開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2022-01-01から1年間の記事一覧

2022年、今年の収穫

それまでの小説中心の読書から学術書を一冊ずつ丁寧に読むようにしたのが、良い結果を生んだと思える。フロイトの「精神分析入門」は今から思うと、現代思想に関心のある人にとっては不可欠の本になると思う。ぼくにとっては自分の考えが立体的になった気が…

私人と公人と哲学

私人は一人で生きてきて、結婚して家庭を持つことなく一人で死ぬことを覚悟している人だ。公人は両親から生まれ家族の一員として生き、結婚して夫婦として生活し家族を形成する生き方をする個人である。私人は社会の価値およびシステムを無視、ないし軽視す…

自分から離れるとどうなるか

ヘルマン・ヘッセの『デミアン』の中に以下の記述がある。 「利口そうなおしゃべりなんて、ぜんぜん価値がない。ぜんぜんないね。自分というものから離れてゆくばかりだ。分を離れてしまうというのは、罪悪だよ。ぼくたちは、自分の中へかめのこみたいに、す…

ニヒルな自分

今から思うと、ぼくにもこれが最悪の時期だと思った時期が何度もあった。まるでどうやってそこから抜け出したのか、よくくぐり抜けられたものだと感心するくらいだ。まるで今のぼくの人格とは異なり完全な別人と思えるほど、ダメな男だったことがある。それ…

鬱には温ったかいものが効く

69年間生きてきて今から思うと、鬱体質だったぼくを最終的に改善したのは妻との出会いと結婚だったと思える。サラリーマンの時、家と会社の車での往復が新居(結婚当初はアパート)と会社の往復に変わって、ぼくの体質も変化していったのだと思う。通う道の…

サルトル的、ヘーゲル的、柄谷行人的

自分がなれるかは別として、作家と批評家の違いは何で、自分はどちらを目指したいか、またはどちらが自分に向いているかを考え、妄想してみたい。違いについては、自分を書くか他人を読むかのどちらを優先するか、にあると思う。他人を読むを優先するという…

ヘーゲルへの想い

このブログでヘーゲル哲学を読むことに関する記事を書いていくと「宣言」して実際やろうとして、今躓いている状況だ。自分のためと言いながら誰かが全く読んでくれないブログを書き続けることも実際は無理であることを知っている。実際このブログのアクセス…

自分の人生

ここ二三日、何か書きたくなってとにかく書き出してみようとパソコンに向かうことが多い。とにかく書こうとすると、自分の人生の意味を探ることになる。何のために生きているかを問うていて、我ながらそうなる自分を訝しく思う。古くからの最も基礎的な問い…

哲学か文学か

今日は日曜日で、先月までは天候が良ければ午前中仲間と妻も含めてテニスなのだが、さすがに真冬並みの天気では中止になった。土曜日に読書会の例会があるので課題本を読んだり、野々市図書館の市民学習に関するレポートを提出するために、報告書に目を通し…

自分で考えてみるということ

例えば、防衛費を増税で賄うという問題を取り上げてみる。自民党内で散々問題になっているという報道がされている。国の防衛という問題に自分自身で考えてみる人がどうだけいるのだろうかと、ふと考えてみた。ほとんどの人が誰か政治評論家とかの専門の人の…

生涯学習について

生涯学習課というのが我が野々市市にもある。ぼくは野々市市図書館の図書館協議会委員でもあるので、生涯学習課から図書館の活動を諮問される立場に今年からなった。それでそもそも生涯学習なるものを考えてみることにした。学習は何のためにするのかといえ…

自分を拡張しない

何もしなくてもいいという身分をありがたく思う。それを自分が定年後到達した地盤として、十分感謝して味わおう。今大事に思うことを淡々とやっていれば十分満足なはずだ。ヘーゲルに関する本を読めればそれでよしと考えなければならないと、心底思う。

満たされたものと満たされないもの*

今日北陸金沢は晴天で風もなし。朝8時にOさんからテニスの誘いのメールが入る。小野 さんに加えて北村さんとぼくと妻の4人で、午前中2時間ダブルスを楽しむ。70に手が届きそうなぼくと小野 さん。それにはまだ数年ある北村さんとぼくと妻。そんな歳でひ…

最期に残るものは何か

哲学が知の世界にあるのに対して、文学は情の世界にあるように思える。知の世界は限りなく透明に近づいていくのに対して、情の世界は様々な色の世界に限界まで連れていかれる。知の世界は無限なのに対して、情の世界は有限に思える。それは人間の外延と内延…

客観的という見方

Oxford Languagesによると、客観的の意味は、「主観または主体を離れて、独立の存在であるさま。だれが見てももっともだと思われるような立場で物事を考えるさま。」とある。 自分を客観的に見るということについて考えてみたい。自分がどういう人間かと思っ…

