彷徨える初期高齢者

62歳からの生き方を探し、もがいて苦しむことに必死になる。誰でもない自分の人生として。

生きがいを求めて

何が一番つらいかといえば、生きる目標がないことだ。38年間サラリーマンとして生きてきて最低限文化的に生きるだけの蓄えと自宅を持つことができた。そのあとを何を目標にして生きていけばいいのか、答えは簡単に見つからない。退職して4年過ぎたが、未だに見つからない。就職して雇われの身になることはもはや耐えられそうにない。しかし仕事という生きがいには強く惹かれる。目標とはサラリーマンとは違う仕事を見つけることとイコールだと思える。何を仕事とすればいいのだろうか?無職でその日暮らしで、することがない苦しみの中に今自分はいる。まずそれを認めることからスタートだ。することといえば、本を読むことと、テニスをすることぐらいだ。それは仕事にならない。それは誰のためにもならないし、価値を生まない。これまで苦しまないために、そういう自分を居直ってきた。誰にも迷惑をかけずに、独り楽しんでいるのは38年間働いてきたから誰からも文句を言われる筋合いはない、と居直ってきた。ただ充実感はない。中がスカスカで手応えがなく、なんとなく寂しい思いがする。

さて、ではどうするのだ?今日午後のコーヒーをコンビニで買って、駐車場で時間をかけて飲んでから、どこへも行けずに自宅に帰ってきた。図書館に行こうと思って駐車場の空きをネットで調べてみていたが、ずっと満車でそのうち閉館の5時になってしまった。昨日読み終わった「さまよへる琉球人」を返して、ケルアックの「路上」を借りてくるつもりだった。好奇心はあるので読書熱が冷めないのが多少の救いではある。日本人だから日本の近現代史を学びたい欲求もある。何しろ学校ではろくに教えてくれなかった。例えば、大川周明A級戦犯だとしか知らされていないが、開戦後すぐNHKラジオで開戦理由を一般向けに分かりやすく講演していて、それが合理的で何ら軍国主義的でないことは、佐藤優の「日米開戦の真実」を読まなければ分からない。また戦争に突入していく頃から戦中戦後の一般国民の人生は加賀乙彦の「永遠の都」全7巻を読めば追体験することができる。今自分が生きていられるのも、戦争に命を奪われた先人のおかげだと思っている。

だから自分が生きているのはどういう意味を秘めているのかぐらいは、ほとんど義務として探求すべきだと思っている。その探求は生きがいにならないだろうか?