開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

同郷の小説家の本を読んでみる

金沢市出身の現役の小説家に、唯川恵さんがいる。ぼくより二つ年下の65歳になる。金沢女子短期大学を卒業して、地元の銀行に就職して10年間OLとしての生活がある。Wikipediaには、「29歳の時に『海色の午後』で集英社第3回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビューする」とある。コバルト・ノベル大賞とは、「1983年から集英社が主催している公募文学賞。」であり、「同社のライトノベル系文芸誌『Cobalt』及びコバルト文庫とその姉妹ライト文芸レーベル集英社オレンジ文庫の読者を対象とした作品を募集している。」ということだ。

10年間OLとして働いていたが、社内恋愛して結婚するという普通のコースを辿らず、続けていた日記の延長で、30歳を前にライトノベルの公募に応募して見事に大賞を受賞し、東京に出て作家という道に進んだ。就職先に銀行を選び、公募小説ジャンルをライトノベルにしているところに、堅実さが窺われる、というか自分を実力をちゃんと知っている感じがする。このような人はあまり失敗せず、大きな挫折を味わうようなことにはならない気がする。でも小説家を目指して応募したわけだから、平凡な、大人しいだけの人生に満足しなかったことだけは確かだと思う。だとしたら、書くことで堅実な自分を解放するすべを見つけたに違いない。自分の書く小説の世界に自由に羽ばたく方法を身につけたのだ。彼女の選んだジャンルはもちろん恋愛小説だ。それが自然に願望を延長させる世界だからだ。それも自分と同じ世代が読者で、しかも出版社が作家を育てようと設置した公募「ノベル大賞」で、それは決して登竜門としての文学賞ではなかった。

唯川恵が著名な文学賞をとったのは46歳になってからで、直木賞だった。これで名実ともに作家となった。文学の世界で作家の仲間入りしたのは、若くして才能を認められた作家の前では後発とならざるを得なかった。それを本人はどう感じているのだろうか?ひょっとしたら、直木賞受賞は作家としての出発点というよりは、彼女にとってそれまでの恋愛小説の終着点かもしれない。「淳子のてっぺん」を書くまでは、少し自分の立ち位置で悩んだ形跡があった。東京から軽井沢に転居もしている。実在する田部井淳子をモデルにして、自らも登山を始め、かなり詳細な登山専門用語を使ってリアリズム小説を書いた。ぼくが読んだのはこの小説だった。読書の一方の醍醐味は追体験だが、それは十分に満たされた。だがもう一方の魂に触れる醍醐味には一歩物足りなさが残った。

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英語人格について

以前の僕のブログで、リタイア後の第二の人生を英語人格で始めるという趣旨のことを書いたことがある。その時に以下の英文も掲載した。

Crysis after retirement?
At this rate, I will end up being just an old man.
I think that reading only books only traces the lives of others.
I have to start my own life.
First, let's draw what I want to be in the future.
Not long ago I was drawing a writer.
Although I like being a writer, when asked if I really like it, I think it's a little different.
Similarly, when I ask if there is a future I really want to be, I don't know.
What's wrong with being just an old man?
What do I want in the end? Can I get the answer if I keep thinking about it?

あのブログではもう英語人格になって英文を書いたような印象をもたれるかもしれないと思いながら、それを否定しなかった。どうだ、ここまで英語を書けるんだと見栄を張ったかもしれない。それと自然に英語発想ができる感覚は、あの時は簡単かもしれないという発見があった。ところが少し英会話の初心者向けの動画を見てわかり出したのは、その感覚はかなり上級者のものだということだった。正直に言おう。あれはGoogle翻訳で訳したもので、その翻訳を見てそこに自分の言いたかったことがズバリ英語で訳されていて(つまり英文は理解できた)小さな感動を味わったのだった。自分の言いたかったことが英語になった感動のまま掲載してしまった結果、ウソを書いてしまった。やはり自分の心の中に疚しい気持ちがあると前に進めなくなる。(「松永久秀の平蜘蛛」を信長に献上する光秀の気持ち)

