開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2022年目標一部変更

Complete one thing and then do the next.

  • 英語学習(暗記) DUO3.0 → 英作文のための暗記用例文300
  • テニス スピンサーブをマスターする
  • 古典文学 源氏物語谷崎現代語訳巻三までを読了する
  • 学術書を読む とにかく1冊ずつ読み終えること  「人新世の資本論」→ 「精神分析入門」→ 「哲学する日本」→ 「トランス クリティーク」→ 「世界史の構造」
  • 読書感想文 野露読書会課題本

Keep track them.

 上記各目標の進行状況をブログに都度記載する。

上記 【英語学習(暗記) DUO3.0 → 英作文のための暗記用例文300】は実力以上の目標だったため、以下に下方修正して改める。

  • 英語学習(Lestening/Reading) 「The great gatsuby」(IBCオーディオブック)

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Aとの別れ

ぼくはこれまで誠実な気持ちでAを見ることが出来なかった。もう人生の秋を迎えようとする時期にいて、それは感謝の気持ちに変わっていてもおかしくはないはずだった。過去を振り返ることが生きがいのようになっていた頃、少しは気持ちの変化を感じ出していた。もし再会ができたとしたら、最初に感謝の気持ちを伝えたかったと思う。とても古い昔の友人の一人として1回だけ再会を果たせられれば、これからの第二の人生に意義深いことだと思われた。果たして再会は実現した。当然のことながら彼女には彼女の人生があった。ぼくの誠実さは実際会ってみると通じなかった。むしろ彼女の方がぼくを受け入れようとしなかった。今から思うとわれわれは少しも通じ合うものはなかった。彼女の感性はもともとぼくには受け入れ難かった。ずっと噛み合わないままだったのだ。もう小説を読むこともなくなっていた。ただ、彼女には恋の自分なりの流儀があるように感じられた。それに付き合うとぼくの方が居心地が悪かった。落ち着いていられないものを突きつけてくる感じだった。理解しようとすると巧妙に滑り抜けようとする。ぼくに恋愛の感受性がなく、いつまでたってもそれに馴染めなかったのかもしれない。そういえば、Aは男女の間の安心感や共通の心情のようなものを否定していた。絶えず緊張感がある方が良い状態らしかった。それはぼくには受け入れ難かった。付き合い切れないと思われた。ぼくはAの刺激的なところに惹かれたのかもしれないが、ぼくは自分が動かされるのは我慢がならなかった。、、、いつまでたっても分からないままなのかもしれない。ぼくは自分を信じ、妻を愛しく思い、約束を果たすだけだ。

読書会文学散歩レポート

令和2年と令和3年度の文学散歩はコロナで中止していましたが、今年度は感染防止対策の規制も緩和されたことから実施することにし、メンバー13名の参加で5月11日行われました。行き先は令和2年度に企画されていた、能登音楽堂と七尾美術館を見学するプランをそのまま、シェイクスピア劇と七尾出身の画聖、長谷川等伯のそれぞれの文化施設をめぐる文学散歩としました。野露読書会では事前に、「ハムレット」と安部龍太郎の「等伯」を読んでいて、読書会としての参加申し込みであることをそれぞれ見学担当者と学芸員の方にお伝えしました。能登音楽堂の案内係の方は、無名塾の塾生の方らしく稽古場での仲代達矢の様子やマクベスの時の馬の厩舎のことなど、普段聞くことができないエピソードをふんだんに交えて紹介してくれました。圧巻はやはり高さ7メートルある舞台背面の開閉式壁面で、開けると生の林の中の空き地が登場する舞台でした。そこは劇場の外になるわけで、舞台装置も人工ではなく天然になります。だから木などは根っこから抜いて移動させることもあったということでした。見学当日は天然の藤が木の上の方まで伸びて、林の左手上部は満開の藤の花を見ることができ、当館ならではの見物にもなりました。この劇場は演劇専門に仲代達矢の監修のもとに作られ、音については俳優の声が生で十分聞こえる配慮が、客数や座席配置や壁の形などに施されているとのことでした。とにかく熱っぽい解説を聞いて、ここ七尾を拠点に本物の芝居を提供する無名塾の意気込みを感じました。また、こちらから仲代達矢と七尾との関係について質問をすると、七尾にあるFRP製造の会社が舞台創作物の製造を請け負っていた経緯から、七尾のロケーションを紹介し仲代達矢が一目で気に入ったと答えられました。しかし劇場の完成には多額の建設費もかかり、地元の人たちの熱心な勧誘活動もあって実現したことには間違いないと思われました。昼食は、七尾市の老舗料亭「青海楼」のランチをいただいて、ゆったりと歓談の時間を過ごしました。午後の部は、毎年春の時期にシリーズで行われている、長谷川等伯展を鑑賞しました。最初に学芸員の方の説明がアートホールで約20分ほどあり、こちらも等伯研究者としての熱い解説を聞くことができました。等伯展は毎年企画展示の趣向を変えこれまで27年続いているそうです。当初の展示では安部龍太郎の時代小説「等伯」が直木賞を受賞したこともあって、等伯の人気は一躍全国的に上がることになり、等伯のある美術館として七尾美術館も知られるようになったそうです。今回は北國新聞での最近の研究成果の紹介もあり、有名な「松林図屏風」の水墨画風の絵とは対照的な彩色された図屏絵が多数展示されていました。解説の終わりには、狩野派と長谷川派の確執に触れ、小説にあったような狩野派の妨害は実際にあったのかという読書会にふさわしい質問もあり、七尾美術館との交流もできたと思います。今回の文学散歩は、七尾の二つの文化施設を訪ねるものでしたが、現地のスタッフの方との交流を持つ良い機会になりました。

