開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

恋は幾つになっても出来る?

今日ラジオでどこかのDJが恋は幾つになっても出来ると言っていた。そうなのか、そういえばぼくもこの歳で恋が始まっているかも知れないと思った。今源氏物語を読んでその不倫の世界を知りだしたからだろうか。その人を最初に見た時、かすかにときめく感じが…

言葉の身体性

自分を知るには、やはり他人との比較というやり方が分かりやすい。どうしてぼくは、この人と違うのかという問いを自分と似たところのある人に設定して、自分に問いかけてみる。まず年齢が同じで趣味が同じで長期的な見方をするのも同じで、ブログも書いてい…

窓辺のピアノソナタ

ぼくが19の頃の工房で モーツァルトとグレン・グールドという二人の天才に出会っていた 人生の可能性がその時 then 開かれていたのに 全く予備知識もなく、無防備で 阿呆のように呆然としていた 頭に何もなかったから 刻印のようにこころにそれは刻み込まれ…

68歳の誕生日を前に

68歳の誕生日の2日前になる。定年退職後の無職の生活で、無理せず夫婦二人の生活を楽しんできている。悠々自適ではないが、特に困りごともなくまずは二人とも健康でいられている。一昨年外壁をパネルを貼って厚くし、リビングは二重窓にして保温性を増すこと…

「こころの故郷」とは何か Where's a home in the soul?

ぼくがずっと追い続けている、「こころの故郷」とは以下のようなものに近いイメージである。 歳時記 ヨーロッパでいえば、シェークスピア劇 里山の風景 袖振り合うも多生の縁という言葉が生きていた共同体 古き良き時代を感じさせる習慣 万葉集で歌われた和…

「こころの故郷」づくり

何かを書きたい気分になっている。この気分という情動の存在論を確かハイデッガーが「存在と時間」の中で書いていた気がするが、確かめるのも億劫なので自分の心に聴いてみることにする。気分には判断にまで至らない曖昧性があるが、何かのきっかけにはなっ…

定年後の旅行先リスト

今日という日はいつもと何も違わない。日曜ごとに仲間とテニスを2時間することになっていて、コロナ禍でも先に予約してあればコートが使えた。(当日申し込みは不可)雨の予報は前日になって曇りになって2時間の間は雨にならなかった。昼食後、やはり程よい…

報道が商品になった日

普段テレビCMにはうんざりさせられ広告は必要悪のように感じ、出来るだけスルーしてしまうようにしている。このCMはWeb上で流されていて実際に自分がリアルタイムに「目撃」したわけじゃなく、炎上しているという事件から知ることになった。とても巧妙に作ら…

初夏の閑静な路地裏

もう初夏のような5月初旬の午前、ぼくは散歩したくなって普段車で泉野図書館に行くのを、車を泉野体育館の駐車場に置いて歩いて行くことにした。泉野体育館の駐車場から狭い通路で外に出られる出入口があり、そこを出ると閑静な泉野出町の住宅街の路地を通っ…

定年後の歩みを振り返ってみる

定年後会社から離れて居場所を求めていた頃、とにかく地域社会にとけ込むことが頭にあった。会社から地域へというのがまず大きな変化だとよく言われていた。ボランティアをすることが勧められていた。代表的なのがシルバー人材センターに登録して働くことだ…

憲法記念日がすぎて考えたこと

5月3日が憲法記念日だった。憲法について何か書くことは大きな問題すぎて、どう書いていいか分からなかった。憲法は権力を縛るものという定義があるのを知ったのは、2015年の安保法制をめぐる政治的高揚があった時期で、それまでは知る機会がなかった。ぼく…

たまには全力を出す

今日はK夫婦とうち夫婦でテニスを2時間した。金沢市の隣が野々市市でその隣が白山市なのだが、今日は白山市のテニスコートをKさんが予約してくれた。定年退職する前は10人ほどで白山市のコートをベースのコートにしていた。その頃のコートは所々表面のシート…

読む本で自分をつくる

いつも言っていることだが、自分に関わることだけにやることを限定すれば自由にできる。政治は社会や国家に関わることだから、自由にはいかない。戦いの場になって、時には自分の死も覚悟しなくてはならない場面になることもある。相手があることであり、自…