世界史の大変動

アメリカ大統領の不正選挙から見えてきた、驚くべき腐敗の世界的構造。ポンペオが台湾よりも先にジュネーブに飛んだ理由も分かった。あまりにも急激な展開と規模が大きすぎて絶望する余裕もない。兵頭正俊氏のように魂を失わず、強くならなければと思った。

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自分を入れて距離をとる世界観

一昨日のブログ「目覚めた人の世界観」で、アメリカの大統領選挙を巡るトランプ対バイデンの抗争について、不正選挙を暴くトランプ側に正義があるとしてコメントしたが、それは自分のコメントとしてするべきではなかったことについて今日書いておきたい。つまり考えを改めたいと思った。主な理由は、不正選挙についての情報を日本の保守系ブロガーの人たちから得ていたぼく自身の状況が、ネットでは彼らしか詳しい情報を発信していなかった面もあってそれだけを見て判断して、原理的に考えて見ると現象的判断だったと反省させられた。それはアメリカの民主主義に対する無知からきている。民主主義という制度ないし理念を無前提に、非歴史的に良いものとして受け止めていたからである。公正な選挙という民主主義の原則を守るか守らないかの現象にとらわれて、トランプ側の利益と反トランプ側の利益の対立という、本質が見えていなかった。不正選挙をしてまでもトランプを政権から落とそうとした理由を考えていなかった。いわばどちらも資本家の利益であって、労働者大衆の利益とは区別されるべきだった。テキサスを中心とする製造業資本と、金融資本と結びついたGAFAの情報産業資本との利益対立が南北戦争以来の内戦状態に進んでいる、と見るべきであった。不正選挙自体は歴史的に南北戦争時代からあったらしい。つまり、判断にはどうしてもそれまでに掴んだ知識に影響されるわけで、生半可な知識で世界情勢のような大きな問題には取り組まないほうが懸命なのである。しかし、誤りはあるものとして自分の判断を検証、更新することはいいことかもしれない。つまり、適切な距離を保つことが大事であると思う。保守系のブロガーの人たちは、アメリカの問題は身近な問題として関わるべきと主張していたが、目覚めた人なら関わるべきでないとすべきなのだ。

目覚めた人の世界観

アメリカ大統領選挙に関わる、連邦議会乱入暴動まで進んだ状況や、香港の民主派議員の大量逮捕などの世界情勢に対するぼくの見方など、誰にも影響しない戯言にすぎないがそれでも、目覚めた人になると書いた以上何かコメントを書いておきたいと思う。ネット上にいわゆる保守系のブロガーの人たちが、不正選挙の証拠をあげてトランプの戦いを正義とする主張にぼくは耳を傾けてきた。ツイッターフェイスブックなどのSNSアメリカの大手メディアがこぞって反トランプ側に立ち、日本のマスコミも独自に取材する能力もなく、アメリカの大手メディアの報道をそのままただ流しているだけの状況だ。これはぼくの感受性に賭けるだけなのだが、数々の証拠から(これは報道されない)おそらく不正選挙は事実であり、民主主義を守ろうと戦っているのは不正選挙を暴こうとしているトランプだと思う。欧米の民主主義と中国などの「共産党独裁国家との対比の構図がよく持ち出されるが、その前に選挙そのものの公正さを徹底した調査の元に信頼回復すべきだと思われる。連邦議会に乱入したのは調査を暴力で妨害したのであり、その暴力はトランプ側の主張を妨害したのだから、連邦議会乱入暴動は反トランプ側が仕掛けたのであってトランプが仕掛けたとするマスコミの報道は、ちょっと詳しく情報を追っていれば気づくことだ。とにかくフェイクニュースが当たり前になっている現在では、特に日本のマスコミが一様に報道していることは用心して聞いておくことが肝要と思われる。