ヘーゲルから学ぶ人たち

ぼくがヘーゲル哲学を学びたいと思わせた本は「ヘーゲル『精神現象学』入門」で、著者は加藤尚武である。いやより正確に言うと、その本でヘーゲルの弁証法が分かったような気になったというのが近い。実際の『精神現象学』の翻訳書は加藤尚武からは出ていな…

今のこころの底を覗く

何か疼くものを感じる。ともかくも言葉に出してこの俺が見てみたい。誰かに告げたいとしたら、誰も助けてくれなかった苦しかった時の自分に遭って、よくお前がそこで頑張ってくれたから今があるのだと告げたい。今より会社員だったお前の方が何倍も強かった…

ヘーゲル読書を趣味とする

かつてサルトルが哲学のぼくの関心の中心だった。ぼくの学生の頃にマルクス主義に引き込まれ、政治的な動きが身近になった時に自分の立場をどこかに持つ必要があった。サルトルもマルクスを最後の(のりこえ不可能な)哲学としていたが、マルクス主義が客観…

徒然に意識のままに

ごく大雑把にこのブログの存在について考えてみる。そもそもブログはぼくにとって思考の過程を叙述して、思考の客観化を目指すものだ。叙述は正確を期すが、意識にとって外部の型(5W1Hなど)から道具を借りて行うのではなく、ぼくの意識に現れたままに書く…

60年代の洋楽にひたり続ける幸福

自己意識という意識に気づき始めるころが今頃になって無性に懐かしくなる。いわゆる「自我に目覚める頃」が、自分にとって第二の誕生というくらいに思える。考えることに目覚めるのだ。性に目覚めるころは、ぼくにとってはもう少し早い、ということが定年後…

哲学を学ぶと何がいいのか

ぼくが哲学に魅力を感じるのは、他人を恨んだり、羨んだりしなくなることだという気がする。徹底した自己責任と言えるかもしれない。そうかと言って他人に冷たいのではなく、他人は自分とは違う考えや生き方をするものだと芯から感じている。違っているから…

ヘーゲル「精神現象学」テキストを選ぶ

今日分かったことは、ヘーゲル「精神現象学」の翻訳として出版されている本のうち、最も入手しやすい平凡社ライブラリー版は、書いてあることがよく分からないということだった。樫山欽四郎氏訳では、中にはさっぱりわからないところがあったということだ。…

郷愁には勝てなかった

ヘーゲル関連以外の本は読まないとした禁を破って、心の中の郷愁の源泉を辿るようにして再読してしまった。でも読後の感慨は幸せに満ちたものだった。こんな風ではぼくのヘーゲル研究なんて大したものにならないだろう。、、、しかし、行けるところまで行き…

帰属感について

自分は日本人で当然日本国籍で、日本の石川県の野々市市というところに住んでいる。日本の石川県に属しているという感じはあまりしない。石川県民かを問われることはほとんどないからだし、県庁に出かけて何かを申請したり相談したりすることもないので、日…

竹田青嗣氏の「精神現象学」解説から

「源氏物語」を原文で読めなかったばかりでなく、現代語訳でも理解できない箇所が多くて、ネット上に掲載された解説ブログの助けを借りてようやく解るという経験をしてきたぼくにとっては、「源氏物語」と比べようもなく難解な「精神現象学」も様々な解説を…

「精神現象学」緒論から

たしかに、意識は自己の喪失を恐れる「不安」から「真理」へ近づくプロセスを断念することもあるし、また、「虚栄心」から、自己の現在もっている「真理」こそ最高のものとしてつぎの地平へ進まずこれに固執するということもありうる。しかしそれは単に「自…

ヘーゲル哲学が提供するドラマとは

以前のこのブログで、ヘーゲル哲学に出会ったことがぼくのドラマの始まりだと書いたことがある。ここではどんなドラマが始まりそうなのか「導入部分」について書いてみたい。「精神現象学」の序文のところで、ヘーゲルは自分の新しい哲学を始めることの自信…

哲学を学ぶ目的について

人生は欲望ゲームで自分の好きなことをやって楽しく生活できたものが勝ち、という「哲学」があるとする。何となく現代の平均的な(ぼくの周囲にいるほとんどの)人たちの生き方の価値観がその哲学に現れているように感じる。ぼくもその哲学に同調できれば改…

野獣と叡智

自分を改造する時に一挙に全てをやりたくなるが、そこは堪えて冷静になり、ごく最小の致命的なところに焦点を絞る必要がある。専念すべきところ、急所である。多分、書くことの源泉に通じる、魂の懐に通じる場所だ。探究心の宿る源泉。日常の凡人としての自…

文学は何を達成するのか

村上春樹にしても、中上健次にしても、夏目漱石にしても、徳田秋声にしても、あるいはサルトルや柄谷行人や多くの文学研究者も含めて、文学に携わるものがその出発からどんどん成長変化していきあるときピークを迎え、挫折の経験を乗り越え晩年を迎える、と…