開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

こころの故郷

宮沢賢治の朗読

先月のある日、宮沢賢治を研究されている岩手県出身で金沢在住の女性の方の講演を聞く機会があった。その中で、賢治の詩を朗読もされたのだったが、ぼくの印象は少し弱々しくて内心不満だった。ぼくは昔、ドリアン助川さんの絶叫するような「雨ニモマケズ」…

考えられた接続詞や思いやりの修飾語

何にも用のない夏の日の夕方 ふとあの頃の曲が浮かび、Spotifyの声が漂い出した 君は少女だった 乾いた風に髪をなびかせ 日焼けした肌の無垢な淑やかさを 誰はばかることない爛漫さを中心に置いて ぼくを虜にしようとたくらんでいた 面影や匂いや空気は時間…

老いについて

若い頃は過去より未来が大きい(長い)が、老年になると未来が小さく(短い)過去が大きい(長い)。これは過去だけが確実な存在なのだから、本当は過去が大きくなる老年の方が豊かなはずだ。もちろん人生には浮き沈みがあり、良い時もあれば悪い時もある。…

謳うスキルと物語るスキルと

和歌や俳句などの「謳うスキル」と小説や評伝などの「物語るスキル」は、文化を発信し蓄積する上で欠かせないものだ。聞いたり読んだりする受容する力ではなく、止むに止まれない発情の、吐露の形式だ。ぼくにはこれが足りない。地元の公民館で読書会に参加…

「こころの故郷」とは何か Where's a home in the soul?

ぼくがずっと追い続けている、「こころの故郷」とは以下のようなものに近いイメージである。 歳時記 ヨーロッパでいえば、シェークスピア劇 里山の風景 袖振り合うも多生の縁という言葉が生きていた共同体 古き良き時代を感じさせる習慣 万葉集で歌われた和…

「こころの故郷」づくり

何かを書きたい気分になっている。この気分という情動の存在論を確かハイデッガーが「存在と時間」の中で書いていた気がするが、確かめるのも億劫なので自分の心に聴いてみることにする。気分には判断にまで至らない曖昧性があるが、何かのきっかけにはなっ…

金沢のジャズ喫茶

昔、金沢の竪町通りに「きゃすぺ」というジャズ喫茶があった。ぼくは高校生の頃から行っていて、サラリーマンになってしばらくして店はなくなっていたから、10年くらいは通っていたことになる。小さな店だったが、居心地は良かった。3年ほど前、吉祥寺にある…

書くとは「こころの故郷」を見つけること

なぜ書くかという動機について改めて考えておきたい。その動機に再び出会うことでこのブログを書き続ける意欲を持ち続けたいと思う。なぜ書くかの問いに、発見することがあるとサルトルは「文学とは何か」の中で述べている。書いて発見することがあるのと、…

人生の意味を考える

自分が生きて死ぬことにどういう意味があるのかについて考えてみたい。意味があったほうが充実して生き生きと人生を全うできると思うからだ。もし愛情に恵まれた家庭環境と職場で、生まれてから死ぬまで愛を感じられる人間関係を維持できて暮らすことができ…

belonging toについて

虚しさや打ちひしがれた感じや気分の落ち込みの原因は、自分がある仲間や集団から除け者にされることにあることは、おそらく間違いないと思われる。孤独になっても仲間や集団を気にしない時には、そのような否定的な感情にとらわれることはない。自分が相手…

哲学は人間の本質に住むことを教えてくれる

以前書いたブログ「サラリーマンは社畜か?」 でライバルとの競争から降りてからぼくの転落が始まったと書いたが、その結果は定年まで屈辱にいかに耐えるかという、自分との闘いになった。ライバルだった年下の彼は後になって2年間くらい、ぼくの上司になっ…

思いがけない君の声

あの頃はまだぼくたちは別々の世界に住んでいた。 君はぼくが無理をして世間からずり落ちないようにしているのをそばで見ていて、 もっと自分らしくしていればいいのにと思っていた。 君は自分の欲しいものをあまり顧みなかった。 ぼくの着なくなったトレー…

豊かな人生のイメージ

1953年生まれの人間にはまだ、「豊かな人生のイメージ」がある。世界の文学、音楽、絵画の古典などから作られ、私の心の底に沈殿しているものだ。豊かさというとあくまで私の感性だが、ドストエフスキーではなくトルストイだし、カフカではなくゲーテであり…

哲学のテーマ

以前ブログでぼくの哲学の課題は、「故郷化」して世界内存在として自立すると書いたが、そこには個人の帰属意識が重要な要素としてあることを示している。仲間から頼もしく思われ、メンバーの一人として欠かせない存在として認められている。それは現実に故…