開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「老人と海」を読む

この本を読むのは2回目である。このような有名な小説を1回目読んだのが確か40歳も過ぎての頃だったように思う。本好きな人だったらおそらく中学か高校あたりにまず最初に出会うような本だ。それを中年になって読み、また60歳を過ぎた高齢者の仲間入りをする…

定年後の日常(過去の日記から)

先ほど実家に置いてあった普通タイヤを積んできた。明日定期点検のついでにタイヤも交換してもらうことになっている。実家でリンゴを剥いてもらって食べてきた。相撲は春場所が始まっていて母が楽しみにしている。NHK総合テレビが外務省のニュースになってい…

大江健三郎「日常生活の冒険」を読む(続き)

高校時代の同級生Tくんとの読書会の4回目は「日常生活の冒険」である。大江健三郎は1935年生まれでぼくらより18年早く生まれている。この小説の「ぼく」はほぼ大江自身であり、斎木犀吉と最初に出会う時18歳であるから、ぼくらが生まれるか生まれないかの時…

小説の読み方の違い

高校の同級生と始めた読書会でお互いの読書の仕方に「齟齬」が現れてきたのは3回目の時だった。野々市の図書館近くのスローライフのトレードショップal(アル)のバルコニーで行われた。9月半ばの秋風を肌に感じながら、「今日のオススメコーヒー」を注文し…

井伏鱒二「朽助のいる谷間」を読む

野々市公民館の読書会の3回目だったかの時、井伏鱒二の「朽助のいる谷間」という短編をみんなで読んで感想を述べあった。前回の石川淳よりは温かい気持ちになれて、この国民的作家の一人に馴染むことができてよかった。 井伏鱒二は村上春樹と同じように弱者…

大江健三郎「日常生活の冒険」を読む

今「日常生活の冒険」を読み終えた。60年安保や広島の原爆という政治に関わった一世代先輩の小説家の、私小説に近い物語は暗澹としたものだった。「洪水はわが魂に及び」を読み終わった時も同じ感想を持ったが、この作家はどうしてこんなにも左翼の肩を持つ…

公民館の読書会でマルケス

野々市市(ののいちし)の公民館の読書会でぼくが当番になった時、コロンビアのノーベル賞作家ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」を課題本に取り上げた。果たしてちゃんと読んできてくれるのかそもそも心配だった。これまで海外の小説を取り上げ…

「1Q84」と私の接点

「1Q84」を読んでいた頃の日記から 定年延長の契約を解除し無職となって、一人で自宅に引きこもるようになって半年になる。妻はまだ会社勤めなのでウィークデーは実際一人きりになる。この環境は自ら選んだとはいえ、最初の頃は帯状疱疹になるくらい、思った…

村上春樹とロマンロラン

村上春樹の「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」それと、「風の歌を聴け」をようやく定年後読むことができた。驚いたのは処女作で作家としてのテーマが既にほぼ展開されていたことだ。ほぼ同じテーマでその後の作品を書き続けている、、、、(手法…

サルトル著「自由への道」第一部を読む

かつて有名であったが今どき絶対読まれないだろうという小説をぼくは好んで読むことにしている。野間宏著「青年の環」がそうだったし、ロマンロランの「ジャンクリストフ」がそうだったし、今回のサルトル著「自由への道」もそうだろう。とにかく今どきの人…

ヘルマン・ヘッセはアウトサイダーだった

amazonの書評から以下引用。読みたくさせる良い書評だと思う。 「『荒野のおおかみ』が実験的な大胆さにおいて『ユリシーズ』や『贋金つくり』に劣らぬ文学作品であることを、言う必要があろうか」これはヘッセの生涯の親友だったトーマス・マンの言葉である…

芸術が漂いだす日常の割れ目

退職してから1年半の間、ぼくの精神状態は情緒不安定のところがあった。しょっちゅう気が移ろいでいて、落ち着きがないというのではない。どちらかというと一日単位で気が変わるというのか、予定も変わってしまう。職につかず自由時間ばかりという環境で15…

鴨居玲展を観る

シルバーウィークの街中を見物してみようと、妻と二人でバスに乗って出かけた。半年ぶりで会うテニス仲間の友人とのランチ会が街中に出るきっかけだったが、ちょうど鴨居玲展を観るタイミングにもなった。 没後30年ということは1985年に亡くなられたことにな…

2015年8月のころの日記から

「約束された場所で」を読む。オウム真理教信者を村上春樹がインタビューしたものをリライトした、いわばノンフィクションものだ。文壇からのデタッチメント(関わらないこと)を決めて海外で作家活動をしていた春樹が、自分の文学はやはり日本でしか成り立…

自分とは何か

「利口そうなおしゃべりなんて、ぜんぜん価値がない。 ぜんぜんないね。自分というものから離れてゆくばかりだ。 分を離れてしまうというのは、罪悪だよ。 ぼくたちは、自分の中へかめのこみたいに、 すっかりもぐり込むことができなけりゃだめだ。」 ___…

