開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

これがぼくの現実

多分坂口安吾を読んで影響されたからだと思うが、自分のこれまでの書き方を変えてもっと自由に自分の今を語ってみたくなった。真実や本当のことというのは何かに隠れていて、滅多に明かさないもののように暗黙の了解がある。ぼくも少しはそんな話がある。それを書くとまず妻が読んだらどう思うかということが気になって、書かないことがある。そんなちょっとした秘密は誰にもあるだろう。そんなことを今書きたいと思ったのではない。もとより教訓めいたことは言う資格がないのではあるが、自分の今の実感を正直に述べることで誰かが生きるサンプルとしてちょっとは興味を持たれるのではないかという気がする。それすら傲慢な考えだろうか?

ぼくはサラリーマン人生を38年間送ったのだが、よく我慢し通したものだという以外に感慨がない。よかったのは厚生年金が少なくてももらえることだ。妻の年金と合わせれば普通の生活がよっぽどの事故がない限り送れそうだという安心感は、今のぼくには精神的な財産となる。サラリーマンは社畜であり、個人の能力というものは必要がない。社畜の能力だけがある。感性が敏感だと屈辱に身悶えすることになるから、できるだけ鈍感になろうとする。給料の差や人事の不公平感に感情がとらわれたりすること自体が許せないので、鈍感になる方が手っ取り早い。会社を辞める方が賢明だったかもしれないが、器用な方ではなかったので面倒くさくなって流される方を結果的に選んでしまった。そしてますます社畜になっていくわけだが、強制収容所よりはマシだと思って耐えてきたのだ。マシというのはわずかながら給料がもらえ、社会保険や定年までいれば退職金がもらえることだ。

だからできるだけ無個性で働くのと、少々の奴隷的な過酷な環境にも耐えられる肉体と精神があればぼくのように定年まで会社に居られると思う。会社を甘く見てはいけない。毎日が戦いというほどの覚悟がいると思う。要は表面的な現象とか言葉に騙されてはいけないということだ。坂口安吾も書いていたが、一番悲惨なことは落伍者になって貧乏になることではなく、それによって自信を失うことだ。くたばらなければいいのだ。65歳になってようやく過酷な状態から解放されて息をできるようになった、というくらいに今を考えている。