開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2020-01-01から1年間の記事一覧

新たな苦しみが始まっている

これまで、定年後再就職せず無職のまま自分の可能性を耕していく生き方をしていればいいと自分を納得させてきた。ところがここ数日、夢に見る内容を振り返ってみると、お前はどんな仕事をして何を残すのか、という問いが発せられているような気がする。あれ…

文学に対する無知

文学の役割は何か、という問いが浮かんで「文学の役割」で検索してみると、役割を社会的役割や教養というタームでとらえている記事ばかりが目立った。文学通の人たちの界隈で、かつて純文学論争というのが大塚英志と笙野頼子の間で戦わされて、文芸評論家の…

トロツキーの本を読む

昨日からどういうきっかけか、ぼくの本棚からトロツキーの「ロシア革命史」を取り出して70ページほどを読んでいる。その本を手に取るまでは柄谷行人の「トランスクリティーク」をペラペラと序文のあたりを読んでいた。1989年にソ連が崩壊する事態がこれまで…

文学と人生

定年後無職で妻と二人でその日その日を気ままに暮らしていて、一番にやることといえば自分の人生を振り返ることになっている。その時思うのは、多分書くことが今の生活の主軸になっていることもあって、文学がぼくの人生を支えてきたという感慨である。人生…

今ぼくの背中を押す流れ

毎日同じことの繰り返しのようで、気づかないように少しずつ自分が変化している。突然何の予兆もなくちょっといつもとは違った気配が現れる。内面のどこかからふっと漂ってくる、懐かしい感じ。ああ、これはぼくが屋根裏部屋のような自室に閉じこもって、夢…

自己紹介ができない

どうも自己紹介が苦手だ。わたしはこういうものですと言ってしまうともうそれは自分でないような気がする。わたしは何者でもない男です、では自己紹介にならない。只の人には違いないわけだが、それでは区別がつかない。名前を言っても興味を持たれることが…

こころの求める三つの課題

2020年がもうすぐ終わろうとしている。今年を振り返るにはまだ少し早い気がするが、年賀状のデザインを決めたし、スノータイヤにも変えたし、今月の読書会例会も終えたので、懸案のものがなくゆとりを感じている。そこで今年を振り返り今後の定年後生活の、…

死ぬまでに出会いたい芸術のこころ

毎月公民館の読書会に参加していて、今日午後からそれに出る。読む本が全て文学だとはいえない。日本の短編小説が主となるが、人生の一コマが切実に展開する濃い時間が自分を巻き込んでいく時、何かに出会っている感覚になる。揺さぶられるのだ。しかし単に…

無口な人の人生

ぼくは普通に生活している中では、仕事以外で会話に出てくる言葉には興味が起こらないので自然に無口になっていた。どうして自分の人生がこうなのだろうという自己探求が、定年後の主なやることになっている。今日読んでいる小説の中の会話から、突然自分の…

67にもなって大人になりきれない

67年間生きてきてこれまでを回顧して、自分の人生がぼんやりとした輪郭しか持たないことにほとんど絶望する。何も確かなことを全力でやってこなかったという冷厳な事実に意気消沈する。戦前戦中戦後を生き延びてきた、ぼくの父親世代の過酷な人生からほとん…

小説の効きめ

何のために小説を読むのか、どうして時間を惜しむことなく読んでも後悔しないのか。面白かったといえば済むのが大かたの小説読みの流儀なのかもしれないが、あえてぼくは効力を問う。小説にしか与えられない良さというものがある。映画や芝居を見たあとの感…

定年はプレゼント

今では定年がどんどん後にずれて、果ては定年がなくなり生涯サラリーマンで働くなどという、とんでも無いことが平気で口にされている。労働だけが人生じゃない。仕事を取ったら何も残らない仕事人間は、定年が一大転機になるだろう。ぼくもサラリーマン時代…

読書三昧とは

かすかに虚しさを感じ始めている。午後から夕方にかけての時間は、時々軽い虚しさが訪れることがある。本が読めなくなるとやることがなくなり、手持ち無沙汰になる。今この瞬間の自分の心にあるものを見ようとすると、自分の一生を終えるまでに何かを残した…

読んで読んだことを話し合う

ぼくが参加している読書会は、石川県立図書館が古くから推進している読書普及活動グループに所属している。子供への絵本などの読み聞かせは活発になっている感じだが、社会人の読書普及を目的にした読書会活動は、衰退傾向にある。最近では白山市が抜けてし…

読書と私

本を読み、文章を書くことで何者かになる___本を読んで内面が作られ、文章を書くことで私が主語として立てられるからです。高校に入って世界文学全集を読み始めた時、面白くて一冊読み終えると次はこれと読み進んでいき、だんだん自分が大きくなるような…

