開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

1968年文化

ぼくが美大生だった頃、二つの雑誌を愛読いていた。季刊「遊」と季刊「FILM」だ。地方の高校生が受験勉強で閉じこもっていて大学に受かると、そこで初めて「世界」に遭遇することになる。時代は1973年になっていたが、1968年的な文化の残滓は雑誌に花咲いて…

8人目の村上春樹論

昨日、多分8人目になる村上春樹論、小島基洋の「村上春樹と鎮魂の詩学」をうつのみや上林店で買ってきた。村上春樹論はこれまで、内田樹、加藤典洋、竹田青嗣、 清真人、ともだもとゆき、松山慎介、吉本隆明と読んできた。今回の小島基洋氏はジェイムス・ジ…

個人的な思想展望

物語は過去形で書かれる。生きるには物語が必要とされるけれど、過去にばかり生きるわけには行かない。未来に向けて生きるには物語以外の文法で書かれた「書」が必要だ。それは宇宙の原理に基づく必要があることは先のぼくのブログで触れた。宇宙の原理は弁…

優れたサルトル解説者

難解な哲学で知られるサルトル哲学を追体験できた研究者竹内芳郎を師と仰ぐ、ブロガーKazoh氏のサイトから引用させていただいた。ぼくとしては長年待ちわびた出会いであった。(以前、竹内芳郎の吉本隆明批判で「吉本隆明への公開状」への共感としてこのサイ…

世界の後退とぼくの飛躍

世界と私という個人の対称性において、 世界は後退し私という主体は飛躍することの哲学を開始したい。 世界はデストピアに向けてますます後退し続ける一方で、 私は世界とは断絶し仏陀の微笑みに向けて飛躍する。 つまり宇宙の自己運動に忠実になる自由なる…

文学かぶれの少年

進学校に入ってから文学に出会って世界観が変わって、受験に興味がなくなってしまった。多分親は期待していたかもしれない。祖父は合格発表の日一緒についてきてくれて、合格を確認しての帰り道に繁華街によって鰻重をご馳走してくれた。孫の中でぼくは二番…

倦怠とはどういう状態か?

何もする気がしなく、昨日までのめり込むほどであった作業に今日はどういうわけか乗り気がしない時、いったい精神はどういう状態になっているのだろうか?一般的に取り組めない時は二つのことを同時にしようとしている状態で、取り組みを開始するには一方を…

英語はListeningからかSpeakingからか?

英語を勉強しようと思って今まで散々挫折してきているので、とにかく正しい(この概念には日本人にとって、という限定がつく)勉強法を知ることからぼくは始めた。まずListeningから始めるのが順当と誰もが思っているようにぼくも思っていた。これはあくまで…

小立野台の離れにて

もう45年も前になるけど、ぼくはセント・ヴィクトワール山の見える丘の家の離れに住んでいた。将来画家になるつもりもないのに、芸術家気どりのボヘミアンだった。むき出しの畳1畳分のベニア板を壁に立てかけて、街で拾ったビラやジャズ喫茶にあったポスター…

過去の記事を更新して

ぼくは以前のブログで、サルトルを哲学的に何も新しいものはないと断罪した苫野一徳氏を批判したことがある。 ぼくがサルトルに見出したものは、「自由な人間が歴史的存在に至る過程を自覚的に示そうとした」ことだった。サルトルもボーヴォアールもブルジョ…

再び考える、文学とは何か。

ああ、思い出したぞ。自分の昔のブログを読み返していて、こんなにまで君に応答したのを忘れていたのが分かり、遅くなって、ごめん。文学って何かにもっと応えなくちゃいけなかったんだね。でも文学とは何かの全体に応えることは今でもできない。ただその一…

live for you

誰かのために何かをしなければ 誰からも相手にされないだろう お前の名前は誰からも呼ばれることはないだろう お前の姿は誰の頭の中にもない 噂になったり話題にされることはないだろう みんなお前とは無関係に暮らしている、、、、 誰かでなくていい、お前…

過去の記事を修正したい

サリンジャーの「ライ麦」に対する村上春樹の評価を批判した松岡正剛のコメントについて、過去のぼくのブログでは村上春樹の方を支持していた。 ところが、もう一度松岡正剛のコメントの所属サイトを読んでみると、松岡正剛の指摘の方が当たっているように思…

今こそ、引きこもり小説を

「死霊」を読み進めていて、主人公三輪与志の父広志の人物像がつかめず中断していた。戦前の革命運動世代の与志の兄や首猛夫などは想像できるが、父広志までが極端に抽象的な話をし出すのはどんな歴史的背景があるのか想像できなかった。そこでネットで検索…

あなたは閉ざされているか

ぼくが「ペスト」を読んだのは、高校一年の夏休みだった。最初に「異邦人」を読んでしばらくして同じカミユのものが読みたくなり、単行本の「ペスト」を読んだ。上下二段組だったから文庫本でなかったのは確かだ。「異邦人」の舞台はアルジェリアでカミユは…

I spend most of my free time thinking.