現に今世界に起こっている大きな流れは、スターリニズムの侵攻に対して欧米がようやく気付き始めて脅威を感じ始めたというところだと思う。中国共産党スターリニズムに対して「内部」からの反スターリニズムが求められるところに歴史の転換点がきていると、目覚めた人の戯言を記しておきたい。単に第二次大戦後に立てられた欧米の民主主義の対抗という流れではなく、反スターリニズムの流れが新しく作られなければ世界史は更新されないと思う。

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目覚めた人になろうと決めた

メランコリーな少年が、強制収容所生活を経て、刑期を終えて出所後に、ようやく自由に生き始める人生が自分の人生のように思える。それは自分の心の声を唯一の真実として、湧いてくる想いに忠実になることを方法として「書いてみること」で自覚された人生だ。現実の自分を素材にして、時代と身体と国家の中で自由を目覚めさせる、哲学と文学の偉大な力を借りて行う冒険でもある。現実の自分は卑小なモルモットにすぎないが、本を読むことが出来るし、母語で感じて考えたことを書くこともある程度出来る。日本人として生まれたが、既に世界の情報に日々晒されて世界同時進行の環境の中にいて、無国籍な感性に育ち、受容する事実に耐えられずメランコリー体験の後、形式としての日本人になった。生きるに必要な武器は情報、思想、歴史を読み解くリテラシーであり、必要な信条は自分と家族と仲間を失わない行動と、他者への愛とフェアネスである、、、と、ここまでは書けた。大筋のぼくの物語だ。さてどうやって物語を始めるのか?始まりはどこにあるか?始まりは、ぼくの生きている今にしかない。物語であってもありのままの現実が出発点になる。かつて、小林秀雄は、小説を小説と思って読むなと言った。小説という物語は小説の現実の背後に生の現実があり、小説を通して生の現実の方を読まなければならないと諭した。もっともなことだ。生の現実のぼくは、強大な見えない暴力と真実を覆い隠すマスコミのもとに無力だ。いや違う。もっと何も見えなくて、あっけらかんとした平板な日常だ。このままでは他人に動かされ、自分の人生を盗まれそうだと気づいて、目覚めた人になろうと決めたことをここでもう一度振り返りたい。

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古井由吉の小説には何かがある

今日うつのみやに注文してあった古井由吉の「書く、読む、生きる」が届いていたので、取りに行った。すぐに読んでみると講演やエッセイを集めた本だった。ぼくは「杳子」だけしか読んでいなかったが、すぐにその世界に馴染んだ。すぐに才能を感じた。三島由紀夫にも読んですぐ才能は感じたが、古井由吉の文章には形而上学と艶を感じた。三島由紀夫はいかにも秀才っぽいが、古井由吉は頭が良すぎて危ない人といった印象がした。ところで「書く、読む、生きる」を最初の数ページを読んで心地よい感じがしてきて、近年にはない手応えのある本に出会った感じがした。独特の小説観にも惹かれるものがあった。古井由吉小説は、エッセイか小説か分からない小説らしい。これは何かを示唆しているような気がした。「境」があるようでなく、ないようであるという文芸空間が、古井由吉によって切り拓かれたのかもしれなかった。私小説ではない、私の存在性を媒体として使うという方法論も、ぼくにはよく分かった。なぜかぼくは自分の行く末を患うことから遂に解放される期待を古井由吉に抱いて安堵した。