応答の機会が増えること

会社を定年になってやめてすぐの頃と今との違いは、単純に人と接する機会が増えたことにある。人と接することで応答する機会や場が持てたことが今の自分を元気にしていると思う。今日は、先日読書会で文学散歩と称して、能登七尾方面のバス旅行をした時の写真をメンバーに渡すのに、写真係のTさんとやりとりしたのだった。写っている人の顔はTさんには面識がない人も含まれていて、その人用にプリントを用意するのにぼくに尋ねたがぼくも分からなかった。じゃあ、今度の源氏物語を読む会の時にFさんに訊いてみようということになった。そんなたわいもない小さな用事ごとであっても、応答の機会は大切にしたいという思いがある。それが丁寧に日常を過ごすということであり、豊かさを作ることに影響すると考えている。応答力は、生きるスキルであることをサラリーマンの時に自立するために学んだ経緯がある。応答力によって、他人の「支配」から自分の「支配」に転換できる。それと、丁寧さは自分の世界の深耕に繋がる。作品を創作するように、自分の世界を創造するという方法は、文学的に生きるというぼくの生き方でもある。

石川県七尾市という場所

石川県七尾市には、全国の旅行会社が投票する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で36年連続「日本一」に選ばれた老舗温泉旅館、加賀屋がある。その和倉温泉街の近くの運動公園テニスコートでは、佐藤直子が主催して毎年国際女子テニスオープンが行われている。毎年7月には、国際的なジャズ祭の一つモントレー・ジャズ・フェスティバルが行われる。同じ七尾市にある七尾美術館では、七尾市出身で狩野派と覇権を争った長谷川派の創始者長谷川等伯の企画展が27年続けて行われている。また七尾市から少し離れた中島町には、仲代達矢率いる無名塾の拠点で、7メートルの開閉式背壁面(それが開くと林の中の空き地が現れる)で有名な演劇専用舞台を備えた、能登演劇堂がある。このように数えると能登中核市として目玉となる施設やイベントがあることがわかる。しかしそれらは文化的な資源ではあっても、日常の中に生活空間としてあるわけではない。生活空間としてのにぎわいがあるわけではないので、通常は閑散としているのは多くの地方と変わらない。昨日、読書会で恒例となっている文学散歩で七尾美術館と能登演劇堂を訪れてみて、最初に感じたことはそのことだった。でか山巡行で勇壮な青柏祭もあってハレの時はにぎわうのだが、ケの時は寂しい能登の街になる。やはり日常ににぎわいがなければ快適な都市にはならないだろう。金沢にはそれがあり、文化的な格差は否めないのも事実だ。ゴールデンウィーク中に訪れた滋賀県の佐川美術館は、同じ地方都市型美術館であっても七尾美術館より格上であった。やはり投入された資金がものを言うのは仕方ないにしても、七尾美術館は世界に通用するコンセプトがそもそもない気がする。長谷川等伯にしてもルネサンス期のイタリアに匹敵する画聖として顕彰するくらいであってもいいと思う。、、、こんな批評をするつもりはなかった。案内してくれた美術館学芸員無名塾塾生の熱い解説に、賛美を込めて感想を書くつもりだった。とにかく能登の人々の粋の良さにはリスペクトを惜しまない。

