2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧
ごく大雑把にこのブログの存在について考えてみる。そもそもブログはぼくにとって思考の過程を叙述して、思考の客観化を目指すものだ。叙述は正確を期すが、意識にとって外部の型(5W1Hなど)から道具を借りて行うのではなく、ぼくの意識に現れたままに書く…
自己意識という意識に気づき始めるころが今頃になって無性に懐かしくなる。いわゆる「自我に目覚める頃」が、自分にとって第二の誕生というくらいに思える。考えることに目覚めるのだ。性に目覚めるころは、ぼくにとってはもう少し早い、ということが定年後…
ぼくが哲学に魅力を感じるのは、他人を恨んだり、羨んだりしなくなることだという気がする。徹底した自己責任と言えるかもしれない。そうかと言って他人に冷たいのではなく、他人は自分とは違う考えや生き方をするものだと芯から感じている。違っているから…
今日分かったことは、ヘーゲル「精神現象学」の翻訳として出版されている本のうち、最も入手しやすい平凡社ライブラリー版は、書いてあることがよく分からないということだった。樫山欽四郎氏訳では、中にはさっぱりわからないところがあったということだ。…
ヘーゲル関連以外の本は読まないとした禁を破って、心の中の郷愁の源泉を辿るようにして再読してしまった。でも読後の感慨は幸せに満ちたものだった。こんな風ではぼくのヘーゲル研究なんて大したものにならないだろう。、、、しかし、行けるところまで行き…
自分は日本人で当然日本国籍で、日本の石川県の野々市市というところに住んでいる。日本の石川県に属しているという感じはあまりしない。石川県民かを問われることはほとんどないからだし、県庁に出かけて何かを申請したり相談したりすることもないので、日…
「源氏物語」を原文で読めなかったばかりでなく、現代語訳でも理解できない箇所が多くて、ネット上に掲載された解説ブログの助けを借りてようやく解るという経験をしてきたぼくにとっては、「源氏物語」と比べようもなく難解な「精神現象学」も様々な解説を…
たしかに、意識は自己の喪失を恐れる「不安」から「真理」へ近づくプロセスを断念することもあるし、また、「虚栄心」から、自己の現在もっている「真理」こそ最高のものとしてつぎの地平へ進まずこれに固執するということもありうる。しかしそれは単に「自…
以前のこのブログで、ヘーゲル哲学に出会ったことがぼくのドラマの始まりだと書いたことがある。ここではどんなドラマが始まりそうなのか「導入部分」について書いてみたい。「精神現象学」の序文のところで、ヘーゲルは自分の新しい哲学を始めることの自信…
人生は欲望ゲームで自分の好きなことをやって楽しく生活できたものが勝ち、という「哲学」があるとする。何となく現代の平均的な(ぼくの周囲にいるほとんどの)人たちの生き方の価値観がその哲学に現れているように感じる。ぼくもその哲学に同調できれば改…
自分を改造する時に一挙に全てをやりたくなるが、そこは堪えて冷静になり、ごく最小の致命的なところに焦点を絞る必要がある。専念すべきところ、急所である。多分、書くことの源泉に通じる、魂の懐に通じる場所だ。探究心の宿る源泉。日常の凡人としての自…
村上春樹にしても、中上健次にしても、夏目漱石にしても、徳田秋声にしても、あるいはサルトルや柄谷行人や多くの文学研究者も含めて、文学に携わるものがその出発からどんどん成長変化していきあるときピークを迎え、挫折の経験を乗り越え晩年を迎える、と…
これから自分の身に起こることを予測し、それの準備をすることができたら自分にとって最強な生き方になると思える。その予測は予感のようなもので、決して世界とか自然の動きなどではもちろんない。そんなことができたら預言者だ。自分の中の気持ちのほんの…
昨日午後から公民館の研修室で、自分たちで作っている源氏物語の読書会を開いた。一人では続かないからみんなで読もうという単純な動機でスタートしたのだった。今日は「胡蝶」の巻だった。とにかく何が書いてあったかを確認する場になっていて、これは誰の…
自由とは最も本質的な欲望だと思う。欲望の前提条件というべきか。しかし、欲望のままに生きてはかえって不自由になる。欲望がぶつかり合う世界はきっと住みにくいだろう。ぼくは割と世界の進化を信じている。無方向に見えて中には不可逆的な進行というもの…
戦争に反対するという命題に取り組むには、国家の本質が分からなければならない。戦争を国家が決意した場合は、国民は否応なく戦争に駆り出される。今のロシアとウクライナを見ていればよく分かる。現に世界はもう戦争が始まっていて、第3次世界大戦の可能…
生まれてから就職ないし社会に出るまでを人生の「揺籃期」、会社などの組織に属し家庭を持って独立して定年まで働く時期を人生の「黎明期」とし、定年後から死に至るまでを「実現期」と自分の人生を定義することにする。人生の生きてきた結果が出るのは死の…
ブログ投稿を休んでまで学習に専念したいと思ったのが、どうしてヘーゲル哲学だったのか(なぜそれを選んだのか)という問いに答えなくてはならないと思う。そう自問して何となく思い当たるのが、これまでサルトルやニーチェなどの実存主義やキリスト教批判…
自分がドラマの中にいるように毎日ワクワクしながら前進する生き方ができれば、人生最高となるだろう。例えばオリンピックを目指して毎日練習に明け暮れるアスリートはドラマの中にいるだろう。明確な社会的使命を自覚して職業人になるべく、職場で毎日日々…
先のヘーゲル「精神現象学」からの引用ページに、自己との一体化という言葉があって、今日読み直した時に目に止まった。自己と一致しているときは自立していて、一致しなくなると解体が始まると書いてあった。それは知が働いているかどうかに関わっている、…
概念の意味が分からないと哲学の本を読めない、と思う。それが壁になっている。ぼくが初めて概念を分かったと思えた時に感じたのは、哲学者があれこれ説く哲学説というものがあるのではなく、哲学という世界だけが時間と空間を膨大にして広がっているイメー…