開界録2019

The time I retired from jobs is the period reviewing and comprehending my past life.

目の前のことに一生懸命であっていずれ死ぬ

生きてる目的や学習の動機やブログを続ける理由など、未来に何を求めるのがいいのかに悩む。自分を自分以外の何かに一致させることによって、生きてる証を得ようとする。例えば、自分と国とを一致させて国のために生きようとする人たちがいる。戦前は国体というものがあり、それは天皇と一体になっていた。自分を共同体の一員としてしっかりした絆を感じられるのであれば、悩みは消えているだろう。今はそういう時代ではない。ニヒリズムが支配している。特に文学は生よりも死に親和性がある。ニューヨークや東京は「Eight Million Way to Die」の場所であり、ボードレール悪の華が咲き乱れている。悩まないために目の前のことに一生懸命になり、それで寿命が来たら死ねばいい、それが人生?

one day's dairy

2000年8月14日

今年の5月から自宅でインターネットを始めている。確かにこれによって私の日常生活に変化をもたらしている。まず本が読めなくなってしまった。振り返ってみると、この本によって私の意識世界に様々な「過去」が形作られてきたのだが、インターネットによって圧倒的多数の「現在」が落ち着いた過去を追い出してしまった。インターネットは道具の存在でしかない。道具は限定して使わなければならない。それにしても本の世界には何か代えがたい力があるような気がする。

それは、私自身と密接につながっている。そこは、無限定・無境界であり、外界と静かに融合している。心理作用として何らかの解放感があるのは、「用」の現実世界から切れてしまう快感があるのかもしれない。私はこれまで巧みにというか、執拗に、現実世界から切れることを実践してきたように思う。孤独を求めるのはそのためだ。

2015年3月28日

今日ほとんど唯一の外出となっている昼食の蕎麦屋のあと、すぐには自宅に戻りたくないので本屋に立ち寄ってふと目に止まった新書を買った。タイトルに「肩書きを捨てたら地獄だった」とあったからだ。数百億円の予算を動かす、元通産省官僚の独立までの赤裸々なドキュメントが読める。今の自分にとってとても参考になる本だった。肩書きを軽んじてしまった東大出のエリート官僚の転落と復活をノンフィクションとして読めるものだ。私は現在わずかであるが年金(今は失業保険給付のため中断)が入る身でそんなに生活に困窮するほどではないが、昼間の外部世界で感じる孤独感があるために、この筆者の「落ちぶれ」に感情移入することは十分にできた。フリーエージェントが自己ブランディングをどうやって築くかの生きた事例が書かれている。
その彼を救ったのが、ブログだった、、、、

2015年3月30日

もし自分が何かで起業して望む未来の生活と人間関係を手に入れるとしたら、どうすればいいかが行動の前に既に分かっていなければならない。単に失敗したくないという理由ではなく、ただその論理から私のような人間は逃れられないので、まず自分が深く納得する必要のために、このような「書く」ことを課している。書くことで自分の考えが客観的になる、つまり私の脳の働きが見えるようになる。
帯状疱疹という比較的軽い病に罹って、2週間は痛みと付き合いながらテレビと睡眠の日々を過ごしてFBに久々に向っている。少し熱もあったので、本を読もうとしても気力が続かず眠ってしまう。スティーブン・コヴィの七つの習慣によれば、成功の習慣は「知識」と「スキル」と「やる気」からできているということなのだが、やる気がほんのわずかな体温の上昇で簡単に失われてしまう。私は起業家の習慣をつける努力をしようとしてしょっぱなから躓いた。
ただ頭の中は結構動いていたのかもしれない。普段は見ない夢をよく見たし、朝起きると起業ネタが浮かんでいたりした。起業についてはこれまでの延長線上で考えるか、一度全てをゼロベースで考えるかで迷っていた。「ラベルデザイン」のネット上の資産を生かしてリニューアルするか、全く違う商品をゼロから作るかで昨日まで悩んでいた。今朝それに終止符を打つことができた。私が選んだのは後者である。