自己改造について

自分を変えることができるのは、他人の力や環境の制約や影響はあるものの、実行するのは自分である。実行するのは自分しかいない。当たり前のことだけど、意外と気づけなかった気がする。サラリーマンの時は自分を消して、顧客のためとか、家族のためが優先していた。自分にかまけることは贅沢と見做された。仕事は嫌なことでも我慢してやり抜くことが当たり前で、その報酬として給料がもらえるのだと大方の社員は理解していた。定年退職してからは、ほとんどの時間を自分のために使ってよくなった。妻と二人暮らしだから、妻のために時間を使うことももちろんある。考えてみると本当に大きな変化だ。ある意味、奴隷解放だ。解放という言葉が実感を伴って理解できる。

本当は定年退職してから直ちに、自己改造に取り組むべきだったかもしれない。ぼくの場合、8年も経過している。これからの残された人生は、基本的に自己改造の実行期間だ。自分の最終的な死に向けて、どういう生を全うするか実験のようなことができるのだ。そう思うとワクワクしてくる。少しづつ、ゆっくり、着実に、計画し、実行していこう。

自分は間違っていた

この前このブログで、「情報発信者」から「情報生産者」になると宣言してしまったが、あれはぼくの傲慢さを示すものだった。情報をブログで発信などは一度もして来なかったはずだ。そもそも情報など専門家でも研究者でもないのだから、できるはずはないのである。SNSで自己表現の敷居が極端に低くなったことで、誰もがものを言うことができるようになった。技術が使い手の能力を超えて与えられてしまったため、暴走して制御不能になることもある。ぼくのように自分が情報発信者になったかのような錯覚を持ってしまうのだ。日記のようなものは発信しているかもしれない。そんなものは情報ではない。読んだ本の感想など情報ではない。書評というような、評価などできるはずもない。価値判断の根拠となるものを持たないからだ。感じたり、考えたりしたことはそのままでは情報になり得ない。客観的に認められた能力や業績や経験が価値判断の根拠として認めうるか、まずは自分に問うべきだ。自分はこれまで間違っていた、と認める。これまで他人の動画を安易な評価でこのブログに載せていたが、自分の間違いを認めて最近削除させていただいた。

自己改造をもたらす人

自己改造をするには、自分を動かすわけだけれど、実は自分一人ではできない。どのように改造すればいいかヒントを与えてくれる「師」が必要だ。その「師」は自分で見つけなければならないし、「師」になって下さいとお願いすることは普通できない。こちらがその人を勝手に「師」だと思って、「仕える」だけである。テニスの場合はスクールのコーチがいるが、必ずしも自分の「師」になってくれるわけではなく、コーチ自身のやり方で教えるだけだ。ただこちら側の構え方が「師」に「仕える」ように素直になることが肝要になる。

今日は、地域社会での読書会活動における自己改造について考えてみたい。読書会の会長になってから、市の文化協会「常任理事」という役を受け持つことになった。そのことで自己改造が進んだことは確かである。今年1月の講演会で上野千鶴子氏を知ったことや、今読んでいる山本哲士氏から文化資本を巡って多くの知識を得ることで、読書会が持つ知的資源の公共的活用の場所が見えてきている。知的生産スキルを身に付けるための自己改造が求められているように感じている。そこで「師」になる人が本の世界だけでなく現実に見つけることが今日できた。文化協会のKさんである。

Kさんは上野千鶴子氏を講演会に呼んできた人だ。今年11月には、水橋文美江さんを呼んで講演会をすることが決まっている。水橋文美江さんの「スカーレット」脚本をもとに地元劇団でドラマリーディングを前座として企画したのはぼくだ。実際は企画というほどでなく、アイデアを電話で伝えただけのことだが、大いに喜んでいただいた。アイデアが形になるという経験をKさんからもたらされた。だからぼくはKさんを「師」として設定させていただこうと考えたわけだ。地域の文化的な環境づくりの一端を担う道を拓くために、Kさんを「師」と仰ぎ読書会を運営していきたいと思う。

