開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知るために、そしてそれを解くために。

百済観音との出会い

百済観音が石川県立美術館に来て、百済観音の微笑みとの対面が、ぼくの生涯忘れられないイメージになっている。それはいつのことかだったかを知りたくて、今日思いついて「百済観音 石川県立美術館」と検索してみて突き止めた。

平成10年4月

文化財指定制度100周年・開館15周年記念 「特別公開 国宝百済観音」同時開催(全館)

 と、あった。その時目に焼き付けておいた「百済観音の微笑み」は映像で確認することができなかった。撮影されたものはぼくの脳裏にあるイメージ像とは微妙に違っていた。微笑みの神秘性が映像では失われているのだ。ぼくはあの時、この微笑みは飛鳥時代にしかない独特のものに思え、飛鳥時代に猛烈に憧れを抱いた。あとでわかったことだが、百済観音像が収められている法隆寺は、興福寺薬師寺と同じ法相宗であり唯識が伝えられたとされている。ぼくはサラリーマンの時2年間ほど鬱状態だった時、唯識に救われた経緯がある。唯識の思想と「百済観音の微笑み」は一体だという確信がぼくにはある。それをどう伝えられるかは、これから先達者から学んでいく必要がある気がする。

horyujikondo2020.jp

 

職を降りると何が始まるか?

定年退職して6年が経った。退職するということの一番の意味は、社会的競争から降りるということだ。立身出世のために、市場での優位をしめるために他人と競争する必要がなくなったということだ。大いなる安堵を得てからさてどうするのか、という問題にぶつかる。人それぞれではあるが、満足した答えを得ないと自尊心が持たなくなる。男という生物的存在は逃れられない。すでに見えやすい攻撃対象を奪われている。不条理も被支配も不平等で弱肉強食の原生状態を認めてしまえば、苦悩から逃れられる。誰彼を責めるわけではなく、自分自身が力を失う恐怖と闘わなければならない。くたばってしまえば終わるだけのことだ。

今、自由への道が先逹者の書き残してくれている中から見えてきている。それを読み取る僥倖を噛み締めている。同じ道を歩く実感を味わい尽くしたい。生きている実感を記述された言葉から受け止めることのできる小説という形式。映画のように流れては行かない、動かすのは自分だからだ。さてその内部時間の後には何が来るのか?しばらくして書き始めることに転換する必要がある。

あえて男という規制に従うことにした。それは自然的現実であり肯定からしか生きられない。これまで「文化」という規制を甘く見ていたようだ。そのことをこのサイトから学んだ。

ameblo.jp

(公論)コメントできないSNSは有害?

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哲学・批評 | (TOKYO) FACTORY MAGAZINE

埴谷雄高の虚体論がどう受け止められているかを知りたくて、検索すると興味深いサイトにたどり着いた。タイトルも「メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹柄谷行人ポストモダンの文学精神』」と魅力的につけられている。ぼくは感心して読み進んで行ったものだ。なんと戸坂潤まで引用されている。筆者は1987(昭和62年)生まれだった。一つ違和感があったのはサルトルの影響下にある文学者として三島由紀夫を挙げていたことだ。そういえば、三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』で、三島の発言にサルトルの用語が多いことにアレっと思ったことを思い出した。それにしても思想信条がほとんど真逆なものを影響者とできるのだろうかと疑問に思った。全共闘にも言及する部分も見られたが、上部をなぞっただけの印象だった。それは無理からぬことでもある。ぼくとしてはサルトル全共闘も、反スターリン主義(要するに共産党との距離の取り方)であったことに歴史的意義があると考えているので、反スタに一言でも言及して欲しかった。そのことをコメントしたいと思って、コメントのアイコンを探したが見つからなかった。おそらくコメントを受け付けていないのだろう。そうか、コメントできないSNSもあるのかと驚いた。「いいね」や、共有マークはやたらと多いのにコメントできないとすると批判や感想は受け付けない、ということなのだろうか? そうすると客観性のない情報発信になるし、仮に誤謬があっても訂正されないとしたら、有害ではないのだろうか?