サラリーマン中年で文学と再会

私のサラリーマン生活は24歳から62歳までで、38年間になる。大学は美術大学で3年次自主留年して5年間在籍した。地元に残り数社回ったが雇ってくれるところはなかった。結局祖父のコネからY社入社が決まりかけていたが、不況からY社の下請けの小さな会社に入…

ひとりでにぼくの中から出たがっているもの

まず以下の文章を読んでほしい。2年前にも引用したヘルマン・ヘッセ「デミアン」からのものだ。 「ただひとつ、できないことがあった。他の連中がするように、心の中にもうろうと隠れている目標を外に引っ張り出して、どこでもいいから目前にえがくというこ…

居心地のいい場所を求めるのではなく

居心地のいい場所を求めるのではなく、ここを居心地よくすることを考える。どれくらい前だろうか、つい最近までのような気もするけど、いつも居心地のいい場所を求めて心は満たされることがなかった。東京には気の利いた場所がある気がしていたが、東京には…

今日あったこと

今日は定年後生活の僕たちには楽しい日だった。何しろ山形の弟から送られてきたりんごとラ・フランスを、かほく市にいる義理の姉夫婦のところへおすそ分けに持っていくついでに、イエロー・ハット金沢北店に寄ってスノータイヤを積んで帰る、という用事があ…

自分が大切にされたこと

自分のことを書くことは真実に降りていくことだ。これから書くことは涼しい顔をして何事もなかったように日々を送っている自分を晒すことになる。こんな世間知らずのいい歳をした男が同じ時代にいてわざわざサンプルになるのを、偶然誰かがこれを読んで多少…

只の人が自立するために

野々市市の読書会仲間にTさんがいる。ぼくを含めて男性会員は3名で、Tさんはその中の一人だ。ずっとタクシーの運転手をされていて、定年後も奇数日だったか偶数日だったかは元の会社で働いている。短歌の会にも入っていて歌を作ったり、簡単な時代小説も書…

定年後の夢想

「、、、その面影を通して、彼自身の青春を再発見し、それからその人生の出発点にもう一度立って、架空の未来を眺めることで、彼が本来なるはずだった、現在とは別の彼自身のの姿を、おぼろげに描き出し、更にその実現することのなかった本来の彼の姿に、出…

愛されてから愛することを覚えた

It’ll be that one was the one how much does which have value for itself after that person loves me. 「あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値あるものになっただろう。」 ゲーテの言葉だ。この言葉に触れた時、あの人を彼女とし、自…

結果が見えるとやる気がおきない

自分の性格に戸惑っている。今どうしてもやる気が出ない原因を探っていた。思い当たるには、「結果が見えるとやる気がおきない」と言うことだ。この前性格テストをしてみたら、探求型だと出た。探求することに関心があって、結果が出てしまうと探求が終わっ…

67歳の今なにをすべきか

61歳で退職して無職になって6年が経つ。その今の時点で何をすべきか、自分の心に訊いてみたいと思う。今朝テレビで松茸の産地を紹介していて、松茸の焼いたものやすき焼き、土瓶蒸しなどの松茸づくしが1万円で食べられる店を映していた。そういえば松茸な…

ぼくの文学的出発点

文学との出会いと自我崩壊の危機の時期は重なっている。自我崩壊の危機の時期は生涯3回ある。高校1年次に最初世界文学全集と出会い、10冊ほど読み進んだあと現実感覚がおかしくなって登校拒否の事態を招いたのが1回目。サラリーマン生活中盤で、社長から…

用済みからの出発

60歳の定年後1年は延長して同じ会社で働いていたが、その後は完全に無職で今日まで来ている。61歳で社会からは用済みの身分で、特に趣味以外にすることはない毎日をだらだらと過ごしている。仕事を望んでいるのであれば無職の身は辛いものとなるが、仕事は自…

予定されたことをやることの満足

先週の火曜日、秋晴れの日、まだこの春に買った新車で県外に出ていなかったこともあって、ドライブも兼ねて富山県美術館に行ってきた。富山県美術館の企画展は石川の新聞(北國新聞)に広告を出していて、ぼくはその広告がしばらく気になって頭の隅にあった…

自分のための箴言

1. 21世紀は20世紀から学ばなければならない。 2. 革命の主体は物質である。物質の挑戦に勝つことで人類は革命を成し遂げる。 3. 現在は存在の時代である。芸術(文学・美術・音楽)はすでに過去の遺産である。 4. 人の一生=人生は、退屈を飼いならすこ…

仲間とともに送る日常

ぼくは38年間のサラリーマン生活の中で、会社内には仲間はいなかった。みんな自分のために相手を利用しようとする人間ばかりだった。生存競争に絶えず晒されるわけだから、それも当然だろう。定年退職してからは2年間だけはOB会に所属させられ、温泉などに行…