開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

(公論)コメントできないSNSは有害?

哲学・批評 | (TOKYO) FACTORY MAGAZINE 埴谷雄高の虚体論がどう受け止められているかを知りたくて、検索すると興味深いサイトにたどり着いた。タイトルも「メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』」…

「虚体」を巡って

確かに先の大戦での破壊され尽くした光景は、悲惨そのものである。しかし、ぼくには上の映像から破壊と同時に無限の自由をも感じられていた。それはいつ頃つかまえ得たイメージなのかよく分からないが、究極の破壊の後には創造しかないという健全な逞しい論…

基本的な今後のぼくの生き方(続き)

今後の人生、つまり定年退職した二番目の人生の基本的な生活が独学だとしたが、読み書き能力のアップをもっと具体的にしなければ将来について展望できることにはならない。これまでも何を読むのかについては文学が中心だった。文学には主人公と彼を取り巻く…

基本的な今後のぼくの生き方

今のぼくにあるものの上に、どんな生活を描くかについて考えてみたい。これは人生設計だとかクオリティライフのための生活習慣だとか、自己実現の計画というものではない。一般に将来に向けて企画したり計画したりということの有効性をぼくは疑っている。計…

自分に課せられた問題は何か?

おそらくこの問題を解くことがこのブログを活かすことに繋がるはずだ。何かマーケティングを駆使して読者を増やそうとするより、自分が取り組むにふさわしいことを自身に見いだすことが数倍大事なことに思える。今からはこれまでのように、自分が書きたいこ…

現在だけある人は貧しいか

突き詰めるとあるのは現在だけだというのは、真実だと認めよう。しかし現在だけに生きるのは二つに分かれる。現在に集中して生きている人と、現在だけしかない人だ。現在だけしかない人は、時間の観念もないだろうから時間がいつも無いと感じているはずだ。…

未来は過去より重要か?

あるのは現在だけで、過去も未来も実在しないとする考え方にぼくも賛成する。その上で実在しない未来と過去のどちらが重要かを考えてみたい。未来は現在の選択によって自由に変えられるのに対して、過去は変えられないから未来の価値を重要視するのが大方の…

自分のことか誰かのことか

自分のことか誰かのことかを問うというのは、自分のために生きるか誰かのために生きるかを問うことではない。自分が好きか誰か他の人が好きかを問うことでもない。自分に関心があるか誰か他人に関心があるかを問うことに近い。さらに言えば自分と他人とどち…

「敵は誰だ、敵を殺せ」と文学者は言った

何を書いても自由というということだったら、あなたは何をブログに書くだろうか?小説というフィクションだったら、「罪と罰」や「1Q84」を持ち出すまでもなく人を殺すことも書いてOKである。ぼくのブログもフィクションであると一応断っておくことにしたい…

「死霊」第2章を読む

「死霊」はこの前から再読し始め今日第2章を読み終わる。やはりほとんどを忘れていた。大方の評判は哲学小説で観念的であって、筋もなく難解であるというものだ。そういう偏見にぼくもどこかに影響されていた。それはいい意味で裏切られた。中の会話も人物…

資本主義しかないか

資本主義って経済学の言葉で語られるから、馴染みがなくて難しく感じられるが、要は自分が置かれている今の世界のことだ。自分を商品にして売らなければ生活を維持できない。商品は例えば芸能人になって人気者になるような、自分の能力をウケを狙って笑わせ…

哲学は人間の本質に住むことを教えてくれる*

以前書いたブログ「サラリーマンは社畜か?」 でライバルとの競争から降りてからぼくの転落が始まったと書いたが、その結果は定年まで屈辱にいかに耐えるかという、自分との闘いになった。ライバルだった年下の彼は後になって2年間くらい、ぼくの上司になっ…

改めてブログを書く意味を考える

この頃ブログを書いていて何になるのかという、後ろめたさのような無力感を感じることがある。多分何の役にも立たず時間を潰しているだけのような気がするというのと、自分をありのままに見るのではなく、逆に違う自分になろうとしている気がするからだと思…

哲学は考える場を作る

「言葉で人を殺す」という表現は、その当時ぼくがすでに知っていたことではない。もし知っていたら言葉に対する耐性のようなものができていて、あれ程までに落ち込まなかったと思う。その表現は数年経ってから忘年会の席で社長の訓話のような話の中で出てき…

段階はあるか?

人間は生まれて長生きしても100歳くらいで必ず死ぬ。自然生物だったらだれもある時、生まれて生命が途絶えて必ず死ぬわけである。地球も生まれた時があるとしたらいつかは分からないが、消滅する時が来るはずである。生まれたから死ぬことがある、という動か…

言葉で人を殺すのは許されるのか

社長からの言葉での攻撃と昨日書いたのは、社長と当時のぼくとの関係性がどのようなものであったかによって、攻撃の捉え方に影響してくる。常識的な関係で見れば企業トップと一社員の関係は、経営者と従業員との関係性になるが、あの場面では人と人の関係と…

哲学が転落からぼくを救った

38年間勤めた会社を定年退職でき、現在6年目のリタイア生活を充実した気力で過ごせているのは、サラリーマンならほとんどの人が遭遇する危機を何とか耐え忍んで乗り越えてきたからだ。その危機をほとんどの人は今はすでに忘れてしまい、いい思い出とは言わ…

哲学が倦怠からあなたを救う

まともに哲学書を読み通したことがないのに、哲学をなぜ自分のそばに置いているかといえば、学生時代ぼくの周りで、といっても左翼小児病にかかった小さなサークルではということだが、ぼくだけが埴谷雄高を理解していると思われたからだ。みんな一様に難し…

村上春樹の暗い部分

今日はいつもと違う気持ちでこのブログに臨んでいる。誰も身の回りの知り合いのいない場所で何か書きつけたい気持ちは変わらないが、何か裡に蓄積しているものを吐き出したいのではなく、これまでの自分に向き合い反省というか、もう少し強めの懺悔の気持ち…

サラリーマンは社畜か?

社畜という言葉を知っていたが、それは自嘲する言葉であって本気で自分たちを社畜だと思っていた人間は稀だったと思う。特に地方の民間会社でそれなりに社歴のある会社では、社風が古くさい面が残っていてよく言えば家族的だったりする。ぼくは紹介された会…

(公論)本は少なく読め

佐々木中著「切りとれ、あの祈る手を」から 読んだ本の数を数えている時点でもうお終いです。情報として読むのなら良いのでしょうが、それが果たして「読む」に値する行為か。そうして情報に還元されたものしか相手にしていないから、それを正面切って受けと…

吉本隆明の無力感

橋爪大三郎著「永遠の吉本隆明」より 吉本さんは、権力を無化するための社会思想を、いわば幻のようなものとして構想し、生涯にわたって追究しなくてはならない、という大きな代償を払ったと思うのです。とても良心的で、潔癖で、野心的な試みだけれども、よ…

文学の価値とは

村上春樹にとって「直子」という恋人の自死が、自分の生きる根幹を奪うほどの喪失をもたらしたことは容易に想像できる。闘いとはまず自分自身がまともに生きていけるようになるために、直子を生き返らせて対峙するために作家になることだった。その決意は作…

I'm a ghost.

ストーンズの新曲はコロナウィルスを予見して作ったかのように、今にjust fitしている。 www.youtube.com

人間を人間として扱うマルクス主義

なぜ資本主義では鬱やコミュニケーション障害の人が増える傾向になるかといえば、人間をモノのように扱うからだ。ぼくの38年間のサラリーマン生活でも今から思うと、誰もが当然のように人をモノとして扱ってきたと思う。それは「使う」という言葉を使うから…