開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

引きこもりについてのぼくの考え

引きこもりとは、仕事や学校に行かず自宅に引きこもり、家族以外とほとんど交流しない人や状態を指す。日本の厚生労働省は、こうした状態が6か月以上続いた場合を定義としている、とwikipediaにはある。これは現象だけを言って定義とは言えないと思う。一般的に言って、社会的不適応という状態が引きこもりだと思うが、そこでの社会というのは学校や職場のことである。家庭ではない。家族関係とは異なる関係のもとに学校や職場では置かれる。そこには友人もいるが、ライバルや敵対する他者もいるかもしれない。自分を理解してくれそうな人もいるが、全く相互理解が不能な人も中にはいるだろう。

ここで定義をもっと本質的に探ってみるのに、話を極端にしてみると分かった気になるかもしれない。ある意味引きこもったままに生きていけるのなら、理想的な生き方だと言えないだろうか?ここで言っている引きこもり状態というのは、自分の自由感に何の衝突もない状態という意味で、必ずしも部屋に閉じこもっている現象を問題にするのではない。もし友人や恋人もほしくなく、周りの人間を自分に従えるだけの権力の持ち主であれば、そんな生き方もできるかもしれない。ヒトラースターリンはある時期そうだったかもしれない。自分を変えずに社会の方を自分に従うように変えればいいからだ。

ヒトラースターリンは独裁者で権力に「引きこもって」いたのだが、芸術家は自分の作品という絶対的空間の創造者という意味で引きこもりであるとも言える。能力が人並みの凡人には引きこもりは許されないのだろう。社会の方が圧倒的に強いからだ。

現実の引きこもりの中には学校でいじめにあった生徒も相当数いると思うが、彼らは弱者として安全な避難場所を求めて自宅の部屋に引きこもっている。彼らが弱者であり続ける限り、引きこもっていなくてはならない。おそらく解決策は強くなることだと思われる。ぼくの場合も、遅ればせながら切羽詰まって受験勉強に集中し大学に合格したから引きこもりから脱出できたのだ。それは幸運だったということもできる。なぜなら多くの引きこもりは強くなろうとしないか、強くなる方法が分からないかであって、強くなれないから引きこもっているのだからである。強くなるには最低限の才能か、武器が必要だ。ぼくの場合は書くことと、英語能力だ。みんな最低限のどこか小さな部分でいいから、強くなってほしいと思う。