2015年5月14日

全く久しぶりにFBに投稿する気持ちになった。会社で毎日働くという環境から脱して毎日何をしてもいいという環境になって、2ヶ月半ほどたった。ぼくが若い頃、哲学がファッションのようだったことがあり、ぼくはサルトルなどが好きだった。確か存在は意識に先んずる(実存は本質にの間違い)、というようなテーゼがあったかと思うが、今のぼくはビジネスマンとしてのあり方から遠ざかっているので、意識はどんどん学生の頃に舞い戻るということが起こっている。少し前までジョン・コルトレーンのCDを部屋で流していたが、すると意識は学生のころの雰囲気が音楽と共に漂いだす、、、、
ぼくは金沢に隣接する野々市市の住宅街に住んでいるが、全く動く人の気配がない空間を、ぼくの部屋から黒人のエネルギーがジャズにのせて塗り替えていくような感じがする。それにぼくの意識がリズムを取りながら動き出す。このようにして意識の場がぼくの中から抜け出し、今ここの空間と融合していく。
退屈したりブルーになったりすると、自分が置き去りにされているような感覚を持つが、音楽はそれを破って動きを作ってくれる。動きがなければ眠くなってしまう。

2015年6月26日

私が高校生だった頃、一世代上になる三田誠広が書いた芥川賞受賞作「僕って何」をどうしても読みたくなった。ずっと潜在意識下にあったものだ。泉野図書館をさんざん探し回ったあげく見つけ、その場で読みふけって読み通した。40年ほど前の大学にはこういうことが起こり、描かれていた「暴力」シーンとかすかなユーモアの対比に当時の雰囲気を思い出した。最初に読んだ時とは違う、「生々しさ」を感じた。

2015年7月25日

ついにCDを買う決心をしてCD屋に行くとぼくと女性店員だけだった。しばらく店内を探しても見つからなかったので、その女性店員の方へ行って「アジアンカンフージェネレーションってありますか」と尋ねた。一瞬彼女は思案したがすぐにその場所に案内してくれた。8枚ほどあった中でベストアルバムを選んで彼女のところへ持って行く。幾分嬉しそうな感じが素振りに出ていた。袋にCDを入れる時にフンと笑ったような気がした。ぼくはお金を払い、年甲斐もなくと思われていることに少し動揺したかもしれない。彼女はちょっと弾んだ声でありがとうございますと言い、ぼくもありがとうと返した。
「ループ&ループ」を何度も聴いている。このPVの中学生のように自分の中学生の頃に還っていた。あの頃のぼくは在日米軍向けの短波放送にチューニングしてアメリカのポップスを毎日聴いていた。62歳の自分は方法的に退行することにした。

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2015年8月のころ

「約束された場所で」を読む。オウム真理教信者を村上春樹がインタビューしたものをリライトした、いわばドキュメンタリーものだ。文壇からのデタッチメント(関わらないこと)を決めて海外で作家活動をしていた春樹が、自分の文学はやはり日本でしか成り立たないと実感して帰国し、社会へのコミットメントに移り地下鉄サリン事件を作家として取り組んだ作品の一つだ。もう一つは「アンダーグラウンド」として被害者のインタビューをまとめている。これらはあるいは「1Q84」を書くための現状把握だったのかもしれない。ところでぼくのこの本を読むまでの背景というのがある。背景と言っても客観的な外側をたどってもあまり意味がない。内臓的ともいうべき世界を書く必要がある。書くことによって過去の自分と対面する場が背景になる。それはぼくの青春時代から社会人になる人生の中間地点にオウム的なものがあったのかどうかを自省してみることでもある。

オウム信者の多くは「出家」して「解脱」するという仏教的な目標を持つ。現実世界に適応できず普通の生活にどうしても興味を持てないために、逃避か救いを求めて入信する。そういうことはあってもいいし、ぼくも似たようなものだったと思う。実際就職して中間管理職になりたての頃、社長からの「不意打ち」で存在を否定され自閉の時期を2年間過ごした経験がある。ただしオウム真理教は仏教の一つとはいえないと思っている。

