2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧
日本の現代作家では大江健三郎や村上春樹や福永武彦や井上光晴や村上龍や野間宏や丸山健二や埴谷雄高や小川国夫や辻邦生や加賀乙彦や真継伸彦や池澤夏樹などの小説を求めて読んできた。女性では石牟礼道子や米谷ふみこや金原ひとみや増田みず子などの小説を…
あと1ヶ月で65歳の誕生日を迎える。通過点にすぎないと思う。定年退職して毎日フリーの状態を、共働きだったので妻の退職も昨年から合わさることになって、4年間過ごしてきたことになる。孤独になったり病気になるという状態を避ける工夫に気を取られてき…
大江健三郎は自分の文学上の導き手の作家の本を集中して3年かけて読む、とどこかで書いていたように思う。おそらく3年かけてその作家の本を全て読むのだろうと思う。あまりぼくは大江健三郎のヘビーな読者ではないが、ウィリアム・ブレークやイエーツはその…
ぼくが美大を受験する前の年は、県内でも進学校として知られる高校にもかかわらず美大に入学した先輩が14,5人いた時代だった。ほとんどがインダストリアルやコマーシャルデザインの方で、油や日本画や工芸の方には進まなかったように思う。(途中で転校した…
文学の成立を人間性の中で解明しようとする時、「弱さ」が根本にあるという直感がある。「弱さ」の徹底的掘り下げにはある種の強さは認めるが、それは強さの掘り下げとはやはり違うものになるはずだ。「弱さ」には真実をそのまま受け入れるという覚悟が足り…
ぼくはどういう視点から書くかの存在論を問うてみたいと最近考えるようになっている。それは書くという行為には何か哲学的な課題がありそうだと思っているし、文芸評論や時事的な考えを情報発信する行為とは違う、もっと誰でもが本来することが求められるよ…
ぼくが小学生だった時に読書感想文を書くのは苦手だったように思う。いやそればかりか、作文そのものがどう書いていいか分からなかった記憶がかすかにある。夏休みの日記なら一日をどう過ごしたかを順番に書くか、一つの出来事について書けば良いのであまり…
ぼくが書くことに関心があるのは、書くことで自分がはじめて存在できると考えているからだ。書かないうちはただ生きているだけという状態であり、ぼくはその状態のままでいることに耐えられないと思っているからだ。他人のことは本当はわからない。書かない…
「嘔吐」を「社会学的分析」の対象にする読み方や、「嘔吐」作品が成立する様々な条件を「解剖学的読解」で読みとる読み方をこのブログ筆者は退ける。 なぜなら、私にとって自分の方を向いた「嘔吐」こそが問題だからである。自分の人生、自分の経験の中に「…
書く視点を見つけるまでの意識の流れがテーマとなった小説は、世界文学の一つの重要なテーマらしく、あのサルトルの「嘔吐」もそうである。ぼくは退職してから読み通したが、一度20代に買って読んで途中で挫折していた。最近「嘔吐」をかなり深く読み込んで…
生活上のぼくを知る人(一人の例外はあるが)と一切繋がりのない、ネット上の空間にこれまでブログ記事を105書いてきた。家族や会社勤めのときの知り合いやFBの友人たちには知らせていないので、プライベートで孤独な日記のような書きものの空間を持つことが…
自分の運命を自分で、自由を確保しながら拓いていく、ということが果たしてできるものなのか?先のブログにも書いたが、運命という状況をまず認識できなければお話にならない。その状況が何で構成され、そのうち具体的で目に見えるものがあれば、それを感じ…
どこに位置を占めれば時代を見渡せるように書くことができるようになるかを、一応の目論見として書いてきたが、あまり成功したとは思えない。志望大学を間違えたという気づきの後、なし崩し的に美大に籍を置くことになって、どこにも自分の居場所が見つけら…
人は才能などなくても生きられる。別にロマンのない平坦な人生でも、何も起こらない人生でも生きるに値しないことはないはずだ。誰かに自慢する必要もないし、陰口を叩かれるようなことがあったところで気にしなければいいだけのことだ。学生運動にかかわっ…
それにしてもどうしてぼくらは、あらかじめ青春を失っていたのだろうか?失われていたのは、破壊されていたからだろうか?きっと大学という場のどうしようもない自由さが、虚しさを作り出していたのかもしれない。ぼくの入った美大では、みんな絵描きやデザ…
そうだ、この流れ(書く視点を見つけるまでの意識の流れ)を忠実に辿り続けていけば「オリジナルの世界を作る」壁は越えられそうだ。 叫ぶのは中にあるものを吐き出す方法がそれ以外にないからだ。青春のあの頃ぼくの中には何があったのだろうか?むしろ何も…
ぼく自身が忘れない(正確に記憶する)ためにこれをここに記載しておきたい。自分と国民のすべてがどのような法に縛られているか、現実を認識するために。石川健治氏(東京大学法学部教授) マル激トーク・オン・ディマンド 第745回(2015年7月18日)から あ…
どうしても飽きがくる時、嫌が応にも前進させられる。あるいは別のどこかへと移らされる。そうしないと活力が失われるように人間の心は出来ている。かつて何回も聴き込んでいた歌をある時ふと耳にして、ああこれはもう自分の中では終わっていると感じられる…