彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

私という現象

ぼくが65年間生きてきてそれを振り返る時、一切の感情から解き離れて一個の存在現象として見ることに興味がわく。親の庇護のもとに幼年時代を送り、戦後教育の中の学校教育で育ち、友達社会に馴染み異性との付き合いに馴染み、自我という内面に生き始める。大学まで自分本位に生きて、大きな衝突を避けながら社会に送り出されることになる。労働市場に大学卒業の看板で中流以下の給料で買われる。地方の民間企業で出世することなく38年間のサラリーマン生活を送る。途中31歳で社長の仲人で結婚する。子供ができず夫婦二人の家庭を34年間継続中である。夫婦共通の趣味にテニスを35年間続けている。会社定年延長は1年で辞め、妻とともに夫婦本位の生活に復帰する。

ここまで綴ってきて現象として様々な私以外の要素が含まれていることに気づく。私は現象として大きくは、両親、兄弟、学校、友達(同性、異性)、会社、社長、同僚、顧客、妻、趣味の友達等の関係項と結びついている。市場の中での経済的存在性や商品生産性としての技術という価値に関わる現象もある。両親、兄弟、妻、友人の中でそれぞれ愛情に関わる現象もある。

経済的に極端な困難に陥ることなくただ平凡に過ごせたのは、妻の采配に負うところが大きい。妻と破綻なく家庭を維持できたのもお互いの相性がいい組み合わせを作ったと感じている。現象として記述するには、まだまだ多くを抽象化する必要を感じるが、敬愛する思考モデルとしての師から学んでいきたいと思う。