現在のところは二人の「師」をもって自己改造していきたい。

自己改造1:テニス編

これから少しづつ動き出そうかと思う。自分を変えるために自分を動かそうと思う。そのために読書時間は削ることになりそうだ。これまで続けてきた小説の読書は目標に設定した学術書以外は、読書会で取り上げる本に限ろうと思う。増やしたいのはテニスの練習時間だ。こちらは体が十分に動かせる間にスキルアップしておく必要があると思ったからだ。そのために自分の現状のフォームを録画して、客観的に自分の欠点を把握することまで踏み込んでやりたいと考えている。コートに三脚を持ち込んで、デジカメで動画撮影したい。基本的に毎週水曜日の午前中を当てたい。サーブの練習は一人でやり、ストロークの時は妻に手伝ってもらって継続してやりたいと思う。練習メニューは前もって決めておいて、できるだけ細かく具体的に設定することにする。例えば、サーブでグリップを握る時に内側に手首を曲げたまま打つ、というように。それは現在のフォームが最初ラケットを担ぐ時に面が上を向くのを矯正するためであり、その癖が修正されればより腕の振りの力がラケットに伝わりやすくなるためである。そしてその一つの練習メニューがクリアされない限り、次には進まないようにする。これが英語学習の時もそうだったが、一つの課題をやり遂げないうちに次に移ってしまっていたのである。テニススクールでは集団で行うので、マスターできるまで一つのメニューをやり続けることは難しい。何かに精通するには、とにかく細かい点にまで身を入れて繰り返すことが必要になる。それを面倒に思わないほどに好きになれれば、テニスに限らないがものにすることができると思う。

自分を改造する69歳に

自分の心の奥底には深層心理が働く層があって、そこでは人間の原初的な、幾層にも人類の遺伝子が積み重なっていて、個人という単位でありながら類的存在でもあるような客観性が眠っている、、、というのは実証することはできないので単なる仮定にとどまるのだが、しかしその仮定が動機となって心理学や唯識などの仏教哲学が構築されたり、村上春樹の小説で「井戸を掘る」などのモチーフになったりしている。しかし心というものは言語によって分節化されていると考えると、言葉発生の気の遠くなるような過程や構文や助詞などの統辞法によって編み込まれた構造と考える視点もあると思われる。今読んでいる、「哲学する日本」は日本語の微妙で精巧な言語体系を解き明かしてくれる。まさに目から鱗で、西洋かぶれで育ったぼくなどはてっきり日本語は曖昧性の情緒的な言語と思っていたら、日本語の方が細かいところまで論理的なのであった。それはさて置き、この開界録というブログで自分の心の奥底に住んで、蠢く小さな声を聞いてきた。ぼくが歩んできた人生にもその声は深いところでしていたのだろうと今になって思えることが多い。例えば、大学を出て就職するという時の判断場面で、その声はしていた、、、東京へは出なかった。大きな会社には引け目を感じた。肉体労働は無理だと感じていた。出来るだけ競争のないところに行きたかった。文学的な言葉を使うとしたら、すでに「厭世的」だった。しかし一旦決めたからには最後まで貫くと感じていたと思う。そうして大枠はその通りのサラリーマン人生を定年まで送ったのだ。

定年を既に過ぎ来月で69歳になる。職業選択の場面から40年近く経ち、定年の時はどのようなこころの声を聞いていたのか、、、「本当の自分の人生が始まる」と感じていたと思う。厭世的な自分を生産的な自分に鍛え直したい、厭世的に流れようとする動作をじっと抑え込んでいるように最近なったと思う。自分を改造することに欲望を感じている。

自由の本質

あっは、 ついにわかったぞ

サルトルが言っていた自由の本質ってのが

なんのことはない、意識って奴だ

意識しかない世界に俺は

生まれてこのかたずっと生き続けてきた

何となくずっと寂しかったぜ

別名を無と言うんだから

何をしても自由なら何をすりゃよかったんだ?

理由や根拠ってもんが欲しいってもんじゃないか

無口な職人を親にもった息子は

人生の見本なんてある筈もなく

無情な20世紀に放り出されたってわけさ

母親が優しすぎたかもしれない

もうちょっと具体的なディテールで

躾けてくれりゃ寂しい思いをしなくても済んだかもしれない

おとなしいガキの頃

親父は俺を映画館に連れて行ってくれたことを

今日突然思い出したんだ

そしたら無性に親父のことが分かり始めて

泣きたくなってしまったよ

あれから人生っていうものは何も変わらないことが

わかってしまった

永遠の自由の繰り返しだけが人生ってもんだ

耐えろ 耐えろ 耐えろ

忍耐の朝に昼に夜に

果てしなく ともかくも 歩いて行こう

 