2015年10月12日

一泉同窓会というものに昨日参加した。午後6時開会であったが、午後遅めの昼食のあと暇だったので片町までバスに乗って行き、会場のANAクラウンプラザホテルまでぶらつくことにした。片町では先ごろオープンした片町きららを覗いてみることにした。 やはり若者でごった返していたが、私のようなオジサンも見かけた。H&Mでカジュアルなジャケットを探して、あったのを確認した。その後109の地下に北國書林があったはずと思って行ってみたが、すでに存在していなかった。もう一つの本屋うつのみやが柿の木畠にあるが、行ってみると相変わらず閑古鳥だった。日曜日にあんな状態では店を閉じた方がよいのではと思った。街中の知的な雰囲気を漂わせる装置として、本屋は都会では欠かせないものだが、金沢という規模や潜在客数では無理なのかもしれない。数年前まではそうでもなかったのに、郊外の県外同業者に客を奪われたのだろう。
さて、片町きららから会場まで歩くのに、日銀横の小道に入って裏道から行くことにした。裏道はさすがに人通りは少ないがカップルの旅行者と時々出会った。その中に私と同年代とおぼしきカップルが手をつないで歩いていた。文系の大学教授と奥さんの友達夫婦に見えた二人とすれ違って少し嫉妬した。ジョンとヨーコまではいかないが、同じ穏健な思想を共有する自然な一体感が感じられた。 霧雨のような雨で傘はいらないくらいであったが、これくらいのしっとり空間が金沢に似つかわしい。もちろん混雑した表道ではなく裏道の方に金沢らしさと遭遇するチャンスがある。そういえば、ユーミンが「通の金沢」を案内する新幹線プロデューサーになっていたはずだが、どこを紹介してくれるのだろうか? 今はなきニッセイパルをたしかどこかでほめていた記憶があるが、若い頃の私もなんとなくあそこに入っていくのが好きだった。
金沢のブラ歩きの魅力は古い格式ある住宅にあるのではないか、長町、長土塀界隈の一般の家並みを歩いてそう思った。 同窓会の会場に入るとまた非常に混雑していた。一泉同窓会参加数は1000人を超えたらしい。テーブルまで案内してもらうとそこで、卒業以来初めて会う同級生1人と、2度目の同級生3人と、同じ期の「初対面」の3人に出会った。同級生と話すと時間というものがなくなる。自分の中の嫌いな過去が消え去り、「あの日」に帰って話すことができる。 ボクはあの頃何を想って君に話していただろう。友だちという関係はどのようなものなのだろう。今となっては取り戻しようもない、途方もない「豊かな無為」。ボクたちの時代には明確な目標というものがなかった。本当に弁護士や医者になろうと真剣に望まなかったように思う。何度目かの司法試験の受験後、塾講師となった同級生は地元で30年一人で頑張ってきた。その人生と自分の人生を比べることはしないが、同じようなものだと思って、幾分かは安堵した。

2016年2月26日

今日借りていた本を返しに泉野図書館に行った。雪が降って外出が面倒になっていたが、午後どうしても部屋にいることが苦痛になって出かけることにした。公開ホールにはちょうどいいくらいの利用客がいた。 本を返して何となく次の本と出会えないかぶらぶらして、ふと見上げると2階がギャラリーになっていて10数点の油絵がかかっていた。2階に初めて上がって間近に順番に見ていくと、ユトリロ風の絵に目が止まった。 ああ、この人もユトリロのパリに心を奪われたのだなと思い、ぼくは自分の過去をも思い出した。美大受験の高校3年の冬に部屋にこもって、(冬になると少年のぼくは冬眠していた)図書館から借りてきたユトリロ画集から気に入った絵を模写していた、、、、。あの頃の雰囲気が心に湧いてきた。それは現実の空虚をあこがれの風景と物だけで埋めてしまうという「部屋の中の熱情」だった。思いっきり世間知らずにいられて、内面に閉じこもることが受験生ゆえに許されていた。ぼくにとって幸福な時期のひとつだった。

2016年5月25日

「63歳の誕生日に」

子供のいない、妻と二人の家庭を33年間続けてきて、自分の誕生日に特別な何かお祝いするという習慣がない。今日もお祝いらしきことはないのだが、職というものから離れて気ままに生活を送るようになってからの心境の変化を、63歳の誕生日という区切りで何かを書き残したいという気になった。それは社会とのつながりや責任が軽い状況で過ごせる身分というものが、ぼくには学生時代にもどるような気がするのだが、これは同じ年齢の多くの人たちと共有できるものなのかは分からない。この前大学病院までいく市内バスに乗って、そこで降りて美大に通じる道や天徳院のあたりを散歩して、時間の変化を身に感じながら歩く「快感」を味わてきたが、それは学生気分と似たものであった。 確かに空間は地理的には同じなのに時間が40年も違うというズレの感覚が心地よいのだ。もしかしたら40年前の自分と狭い路地裏で鉢合わせしないかと想像してみるのも一興だと思う。

