開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

何を読むのかについて

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先に読むことについて書いたが、読むという行為の本質を微妙に外していたように思った。読むことについては何を読んだかを経験として分析しないことには、読む行為を説明したことにならない。単に小説を読む場合だけでなく、例えば政治情勢や相手の心を読むという場合のように書かれた文章以外にも、読むという表現を使うからである。しかし、その場合も本を読む行為の比喩として使われているような気がする。本質はやはり本を読んでいる時の、読む行為を読むというのだと思われる。

ここ3ヶ月の間にぼくは連続して村上春樹の小説を読んできた。世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「ダンス・ダンス・ダンス」と「国境の南、太陽の西」と「アフターダーク」をまだ読んでなかった(それは38年間サラリーマン生活をしてきて失った自分を取り戻す作業の一つでもある)と思って読んだ。読む行為を具体的に分析するのにこの時の読んだ感じを思い出しながらやったほうがリアル感が出そうだと思う。例えば「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ時に、これが「ノルウェイの森」の前に書かれていたことに少し驚いた記憶がある。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が小説として新しいと感じたからだ。「ノルウェイの森」のヒットによって一躍誰もが知る作家になったが、それまではマイナーなというか、村上春樹村上龍を比較するような小説好きな人々の範囲にいた。ベストセラーの「ノルウェイの森」の印象から、いわば通俗小説として受け取っていた面もあるので、その前に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のような複雑な構造を持った挑戦的な小説を書いているとは思わなかった、というのが正直な感想だった。

ノルウェイの森」のヒットについて村上春樹は、発行部数が100万を超えると1、2万の頃の読まれ方と違ってくるので、逆に読者との親密な関係が壊れて孤独になる、という意味のことを語っていたが、そのことも読むという行為に関わる問題のように思える。作家が書いて伝えたいと思うメッセージが読者が100万も出来てしまうと伝わらないと村上春樹は考えているようだ。つまり、読むべきなのはメッセージなのだ。作家が長い長い時間をかけて身を削るように書いていく文章を読むことは、作者のメッセージを読み取ることであって、感動しただけではまだ十分ではないということだと思う。ぼくにとってこの4作からメッセージを読み取るとしたら、自分の固有の物語を発見して逃げずに(死んだ人の人生も引き受けて)タフに生きろという励ましだと思われる。