開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

読んで面白いけれど「出会い感」のない小説

学生時代にこれはいずれ読んでおくべきだと思って、せっせと買い込んだ本が就職してしまうといつまでも読まれずに本棚に眠り続けているままになっていたのがかなりある。 それでも定年後何冊かは「消化」している。例えば、野間宏「青年の環」、加賀乙彦「炎…

死ぬ時この今の状態を後悔するだろうか?

おそらくまだ当分死なないと思っているが、今この時の状態がその死を前にした人生の満足度に影響するとしたら、今をどう過ごすかはとても重要な相貌を帯びてくる。ぼくが青春の時期を迎えていた頃を振り返る時、時代は最高に自由でイカしていたように思う。2…

ぼくは本を読むことしかしていない

今日書店に行って雑誌を立ち読みしていた。日本の隠れた哲学者を回顧する記事が掲載されていて、その中で主体の客体化という問題に目が止まった。ぼくらの学生時代に主体性論というのが思潮界の中心課題であった時期があった。よく「あんたの主体性はどこに…

「スペイン警察隊のロマンセ」を巡って

馬はすべて黒い 蹄鉄も黒い マントのうえには インクとロウのしみが光る 彼らは鉛の頭蓋骨を持っている それゆえに泣くことはない。 エナメルの魂を抱いて 街頭をやって来る 猫背で夜行性で 彼らが引っかき回すところには どこにでも黒いゴムの沈黙と、 細か…

読書会でのトークにあるもの

毎月最終土曜日の午後1時30分から2時間程の読書会を街の公民館(最近リニューアルされて、「にぎわいの里」という名前になった)でやっている。ぼくが参加してから1年半くらい経つ。その間一回も欠席したことがない。新規加入者は「会長」をやらされるらし…

小説を読むとは、死んだ言葉を蘇らせること

小説は死んだ言葉、つまり過去時制の物語の言葉で書かれていると昨日のブログに書いたが、そうすると読むことはその死んだ言葉を蘇らせることではないかと気づいた。また詩という文学形式も死んだ言葉で書かれているが、詩は朗読するという原初形態も持って…

文字は言葉の死である

言葉の芸術といえば文学と思っていたが、そもそも文学の文章は言葉の死んだものだということに、昨日あることから気づかされた。言葉は話されて誰かとコミュニケートされている時が生きている状態で、文章になって動かず固定化されてしまえば死んでいる状態…

明確化と集中

求めるものが曖昧だったら得るものも曖昧なままだ。曖昧な質問には的を得た答えには到達しない。ぼくが求める「界」にも曖昧なところがたくさんある気がする。それは実体じゃないのだから目に見えないし、意識しないと感じられない関係性でもあるのだから土…

考えさせられたフレーズ

以下引用文3 疎外状態にある人々は社会の規範を受け入れることで初めて社会的主体になる。「みんな」の真似をすることが社会的集団から排除されないために必要だ。この模倣は他者と一緒になるという漠然とした企てを含んでいる。だが大衆は自分では「みんな…

なぜ「界」に注目するのか

そもそも「界」という概念がなぜぼくに重要なものとして思いついたのかに話を戻そう。定年退職していわゆる「第二の人生」を同輩と同じようにスタートして、ぼくの場合はサラリーマンとなる前の学生時代に還ってみることにした。もう一度そこから「生き直し…

「界」の生み出し方

「界」が主観をベースにしているということは、主観では捉えられない死角のようなところに未来の変化をもたらす起動力の源泉がありそうだ。これまで65年間生きてきて思いつくことはやってきているだろうから、むしろやりたくなかったことの中にそれはあるは…

未来を変えるために

これは自分自身にのみ関わることで、このブログはほとんど自分へのメモとしてしか意味をなさないと思う。なので、ここに書き出すことを仮に実行する人があっても自己責任でやってもらいたい。 今日ブログタイトルを変更した。これからはこれまでの定年退職者…

詩を書くことに含まれるもの

言葉を紡ぎ出す、という行為がある。おそらく誰でもできることなのだろうが、慣れないとできないことかもしれない。思いつくままに書き出すという、自動記述法というものがあったらしい。意識の流れが文学手法として注目された時代もあったらしい。今そうい…

読書会の意味

それは一人で読書することを超える何かの価値を前提にしている。もとより読書は作者の作品世界を媒介にした、作者と読者の「対話」である。その作品は作家が現実世界で体験した出来事を意味のある物語に再生産したもので、読者はその作品を追体験することを…

革命家が広島を訪れていた

ゲバラが日本に滞在していた。1959年のことだった。その時マスコミは例のごとくアメリカと政府に忖度して誰もそれを報じていなかった。ほとんどの日本人は彼が何者かを知らなかった。貴重な映像が残されていた。ぼくのブログにも掲載しておきたい。