読書会の成り立ち

ぼく達の読書会は高校を卒業して地元に残った二人と東京に出てUターンした一人の、同級生三人で中年の四十歳を超えたあたりで何となく始められた。三人は同級生といってもいつも一緒にいた仲良しではなく、高校時代はほとんど付き合いがなかった。高校を卒業…

「朗読者」読書会

「朗読者」読書会で金沢の玉川図書館に参加してきた。意外にも男性が多い会だった。女性4、男性8で、少しマニアックなというかスノッブな感じのする人も入っていた。主催者は、ミヒャエルやハンナに追体験する読み方ではなく、外にいてひたすら読み解こうと…

サルトル作「悪魔と神」読書会

友人と二人で喫茶「ローレンス」で5回目の読書会をする。選んだ本はこれまで「星の王子さま」「デミアン」「日常生活の冒険」「テンペスト」と続き、今回は「悪魔と神」である。「テンペスト」で初めて戯曲を読み、観客と共有する舞台で演じられることを前…

久しぶりに村上春樹の小説を読んだ

久しぶりに村上春樹の小説を読んでいた。あまり注目されなかった「中間的な」作品の「1973年のピンボール」である。村上春樹については毀誉褒貶相半ばすることがいわれているが、貶す人の中のリアリズムがないという意見には違和感を覚える。そういう人は文…

歴史の真実は口には出せないことが多い

定年退職して一番良かったのは、もう取り残されるという心配がなくなったことだ。サラリーマンの時は周りから遅れをとることが格下げを意味するので、頭から社内のことが離れなかった。ところが今は周りがそもそもないからほとんど気にすることがない。世間…

サルトルは古いと言っている人が古い

「本書(存在と無)には、哲学的にはヘーゲルとフッサールとハイデガーの到達した以上のものはないと考えている。サルトルの独自な文体で、3人の哲学を晦渋に言い直しただけだ。」______このようなサルトル読解があり「今日では、彼の思想はずいぶん…

グレートギャツビーを読んで

今のところ、ぼくたち二人のイベントである読書会も「星の王子さま」「デミアン」に続き、「グレートギャツビー」と並べてみるとそこに何となく何かを感じさせるものがあるのではないだろうか? 今回取り上げる小説の発刊年が1925年で、前2作がそれぞれ1943…

読書が人格の陶冶になると信じられた時代

ぼくの住んでいる野々市市(ののいちし)公民館の読書会に参加してみる。今回の課題書は星新一の「おーいでてこい」と「月の光」である。星新一の小説は初めて読む。社会風刺になっている小話とでもいうべき作品だが、こんな小説が作られていたことに新鮮な…

読む本の選び方

ぼくは本を読むのがとても遅い方なので、本選びには時間をかける。このHatenaブログの中にも多読の方がいらして感心してしまったが、その方の書評レビューを見ると1700冊もレビューされているのに、シェイクスピアもジェイムス・ジョイスも村上龍も埴谷雄高…

定年後の居場所がない

定年後をどう生きるかみたいな本がよく売れていて自分もその渦中にいるのだから、タイトルに定年後の居場所という言葉を使ってしまってもおかしくはない。でもそれは敗北感がともなう。まだ自分の中に自分のものになっていない、他人がよく使う言葉で書こう…

長編小説への偏愛

村上春樹が小説の読者は二種類しかいないと言った。「カラマーゾフの兄弟」や「ジャン・クリストフ」を読む読者と、読まない読者だ。ぼくは高校1年の晩秋に「ジャン・クリストフ」を読み始め、年を越して春に読み終わった記憶がある。 屋根裏部屋のような自…

64歳のいま

現在。ここに居て妻と二人で暮らしている。近くに母が一人で住んでいる。外から何かを指示されて動くことからは解放されている。よく若い頃を思い出して時間を過ごすことが多くなっている。若い頃の気持ちにしばらく浸っていると、無意識の語り得ぬ非存在の…

中学のころ在日米軍向け短波ラジオを聴いていた

小学校の間はよくできた子で先生の間でも噂されるほどだったのに、中学に進むと一転して親和感から少しずづ疎外されるようになっていった。学区というのか校区というのかとにかく中学になるとこれまでと生活環境の異なる生徒が集められるので、街の中心部で…

「ハムレット」読書会

わが町の公民館読書会があり、今回ぼくが当番で課題本を選んでその感想を話し合う司会役となる。課題本はなんと「ハムレット」だ。シェイクスピアをこの歳になるまで読んだことがなく、昨年の春に友人と二人で「テンペスト」の読書会をやって戯曲に目覚めた…

「デミアン」を読んで

「デミアン」2回目を読了した。2回読むと余裕ができるので読むと同時に味わう感じがあって、やはり1回だけと2回読むのでは体験の質的違いがあった。この小説はこれまでのヘッセ作品とは別格の感じがあって、かなりヘビーな、カミユとかドストエフスキーと…