開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

夢想が続けばどんなにいいだろう

ぼくは間違っているかもしれないと呟いていた。こんな風に何もしないで考え込んでばかりいてはいずれ頭がおかしくなって、日常生活がまともに送れなくなるんじゃないかという気がふとする。昨夜はバッハのシャコンヌヒラリー・ハーンの演奏で聴いていて、この音色と調べが甘くてもの悲しい二十歳の頃の気分を思い起こしてくれていた。この時間がずっと続いてもう一度あの頃にそのまま戻れる手立てはないものかと考えて、小説がそれを実現してくれたらどんなにいいだろうと夢想していたのだった。

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ぼくは離れにある部屋に家族から4年間の猶予を与えられて、下宿人のように住んでいた。父はほとんど話しかけることをせず、毎日黙々を仕事場に行って一人で働いていた。孤独な職人だった。母は綺麗好きで、ぼくが小さかった頃は仕事から帰ってきた父と学校から帰ってきたぼくの足をバケツに湯を張って洗っていた。仕事場で不要になった木材を鉈で割って薪にする仕事があって、主にぼくがやっていた。その薪で釜で飯を炊いたり洗濯用の湯を沸かしていた。母は毎日のように湯を入れて洗濯して楽しそうだった。昔の洗濯機は脱水機もなくゴムローラーの間に衣類を挟んで絞るタイプだった。そのゴムローラーをぼくが時々回すこともあり、その日常はとても楽しかった。

小学校の間は図画工作がずっと「5」だったから、絵もうまかったのだろうがそれが楽しかったわけではなく、なんとなく描いているうちに出来上がるのだった。今でも不思議に思い出すのは、物語の絵を描く授業で、「ガリバー旅行記」のガリバーを小人の住民に捕らえられて全身縛られている絵を畳半畳ぐらいの大きさに描いたことだ。何も見ずに想像でスラスラと描いていて、その時の感触だけは微かに残っている。一人じゃなくて二、三人で分担して描いたかもしれないが主なところはぼくが描いていた。クロッキーの時は線を運ぶ手が勝手に動くようだった。あれはスピードが大事だと言われたので夢中だったのだろうと思う。、、、そういうわけで大学は美大を受験して入ったのだが、絵を描きたかったわけではなかった。その頃時代はのんびりしていて4年間遊んでやろうとみんなしているように感じていた。だがそんなに甘くなかったことが後になって分かるのだが、、、