佐川美術館で「天堂苑樹」を観る

定年退職の完全無職の身だから、ゴールデンウィークといっても別にいつもと違うはずはないのに、周りが一斉に動き出しているのを見るとどうしてか焦りを感じてしまうのは何故だろう?自分も何処かへ出かけたくなる。出かけないと取り残された気持ちになる。そういうわけで殊更いまでなくても良いのに、かねてから行きたいと思っていた佐川美術館に妻と行ってきた。琵琶湖の北端から4分の3くらいの東側のほとりにある。自宅からだとGoogleで3時間7分と出た。しかし、実際はのんびり高速を走ったり敦賀インターで降りてから迷ったりしてたので、途中南条SAでの昼食も入れて5時間近くかかってしまった。ちょうどバンクシー展をやっていたが、見たかったのは平山郁夫シルクロードでの絵と地下の茶室だった。いつか行こうと思ってから2、3年は経っている。不本意な焦りを感じなかったらまだ先になっていたかもしれない。しかし、ついにその絵と出会うことになった。横長で169.0×366.4cmある。「天堂苑樹」である。

天から降りてきたとされるブッダが弟子たちより少し高いところから、説法しているのだろうか。その話に聞き入る姿が至上の慈愛に満ちているのだ。暗闇に手に明かりを持ってそれぞれ距離を置いて佇んでいるのが幻想的で、とても温かい。ブッダの傍らには白い象がうずくまっている。画面後方に赤く烟っているものがある。何かが燃えているのだろうか?森自身が生き物のように感じられる。「天堂苑樹」は初めから知っていたのではない、そこで初めて見たのだった。平山郁夫の絵は他にも有名な絵が10点くらいあってテレビや雑誌で見ていたが、それまで見ていなかった「天堂苑樹」が一番好きだブッダに対する尊敬と親しみが森全体を包んでいる感じが、歴史を超えていとしい気持ちになる。その感じはおそらく平山郁夫も感じているに違いない。絵を通して気持ちが通じ合うという体験は、実際にこの場所でしかなし得ないと思う。何か自分の人生目標を一つ果たした気がした。

宮下奈都「アンデスの声」を読む

今年の目標の一つに読書会で読んだ本の感想文を書くというのがある。昨日それを書こうとして、それは情報発信になるか情報生産になるかを考えていて途中で面倒になってやめてしまっていた。情報生産になると何が違うのか、単に読んだ自分の感想じゃダメだとすると、感想自体に何か情報としての客観的な価値がなければならない、と言えるかもしれない。そして寝る前にその価値とはオリジナルな差異性だと気づいた。「アンデスの声」は文庫本にしてわずか21ページの短編なのであるが、ぼくは以前「羊と鋼の森」も読んでいて、共通するものを「発見」したのだった。その「発見」を持って客観的な価値にならないだろうか、と思った。同じ作者が書いた作品で共通するものがあって当然ではあるのだけれど、それは多くの女性作家では珍しいことのように思えた。女性であることを武器に書いている女性作家が多い中で、宮下奈都は女性だからという部分は感じられなかった。「羊と鋼の森」は調律という音の基準を取り上げている。「アンデスの声」はエクアドルのラジオ放送を取り上げている。共通するのは、特別な、その人にとってはかけがえのない唯一の「音」なのである。前者の音は「世界」に結びついているし、後者の音は単調に見える祖父の一生の労働の「糧」に結びついている。農夫であった主人公の祖父は、正月と盆以外は休まず毎日決められた農作業に従事していた。主人公である孫娘が祖父の看病のために会社を休んだら、「お前の仕事はそんなもんか」と祖父は寝床できつく言った。エクアドルのラジオ放送はおそらく海外の日本人向けに流されていて、放送を聞いた日本人は聞いたということをハガキで伝えると、ベリカードという写真や絵付きのカードが届けられる仕組みになっていたのである。そのカードを祖父は大事に集めていて、もう自分の人生を閉じようとするときに孫娘に「託した」のだった。孫娘は小さい頃おじいちゃんの家に遊びに行っていて、そのカードにあった紫の花のことをその時に、思い出したのだった。ぼくは宮下奈都に多くの女性作家とは違う資質を感じていて、それは彼女が上智大学の哲学科を出ていることと関係があると思っている。しかし硬い哲学界にあって女性らしい感性で学んだのだろう。ただ一つに収斂する「音」は、哲学的な素養を感じさせ、ジェンダーを超えて普遍的なモチーフになっていると思う。

