彷徨える初期高齢者

苦しみもがいて、62歳からの生き方を探すことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

「マチネの終わりに」を読んで

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平野啓一郎には惹かれるものがあった。スローリーディングに関する新書を読んでいたからだ。作家の読み方を教えてくれるので当然正当性があると思って読んだ。細部というか、クライマックスを導くエピソードのような伏線に注意するといい、と言っていた。「マチネの終わりに」は人気小説で、金沢市の図書館に予約待ちのまま半年ぐらいかかって通知が来た。本格的な恋愛小説に浸かってみるのもいいかと自分に許可を与えていた。ちなみに本格的な恋愛小説はバルザックの「谷間の百合」やフローベールの「ボヴァリー夫人」、現代小説ではベルンハルト・シュリンク「朗読者」を読んでいて、日本のものでは山本周五郎の「柳橋物語」を芝居で鑑賞している。

そのような「経歴」からすると、「マチネの終わりに」は程よい恋愛(悲恋)物語としてその恋愛感情を受容することができた。過剰なものはなく、どんでん返しもそんなほどではなかった。主人公が天才的なギタリストでヒロインがリベラルなジャーナリストという設定で、芸術と国際的な政治状況が破綻なく展開されていてこの作者の音楽の造詣の深さと現代認識は確かなものだった。小説の中で登場人物が会話したり議論する場面でのリアリズムには、作家の現実認識が当然反映する。ヒロインがアメリカ人の夫を、新自由主義者と呼んでいることが分かるようになっている。おそらくこの本の読者の多くはヒロインの味方をするだろうから、1%の超富裕層対99%のその他という格差図式のもとにリベラルなOccupy Wall Street運動に理解を示すはずだ。その他ヒロインの父はユーゴスラビア紛争を映画化して民族派から命を狙われるような社会派の映画監督であり、東欧の現代史にも読者を誘っている。フセイン後のイラク取材中に自爆テロに遭って、PTSDを患うヘヴィーな体験も盛り込んでいるから、かなりアクチャルな現代が背景にある小説でもある。だからメロドラマ的ロマンスばかりの恋愛小説ではない。

そういう背景だとしても、恋愛には幾つかの偶然が重なり、微妙なすれ違いや価値観の違う女同士の戦いなど恋に欠かせない仕組みもふんだんに仕掛けられている。19世紀や20世紀の恋愛小説にはない、21世紀の美のロマンティズムを堪能できる作品と言えるかもしれない。林真理子は「今世紀読んだ最高の恋愛小説」と評していた。