開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ある帰還者の街ブラ

40年近く居た街のはずれの工業団地にある「収容所」から出て帰ってきてみると、街はそのままあって何が変わっているかすぐには気づかなかった。風景はそんなに違ってない気がしたが、しばらくすると確かにバージョンアップされていることが分かる。ただ街は…

生きる舵取り

学校、新聞テレビなどの情報・ニュース、お金利殖情報、コマーシャル、恋愛・青春物語、企業の論理、消費行動モード等々にどれだけ影響され、生きることが制約されているか、考えてみたことがおありだろうか?自分で選択していれば制約とは感じないだろうが…

絵画の楽しみ方

ロートレックの画集があるはずだと、実家のぼくの結婚してから空き部屋になっている部屋の本棚を探してみた。勘違いで、タイムライフブックスの「巨匠の世界シリーズ」にはロートレックがなかった。あえなく、18歳の頃の青春の断片をありありと思い出す、と…

18歳のぼくと世紀末パリの空気

18歳のころのぼくは天井の低い、半分が手作りの木製ベッドが占める4畳半の部屋に寝起きしていた。北陸の晩秋から初冬にかけては、ロンドンと同じ薄暗い曇天の日が多かった。空が低かった。チラチラ六角形の結晶を持つ雪片が舞い降りてくる様は辺りをロマン…

住民読書会なるもの

ぼくは石川県の野々市市というところに住んでいる。金沢市の隣で2、3年前に市に昇格した「伸び盛りの」街には最近できた立派な図書館がある。広い芝生を前にした道路側がほとんど全面ガラス張りの窓になって明るい室内になっている。どちらかというと子供連…

結婚生活は妥協

生きるために文学が必要だとぼくは思う。資本主義の現実社会の諸関係は、非人間的な強制力を持つからだ。温かい心の夢のある物語が是非とも必要だ。暗い世界でも、物質的な貧困に悩まされてもいいが愛がないと生きていけないから、小説(芸術一般)の世界だ…

自分が主人公の物語には何が書かれてあるだろうか

ぼくにはどうしても外せないことがあり、それを失うと死ぬまで彷徨うことになると心に決めていることがある。それは、生きることと考えることを分けないことである。つまり、考えのもとに生きて、生きて考えることを繰り返す。自分の生き方として採用するも…

読書の目標

向上心だけがある。商品としてあったサラリーマン時代の自分ではなく、哲学し生活し誰かから動かされるのではなく、世界と向き合い誠実に自らの主体に投げかけられる課題を明らかにしながら、自分の「解答」を生きること。 目標が一つ浮かんだ。今まで買った…

遅すぎる気づきを後悔という

これは認めるのが恥ずかしいのでブログに書かないでおこうと思ったが、思い直して書くことにする。ぼくという男がどういう人だったか記録のために。それは自分が女性との付き合い方がわからず、付き合ってくれた女の子に徒らに悩ませるようなことをしてきた…

内面の自由を耕す(続き)

唯識を学ぶことによって、自分のこころがいわば緊急の避難所になった。とりあえず自分のこころに引きこもっていれば安心できたので、会社からの帰り道の書店で、今度は哲学関係の本を見つけることになる。もともと考えるのが好きな性格なのと、哲学には原理…

内面の自由を耕す

社長のひと言によって人格が否定された時鬱になったと書いたが、実際には医学的な鬱にはならなかった。つまり医者に行かなかったので病気として認定されたわけではなかった。でも慢性的にひどく気持ちが沈んだ状態であり、元気を出そうと思えば元気にもなれ…

想像上の自分を夢で見る

夢を見ている時、ふと自分はどこにいるのだろうと反省してみたことはないだろうか?夢の中に一人の男がいておそらく自分なのだろうと思っているが、その男を見ている意識は眠っているはずの自分ではないかと思うと、その男は意識している自分ではなく想像上…

愛に包まれたなら

狭い日常生活の範囲内で幸福でいられる心の状態には、愛に包まれている感覚がある。ぼくがトルストイを読んでいた間はたしかにそんな感じがしていた。仏教を唯識から学んでいた時には、無限の広がりのなかで落ち着いていられたが愛の感覚はなかった。仏教で…

白樺派の人生

人は老年になって自分が積み重ねてきた人生をある完成に向けて、ちょうど画家が一人の肖像画を描くように、残りの人生を生きて行くというイメージがある。ぼくが高校生だった頃、白樺派という文学集団を現国の先生から教えられ、しばらくはトルストイや武者…

