開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

文学とは何か

文学も学がついているので学問の一分野であるのだろうけれど、学者のように文学を分析してもおそらく文学が分かった気がしないと思う。すでに文学を文学的に理解したいという潜在的な気持ちがあるような気がする。ぼくがなぜ文学とは何かを問うかといえば、自分が生きる上で欠かせないと切実に思い、その理由を知りたいからだ。文学がなければ、文学に1日でも触れることがなければ生きている気がしないとさえ思うのは、何が文学にあるからなのかを知りたいからだ。

ここで話題を変える。文学が科学でないことを中谷宇吉郎の「雪」を読むことでひとつの了解を得たことを書いてみたい。それが文学とは何かを考えるヒントになると思えるからだ。

雪は自然現象の一つであり、文学の情緒的表現のモチーフにもなるだろう。特に日本人が自然と一体化し自然を愛でるという態度を持ちやすい。ところが地震や台風のように人間に猛烈な害を及ぼす怖い相手でもある。怖い相手なら簡単に一体化できないはずではないか。自分を破壊する相手に簡単に自分を許して近づけていいものだろうか?文学はおそらく自然を自分に取り入れようとするはずだ。

ところが科学は自分とは切り離して自然に相対する。怖い相手だから徹底的に調べてできるだけ自分にとって安全安心の対象にしたいのだ。どちらかというと自然を「敵」を見做して、敵を知り尽そうと考える。だからまず「雪」についていえば形の違いを分類する。その違いがどのような条件で発生するかを記録する。もし一定の条件で特定の現象が発生して因果関係が見られれば、人工的に現象を作り出すことが可能だと科学は考え、中谷宇吉郎は世界で初めて人工降雪に成功する。

文学にも自然を「敵」として扱う表現はあるだろうか?神話や昔の説話の中にそういうものがもしかしてあるのかもしれない。「悪」として表現されたものの中には「敵」としての自然があるのかもしれない。しかしそれは表現で例えば象徴するという態度であって、科学のような態度ではない。

そろそろ結論が言いたくなった。文学が自分にとって生きる糧になっているのは、文学によって自分が人生と一体化しているのではないかという気がする。自分の周りに文学空間をまとわりつかせて生きていると生きている感じがするのだろう、、、ということにしたい。