実験が意味あることだ。