将来に備えた準備やひとつの向上心

書くことの目的として「自分を存在させる」ことと書いたが、もっと前には「将来に備えた準備やひとつの向上心を育てること」と書いたことがある。その時おそらく将来とは自分の老後のことを指していたと思う。確実に訪れる老いについて心の準備をしておきた…

自分を存在させることの難しさ

ぼくのこの「私の定年後文学人生」ブログが最近急に読者が増えてしまった。もちろん嬉しいのだが、ブログ開始当初の「熱い」読者二人くらいだったころの方が読者の方との距離感がリアルに感じられて、書く動機になっていた。単に数的な変化がなんとなくぼく…

現在、過去、未来(つづき)

地球温暖化が進み異常気象が頻発するだろうことはありそうだ。AI化が進み生活のすみずみにロボットが現れるだろうことも予想できる。デフレの国日本は旅行コストが割安なので、今後も海外からの観光客は増えるだろう。しかしこれらは皆、過去とつながった未…

現在、過去、未来

労働、生産による社会生活から身を引いて、自己学習による年金生活に移って3年になる。確実なことはすべて自分の過去にあって、それが学習の(探求といってもいい)素材を提供することになるから、自ずと過去に向かうことになる。例えばむかし買ってそのまま…

疎外感の時代 2

三島由紀夫や連合赤軍のことを調べようと思ったわけではない。何が主張されていたかとか、それまでの経緯のようなことには関心がなかった。ただ通常の強盗事件とか殺人事件とは違う動機があり、それは彼らが自分の命をかけても成し遂げたいとする思想につな…

疎外感の時代 1

もう稼がなくてもなんとか生きていける定年退職者の身分になって、働いて生活していく人生が終わってみると人生が終わりに向かうには早すぎて、身軽になっている現在が漂っている場を作っている感じがする。定年後の生活イメージが定着しないのである。一つ…

哲学の必要性

固有の存在を確実に存在づけること。ぼくが一番最後つまり最近学んだことは、非現前の存在が現在を支配していることだった。意識に現れてこない領域の現象学的記述(「存在と無」)を読む必要性を今感じている。自分にとってそのことの到達性には意味があっ…

「羊をめぐる冒険」を読む

ぼくはいわゆるハルキストではない。今日読み終えた「羊をめぐる冒険」を含めて村上春樹の小説は11作品になる。読んだ順番に挙げると「ねじまき鳥クロニクル」「アンダーグラウンド」「約束された場所で」「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」「色彩を持たな…

1968年の観念

自己を超えて時空を超えてエネルギーを湛えるのが、観念だ。ぼくが大学生だった頃、地方ではあっけらかんと静かだったが、東京は創造的な雑然とした風景と幾分悲しみを含んだ緊張感があった。美大祭では遅ればせながら映画研究会がルイス・ブニュエルの「ア…

自分という存在をどう作るか

企業を定年退職して社会との関わりは圧倒的に小さくなった自分をここで原理的に分析してみたい。 会社の中での役割や肩書きによって、自己と他者の関係が一定の世界内で保たれていた。ぼくなんかは自分を殺して役割に徹していた方で、ほんとうは鬱陶しいはず…

村上龍と金原ひとみ

1968年はどういう年だったかを自分の記憶にある断片との「接合」をやってみたいと思い、 村上龍の「69」を読むことにしたのだった。この小説を実は長い間シックスナインと呼んでいて読む気にならないできていたが、シクスティナインだった。それはあの1969年…

1968年

日記という空間には自分と対話したり、その場合は話す自分と聞く自分の二人がいるわけだが、自問だけずっとするような「独り言」の場であったりもする。今日は自問したい気分になっている。ブログを書き始めて1ヶ月経ったが、ブログという空間がぼくの書い…

サルトルとマルクス

ぼくのさしあたっての目標は、自分を取り戻すことだ。決して公共性や社会性に行き着いてしまう外面だけを自分だとするのではなく、錯乱や過剰な愛や優美さや放浪を愛する詩人の魂をも持とうとしていた自分を失いたくない。北見秀司のいう「生き延びるためで…

「稼がない男」を読む

手取り11万円、47歳・フリーター。「金は生きていく上で必要最低限あればいい」他人にも時代にも流されず、“安定の超低空飛行”を続ける男・野口ヨシオ。そんなヨシオとつきあってきた、フリーライター・マキエが描く、ふたりの17年。____という解説から…

小説を読む人

ぼくには非現実を求める病みがたい欲求があると以前のブログに書いたが、それは冒険や恋愛に似ているかもしれない。その場合現実化するにはいろいろと準備したり、ふさわしい相手が必要になる。例えばひとり旅に出るとか、異性と出会う場所を探して行動しな…