さてぼくという人間は62年間生きてきた。(今日が63年目ということでよかったのかな?)最近サルトルを読んでいることの影響で、自分の主観性の中の客観視された自分というものに興味が湧いてきている。できるだけ客観的に他人から見た自分というものが今の自分の主観に打撃を与えることの積極性を考えてみたいと思えてきたのだ。それも付き合いといえば付き合いで、他人ではない非社会的な自由な見方ができるような気がする。そこには「身体」や「肩書き」や「地方」のファクターがある。でもそれらは制限ではあっても限界ではないだろう。制限は仕方がないが、限界は考え方や学びでいくらでも遠ざけることができると思う。人生はクレシェンド(段々大きく)である。

2016年7月26日

今日は午後から泉野図書館へ行っていつもの本の続きを読んだ。辻邦生の「言葉の箱」は今日で読み終わった。5回ぐらいで読了になったが、なかなか勉強になった。小説でも自分が何を書きたいかの核が大事で、それを見出す必要がある。小説はF+f である。Fはファクト、fはフィーリングでこれが漱石の定義だということだった。「日本精神史」は仏教の伝来の歴史で、最澄空海まで進んだ。仏教はまず仏像という形から入って、写経の時代を経て、中身は最澄に至るまでにかなりの時間を要したという長谷川宏の説が興味深かった。 日本に民主主義が「伝来」し定着するまで、やはりかなり時間がかかり歴史的段階が必要なのかと慨嘆したのだった。

2016年9月18日

今日雨だったのでいつものようにテニスは出来なかった。それで日曜日の泉野図書館に行ったことがなかったので行ってみた。やはり普段よりは多かった。長谷川宏著「日本精神史」の下巻を繙いた。新古今和歌集愚管抄の章を読んだ。愚管抄は日本最初の歴史書らしい体裁のものだったらしい。「道理」の概念で説明を試みた慈円に興味がわいた。当然この人(松岡正剛)も千夜千冊で取り上げていた。

2017年3月30日

今日も天気が良くて春の陽気です。居間の朝のカーテン越しの光が柔らかくて気持ちがいい。ほとんど手当てしてないので貧相なポトスだけど30年以上なんとかもっています。君主蘭はつぼみはついているが、なかなか出てきてくれない。

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水曜日が家の掃除の日になっているのを昨日忘れたので、まず掃除機をかけることにした。明日のテニスの予約を取りに行って早めの昼食はおろし蕎麦を食べて、午後は今日から始まる現代美術展を見にいくことにする。有名作家の作品ではないが、地元の作家のわかりやすい具体的な創作にゆっくり向かい合うのもいいかなという気分で、会場の県立美術館と21世紀美術館を回った。春の陽気の中を二つの美術館を歩いて回るのは気持ちが良かった。日本画と工芸の展示室は入館者がまばらで、ほとんど作者と一対一で向き合って観賞できて濃い時間を持った。彫刻の展示室ではおしゃれな老夫婦を見かけ、その若々しいファッションセンスを展示作品と同じくらいの熱心さで観賞した。

最後に油絵の展示室を見て気づいたのは金沢はやはり伝統的な日本画や工芸の作品の完成度が高いということだった。洋画には訴えるものが弱かったと感じた。日本画や工芸の中には革新的な試みをしている作品もあった。伝統があるからこそそれを破る力も育つのだとの感慨を持った。そういえば今読んでいるジョイスの「ユリシーズ」も伝統を踏まえた実験小説だから20世紀の記念碑的な作品になっていると言われている。

2017年4月4日

退職後孤立しないようにオープンマインドにと続けている世界文学の読書(読むだけでは広がらないが、まずは読むことから)で、ジョイスの「ユリシーズ」を半ばまで読んできた。超難解な小説の理解に仲間が欲しくなってこのサイトを見つけた。

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●『ブルームズデイ 100』をのぞいてきました

2018年5月25日

「65歳の誕生日に」

今日の誕生日を2年前と比べると、幾分孤独な環境からは離れていることによる豊かさの感覚がある。テニス仲間が10人ほど、(仲間とは言えないがテニス教室でのメンバーも同じくらいいる)住民で作っている読書会グループ仲間が10人ほどいるので、会社関連世界から趣味で繋がる世界に移行できている。今日は読書会グループでの文学散歩というイベントに参加してきた。旧松任市にある、聖興寺(千代尼堂)、白山市博物館、中川一政記念美術館、松任ふるさと館、千代女の里俳句館をめぐってそれぞれガイダンスを受けてきたが、その施設の充実ぶりには驚かせられた。地域の文化的資産は想像以上だった。日常何気に通り過ぎているところに歴史への窓が用意されていた。

