開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

哲学は思考することであって知識ではない

「知」には知識と思考があり、ハイデガーは映画「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)の中で、哲学は思考することであって知識ではないと哲学講義していた。いくら思考しても知識に行き着かない虚しい行為が哲学であると述べて、集…

勝つことが大切だよ

いつも心の支えを得るために彷徨っていた。他人のゲームを生きることで食い扶持を得る環境に生きるには、その態度が必要だった。学生の間その環境は直接的ではなかったものの、無視するだけの余裕はあった。環境はその当時「状況」と言い換えられ、その中で…

文学を人生の「旅」として読む

「旅」のメタファーが自分の人生を振り返り、納得感の得られる形象なのかなとふと思えた。「旅」の最終目的地というものはなく、いろんな場所にある時しばらく過ごしてまた次の場所に「旅」することが、人生の送り方の形に近いのではないかと気付いたのだっ…

自分に与えられた仕事をやること

ただ生きているだけで退屈もせず、焦燥に駆られもせず、寂しくなってもなんとかやり過ごすことができ、わずかながら仲間と趣味でひととき過ごす時間もあって、特にこれといった持病もなければそれで十分じゃないかと思われるかもしれない。ただ無名の存在で…

セクハラにかかわる地殻変動のような動き

小田実の全体小説「ベトナムから遠く離れて」を玉川図書館から借りてきて1日読んできて、第2章の初めの方で読み続けるかどうかを問わねばならなかった。おかまが主人公ではぼくには追体験は無理だった。戦争や学生運動が扱われていても主体に共感できなけ…

競争しないことを許さないサラリーマン社会

市場において商品力が高いか値段が安いかで購入が決定するのだが、人間も労働市場に置かれる場合もあるので、能力が高いか給料が安いかで雇われるか否かが決定される場面がある。あるいは能力そのものが市場で売り買いされるコンペという仕組みがあって、ぼ…

過ぎていった昨日

ふと思ったことがだんだんと重みを増して本当らしく思えてくる、ということが起こっている。もうブログを書く必要性がなくなったのではないかとふと思ったのだ。これまで書くことで自分という人間を存在させようとしてきたのだが、書かなくても現実にという…

2015年7月25日の日記から

ついにCDを買う決心をしてCD屋に行くとぼくと女性店員だけだった。しばらく店内を探しても見つからなかったので、その女性店員の方へ行って「アジアンカンフージェネレーションってありますか」と尋ねた。一瞬彼女は思案したがすぐにその場所に案内してくれ…

「引きこもる」精神の場所

画家が創作に没頭している時間、作家が小説に従事して就筆している時間、アスリートが黙々と練習に打ち込む時間、思想家が大胆な仮定から次々に着想が浮かんでくる時間、詩人が魂の高揚に身を委ねている時間、哲学者が問いの方法と場所を確立しようと思索し…

土曜の午後

土曜の午後には何かがある。 いつもと違う気分がふと訪れる。 静かなワクワク感があり、 子どもの頃デパートに連れて行ってもらった記憶の断片が 脳のどこかを刺激するのかもしれない。 街角に一瞬立ち止まり、爽やかな5月の風を感じる。 晴れた住宅街の坂…

「風と光と二十の私と・いずこへ」を読んで

今回読書会で取り挙げた坂口安吾の「風と光と二十の私と・いずこへ」はぼくにはとても面白かった。小説ではなくて自伝だから全て本当のことだと思って読んだ。戦前、戦中、戦後を生き抜いた文士というに相応しい生のドキュメントであるが、記録という意識で…

これがぼくの現実

多分坂口安吾を読んで影響されたからだと思うが、自分のこれまでの書き方を変えてもっと自由に自分の今を語ってみたくなった。真実や本当のことというのは何かに隠れていて、滅多に明かさないもののように暗黙の了解がある。ぼくも少しはそんな話がある。そ…

非日常の冒険

ぼくが好きなのは非日常だ。日常の惰性や安定を揺るがすちょっとだけ異常な世界だ。星野リゾートにはそれを提供しようとする姿勢があるから好きなのだ。もちろん小説が一番手頃なツールなのだがその提供者にはいろいろ好みがあったり、読者に厳しいか優しい…

星野リゾート奥入瀬渓流に二泊する

昨年10月に妻がぼくより2年7か月遅れて定年退職し、夫婦揃っての二泊の旅行は予てから計画していたことだった。行き先は妻の希望で奥入瀬渓流にし、ホテルはぼくの希望で星野リゾートにした。定年後の旅行というと幸せな人生コースの典型のような、ありふれ…