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書くことによって鍛えられる何か

今関心のあることが遠い昔になっている定年退職後の年金生活者が、書くことが楽しくなってきていて、昨日に引き続いて少年の頃の自分について書きたいと思う。これを読む人には分からないと思うが、書く方は若い自分に書く間だけは帰れるので楽しいのである。親の庇護のもとにあり、基本的に学校に行って勉強していればよく、高校は進学校だったので毎月試験があったが勉強がいやでしょうがないわけではなかった。そこそこ好きな女の子の取り合いのような場面になると悩んだりしていたが、病気や親の不和とか不慮の事故といった不幸には合わず、一人で突っ張ってはいたが極端に嫌われたり虐められたりしたわけでは無かった。ただ、高校に受かってすぐから始めた世界文学全集の読書は完全に嵌ってしまって、毎日本を手放すことは無かった。それは将来作家になる夢のもとに、才能に導かれて読むというのではなく、好奇心の赴くままの乱読であったためか、日常の現実と小説上の現実の区別が分からなくなりノイローゼ状態に陥るほどまでになった。あの頃を思い返してみると、鬱になって無気力になるというよりもメランコリーな状態で、全てがもの悲しい気分だったような気がする。例えば、萩原朔太郎の詩なんかを読むと無性に悲しかった。体全体が悲しみに沈んでしまうようで、怖い感じもしたくらいだった。クラスメイトにヴェルレーヌなどを読む文学少年がいて、彼から感化を受けて、ランボーとの間の微妙な感情にも悲しみを感じていた。このような言わば文学熱でのメランコリーは、仕事の過重負担やパワハラなどの原因とは違うので病気として治療するというよりも、精神的に強くなってコントロールできればいいのではと思われる。あの当時は思いつかなかったが、今では書くことによる治癒というものがある。何でもいいから、とにかく心にあるものを書き出してみればいいのだ。おそらく文芸という分野の芸術性には、書くことによって鍛えられる何かがあるような気がする。

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心の空虚は埋めなければならない

昨日のブログで中学生の時から心の空虚が育ち始めたとかいたが、心の空虚は自分の成長に繋がることが確認できてよかった。自分の成長にも歴史があり、全ては繋がっていることが今なら俯瞰的に見れるので理解が可能になる。心の空虚で今思い出すのはそれが一番深刻だった時期だ。前にもブログに書いているが、サラリーマン時代に社長から被った言葉による暴力がある。それは誰でも暴力と感じる類の言葉ではなく、サラリーマンだったら常識に属すると言われてもしょうがないものだが、悪意ある不意打ちを食うと思いがけない効果をあげるものなのだ。それは社長に報告しなければならない、という企業組織の原則なのだが、四六時中報告しろとなると異常な圧力になる。社長は軽く言ったのかもしれず、適切な時を見計らって報告せよと言ったつもりなのかもしれないが、受け取った方はいつが適切なのか分からないから四六時中となるのだった。このようなことは現在の心理学では何かの症例名がついているのかもしれない。当時のぼくはそのような知識はなく、自分はこの時代にあっても社員は社長一家の使用人にすぎないと自覚したのだった。社畜よりも使用人の方が実情に即していると思われた。定年退職している今でも、基本的に社員は使用人の身分だと思っている。それはさておき、その時できた心の空虚を唯識という仏教哲学で埋めることになった。唯識という知識体系が日本にあったことに気づかされたことは、自分の成長の歴史に最大の貢献をもたらせたと思っている。唯識源氏物語と共に世界に誇れる文化だと思う。文化というのは、現実の人間関係を凌駕する視点をもたらせてくれるのが良い。自分を含めてその時の社長をも凌駕できたことで、絶対的な自信に繋がるからだ。

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自分を知るための冒険

最近ブログに書いてきたことで、自分がどういう人間か真実が見えてきた気がしている。小学校までは自我が生まれていないので、両親や学校の先生やクラスのみんなと穏やかな一体感があって幸せだった気がしていた。ところが、実際は表面化しない妬みを持たれていたと最近回想する中で気付いた。中学へ進むと周囲は優しいばかりではなかった。周りの妬みの圧力が臨界点を越えて、急に孤立するようになった。自分の殻に閉じこもるようになったのと、周りから隔たりを感じるのとどちらが早かったかは分からない。とにかくいつも一人だった。60年代のアメリカン・ポップス在日米軍向けの短波ラジオから毎日浸るように聴いていた。オーティス・レディングのアルバムを買い求めるくらいの理解が中学生にできたのは、黒人の虚しさや悲しさに共鳴する心があったからだと思われる。心に空虚が育ち始めてやがて、世界文学全集で世界の思想や文化が空虚を埋めるように入ってきたのだと思われる。空虚がなければあれだけ激しく没入しなかったと思う。そして急激な世界文学からの思想のようなものが、ぼくを改めて周囲との距離を作った。もう両親との自然な、肉親の濃密な関係は崩れ去った。もう自然な言葉使いをせず、標準語を意識的に喋っていた。方言のアクセントを捨てた。だからあの頃から無国籍な人間になったのだ。