さて自分史であるが、あえて再就職せず書生のような生活を続けてきて、個人としての自立というような抽象的な課題で自己表現ができるようになってきた感じがする。同世代作家と戦後作家の小説を読んだり、サルトルを読み進めたりして、自分の過去を成長過程として表現する視点を持つことができるようになった気がする。いずれも自分の心に主観的に蓄積するばかりで、気がするとしか言えないのだけれども、、、

自分を媒体にして一つの時代状況を再現するような「無謀な」挑戦にも意欲が湧いてきている。とにかく自分史は遅々として歩みは遅い。それでいいと思っている。

小さな世界の幸福

ネットでは興味の赴くままにあまりにも多くの情報が入ってくる。今の自分にとって必要な量を超えて、ほとんど無制限に入ってくる。情報過多の状態は精神を不安定にすると思う。誰かも言っていたが、ネット環境では自信を無くしやすい。自分がどんどん小さく思えてくる。自信を無くした時は、逆に情報をあえて遮断して、世界を小さくして相対的に自分を大きくするとよいみたいだ。そう言えば、世界文学全集を読み始めた高一の時、屋根裏部屋のような狭い自分の部屋でとても幸福だったことを思い出した。また全然発想が飛ぶが、パイロットのコックピットも様々な計器の並んだ空間は狭い。あの空間も密度が高いので、幸福でいられると思う。

今日、久しぶりに何も手につかず無為の時間を過ごしてしまった。だらだらとパソコンの前で過ごしてしまった。すごい自己嫌悪がやって来た。英文法の分厚い参考書を読みふけるつもりだったのに、少しも続かなかった。ぼくの英語の興味などちょっとした趣味程度のことだったのだろう。いや、趣味で結構ではないか。

老人こそ目標が必要

来月で67歳になるから立派な老人の仲間に入るわけだが、老人といっても寿命が尽きるまでは長い。というよりも意外と長く続きそうな気がする。もういいから人生を打ち止めにして死んでもいいだろうというわけには行かない。自殺は許されていないと思っている。以前、100歳を迎えたお爺ちゃんに感想をインタビューしている場面をテレビでみたことがあるが、暇で死にそうだと正直に答えていて思わずインタビュアーが絶句してすぐさま画面が変わった、とぼくには見えたことがあった。そのお爺ちゃんにしてみればもう死なせてくれよと言いたかったのかも知れないが、流石に放送ではタブーなのだ。

ぼくは35年ほどテニスを続けていて、つい半年前まで少しも上達しなかった。(何しろ週一日曜の2時間だけのファミリーテニスだったから)最初の1年で夢中になって一通りの打ち方を習得してからは、スキルの面では一定か、下がる一方だった。特にバックハンドはほとんどスライスで、相手の玉が浅い時にスピンで決めるぐらいだった。それをフェデラーみたいなバックハンドをどうしても打ちたくなり、半年前から30数年打ち慣れたバックハンドを矯正することに取り組んでいる。フェデラーみたいなバックハンドというのは、66歳で決意した目標なのである。テニスをやらない人にはそれがどんなにとんでもない事か分かってもらえないが、自分では体が続く限りはこの目標を持ち続けたいと思う。そしてそう思って気づいたのだが、目標設定というのは若者だけのものではなく、老人こそ目標を持つべきと主張したい。目標を持たないと長い老後を退屈で死にそうになるから。

人生の翻訳

もう選択肢が多いことはプラスにならないと思える人生の時期に来ている気がする。もうすぐ67歳になる。何か一つのことに時間を集中しないと、何も生まれない気がする。もう既に遅いのかも知れない。若い頃から一つのことに集中して打ち込んできた人が、今ぼくのような年齢になって、円熟した、深みのある時を味わえるのだろう。ところがぼくの場合は、定年退職してサラリーマンの人生をまるっきり否定して、第二の人生を始めようとする時に出発点が改めて必要になる。ぼくの生きた半生とまるっきり違う人生を始めようとするには、もがく必要がある。試行錯誤で何かを掴まなければならない。

