開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

定年退職者の手記について

過去のぼくのブログにこのようなことが書かれている。今読み返してみて「すべての人間関係が希薄」だったという部分に少し注目してみたい気になった。

サラリーマンだった38年間は、他者の生き方をなぞって生きてきた。生きてきたとも言えないかもしれない、押し流されるように周りから外れないように圧力を感じながらずっときたのだ。経済的安定と引き換えに、自分を捨てて生きてきたのだ。自分を殺してきたから、本当の自分の感情が分からなかった、というよりすべての人間関係が希薄でよそよそしかった。父とは心から通じあうということがなかった。母とは距離をとって他人行儀だった。祖父の期待を受け止める感受性がなかった。兄弟とサラリーマンになってからまともな話をした記憶がない、、、

この希薄感というのは実際に自分の過去の人間関係が事実として希薄だったのだろうか?それは自分の過去を振り返るということ自体があまりなかったということではないのか、と思うのである。つまり、過去を思い起こす回想という想像行為の方が希薄なのではないかと考えてみると、そのように思えるのだ。

小学校の時の同窓会で、当時のことをよく覚えている同級生がいて、彼がありありと当時を再現するように話すのに驚いたという話をどこかで聞いたことがある。それはその彼が普通の人より何倍も昔を回想していたことが原因だったと述べられていて、なるほどと感心した記憶がある。ちょうどそのように「後付け」で何回も思い出が加えられることで、過去が豊かになる作用がぼくの場合にも考えられるのではないだろうか?

本当は過去のぼくの人間関係は希薄ではなかったかもしれない。何度も何度も思い返しているうちに少しづつ豊かになって行くかもしれない、、、