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定年後の退屈とのたたかい

定年後無職で年金で生活する者は、日常的にどうしてもやらなければいけない事から解放されている。コロナ禍の一部の人の、仕事がない苦しさからは解放されている。だからやることがなくて暇だと言ってはいけないのだ。先ほどテレビで「ポツンと一軒家」という人気番組を見ていた。選んで見ていたのではなく、午後のコーヒータイムにたまたまテレビに映っていたに過ぎない。そこで目にする被取材者のお年寄りは、農作業か何かの用事をいつもやっていて、のんびりとはしているが暇な様子ではない。やることはちゃんとあって、1日を「従事」して終わる毎日を送っている。昨日ブログで生産性が上がれば、労働時間は短くならなければおかしいという問題について書いたが、今日は労働時間が短くなったら残った暇な時間に何をするか、という問題を考えてみたい。

そもそもスポーツなどのレジャーはもともと貴族がやっていた。ゴルフ、テニス、登山、ヨット、乗馬などは今ではやろうと思えばサラリーマンでもできる。大企業のサラリーマンの年収は、単純計算で中世の貴族の所得並みになっているらしい。だが大概の人はそこまでの年収はないこともあるが、労働という「奴隷」の習性から切り離されていないから、貴族のように遊べない。本当はもっと貴族から学んでも良さそうに思う。そこでぼくはバートランド・ラッセルという生粋の貴族の書いた「幸福論」を読もうと思っている。もう泉野図書館には予約を入れている。

「ポツンと一軒家」に出てくるお年寄りと、貴族の「暇」の使い方をみたが、暇で何もすることがないというサラリーマンの定年後の日常とはとにかく違っている。何が一番違うかといえば、年季が違うのだ。定年後数年では「暇」の年季が違うのだ。賃金奴隷だった身分から解放されたと言っても最近のことだ。奴隷のおかげで働く必要のない古代ギリシャの哲学者や、平安貴族の和歌を詠み、恋愛三昧の生活に馴染むにはもっと長い年月がかかりそうである。

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何のために働くのか?

何のために働くのかと問うて、生きていくためにと答える。では何のために生きているのかと問うて、まさか働くためとは答えないだろう。幸福を得るためと答えるのが一般的だと思える。ではあなたは働いて幸福が得られただろうか?高度に発達した現在の資本主義国では生産性が向上して、1日に4時間働けば経済を維持発展させられるという。生産性が向上して得られた利益が働く者に公正に分配されることなく、長時間労働が強いられている。どこかおかしくないだろうか?生産性は改善や設備の更新で向上せず、下降するのだろうか。働かなくても経済が国民全体を文化的に暮らしていけるほどに富を蓄積しているのなら、必要以上に働くことを美化するのは幸福追求への障害となるのではないだろうか?そんなことを考えさせるのが、ラッセルの「怠惰への讃歌」という本だ。特に定年退職者には働かない勇気になる、必読書だ。

