開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

居場所がなくては生きられない

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哲学書をまともに読み通した事がないことに気づいたと以前ブログに書いているが、今年は兎にも角にも一冊は読み終えようと目標を持つことにした。哲学に関する例えば入門書は竹田青嗣や「ソフィーの世界」のヨースタイン・ゴンデルは読み通している。中島義道のカント研究書や池田晶子の哲学エッセイもいくつかはともかく最後まで読んでいる。しかし、哲学書そのもの、例えば「精神現象学」や「純粋理性批判」や「存在と無」や「善の研究」や「ツァラトゥストラはこう言った」は、はじめの数十ページくらいでいずれも挫折している。やはり理解ができないのが読み通せない原因であるには違いない。理解できていれば次に読み進められるからだ。解説書にはわかりやすく書いてあるので入門書では読めるのだが、何としても入門書は哲学ではない。哲学の文脈で書かれてはいないからだ。

ここに哲学者自身の哲学入門書がある。マルチン・ハイデガーの「『ヒューマニズム』について」である。これはジャン・ボーフレというフランスの哲学教師に当てた書簡を綴ったものだ。これを今日読み始めて哲学者同士のやりとりを理解できている感じがしている。つまりこの本は読み通せる感じがする。ハイデガー本人が自分の哲学を解説しているので、評論家や研究者の解説ではなくれっきとした哲学の文脈なのである。

存在と存在者の関係とか、形而上学批判の意味がわかる気がする。(これが心底わかるというレベルにはまだ行っていない)なぜぼくが哲学に引かれるかというと、人間は存在を問わずにいられないからだ。というより、存在からぼくに問いが要請されるといった言い方が正確だ。日常の世界のどこかに居場所を得て満足することが出来ない者は、存在を問うて居場所を得るしか道がないからだ。宗教は何と言っても信じることであって、考えて真理に至る方法ではないからだ。