情報発信者から情報生産者に

定年退職してからブログを書き始めて、2018年からこのはてなブログに移ってきて今年で5年目に入っている。リタイアしたての頃のアイデンティティ・クライシスを何とか凌いで、地元地域にも所属意識を持ちながら安定した第二の生活に着地できている。これまでの書くスタイルはできるだけ自分らしい情報の発信者になろうと、書く自分の意識に添いながらオリジナルを心がけてきたつもりではある。読書や読書会に関することを情報発信の中心に置いて書いてきたが、結果については自分の納得感だけが評価軸だった。つまり自分のブログを読んでくれている読者の方がどう評価してくれるのかについては、ほとんど関心がなかった。でも全くアクセスがなくなれば意味がなくなるとも考えていた。アクセスがゼロになってそれがしばらく続くようだったら、やめる覚悟でいた。幸い1日もゼロという日はなく今日まで続いた。数日前のブログにも書いたようにこれからは自分の吐き出したい事を書くのではなく、いわば「生産的」な事を書きたいと思っている。例えば、本を読んだ感想でもこれまでは自分の情緒経験の記録でしかなかった。ぼくはあえて自分の読んだ本を人に勧めるということをしてこなかった。(唯一の例外として源氏物語があるが)それはおこがましい事に思えた。自分と他人は絶対的な断絶があり、自分の考えるようには他人は絶対考えない、という了解があった。もしぼくのブログの中に参考にすることがあれば、ありがたいことだと思って納得しようとしてきた。それはそれでいいのだけれど、人に勧めるという積極的な態度もやってみたくなってきた。人に勧めるには理由がいる。今までその理由がめんどくさかったのだと思う。そしてその理由の中には、その人にとって生産的なことが含まれていなくてはならない。ぼくにとっては書くスキルの向上になり、新たな挑戦になるのでやってみたいと思った次第である。

美術評論への道

山本哲士著「哲学する日本」(新書543ページ)の3分の1まで読んで、これはスゴイと思った。これを読む前と読んだ後では、ぼくの残りの人生が大きく変化すると思われた。日本語の述語制が思考の普遍性まで行くことを、チャイコフスキー交響曲第4番とモネの「睡蓮」の芸術論に展開して見せたのは圧巻だった。小林秀雄の芸術論を近代の限界として鮮やかに否定して見せて、ぼくには爽快感さえあった。ということで、ぼくはまた自分の住む領域が美術にあることを再認識する機会となった。もともと大学が美大だったので美術には親しみを感じているし、何か一つの分野を教養の柱にしたいと戦略思考もかつてはあった。残りの人生を美術を中心とした芸術の情緒的摂取に当てたいという欲望が湧いてきた。山本哲士の述語理解をもとに、芸術作品の鑑賞を述語的記述でやってみたい、それをこれからの書くためのコンテンツとしたいと思う。山本哲士によれば、美術批評ないし評論という分野は小林秀雄から依然として先に進んでいないそうなのだ。とにかく、述語制、主体と客体の非分離、場所、非自己という基本的な概念を自分のものにできれば、全く新しい評論の方法が開かれることになる。それほど、この本の理論には力が秘められていると思う。ただし、読むのに慣れが必要で読みこなすには精読以外に道はないと思う。それだけ競合が少ない分野であることも確かである。

ブログは繋がっている

ブログに書いている文は、いつも繋がっているのに対して、本や新聞などの紙媒体に書いている文は切れている。書いている場所が繋がっているか、切れていつ繋がるか分からない所かの違いがある。ブログ文は基本的にLiveなのだ。だから論文みたいな形式だと読まれない気がする。完結させたり結論に導いたりせず、勢いでアドリブ感覚で書いた方が読者と繋がりやすいのではないだろうか。紙媒体に手紙がある。手紙は読む相手が決まっている、というか決まった相手に向けて書いている。この場合は、初めから特定の一人とつながりの中で書かれている。ブログの場合は、不特定多数を相手に書いている。あるいは自分に向けて独白のように書くこともある。その場合でも、不特定多数の繋がった場で、独白している。紙媒体のノートなどに自分に向けて書くのとは、やはりどこか違うはずだ。基本的に孤独にはなり切れない場所でブログは書かれるのだろう。、、、しかし考えてみると、言葉それ自体が社会的な性質の構造物なのだから、本来繋がっているものなのだ。だから書くことで孤独から解き放たれたような気がして、楽になるのだろう、、、