開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

再び書くこと

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ぼくが書くことに関心があるのは、書くことで自分がはじめて存在できると考えているからだ。書かないうちはただ生きているだけという状態であり、ぼくはその状態のままでいることに耐えられないと思っているからだ。他人のことは本当はわからない。書かないで当たり前に家族や友人に取り囲まれて幸せに暮らしている人たちがいるとは思うが、その人たちと自分を区別したりしたいわけではない。ただ自分を書いたものの中に存在させることの独特な感じに、得難い快楽のようなものがありそれを失いたくないと思っているのだ。

しかしどうすれば書いたものの中に自分を存在させることができるか、それは書くことで自動的についてくることなのか、意識的に作り出すことなのか、どんなことを書いても実現することなのかといった問題がある。

例えば自分とは何かという問いがある。生きて生活して様々な人間関係を築いていくときに、主体として意識されるものだと一応言えそうである。肉体を持って家をはじめとして一定の空間を占めたり、移動したりするので実体を備えているとも言える。また感情や欲望が湧いてきて感じたことを判断して行動したり、周囲との反応や応答を繰り返して物事が進んでいくような環境にいるという感じがある。改めてそういうことを書いてみると自分が存在しているように思えるが、実際はそれぐらいのことは意識せずほとんど自動的に生起している。無意識になっていることは存在していないことと同じではないか。意識がなくなれば死んでしまうので、意識しないのは死んでいるのと変わらないのではないか。

書いたものの中に自分を存在させるというのは、今書いたようなことの中には存在させられないのではないか、と思うのだ。ほとんど無意識になっている中には自分は存在しない、なぜならそこで生きていないから。生き生きと存在させなければ書いたものの中に自分は存在できないし、独特な感じもない。