定年後の文学人生

結局自分自身についてしか確かなことは言えない。時代とその世界の中で生きて、自分を通してしか知りえないことについて現象学的記述を試みる。

自分に与えられた仕事をやること

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ただ生きているだけで退屈もせず、焦燥に駆られもせず、寂しくなってもなんとかやり過ごすことができ、わずかながら仲間と趣味でひととき過ごす時間もあって、特にこれといった持病もなければそれで十分じゃないかと思われるかもしれない。ただ無名の存在であることからは逃れることはできない、そのことだけが気がかりである。「自分に与えられた仕事をやる」ことさえできたら、脱出できるはずなのだが、自分に何が与えられているのかが分からない。おそらく神を信じているものにはそれが分かるのだろう。その神は日本の神ではなく、唯一神でなければならない。神と一対一で対決するから自分に与えられたものがわかるのだ。自分に与えられたものは唯一のものでなければならない。誰かと同じではダメなのだ。

そういえばぼくの日常生活に祈りという行為や儀式がない。なぜぼくは神が信じられないのだろうか?ニーチェキリスト教批判には説得されている。ただキリスト本人は認めているらしい。ブッダについても高貴で実際的であるから肯定的であるらしい。そうだ、唯識をまた学び直してみることで、自分に与えられたものが分かるかもしれない。分からないかもしれない。