開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

本を読むことの原点に向かって

この投稿は今日だけに終わらず継続して書き足していくことにする。まず初めにこのタイトルで書いていきたいことは、地域読書会の創生についてだ。現在は公民館サークルの一つでしかないが、いかに公共性のある読書会として生まれ変われるかを追求したい。野…

自然体を保証するもの

今なんのこだわりもなく、自然体で書くとどうなるだろうか?そんな事を思うのは今までいろんな目論見や自意識や目標や生きがいなどといった、自分を縛るものに成長の条件となるものを価値づけしてきたからだ。何者かになるにはそういうものが必要だと思い込…

何でも話す

何でも話すというか書くことにしよう。これまで暮らしとも言えない毎日の繰り返しなどは書くに値しないとしてブログに書こうとしなかった。繰り返しでないことでもプライベートにしたいことは明かさなかった。困っていることも解決しないまでは書かなかった…

文学をコンテンツ化させる

読書会の仲間と文学書を読むことは、もう立派な遊びになっている。読書は一人の孤独な営みだけど、読書会はそれぞれ読み取った経験を自己表現する場になっている。その中から取り出される、その人によって意味付けられる解釈に味わいがある。趣が感じられる…

小説家はすごい能力を持っている

最近、地元の読書会が毎年主催している「公開文学講演会」をぼくが担当して主催した。講師の先生への依頼や関係者への周知や文化協会ホームページへの掲載、当日の司会などを小規模ながらも一手に従事した。先生への自宅まで行って打ち合わせを行い、親しく…

京極夏彦「オジいサン」を読む

定年後小説として、京極夏彦「オジいさん」を読む。主人公は72歳の独身男で、20世帯が入居する小さなアパートに住んでいる。自分が「オジいサン」と幾分幼いイントネーションで呼ばれたことが頭に残り、その発生源を思い出そうと寝床で記憶を巡らすところか…

beet goes on

今日こんな映像を拾った。こんな発見もできるんだって思った。

地域読書会再生を目指して

定年退職後、地元の公民館サークルの中の読書会に数年参加してきた。メンバーの高齢化が進むと共に新規のメンバーが入らず活動が停滞傾向となっている。3年前から会長となって、講演会や文学散歩などのイベントを主催してきたが、最近くだらない瑣末なこと…

小説が読めない東浩紀や成田悠輔

ぼくが東浩紀と成田悠輔の対談を聞いていると、以下の柄谷行人の言葉がそのまま当てはまると思った。 彼らには『トランスクリティーク』を論評することなどできない。端的にいって、理論的能力が欠けている。それでも、勉強しようとする知的な関心や倫理的な…

定年退職後のフローでなく、ストックで

定年退職後の回想の日々。自分という人間をどう捉えるか、判断基準を自分が設定するにはもう働く必要のない年金生活の環境がどうしても必要と思える。つまり溢れるほどの時間が必要なのだ。今日漠然と思えるのは、金沢市立大学という珍しい公立大学の、美術…

時代小説ぎらい

時代小説というジャンルでは、藤沢周平の「蝉しぐれ」と安部龍太郎の「等伯」、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」ぐらいしか読んでなくて、何となく馴染みが薄い。読んだ3作は決して面白くなかったわけではない。むしろ読んで良かったと思っている。でも何かがも…

芸術にしか生きる喜びを見出せない

ぼくが望むものは、自分が生きる糧になるものだ。どんなにインターネットやAIが発達しても、それによって多少人々の価値観や意識が変わろうが、毎日意欲を持ってワクワクしながら生きることに結びつかなければ問題にならない。思い出すのが、ヘルマン・ヘッ…

7年前との違い

●2015年5月14日のFBから 全く久しぶりにFBに投稿する気持ちになった。会社で毎日働くという環境から脱して毎日何をしてもいいという環境になって、2ヶ月半ほどたった。ぼくが若い頃、哲学がファッションのようだったことがあり、ぼくはサルトルなどが好き…

引きこもりの効用

ふと思うことだが、定年後でよかったことの一番は何気兼ねすることもなく引きこもれることではないだろうか。家に閉じこもってばかりではいけないと言われるが、閉じこもりが快適なうちは良いのではないかと思う。思いっきり内面の自由に冒険してみても良い…

クープランのハープシコード

クープランのハープシコードをストーブを焚いた部屋で、リクライニングシートに深々と腰掛けて聴いていると、しばらくしてヨーロッパ中世の果てしなく物憂い午後の「静寂」に誘われていくようだった。それまでの積み重なって鬱屈としていたものが溶けていく…