「虚体」を巡って

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確かに先の大戦での破壊され尽くした光景は、悲惨そのものである。しかし、ぼくには上の映像から破壊と同時に無限の自由をも感じられていた。それはいつ頃捕まえ得たイメージなのかよく分からないが、究極の破壊の後には創造しかないという健全な逞しい論理をかなり前から信じていたからだろうと思われる。埴谷雄高は戦後すぐ、同人誌「近代文学」を創立した頃には廃墟から創造に向かうエネルギーを体いっぱいに感じていただろうことが容易に想像される。占領軍アメリカは日本の軍国主義を精神から破壊するために民主主義を導入し、朝鮮戦争が始まるまでは労働運動に自由を与えていたらしい。そのわずかな数年は、革命を妄想できる雰囲気があったのではないかと推測されるのである。「死霊」はその当時の妄想を小説空間に再現できた点で、歴史的に限定されるのであるが、それゆえに永遠の文学的生命を持つことになった。その中心的概念である「虚体」は単に哲学的概念ではない。いわば権力の無化状況が奇跡的に訪れた期間を幸いにも生きることができた埴谷自身の精神形態であったと思われる。そのように仮定すると「死霊」を追体験できる入口が開かれる。

基本的な今後のぼくの生き方(続き)

今後の人生、つまり定年退職した二番目の人生の基本的な生活が独学だとしたが、読み書き能力のアップをもっと具体的にしなければ将来について展望できることにはならない。これまでも何を読むのかについては文学が中心だった。文学には主人公と彼を取り巻く人間関係や背景の政治経済の状況などが描かれ、より実人生に近く主人公の内面から見た諸関係が描かれることを追体験することで、読んでいる自分も疑似体験できるから、という事情がなぜ文学中心かの答えになる。親の世代には戦争がありどんな体験をしたかは、いくつかの戦後小説から類推できる。今はネット社会になりコメンテーターばかりになっているが、それ以前には知識人なる言論人がいて生きる指針を提供してくれていた。だからぼくの学生時代は数人の知識人から独学で学べばよかった。いわゆるラディカルであることが知識人の条件であるような時代でもあったので、例えば国家や大学や制度がそもそも何であるかまで考えることが前提になっていた。今は何であるかまでは問わず、当然のようにあることを認めて起きる現象を解説しているだけだ。だから戦争は国家があるかぎり、なくすこと自体が問題に立てられない。今後中国とアメリカが戦争すると解説するコメンテーターの予測がネット界隈で見かけるが、習近平中国共産党を国家消滅を目指していた頃もあるレーニンの時代に遡って批判する知識人はいない。しかし現存する知識人の一人、ダライ・ラマは自分を世界市民であると言っている。国家の枠はレーニン以前のマルクス主義者のように、制限と考えていないのだ。このラディカリズムの文化は全共闘が担った学生運動の遺産と言えると思うのだが、インターネットが壊してしまったのか、それともソ連崩壊からの歴史的な流れが原因なのかよく分からない。よく分からないが、ひょっとして冷戦という2項対立の状況がラディカリズムを生んでいたのかもしれない。とすれば、中国対アメリカという新冷戦はラディカリズムを復活させることになるのかもしれない。

ここで一人の歴史学者を紹介しよう。石塚正英という東京電機大学教授だった方で、学問のノンセクト・ラディカルを実践されておられる。ぼくはネット検索という技術がなかったらこの方を知ることはできなかった。「学問の使命と知の行動圏域」という本をタイトルに惹かれて購入した。

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基本的な今後のぼくの生き方

今のぼくにあるものの上に、どんな生活を描くかについて考えてみたい。これは人生設計だとかクオリティライフのための生活習慣だとか、自己実現の計画というものではない。一般に将来に向けて企画したり計画したりということの有効性をぼくは疑っている。計画どおりに進めることの達成感には縁がない。やってみて面白ければ続けるだけだ。それを踏まえた上で、今後の生活を展望してみる。それは大きな自然災害や病気や事故がなく、ましてや戦争が始まって巻き込まれることは全く想定外である。ぼくの住んでいる地方は幸いなことに自然災害にほとんど合っていない。67年間一度もないかもしれない。地震能登であったが、金沢では被害がなかった。台風で川が溢れたことはあったが、金沢の北部であっただけでぼくの住んでる南部は何とかもちこたえた。交通事故はサラリーマンになりたての頃、雨でスリップして車と衝突事故を起こしたが人身事故には至らなかった。会社も定年まで一つの会社にいて転職の経験がない。小さな会社だったから組合などの労働運動経験やいわゆる市民運動などの経験もない。唯一あるのは大学の時の学生運動であるが、退潮期であったためマルクス主義のサークルで過ごす程度で、逮捕の経験もない。既婚ではあるが子供がおらず、子育てという大きな親の仕事にも経験がない。岐路に立たされる危機に直面したことがなく、何となく67年間を送ってきてしまった。真面目に大人しく小市民の一人として人生を終えようとしている、という一生に果たして今のぼくが満足できるだろうか?

