彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

漱石「こころ」再読中

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今月の野々市市公民館の読書会の課題図書が漱石の「こころ」なので、今18章まで読んだところで、少し感想を書いてみたくなった。(というのは自分の感じ方を言葉にして「中」に入ってみたいということなのだが)というのは今朝起きると、夢を見ていたことに気づき、全く久しぶりに恋愛対象の女性と隣り合って、からかったり意気投合したりする場面が夢にあったので、それは読書中の影響かもしれないと感じたからなのだった。「こころ」には漱石の恋愛体験や奥さんとの内面の交流が、先生の手紙という形式をとって告白されているということをぼくは感じた。奥さんがこれまでの漱石作品を読んだ時よりも生き生きと感じられた。意外と奥さんの存在が大きかったのではないだろうかと思わせた。奥さんは古風でありながら、奔放なところもあり、懐の深い知的な人で決して昔の日本女性という印象はない。「こころ」の中で、奥さんになる人は琴の稽古ではあまり上手ではないと書かれている。先生が住むことになる下宿先の部屋の隅に使わないときの琴が立てかけてあり、先生にはそれが艶めかしい物に映った。決して芸事に打ち込むタイプではないが、彼女の分身のようには琴と一体化しているほどには見えていた。そこそこ琴を弾けるのではあるが、琴に縛られてはいないという感じといったところだろうか、、、

この「こころ」は漱石胃潰瘍で亡くなる2年前に書かれている。「こころ」中の先生は自殺を選択するので死がいつも頭にある状態であるし、漱石にも修善寺温泉胃潰瘍で死にかけた経験もあり、死は身近に感じていたはずだ。「こころ」はこれから例の先生の友人Kが登場することになる。これからKをめぐって真相が明らかにされていくわけだが、それは先生がずっと「負い目」を感じ始める過程でもある。

マルティン・ハイデガーは主著「存在と時間」で人間の本質的な実存現象として、良心、死、負い目を挙げている。漱石も「こころ」で、良心、死、負い目といった実存の悩みについての物語をどうしても書きたかったのかもしれない。