それがようやく後半生のスタートを飾るほどのテーマを見つけ出したような気がする。気がするだけで確かなことは分からない。それは翻訳に関わることのように思える。翻訳とは、終わってしまったことを別の文脈でそれとは違うように再生すること、と定義してみたい。再読と類推してもいいかも知れない。一度終わったぼくの人生を読み終わって、第二の人生を始めるのは最初の人生を再読することに等しい、と考えてみる。とにかく翻訳というテキスト構造に秘密が隠されていると、ぼくの心が直感する。

趣味による交流

ぼくは定年になってから会社との繋がりがなくなったので、会社以外の交流の場を持ちたいとそのことを一番の目標にしていた。テニスの同好会は会社員時代から会社以外の交流の場を持ち得ていた。今もテニスを週一回以上は続けていて、その人たちとは家族的な付き合いをしている。ただその人たちにはこのブログのことは伝えていないし、書いている内容にあまり共通点がないことが多い。どちらかというと文学趣味とは縁遠い方の人たちだ。文学趣味の人たちは定年になってから、地元の文化サークルを探して参加するようになり、女性の多い集まりではあるが同じ趣味で繋がることの楽しさを味わっている。参加して2年経ってその読書会グループの会長をやらされることになって、会員全員の連絡先を知ることになって今では時々携帯のメールでやり取りするようになっている。今日は、今企画中の能登への文学散歩が例のコロナウィルス感染で中止とすべきかで相談のメールのやり取りをした。電話じゃなくてメールの文字によるコミュニケーションが文学趣味の我々にはいい感じなのである。電話だと相手との距離が近すぎる感じがする。もともと内向的な人が集まりやすい読書会なので、お互いに気心が知れやすい面があって仲間意識ができやすいと思っている。だから、言葉少ないメールにもとても親密になれる。家に閉じこもってばかりいる最近は特にメールがありがたく感じる。

さて、このブログにも現在150人の読者の方がいる。数人の方とは以前コメントのやり取りが成立したことがある。全く面識がないので、親密な交流は無理であるのは仕方ないが、文学趣味の傾向が似た方と交流できたらと思うのだが、純文学はブログでは少数派みたいだ。

今、鴻巣友季子の「謎解き『風と共に去りぬ』」を読んでいるが、自分で翻訳してみてこれまでの『風と共に去りぬ』のイメージと解釈が自分と大きく隔たっていることに驚いたと書かれている。鴻巣友季子の翻訳の確かさと深さに感心させられているぼくは、鴻巣友季子の解釈が作者マーガレット・ミッチェルに誰よりも近づいていることと思っている。改めて時と国を超えて、英文で書かれた物語を通じて作家と翻訳家の思いが一つになることの僥倖を感じる。

勉強していると1日が早い

赤裸々な心というと生々しいが、普段世間体やら役割を気にして隠されている心に、その壁を破って触れてみたいという欲望がどうしてもしばらくすると芽生えてくるようだ。ああ、ぼくと似たような考えを持っていると感じたり、どうしようもない性格に同情してしまったり、果てしない求道心に癒しを感じたり、長い夜に当てもない回想に付きあったり、秘められた恋の行方にいつか来る破綻に心踊らせたり、心の空洞を埋める彷徨う旅に同行したり、今を懸命に生きるひたむきな姿勢に元気をもらいたいと思ったり、、、

忘れられたロマンにもう一度浸り込んでみたい。生活破綻者ギリギリの悪夢のような世界にもう一度、のたうち回ってみたい。最近勉強ばかりしていたら、つまらなく1日が終わるようで何とかしたい。

のみ込みの遅い男

村上春樹がどこかのエッセーの中で、自分は事態をのみ込むのが極端に遅い人間だということを述べていた。その時、自分が直面していた事態を理解するのに時間がかかり、本当は取り返しのつかない重大な局面にいるのにそれに気づけない状態が続く、そういう巡り合わせに遭うことが多いというようなことを語っていたと思う。ぼくがその文章を読んで感じたことがそうで、実際どう書かれていたかはもう思い出せない。ひょっとして村上春樹ほどの人が鈍感と取られかねない事態を招くはずがなく、単なるぼくの勘違いかもしれない。ただ翻訳という作業には、英語で書かれた「事件」を日本人の深い理解までに置き換えて書くことが求められ、それと事態ののみこみの遅さは関係しているように思える。