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本を読むこと

本を読むことは簡単にできる。文章を書いて本にすることはかなり難しいのに対して、本になったものを読むことは字が読める人であれば、誰でもすぐにできる。図書館で借りてくれば無料で読める。簡単にできることなのに、本を読む人はどんどん少なくなっているという。昨年、 NHKの朝ドラで「エール」をやっていてぼくはほとんど全ての回を視聴した。本を読むのと歌を聞くのを比較してみると、時間の共有性という観点からすると、後者の方が共有時間の密度は圧倒的に高いように思う。一人で聴く場合よりもみんなで聴いている方が、特にエールとしての歌の場合は多くの人を一つにするチカラを持っている。歌を聴くだけでなく、自分も歌ってさらに高い共感へ導かれる。

本を読む場合は、同じ本をみんなで読むということを実行しない限り、時間の共有性はないように思われる。朗読の場合は同時だが、普通同じ本でも読書は一定の期間を必要とする。だが共有性がないわけではない。歌の場合ほどシンプルではないが、読書によって得られる共有性は目には見えないが、長いスパンで見れば膨大で果てしない時間の共有ができているのではないだろうか?一つ例を挙げるだけで済むだろう。日本ばかりでなく世界に広げても最古の小説、「源氏物語」がある。読者数×読書時間×本の流通年数を考えると蓄積された時間は、それだけで何かを感じさせる価値がある。今「源氏物語」をあなたが読むとすると、めくるめくような時間体験をすることになるはずだ。既に現代語訳で、与謝野晶子谷崎潤一郎円地文子の他、田辺聖子瀬戸内寂聴橋本治角田光代など多くの作家がそれぞれの源氏を書いていて、全く紫式部と同じものを読んでいるわけではないが、一つの物語を共有していることになる。本を読むことによる読者の読書による共有空間には、いったい何があるのだろうか?文化の力には潜在的な相当な、人々を結びつけるチカラがあると思える。

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孤独で誰からも無視されていた

もうどんなことを書いて傷ついても、その傷の中に沈潜して回復するだけのたっぷりした時間があるのだから、過去に苦しく孤独で誰からも無視されていたことがあっても平気で振り返ることができる。自分だけが周りから拒絶されて、寂しい穴の中に気が落ち込んでいくのをなす術もなく、じっと佇むしかない時間をぼくは知っている。ただ阿呆のように呆然として、自分の中に閉じこもろうとしているのを果たして誰も見なかったのだろうか?ぼくには友達が身近にいなかった。孤独を打ち明ける衝動にかられる相手は、電話したくなる時、心を開いてくれなかった。電話でそのような言葉を知らなかったから、しばらく無言のままで受話器を置いていた。映画を見ても好きなミュージシャンの曲を聴いてもダメだった。寂しいままだった。まだその時はアルコールや薬物に頼るような年齢には達していなかったのが幸いだったかもしれない。

今だったら君にぼくの寂しさをうまく説明できるかもしれない。今だったら、このパソコン画面の向こう側にぼくと無関係に繋がっている人々の中に、君のような善意の人の存在を想定することができるが、子供だったぼくは世間知らずで常識の範囲がどこまでかも知る由もなかった。思えば誰かから慰められたことが無いかもしれない。勝手にこちらの都合のいいように、慰めの対象を見出していたことはあるだろうが。

ぼくの感じる寂しさは、自分の傲慢さの当然の罰かもしれない。何か知らずに傲慢な態度をとったのかもしれない。街で歩いていて偶然知り合いと目があって、ぼくが挨拶しようとした瞬間、相手は目をそらし気弱そうに頷いたと同時にすっと歩いて行ってしまうことが過去に何回かあった。小学校では友達だった同級生が同じ中学に進学していて、道でばったり会うと、これ見よがしにぼくを避けて通り過ぎて行ったこともある。

大学受験の時、相談していた大学生の人をぼくが受験に合格したあと大学構内で見かけ、お礼の挨拶をしようと待ち構えていると、その人は完全に無視して歩き去った。その時の傷は無意識にぼくの心を傷つけ続けていたと思う。全く眼中にない感じだった。ただ見覚えがなかっただけかもしれないが、ぼくは自尊心の強い方だった。あれからぼくは周りの人たちを傲慢に無視するようになったかもしれない、、、

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