開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

3人の村上春樹論

平野芳信、市川真人黒古一夫という文芸評論家の村上春樹論を最近続けて読んだ。一番批判的なのが黒古一夫で、「1Q84」は壮大な失敗作としている。それぞれ小説に何を求めるかによって村上春樹に対する評価が違う。色々新しい発見があったが、これまで自分はネズミを「ノルウェイの森」のキズキのような「ぼく」が影響を受けた友人と捉えてきたが、黒古はネズミも村上の分身と捉えていた。そうするとグレートギャツビー はフィッツジェラルトの分身となり、私は語り手のニックがフィッツジェラルトだと思っていたことの読みの前提が狂って来ることになる。確かに作者は全ての登場人物を書き上げているわけだから、全てが作者の分身といっても差しつかえないわけだ。話が飛躍するが源氏物語紫式部は、一人の光源氏を巡って登場する全ての女性が自分の分身なのだと河合隼雄は言っていた。しかしその場合、光源氏その人は紫式部の分身ではないわけだ。自分の解釈とプロの評論家の解釈でどちらが納得性があるのか大方の人の判断は後者だと思うが、自分としてはネズミは光源氏のような作者に最大の影響を与えた他者と捉える方が合っているように思える。

市川真人は他のどのような小説家にもないユニークさを村上春樹に与えていた。いわばこれまでの日本の文壇にはない決定的な違いを与えていた。村上春樹とその他の作家という分類ができる、ということだ。それは村上春樹だけがアメリカを内在的に掴んで日本的意識構造を脱構築できているということだ。それはもちろんアメリカ人作家が日本を書くのとは違うし、日本人作家(三島由紀夫石原慎太郎田中康夫村上龍など)が日本を書くのとも違う。

平野芳信の本は丹念に村上春樹を時系列に追って書かれた評伝で、勉強になった。