彷徨える初期高齢者

こころの中の私という同一性の海の中で、少年から大人に移りゆくまでの自己幻想にふと至ることがあって、ああ、あの感じはなんだっけとその感情に寄り添いながら、激しく回顧したい欲望にとらわれる。 喪失が長く続いた後の面影としてふと現れる、こころの不思議さに探求の理性を発動したくなる。 哲学か文学かは問わず、私という現象に没頭したい。

あの時代を生きた世代

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年齢を重ねるごとにナイーヴな心情をかけ替えのないものとして
慈しむ気持ちが成長してきている
それはあの時代に青春を過ごしたからこそであると
失われた時代を慈しむことと重なることになった

今はぼくより数年下の世代にはもとより通じないが
不思議なことに40年もすると珍しがられる
ぼくたちにとって、どの時代にもない独特の乾いた
にじみ出るような存在の心地よさがあった

エロスに知的なエレガントが加わる風情には
東から吹いてくる風がどことなくオリエントを感じさせ
ぼくたちは無国籍な潮流で日本の伝統に
新しい優しさを重ねようと、不遜にも挑戦したのだった

吉田拓郎アジテーションのように歌った
泉谷しげるは情念の解放区を歌った
ユーミンは無国籍の女神だった
村上春樹はキザな語り口を発明していた
村上龍は暴力とセックスを想像力によって解放した
大江健三郎はいつもそばにいてくれた
サルトルは状況を語りどちらの立場をとるか迫った
埴谷雄高は文学の力を信じさせた

乾いた夏の、都市の蜃気楼のような
時間のない形而上的な永遠に育てられた世代だった