今あるもの内で多分年金が一番大きな要素だろう。それを無視はできないが、今確認しておきたいことの一番は読み書き能力だろうと思える。テキストが人生という小市民の歴史を現実のものにすることができる唯一のものである。基本的に今後のぼくの人生は、読み書き能力のアップのための独学と、テキストの更新を個人的な「任務」とする生活になるだろう。

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*上の写真は私ではありませんのでご注意。

自分に課せられた問題は何か?

おそらくこの問題を解くことがこのブログを活かすことに繋がるはずだ。何かマーケティングを駆使して読者を増やそうとするより、自分が取り組むにふさわしいことを自身に見いだすことが数倍大事なことに思える。今からはこれまでのように、自分が書きたいことを吐き出すようにこのブログ空間を使うべきでは無いと、はっきり思える。もうその時期は過ぎたのだ。自分自身が担える課題とは何だろうか?社会的な課題はどうだろうか。原発や環境問題、貧困や差別の問題、引きこもりやいじめの問題、ファシズム同調圧力と闘い民主主義を定着させる問題、それらは自分が担える自信がないし身近に感じるように行動することもためらわれる。自分が一番身近に感じられるのはやはり文学の世界になる。だとしたら文学の世界で自分が担えることはどんなことだろうか。いや、そもそもそんな事は自分にあるのだろうか?

小説を書くことも批評を書くことも、これまで少しもできそうと感じる事はなかった。少しできそうと感じるのは、本を読んで考える事だ。考えたことを文章に綴ってみる事はほんの少し自信はある。ということは書評を書くということだろうか。書評を書くことが自分に課せられた問題なのだろうか?それは問題を解くことになるのだろうか?何かの問題を解くのに書評が自分に適しているのだろうか?

どう考えても書評が自分に課せられた問題には思えない。誰もぼくに書評を書けとは頼まないだろう。それにぼくも書評を書きたいとは一度も思ったことがない。ただ、考えてつかんだことを伝えたいと思ったことはある。突き詰めるとただ、考えることはしたい気はあるようだ。考えることは自分に課せられた問題だと言えるだろうか?お前はこれについてどう思う?と言われれば考えてみたい気はする。では何を考えたら、どんな問題を考えたらいいのか、について考えてみることにしよう。考えられることは全てだととりあえず答えておこう。結論は、自分に課せられた問題は、考えられることを全て考えること、である。

現在だけある人は貧しいか

突き詰めるとあるのは現在だけだというのは、真実だと認めよう。しかし現在だけに生きるのは二つに分かれる。現在に集中して生きている人と、現在だけしかない人だ。現在だけしかない人は、時間の観念もないだろうから時間がいつも無いと感じているはずだ。あるいは現在という時間は長い人とほとんど一瞬という、二種類の人に分かれると言ってもいいかもしれない。今朝フランス文学者の旅行記を読んでいて、ナポリギリシャの都市で受けた印象についてその時間を問題にしていた。ナポリのメインストリートには信号がなく、スピードに酔いしれる車と、混雑した車の間を絶対に止まるはずだとしてひるむことなく渡る歩行者の姿が無秩序に見られる。ギリシャには信号があり、車も歩行者も待つだけの余裕があって整然としていた。ナポリは待つ時間がなく、ギリシャは待つ時間がある。おそらく待つという態度が時間を意識させるのだと思う。つまり待つことが時間を生み出すのだ。ここでは客観的な時間は無いものとする、というか客観的な時間は科学的な見方から想定された人工的なものだ。

さて待つことができない暮らしは一般的に貧困層に多いとされる。ギリシャの暮らしもそんなに裕福な人が多いと思えないが、そこはかつてのヨーロッパの首都の歴史がものをいっているのだろう。待つという単純な行為の中に、豊かさの厳粛な区別が隠されている。だがしかし、ナポリの無秩序もエネルギッシュでアナーキーな自由の魅力があるとして、肯定もできるのではあるまいか。秩序立ったギリシャには、今生きている充実感に欠けている面があるのではあるまいか。多分、現在が圧縮されている状態が充実した「生」になっていると思う。文学でいえば、「イワンデニソヴィッチの一日」や「ユリシーズ」の1904年6月16日が思い浮かぶ。

未来は過去より重要か?

