彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

自分史2

ぼくは大学3年次を留年している。とても傲慢に聞こえるかもしれないが、その時これまでずっとまあまあ順調に来ていたので1年ぐらい猶予期間をもらってもいいのじゃないかと考えて、本当に自分の支えになる世界観を築こうと自主留年したのだった。作家の三田誠広は高校2年次に1年間休学して、自分の立脚点を作ろうと思想書などを読みまくったそうだが、能力の差はあるだろうがぼくも同じことを考え、資本論などを苦労しながら読んでいた。三田誠広はその頃の日々を「Mの世界」という小説にまとめているが、ぼくにはそのような力がなかった。資本論ヘーゲル弁証法の論理で古典経済学を批判的に再構成して、資本主義を内側から分析したもので、読むには厳密に学問的態度を要求される。読んだことのない人は、マルクス共産主義の黒幕のような狂信的で怖いイメージで捉えている人もいると思うが、レーニンのような革命家ではなく、学者肌の人だったとぼくは思っている。ただし影響力は絶大で歴史を塗り替える革命や国家の独立の源泉を作った世界史的超重要人物には違いない。ぼくが1年間だけ関わった学生運動では当然マルクス主義の世界観をとるわけだが、実践を重要視するのでレーニンの「国家と革命」をいきなり勧められたりした。また黒田寛一という革命家の理論書も「社会観の探求」とか「現代における平和と革命」などを基礎的なテキストとして学習会がもたれたりした。これまた学生運動をあまり知らず、ニュースで報道される「悲惨な」事件でしか知らされていない人にとっては、これらの本で洗脳させるようなイメージを持つかもしれない。確かに教養として勉強だけするわけではないので、究極的には革命家としての理論を身につけさせるものだと思うが、たえず自分がどう行動するかの判断を育てるもので革命家になるならないは自由なのだ。もちろんぼくはその気はなかったが、先輩にはその気があった。現在のぼくはその頃学んだことは教養として残っているわけだが、学生運動を離れて普通の社会人としてその教養が支えになっていなくもないと思っている。

f:id:hotepoque:20180520151308j:plain