彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

「風と光と二十の私と・いずこへ」を読んで

今回読書会で取り挙げた坂口安吾の「風と光と二十の私と・いずこへ」はぼくにはとても面白かった。小説ではなくて自伝だから全て本当のことだと思って読んだ。戦前、戦中、戦後を生き抜いた文士というに相応しい生のドキュメントであるが、記録という意識ではなくて自分との格闘であり、孤独で放埓的でありながら求道的な魂の放浪記とでもいうべきものだった。面白いと感じたのは何者にもとらわれない自由さがあって、自分では経験できない境涯に連れてこられて、貧乏と狂気が常態の深い底辺で坂口安吾が生きた世界を直に感じられたからだろうか。とてもこういう風に耐えられないはずなのに、それでも一緒にいられるから不思議である。ぼくは酒はほとんど飲めないから酒に溺れてせっかく借りた金を全て飲んでしまう亭主の心理は本当のところは分からないはずなのだが、奥さんが可哀想と思いながら仕様がないと思ってしまう。矢田津世子という美貌の女流作家との恋では肉体関係にならずに分かれることになる男女の間のことが、書くことでラディカルに決着がつけられる。猛烈に引き合うのに、冷たく相手を軽蔑せずにいられない目が曇ることなく働いている。女性の本能的な反応を俗っぽさとして切り捨てる男のプライドというには皮相的かもしれないが、作家としての能力を見くびられたからだろうか、本人は思い上がっていたと書いているが彼女を残酷に拒否した。この辺りの正確な心理は多分とらえきれていないと思うが、ぼくにも幾分似たような経験があってこれまでどう解釈していいか分からないでいた部分だった。カフカにも不思議な女性観が感じられるのだが、まだ坂口安吾の方が近い感じがする。ぼくは自分のために読んでいるのだから、坂口安吾も自分の解明のためのモデルにしているわけで、もとよりあるまじき読者の作法なのだが、、、

坂口安吾の「堕落論」をぼくはクラスの女の子にデートに誘って読み聞かせたことがある。ぼくにとってその本は、白樺派的なまっとうな人生からの転落を運命づけた本だった。ぼくは彼女と一緒に堕ちようと誘ったのだった。

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