あるのは現在だけで、過去も未来も実在しないとする考え方にぼくも賛成する。その上で実在しない未来と過去のどちらが重要かを考えてみたい。未来は現在の選択によって自由に変えられるのに対して、過去は変えられないから未来の価値を重要視するのが大方の考えだと思う。しかし厳密に未来だけを現在や過去から切り離して考えてみると、未来は記憶を失った人のように自分を証明するアイデンティティが何もない、と考えられる。自分がなくなって何をしたらいいかの理由がないのだったら、何をしても面白くないだろう。自分というものは過去(実質は過去の記憶)があって初めて存在できると考えると、過去から現在に繋がっている記憶の集積が重要に思えてくる。よく、過去にばっかりこだわっていては何もできないわよ、などと言われたりするのだが、過去にとらわれずに未来にとる行動とはいったい意味があるのだろうか?多分開放感はあるだろう。過去の自分とは切り離された自由な感じは確かにすると思う。しかししばらくするとその感じはなくなって、何をしたらいいか分からなくなるのではないだろうか?最初は自由になった開放感があり、しばらくしたら何をしたらいいか分からなくなる、この展開って何かと似ていないだろうか?

そう、定年を迎えた人が経験する定年後の未来と現実の展開だ。一見何でも出来そうでしばらくは色々やってみては続かず、そのうちに何もしなくなるというプロセスには普遍性があるのだろうか?ぼくの場合、今続いているのはテニスも読書も英語学習も定年前からやっていたことだ。英語はやや違うが、テニスも読書も定年前に続けていた習慣だ。英語は定年前に続かなかった原因をつかんで対処して続いているから、連続性はある。誰か、定年後新しく始めて続いている人がいるのだろうか?もしいるとしたら、その人にとって未来は過去より重要といえそうである。

未来には過去にない価値が確かにある。それは可能性である。だが、可能性だけあっても実現性がゼロに等しいとしたら虚しいだけだろう。例えば、1パーセントのグローバル資本主義者の支配から99パーセントの世界の人々を解放する可能性がゼロに等しいとしたら人類の未来はないだろう。つまりあるのは過去と絶えざる現在だけということになる。だがしかし、人間は繰り返しの現在が永遠に続くのには絶えられないはずだ。人間は同じことには飽きるからだ。さて、ここまでの論理展開に誤謬はあるだろうか?

自分のことか誰かのことか

自分のことか誰かのことかを問うというのは、自分のために生きるか誰かのために生きるかを問うことではない。自分が好きか誰か他の人が好きかを問うことでもない。自分に関心があるか誰か他人に関心があるかを問うことに近い。さらに言えば自分と他人とどちらを先に大事にするかという問いはさらに近い。親子、夫婦、友人という関係性が濃い場合の自分と相手で、どちらを優先するかという問いは除外する。

白状してしまうと、ブログで自分のことを書くか、誰かのことを書くかを突き詰めて考えて結論を出してみたいのだ。自分のことの中に自分のためにを含み、誰かのことの中に誰かのためにを含むことにする。

最近こういうことがあった。ぼくはこれまで自分のことを書いてきて、他人のことはよく分からないので書いてこなかった。それが自分にこだわって、自分にばかりかまけていて壁を作り、他人を寄せ付けなくさせているんじゃないかと考え始めたのだ。確かに壁は作っているかもしれない。「ですます」調ではなく、「だ、である」調で書いている。その方が言いたいことが明確に書けるという気がするからだが、後者の文体で書くと、独り言のように幾分自分に閉じこもった言い方になる

要は少し孤独に耐えられなくなってきたのかもしれない。寂しいから誰かと繋がりたくなったのかもしれない。飽きるというのと寂しいという感情は、人として避けられない。同じことを避けたくなるし、寂しさを紛らわしたくなるのは、ほとんど原理的なことであろう。ぼくはこの前、自分の文体と自分の壁を取り払って以下のようなブログを書いてみた。

これまでの自分を捨てて新しい暮らしを始めたい。自分へのこだわりを捨てて、これまで関わった全ての人と、これから繋がってゆく人たちのために、共に温かい関係を作っていきたい。人それぞれに欠点や弱点があり、でも共に豊かになるように長所を出し合って共通の幸せのために何か作り出せるものがあるはずだと思う。これまでのぼくは自分の器を自分の関心ごとだけで満たしてきて、他の人が関わりづらく感じさせていた。そういうブログを2年間ほど書き続けていたのです。自分の感じたことや言いたいことをただ吐き出していただけでした。そして、そろそろ吐き出すのはもういいかなと思えるようになったのかもしれません。これからは何かを作り出していきたい気持ちになっています。過去にきちんとした別れの言葉をかわす事なく終わってしまった人たちと、もう一度関係を再開したいという思いにかられる事があります。未熟だった自分の非を詫びて、遂げられずに終わった思いを汲み直して少しでも気持ちを通じ合えるように、何かを新しく作りたいと思うのです。実際の人生ではもう終わったことではあるのだけれど、このブログで想像上ではあっても「再開」することはできるかもしれない、と思うのです。

