2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
サマセット・モーム「月と六ペンス」を読み始める。最初の方は主人公というか話し手が作家なので、イギリスの文芸事情とか業界的な話が幾分気取った文体で書かれていて、とっつきが悪かった。今朝ようやくゴーギャンモデルのストリックランドとパリの場末の…
今月の野々市町公民館による読書会で山本有三の「真実一路」を取り上げる。10人のメンバーで当番制で課題図書を選んでいくのだが、今月は古株でどちらかというとリーダー格のNさんが選んだ。先月はぼくが選んだカフカの「判決」でNさんは、実存主義の文学と…
つい先ほど午後4時頃にいつもの昼寝から目が覚めて、冷蔵庫から冷えた缶コーヒーをゆっくり飲んでいると、部屋の様子は置かれているものの配置などそのまま変わっていないのに空間感覚が変わっていた。自分が空間と同じ温度で包まれているようで、隔たりがな…
ぼくが視た映像は番組の終わりの方で、兄が世話をしている精神障害の弟が、荒れ果てた部屋に座っているのを後ろから撮ったものだった、、、人生に苦しんでいる、死にたい人に必要なのはあたたかい言葉や抱擁であって、どうして隔離が必要なのか?しかし、状…
どうもここ数日、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるらしい。1年前に読みさしになっていた「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をなんとか読み終え、世界の終わりの方に気になることを残したような気がしたが、それを突き詰めようと立ち止まる…
魂は生と死を結んでそのどこかの領域で存在するものである、と語り始めてみよう。なぜぼくが魂は何かについて知りたいかというと、現代は魂がない時代であると、ある日本の革命家が言ったからだ。ぼくはもちろん革命家ではないが、革命家には時代を切り拓く…
ぼくが65年間生きてきてそれを振り返る時、一切の感情から解き離れて一個の存在現象として見ることに興味がわく。親の庇護のもとに幼年時代を送り、戦後教育の中の学校教育で育ち、友達社会に馴染み異性との付き合いに馴染み、自我という内面に生き始める。…
自分の環境において、何に親しさとか自分と似たものを感じるかという問題について考えてみたい。人間はもとより動物であるから、好きなものや事を近づけ嫌いなものは遠ざける性質を持つはずである。だから私が成長する過程で、気も遠くなるほどの選択を繰り…
ブログに書くとき意識的に「ぼく」という一人称を使っている。「私」にすると改まった感じになるし、読者がいるとして読んでくれる人との距離を縮めて親密な、カジュアルな文体にしたいと思っている。昨日のブログで考えるという行為を特別にこだわってみよ…
「下手の考え休むに似たり」とはならない時、決して時間を浪費しているとは感じられず、むしろ充実感があるという経験をしている。どんな時か?空いた時間を何かをして過ごそうとするのではなく、どことなく物足りなさや人恋しく感じられるのを紛らわそうと…
夏は自分たちの世代では同窓会というのがある。中学と高校の同窓会の案内があった。中学の同窓会は家庭のイベントと重なり出席しなかったが、高校の方は出席したくなかった。同窓会に皆出席するような同級生の一人と会うのを避けたかったからだ。彼はぼくのF…
書くことで自分が残るようになると信じている部分がある。今書こうとすることは遠い昔の自分からすれば裏切りになるようなことだ。ぼくは格差社会は階級闘争の結果もたらされるという理論を信じていて、階級の上の者には真実を見る目がないと思っていた。し…