年金生活者の今は、働かなくても生存していける。特別に明日を心配する必要もない。何にもしなければ時間が余った状態になる。ただ意識は休む間も無く働きつづける。意識は体が睡眠状態で休んでいるときも働いている。働いて夢を見ている。意識には指向性が…

Reading novels make our warmhearted minds.

At last, KAMINO that our city communitive facility was closed. It is the place where we have a meeting about books that we have read once a month every month. When I lost that place I noticed reading novels make me warmhearted minds. Time …

A positive attitude to speaking English will launch my new life.

英語で自分の言いたいことが言えるようになりたい。そのための現在のテキストは、イエール大学教授のウィリアム A.ヴァンズ著「英語で考えるスピーキング」である。2年前読んで今回再読したいと思った。1回目は通読で、2回目は精読で臨む。

思いがけない君の声

あの頃はまだぼくたちは別々の世界に住んでいた。 君はぼくが無理をして世間からずり落ちないようにしているのをそばで見ていて、 もっと自分らしくしていればいいのにと思っていた。 君は自分の欲しいものをあまり顧みなかった。 ぼくの着なくなったトレー…

ぼくが話すとしたら

ぼくはこのブログで書きたいと思ったことをその都度書いてきた。書くのはあまり苦にはならないでスラスラ書けるのだけれど、話すとなると急に何を話していいか分からなくなる。それは話す相手が自分の目の前にいるからではないだろうか?一体あなたは誰?ど…

町を捨てて、書を読もう!

『書を捨てよ、町へ出よう』というキャッチコピーがあって、ある時期強いインパクトを持って呼びかけられたことがある。寺山修司の言葉で、同名の題の本があってそこにはその言葉がアンドレ・ジッドのものであることが記されているらしい。ぼくがFBで本のこ…

今直面していること

新型コロナウィルス感染について、今誰もが考えている。フランス、アメリカの大統領は今を戦争状態だと形容している。本物の戦争と新型コロナウィルスによる戦争との違いを簡単にいうとすると、前者の戦争は建物や都市、街の破壊によって被害が目に見えるの…

書く人の他者に開いていく自己

このブログという開かれたテキスト空間に随分馴染んできた。生身のぼくを知る人がもしこのブログを読んだら、果たして自分が知っている人間と同一の人間が書いているのか疑いを持つかもしれない。リアルでぼくが見せているこの自分と、ブログの書かれてある…

目の前のことに一生懸命であっていずれ死ぬ

生きてる目的や学習の動機やブログを続ける理由など、未来に何を求めるのがいいのかに悩む。自分を自分以外の何かに一致させることによって、生きてる証を得ようとする。例えば、自分と国とを一致させて国のために生きようとする人たちがいる。戦前は国体と…

just one day's diary

過去のある日を振り返ってみる。ほんの少しの変化を発見してみたい。 2000年8月14日 今年の5月から自宅でインターネットを始めている。確かにこれによって私の日常生活に変化をもたらしている。まず本が読めなくなってしまった。振り返ってみると、この本に…

小さな世界の幸福

ネットでは興味の赴くままにあまりにも多くの情報が入ってくる。今の自分にとって必要な量を超えて、ほとんど無制限に入ってくる。情報過多の状態は精神を不安定にすると思う。誰かも言っていたが、ネット環境では自信を無くしやすい。自分がどんどん小さく…

老人こそ目標が必要

来月で67歳になるから立派な老人の仲間に入るわけだが、老人といっても寿命が尽きるまでは長い。というよりも意外と長く続きそうな気がする。もういいから人生を打ち止めにして死んでもいいだろうというわけには行かない。自殺は許されていないと思っている…

人生の翻訳

もう選択肢が多いことはプラスにならないと思える人生の時期に来ている気がする。もうすぐ67歳になる。何か一つのことに時間を集中しないと、何も生まれない気がする。もう既に遅いのかも知れない。若い頃から一つのことに集中して打ち込んできた人が、今ぼ…

趣味による交流

ぼくは定年になってから会社との繋がりがなくなったので、会社以外の交流の場を持ちたいとそのことを一番の目標にしていた。テニスの同好会は会社員時代から会社以外の交流の場を持ち得ていた。今もテニスを週一回以上は続けていて、その人たちとは家族的な…