こんな思いを少しづつ形にできたらと思います。あなたとの出会いも始まるブログでありたいとも思っています。どうぞ、よろしく。

 このブログのタイトルは、「自分を捨てて、最初の一歩」というものだ。寂しくなったことがよく窺われる文章だ。実をいうとこの路線で行って、この開界録2019というブログはやめようかと思った。しばらく迷いが続いて段々分かってきたのは、やはり自分のことしか書けないという事実だった。誰かのために書くという動機がぼくには生まれないようなのだ。誰かとは誰か、結局その誰かは自分との関係がいかに深いか否かに関わる。自分にとって、その誰かがかけがいのない人であれば、ぼくとしてもその誰かのために書くだろうと思える。

「敵は誰だ、敵を殺せ」と文学者は言った

何を書いても自由というということだったら、あなたは何をブログに書くだろうか?小説というフィクションだったら、「罪と罰」や「1Q84」を持ち出すまでもなく人を殺すことも書いてOKである。ぼくのブログもフィクションであると一応断っておくことにしたい。そう断ることで今から書こうとすることはちょっと勇気がいりそうなのである。確か埴谷雄高が政治と文学というエッセーで、政治の本質は「敵は誰だ、敵を殺せ」だと言い切っていたように記憶される。(あとで、「幻視の中の政治」という評論集、の記憶違いだと分かった。)今ちょうど「死霊」を読んでいて、その感想をネットで検索して若い人が謎解きのゲームのような感覚で読んでいるのに遭遇して、違和感を感じてしまったことが今書きたいことの動機になっている。全く政治に無関心に「死霊」を読み解く自由はもちろんある。「死霊」は確かに謎かけに読者を誘う。ドストエフスキーの末裔として悪と闘う精神のバトンを受けとるよう、誘惑されもする。ぼくが言いたいのは埴谷雄高は怖い人だということだ。読んで謎解きに嵌ったら、君は敵を殺さなければならなくなり、逆に敵から殺されることもある政治の世界に進むよう促されるのだ。それほどの覚悟があって読んでいるようにはとても思えなかった。

ところで現代の生きているこの世界で、あなたは誰を敵と考えているだろうか?ぼくは長い間敵が誰だか分からなかった。分からないように敵がさせているということもある。資本主義社会では誰が敵か分からなように仕組まれている。自分の人生が経済的に追い込まれてどうにも立ち行かずに死を考えるようになっても、自己責任だと思い込まされるようにできている。ぼくは資本主義を知ることを生涯のテーマにしている一人だが、それは敵を探し敵を殺すためなのだ。実際に殺すという政治の世界には住まないが、文学の世界には住みたいと思っている。敵を殺すために、その一環として「死霊」を読みたいと思っている。

「死霊」第2章を読む

「死霊」はこの前から再読し始め今日第2章を読み終わる。やはりほとんどを忘れていた。大方の評判は哲学小説で観念的であって、筋もなく難解であるというものだ。そういう偏見にぼくもどこかに影響されていた。それはいい意味で裏切られた。中の会話も人物も生き生きして、筋もちゃんとある。驚いたのは津田夫人の描き方がうまいのである。中年女性の可愛らしさも仕草も含めて描き出している。以下彼女の興奮気味の心のつぶやきを引用する。

そう、これは私が自分だけで思いついたことだわ、それは___世の中を知らぬ貴方達だけにしかないってものが、そんな貴重なものが貴方達にあるってことだわ。そう、そうだわ。貴方はまだそんなに若いのにめそめそしてたら、駄目なんです。綿屑がはみ出たぼろ人形を立派な、可愛いい人形と思わせるのは、そう、貴方にある情熱しかありやしないんですよ、安寿子さん!

 

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ユーミンの孤独

ぼくはユーミンと同世代だ。もし多摩美に落ちていたら金沢美大で同級だったかもしれないと、大学の同級生の友人から聞かされたことがあった。ユーミンひこうき雲の感性はボクらの時代の共通した感性だった。彼女が孤独になる時、底なしに落ちていきそうに思えることがある。彼女は「負けないわ」と歌う時、落ちる寸前のことを言っているような気がする。コンサートでこんな暗いシーンをバックに歌っていたとは知らなかった。ぼくはこの曲の孤独感に魅かれる。

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 「今はもう負けないわ、9月には帰らない。」

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