さて、ぼくののみこみの遅さは過去の自分の行為の結果がどういう因果関係にあったのか、今になって思い返されて深く恥じ入ったりすることがあるために、自覚されるのだった。おそらくぼくという人間は、小さい頃からずっと寂しさを感じ続けていて、自分の中かそばにもう一人の自分を作っておく必要があったのだろうと思う。二人の自分が一致するのに人より以上の時間がかかったと思える。寂しいからもう一人の自分といつも一緒にいると気が紛れたのだ。それは周りからは、自信に見えたかもしれない。ところが実際はあまりに孤独に閉ざされていた、というのが真実ってこと。そう思うと改めて自分は頑張ってきたのだろうと頼もしくもあり、悲しくもある。

強者と弱者とは

どんな人間も自分の中に強者と弱者を持っている。誰かだけが一方的に強者であることはなく、弱者の部分がどこかにあり、他方一方的に弱者であることもないと考える。独裁国家の権力者は一方的に強者と思われるかもしれないが、地球上には民主国家もあり、現在は国家間の力のバランスで「平和」が保たれている。権力者のことをいうつもりはなかった。自分の中にとても小さいが、強者の部分を見出して、強者とはどんな状態のことなのかを考えてみたいと思った。きっかけは友人二人を思いがけず、弱いところを複数の友人たちの前で指摘したことにある。彼らは当然のごとくプライドがあり、ただ運動能力やスキルを必要とするゲームにおいてぼくの方が上回っている状況で、ぼくにとって当たり前のことが、彼らのプライドを傷つけてしまったのだ。ぼくには簡単なことが彼らには思うようにはいかないということが、スポーツゲームにはある。

ぼくはそのゲームで何が必要なスキルで、そのスキルを身につけるためにかなりの時間をつぎ込んでいるのに対して、彼らは特にそのための練習をしているとは思えない。しかしその練習の差は見えないのだと思う。音楽や絵画や芸能やスポーツなど、術や技の世界では才能や努力の差が歴然と現れる。どうしても序列ができてしまうのだ。才能といってしまうとそこにどんなことがあるのか見えにくくなってしまうが、はっきりしているのはその術を身につけることが楽しくて仕方がないということだ。いや初期においては苦痛かもしれないが、時には不甲斐ない自分を叩きのめしたいくらいになるが、諦めきれず続けているとうまくいくこともあって、その時の快感は全身を貫く感じがする。もう一つ言えるのは、その術とか技について何でも知っていてやたら細かくて微妙なことにもリアル感を持っているということだ。それは経験知というものかもしれない。経験値の多さが序列を作っているかもしれない。

今、芸術とかスポーツの世界で序列ができるのを考えてみたが、それはほとんど全ての世界で言えることなのかもしれないと気づいた。スポーツの一分野でそれもぼくの友人たちの10人くらいの世界のことにすぎない話を普遍化してはいけない。彼ら二人も別の世界では強者であると思う。それを知らないだけのことだ。

ぼくの大事なものは普遍性(公正さ)

人は自分の大事なものをこれ以上ないくらいに大切に扱うことで、従事する時間を集中して過ごし、一つの投企を実現するプロセスを完了させることで自己成長を果たすようにできている。ぼくの場合、それが普遍性(公正さ)であろうと気づいた。普遍性だからこそ自分都合を排し、ローカルでありながらローカルの制約から免れることができる。ブログにおいてももっとも大切にしたいのは、書くことにおいて普遍的であることだ。普遍性というのは、例えば長谷川等伯は七尾の絵師ではなく、日本の安土桃山時代を代表する絵師であるということ。例えば和倉温泉運動公園テニスコートは、国際女子オープンが開かれることでローカルにあって普遍的である。能登演劇堂は東京と同時に七尾にも拠点を持つ、シェイクスピア劇の上演において普遍的である。金沢は毎年5月に国際的音楽祭を、市民とともに開催するオーケストラとホールを持つことにおいて普遍的である。宇ノ気町西田幾多郎を生んだ哲学の街として、ハイデガーを生んだメスキルヒとともに普遍的である。そのような普遍性公正さ)をぼく自身は大切なものとして、特に書く場合に扱っていきたい。

表現と現実

私の住んでいる近隣の自然の映像を切り取って、音楽とともに編集するとこういうPR動画になる。イメージと現実は、非日常と日常との違いになるのかとも思う。やはりドローンは画期的だった。鳥の目をもたらす。

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ここまで生きてこれたのは、、、

昨日書いたブログとは正反対に、暗い現実を避けずに直面することにする。ぼくの幼年から少年の時期は、今から思うととても寂しい思いをしていたことを認めざるを得ない。父は日曜日も働いていてどこかに連れて行ってもらったことがほとんどない。中学の時友達になったU君は、あまりにぼくがどこへも行っていないのに同情して、夏休みに親戚のある生駒に連れて行ってくれたことがあった。小学校の間は、児童公園や近郊の小高い山に一人で「遠足」に行っていた。正月といっても家の中はしんみりとしていて、雪に閉ざされて寒い部屋でこれから続く長い冬に耐えていた記憶がある。ごくわずかにデパートに連れて行ってもらった時に、安倍川餅を買ってもらって帰ってきて食べるのが嬉しかったぐらいだ。隣の家の姉弟にはそれぞれひな祭りと端午の節句の行事がしっかりとあったが、うちの兄弟には何もなかった。欲しいとねだったおもちゃのGUNは一桁値段が違っていて、とても買えないと言われてもなかなか諦めきれなかった。学校は楽しかった。先生は優秀な人が多かったと思う。遊べることがあまりなかったから勉強するしかなかった。それが救いだったと思える。ぼくを最終的に救ったのは高校へ入ってから、世界文学全集を読みだしてからだった。現実の他に違う世界があることを夢中になって吸収した。現実の世界しか知らなかったら、暗い家の中で自殺を考えていたかもしれないと思う。

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豊かな人生のイメージ

1953年生まれの人間にはまだ、「豊かな人生のイメージ」がある。世界の文学、音楽、絵画の古典などから作られ、私の心の底に沈殿しているものだ。豊かさというとあくまで私の感性だが、ドストエフスキーではなくトルストイだし、カフカではなくゲーテであり、ベケットではなくシェイクスピアであり、カミユではなくロマン・ロランであり、レオナルドではなくラファエロであり、ゴヤではなくベラスケスであり、ゴッホではなくモネであり、ブリューゲルではなくフェルメールであり、カンディンスキーではなくシャガールであり、モーツァルトよりはハイドンであり、ラフマニノフよりはチャイコフスキーであり、シューマンよりはベートーベンである。天才よりは常識人に止まる穏健派の方が「豊かさ」の範疇にあると思える。いずれも後者の方に人生を肯定し、邪悪なものに引き裂かれない安定感がある。ちょっと思想史的に言えば、近代以前ということだろう。現代は近代の不幸を引き継いでいて、豊かな古典の世界はあえて現実を見ないようにして自分の殻にひきこもらない限り、手にすることはできない。つまり現実には無理なのであるが、一割か二割ほどはそのイメージに身を浸していたい。ただその世界を実感として知り得ない、私より若い人よりかは少しだけ幸せかもしれないと思う。

(公論)コロナウィルス対応

こういうことは、テレビでお茶の間向けにコメンテーターの解説を聞くよりも、文字できちんと読み自分なりの理解を持つべきだと思った。

headlines.yahoo.co.jp

(公論)夫の無念を晴らす妻の見識

この記事に注目した。夫の無念を晴らす妻は一個人で、民主主義が身についている。身についていないのは一国の総理と財務大臣である。加えて「調査しない」彼らをテレビで報道する局のコメンテーターも、彼らが調査される側であることを指摘できなかった。(読売新聞オンラインから)

赤木さんの妻「安倍首相らは調査される側、再調査しないと発言する立場ではない」

 自殺した財務省近畿財務局職員・赤木俊夫さん(当時54歳)の妻は23日、安倍首相らが再調査しない考えを示したことについて「夫の遺志がないがしろにされ、許せない。再調査してほしい」とするコメントを代理人弁護士を通じて公表した。コメントでは「安倍首相らは調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」とし、「第三者委員会を立ち上げてほしい」と訴えている。妻は今月18日、自殺は改ざん作業を強いられたことが原因だったとして、国と佐川宣寿・元理財局長に損害賠償を求め、大阪地裁に提訴した。